城郭都市イヴシル
魔物の森から抜け出した私達は街道の方へ行き、簡易に舗装された道を歩く。
目的地が目に見えてはいるが、小さく見えることからそこそこの距離はありそうだ。慣れない二足歩行でそこまで歩いていかなければいけないことに少し気が滅入った。
ローサが「手を繋ごうか?」とか、グレゴリーが「おぶってやろうか?」などど声をかけてきたが、二人とも私のことを幼児か何かだと思っているのだろうか。気遣ってくれるのはありがたいのだが、流石にそこまでされるのは恥ずかしい。
それに、これでも人の体には最初の頃よりは慣れてきて、気を付ければ転ばなくなってきた。……絶対に転ばないとは断言できないが。
そして、この街道は人目がまったく無いわけではない。
道中、何回か魔物の森方面へと向かっていく冒険者のグループとすれ違った。
グレゴリーは顔が広いのか、相手方に「お疲れさん!」と声をかけられ、「おう、ありがとよ!そっちも健闘を祈るぜ!」と返し、親しげに挨拶を交わしていた。しかし、ローサは無愛想に会釈をするだけであった。
私のことに親身になってくれるので、冷たい見た目の印象と違い、優しい女の子なのかと思っていたので少々意外であった。
冒険者は見た感じ男比率が極めて高いようだったので、性別が違うことで人見知りをしているのだろうか?
何だか不思議な気分だった。
そうやってしばらく歩いた所で、ようやく街の門が見える所までたどり着いた。
近づいてみてわかったのだが、このイヴシルという街は相当大きい。人口もそれなりに多いんだろうな、と思うと少し緊張してきた。
街を観察していたら、街の上空で鳥ではない巨大な生き物が羽ばたいていることに気付いた。
慌てて隣を歩いていたローサの袖を引っ張った。
「ね、ねえ。街の上を飛んでるのって、魔物じゃないの? 大丈夫なの?」
「ああ、あれは魔物じゃないよ。上空から魔物が入ってこないように警備をしているワイバーン騎兵だね」
「騎兵ってことは、あれの上に人が乗ってるんだ……」
高所恐怖所には絶対無理な職業だな。私にはとてもできない。
それにしても、魔物の森からそれほど距離が無いこの場所に、何故こんなに大きな街があるのだろう? 何か理由でもあるのだろうか。
私たちは門の真ん前までやってきた。門には甲冑をつけた長い槍を持った兵士がいる。
私達が入ろうとしているのに気付くと、「身分証明書はあるか?」と訪ねてきた。
えっ、そんなもの持っていないんだけど。
何かの札を見せている二人に助けを求めるように視線を向けたが、気付いてくれない。ど、どうしよう。
札をチェックしていた兵士は、私の方を見ると、視線を私の頭の上に向け、「霊命種か」と呟いた。緊張にアナグマ耳がぴろぴろ忙しなく動く。
「ああ、魔物の森で保護をした」
グレゴリーが簡素に私について説明した。
兵士は何故か納得したような顔つきになり、頷いた。
「いいぞ、通れ」
そして、あっさりと通行許可を頂けてしまった。霊命種は顔パスで通れるのだろうか。
チラチラ兵士の顔を伺いながら通ると、何故か兵士は痛ましげな表情になった。意味がわからない。
門を通り、少し歩くと大きな通りに出た。両側には建物がひしめき合い、人々が行き交っている。
大量の人々を前に、心臓がどきどきとしてくる。
薄暗い穴倉の中でドラゴンにおびえながら息をひそめる獣生活は終わった。
私はこれからようやっと人間らしい生活を送ることができるのだ。これからのことを思うとわくわくとせざるを得なかった。
せわしなく辺りをきょろきょろと見回す私に、グレゴリーが声をかけた。
「そういや言ってなかったな。霊命種保護協会に行く前に、ちいっとばかし寄らせてもらう所があるんだが」
「ん? 何処に行くのん?」
「冒険者ギルドに行って、今回の収穫を納品するんだよ。流石に荷物こさえたままあちこち行くのはな」
「まあ、確かに荷物は軽くした方がいいもんね。どうぞどうぞ!」
そう言って二人の後をついていくと、大通りの中でもひときわ目立つ大きな建物の前へ来た。
ドアを開けると、カランカランと鳴ったドアベルに反応したのか、中にいた人達がちらりとこちらを向く。ムキムキマッチョな荒くれ者どもの視線に晒され、冷や汗をかく。
二人は特に気にした風でもなく、空いているカウンターの前へ歩いて行った。
受付にいたお姉さんは、こちらに気付きにこりと綺麗に微笑んだ。
「お疲れ様です! 納品の御用でしょうか?」
「ああ、よろしく頼む」
「それでは確認のため、冒険者カードの提示をお願いします」
「あいよ」
グレゴリーとローサは先ほど兵士に見せていたカードを今度は受付嬢に見せた。
「ありがとうございます、確認いたしました! それでは納品するものをこちらのトレイへ乗せてください!」
「納品はこいつと半分ずつってことで頼むな」
「承りました!」
グレゴリーは鞄をごそごそと漁り、魔物の皮だとか爪だとか色々な素材をカウンターの上の巨大なトレイへ置く。鞄のサイズ的にとても入りきらない量だったか、鞄には圧縮魔術が施されているので見た目より沢山の物を入れられるらしいんだとか。
「それでは鑑定が済むまで少々お待ちください」
受付のお姉さんはトレイを持って奥の方へ引っ込んでいった。受付なのに力仕事もあるんだな。
少しの間待っていると、空になったトレイと、小さなメモを持って戻ってきた。
受付のお姉さんはグレゴリーに、メモと一緒にじゃらじゃらと硬貨を手渡した。
「納品ありがとうございました! 報酬金は45310エルになります。内約についてはお渡しした明細書に記載しておりますのでご確認下さい」
「間違いない。ありがとな」
「またのご利用お待ちしております!」
受付嬢はぺこりとお辞儀をする。グレゴリーは、こちらに振り向くと硬貨のうちいくらかをローサに手渡した。
「半分はお前さんのもんだ。お疲れさん」
「ん、ありがと」
二人はお金をしまうと、待っていた私に声をかけた。
「待たせたな。それじゃ、行くとするか」
「待たせて悪かったね」
「いえいえ、何だか見ていて色々と勉強になりました」
「そう?」
とりあえず冒険者ギルドへの納品方法は覚えたぞ。通貨の価値についてはよくわからなかったが。
ギルドの建物から出てきた所で、ローサが私に向かって言った。
「次は霊命種保護協会だけど、その前にムジナの靴を買わないとね」
「はえっ」
ローサの服を貸してもらっているといっても、流石に予備の靴など持ち歩いてるわけがない。
私は足に布を巻いた状態であった。
「遅くなって悪かったね。門からの位置関係上、こういう順番になっちゃって」
「いやいや、全然まったく気にしてなかったんで!」
アナグマの時はそもそも裸足だしね。
そんなこんなでとりあえず靴屋へと向かい、無事靴を買っていただいたのであった。
靴を履きなれていない私は、靴屋から出た三歩目で盛大にこけてしまったとさ。
靴屋からしばらく歩いた所で、冒険者ギルドより幾分か小さい建物へとたどり着いた。
ローサが振り向いて私にその建物の名前を教えた。
「ここが霊命種保護協会支部だよ」
「ここが……」
グレゴリーが思い出したようにぽんと手を打った。
「ああ、一つ言い忘れてた。問診があると思うが、とりあえず聞かれたことだけ答えりゃいいからな」
「わかりました」
問診か。どんなことを聞かれるんだろう。
不安が顔に出てたのか、ローサが安心させるように微笑んだ。
「まあ、職員は優しいと思うからそんなに固くならなくても大丈夫」
「は、はい」
堂々と入っていく二人に続き、へっぴり腰で建物のドアを潜る。
中は静かで人気が無く、言っちゃ悪いが冒険者ギルドと比べると雰囲気が大分暗かった。
カウンターには羊っぽい巻角をつけた眼鏡のお姉さんがいる。何かを書くのに集中してるのか、こちらには気付いていないようだ。
グレゴリーがカウンター越しに声をかける。
「よう、ちょっといいか」
「あっ、はい、霊命種の方ですね? 我々霊命種保護協会はお困りのことがあれば、何でも力になります」
受付のお姉さんは顔をあげ、グレゴリーと私の顔を見ると落ち着いた声でそう告げた。
グレゴリーは頷くと、私の頭にぽんと手をのせ、要件を伝える。
「魔物の森でこいつを保護をした。登録を頼みたい」
「魔物の森で……。では、簡単な問診と、書類記入を行いますので、こちらの部屋へお入りください」
巻角のお姉さんはカウンターから出てくると、脇にあったドアを開けて、入るのを促した。
部屋には観葉植物が置いてあり、大きくて座り心地のよさそうなソファーが小机を挟んで設置されている。
ソファーには何故かファンシーなぬいぐるみがおいてあり、グレゴリーにそれを手渡された。なんだこれ、どうしろっていうんだ。
わけがわからなかったが、とりあえずそれを抱きしめてソファーの真ん中に座った。両脇にグレゴリーとローサが座る。
続けて、部屋のドアを閉めた巻角のお姉さんが対面のソファーへと腰を下ろした。
巻角のお姉さんは羽ペンを片手に持って書類を机に置くと、私へ優しく微笑んだ。
「それでは、少しだけ質問をさせて頂きますね」
「はい」
「お名前はありますか?」
「ムジナです」
「年齢はいくつかわかりますか?」
「二歳だと思います」
「えっ」
巻角のお姉さんは驚愕に目を瞬かせた。グレゴリーが補足をする。
「あー、こいつは異界人でな。そんでもって既に神のご加護を頂いているらしいんだ」
「なるほど」
巻角のお姉さんは納得したらしく、書類に何か熱心に書きつけた。
問診は続く。
「種族は熊族で合っていますか?」
「はい」
「一応ご確認させて頂きますが、性別は女性ということでよろしいでしょうか」
「はい」
「魔物の森で保護されたということですが、その前のことは覚えていますか?」
「えっと、」
「こいつは北部から逃げてきた」
グレゴリーが私が言おうとしたことを遮って答える。
巻角のお姉さんは悲しそうな表情になった。
「やはり、そうなんですね」
「ああ、残念なことにな」
「……わかりました。以上で問診は終了になります。後はこちらで登録作業をしておきますのでご安心ください」
「は、はい」
私は巻角のお姉さんが何故悲しそうなのかよくわからなかったが、とりあえず質問が終わったことに安堵する。
巻角のお姉さんは気遣わしげにこちらに声をかける。
「ご希望をされるなら、王都にある本部で社会適応訓練を受けることができますが、いかがいたしますか?」
「え、えっと……?」
「あー、とりあえず俺たちで面倒を見させてもらおうと思う」
「わかりました。何かお困りのことがあればいつでも当協会を頼ってくださいね」
「ああ、何かあったらまた来る」
「登録証は後日発行されますが、お住まいをお教えいただければお届けしますよ」
「頼む。場所は――――」
そうして、よくわからない感じに霊命種保護協会での用事は終わった。
建物を出た所で、グレゴリーに疑問をぶつけた。
「私が北部から逃げてきたってことになってたけど、どういう意味があるの?」
「北部にはビレンガルト帝国って国があってな。あそこはハジャリア王国と違って霊命種が冷遇されてるんだ」
「へえ。やっぱり国によって霊命種の扱いって違うんだね」
「あそこは違うってレベルじゃねぇけどな……」
なんだかやばそうな所である。北の方へ向かわなくてよかった。
「で、それだと私は亡命者ってことになるけど、随分手厚く扱ってくれるんだね」
「表面上は自然発生した霊命種を保護したって扱いになる」
「へ?」
「そもそも、協会は自然発生した霊命種を保護するという名目を掲げた組織なんだ」
「自然発生って、そんなにいるんだ?」
「いんや、今日日自然発生した霊命種なんていねぇ。聞いたこともねぇな」
「いないの? それじゃ協会の意味ないんじゃ?」
「まあ、名目と実際やってることは違うってことだ。本当は他の国から逃げてきた霊命種を保護する組織なんだ」
「な、なるほど……」
随分と複雑な事情があるんだな。
とりあえず兵士や巻角のお姉さんが向けてきた視線の意味がわかった。
色んな人が知ってるということは、きっと公然の秘密ってやつなんだろう。
ローサが話が途切れたタイミングで、今後の予定を告げる。
「じゃ、次は神殿……と言いたい所だけど、もう夕方だから続きは明日かな」
「はーい」
神様が実在するらしいこの世界の神殿か。どんな所なのかちょっと楽しみである。
「泊まる所についてなんだけど……とりあえず私達が借りてる宿に一緒に泊まるって形になると思う」
「はい、わかりました!」
宿屋。つまり、お布団で眠れるのである。
贅沢は言わない。フカフカではなくてもいい。とにかく建物の中で、布団の上で眠れるというシチュエーションがただただ嬉しかった。
今までは土の上に枯草を敷き詰めただとか、土の上に直に寝るだとか、とにかくワイルドすぎたのだ。
宿屋への期待に目をきらきらと輝かせた私に、ローサはなんだか微笑ましそうな顔をした。
肉体年齢は二歳でも精神年齢的には私の方が年上のはずなんだけどな。……多分。