人間って難しい
随分と喋り込んだために日は傾き、夕刻近くになっていた。
ローサに服を着せて貰った後は、とりあえず夕飯にしようという流れになった。
ただじっとして食事の準備を待つのも手持無沙汰だったので、私も木の実でも探しに行こうとしたら全力で止められてしまった。
この辺一帯は魔物の森という場所で、私が見かけた二対の翼を持つ怪鳥のような恐ろしい生き物達が生息してるらしい。
ドラゴンがいる場所から出てきても結局怪物の棲みかだった。恐ろしい世界だ。
「ムジナは異界人だから魔素の扱いには長けてるんだとは思うけど……。肝心の人の体にまだ慣れてないみたいだからね。危なっかしいよ」
「まあ、とりあえず今は俺たちに甘えとけ。同族のよしみってやつだ、気にすんな!」
「そ、そっか。じゃあ申し訳ないけどお世話になるね」
会ったばかりの私にここまで親身になってくれるとは、随分とお人よしなコンビだなあ。私としては非常に助かるけども。
「所でその危険地帯に、二人は何の用事で来てたの?」
「俺たちは冒険者だからなあ、平たく言えば仕事の為ってとこか」
「へー、仕事ね」
冒険者という職業があるのか。何か探索でもするのだろうか。
「今回の仕事はもう済んだから、明日は街に帰るよ」
「近くに街があるの?」
「うん。イヴシルっていう結構大きい街がある。これからどうするか決めてないなら、ムジナも一緒に来るといいと思う」
「そうだねえ……」
ドラゴンの縄張りから出ることしか考えてなかったので、これからどうするかなど一つも決めていなかった。
とりあえず、人の姿も手に入れることができたのだし、次は街へ行って人間らしい生活を送ることを目標にしよう。
「じゃあ、とりえずそのイヴシルって所までご一緒させて貰うことにしようかな」
「了解。よろしくね」
「よろしくな!」
そんなこんなで、私は二人がてきぱきと食事の支度をしているのをただ眺めているのであった。
暇だったのでたき火の周りをウロウロしていたらバランスを崩してこけてしまった。二足歩行とはこんなに難しいものだったかな。
結局その辺に座り込んで待つことにした。
「スープが煮えてきたぞ。そろそろ食えるぜ」
グレゴリーが小鍋をかき混ぜながら言った。
異世界に来て初めての、人間らしい食事だ。
前日から飲まず食わずだったのも相まって、期待に目を輝かせる。
「はい、どうぞ」
「いただきます!」
ローサからパンを差し出されて反射的にかぶりつく。固いパンだが、私の顎の敵ではない。むしゃむしゃと噛み砕く。
調理された食物とはこんなに繊細な味わいをしていたのか。味わいながら深く感動を噛みしめる。
なんだかアナグマの時よりも物の味もハッキリわかるようになっている気がする。人間って素晴らしいなあ。
ふと、ローサの方を見やると差し出した手をそのままにして、目を瞬かせて私の方を見ていた。
そこでようやく私は己の失態に気付いた。
人間は手を使う生き物である。差し出された食べ物にそのまま噛みつくのは獣のすることだ。
私は顔に熱が集まってくるのを感じ、言葉に詰まった。
「あ、えっと、今のはその……つい癖で……。見苦しいところを見せてごめんなさい」
「き、気にしないで。まだ人の体に慣れてないだけだろうし」
「はっはっは、豪快な食べっぷりだな! 俺は別にそういうのは嫌いじゃないぞ!」
グレゴリーが嫌いじゃなくても私は嫌である。ローサのフォローになんだか居た堪れない気持ちになった。
誤魔化すように、残りのパンを受け取ろうと手をローサの方へ手を伸ばした。
「今度はちゃんと受け取るから……」
「あ、うん」
ぐしゃり。渡されたパンは私の手の中で握りつぶされた。
私が激怒したわけではなく、普通に握ったつもりだったのだがパンは哀れ私の手の中ですっかりぐしゃぐしゃに縮んでしまった。
私はわけがわからず目を点にした。
「魔素適正が高すぎるのと、初めて変性したのが相まって色々と制御し切れてないのかも……」
「制御しきれないだけでこんなに怪力になるの?」
「無意識に身体強化をかけてるのかもしれない」
「ほお、大した奴じゃねぇか! すぐにでも冒険者になれるんじゃないか?」
「そ、そうかなあ……?」
褒められたけど微妙な気分である。力が強すぎて制御ができないなんて、危なっかしいにもほどがあるだろう。
急にこんな怪力が出るようになったのは、己の不思議な力を認知したからだろうか。今までは常識にとらわれすぎて、自分自身を縛り付けていたのかもしれない。
その後は、物を壊さないように恐る恐る食事を進めていった。
おおむねは大丈夫だったが、少しだけスプーンを曲げてしまった。ローサ達は特に気にしていなかったようだが、後で弁償しようと密かに誓った。
次の日。手早く朝食を済ませ、私たちはいよいよ街へ向けて出発することとなった。
私は未だおぼつかない足取りだったため、とりあえず移動中はアナグマの姿に戻ることにした。
馴染みの体に戻って動きやすかったが、人間より獣の姿の方がまともに動けるのも何だか悲しい。
一度人性体を取ってから、私は魔素とかいうファンタジー物質を操れるようになったのか、みなぎる力にアナグマの姿でもとんでもない動きができそうな気がする。
私は自身の急な変化に戸惑うばかりだった。
三人で和やかに喋りながら、街を目指して進んでいたがここは魔物の森である。皆で楽しく遠足というわけにはいかなかった。
会話の途中、急に二人の雰囲気が変わった。
グレゴリーは背負ってる大剣に、ローサは腰に下げている片手剣に手をかけた。
次の瞬間、茂みからは目の無い口の裂けた犬のような禍々しい生き物が飛び出してきた。魔物だ。
驚いて動けない私の前に、庇うようにローサが割り込み見事な手さばきで魔物を切り捨てた。
息をつく暇もなく、魔物たちが次々と飛び出してくる。群れで襲ってきたようだ。
初めての戦闘に、私は何をしたら良いのかわからず、完全にお荷物状態だった。
グレゴリーとローサの後ろを右往左往しているうちに、魔物の群れは全て退治された。あたりは元の静寂に包まれた。
放心状態の私に、ローサが気遣いの言葉を投げかけた。
「大丈夫? 怪我は無い?」
「あ、うん、お陰様で。二人とも強いんだねえ」
「まあ、一応冒険者稼業を長いことやってるからな。ヘルハウンドの群れくらいなら軽いもんさ」
「そうなんだ……」
頼もしい限りである。冒険者ってすごい。
グレゴリーがベテランなのはわかるが、ローサはまだ十代の少女に見えるのに大したものである。まだ若いのに苦労してるのかなあ。
そんなこんなで時々魔物に襲われつつも、二人のおかげで私は特に怪我をすることもなかった。
平和ではないながらも、そこそこに安全な道程だった。
その日の夕方、森の中でもやや拓けた場所を選び、二日目の野営地とした。魔物の森って随分広いんだな。
歩かないならば、と私は人の姿をとり皆とたき火の周りで夕飯を頂きながら談笑をした。
流石に地面に直置きの皿を獣の姿で食べるのは、人としての何かを捨て去ってしまう気がしたので。今さらかもしれないが。
「明日には街に着くと思うから、ちょっとムジナの身の振り方について考えないといけないね」
「そうえばイヴシルってどんな街なの?」
「この辺は魔物が多いからな、城壁に囲まれている。冒険者と商人の出入りが多い賑やかな所だ。王都の次に栄えているでかい街だぜ」
「へー、結構都会なんだ」
ファンタジー世界の都会だと、どんな感じなんだろう。道は石畳とかで露店があったりするのかな? そういうえば貴族とかっているのかなあ。王国だからきっと王様はいるんだよね。
想像の世界へ羽ばたきかけたが、ローサの真剣な声によってそれは中断された。
「まずは霊命種保護協会に行って、戸籍登録からかな」
「保護協会とかあるんだ」
「ハジャリア王国は霊命種を大事にする国だからね」
その言い方だと、霊命種を大事にしない国もあるのかな。
「そうだ。いい国さ。で、その次に神殿、その後どうするかだな」
「もし研究施設に行くなら、相手を選んだ方がいいから、それだと……」
「研究施設? 何しに行くの?」
ていうか研究施設まであるんだ。本当に都会っぽい。
「ムジナの体のことについて、調べておいた方がいいかもしれないから」
「健康診断でもするのん?」
「当たらずとも遠からず……かな」
「ふーん?」
そう言えば獣の体になってからは病気ひとつしていない。人間だった頃は病弱で寝込んでばっかりいたので、その点だけはこちらの体の方が良い。
呑気に構えていたら、グレゴリーが少し言いづらそうに衝撃の事実をつげた。
「霊命種のアナグマってのは、存在しねえ」
「へっ、そうなの?」
「ああ、霊命種ってのは、決まった種族しかいねえ。熊族とか、狐族とか、猫族とかみたいにな」
「他にも結構種類はあるけど、アナグマは今まで一体も確認されていないね」
「えっと、それじゃあ私は……」
「まあ、それがよくわからないから研究施設で調べて貰うってこと」
「そうなんだ……」
私ってそんなにわけがわからない存在だったのか。マッドサイエンティストの実験台とかになったらどうしよう。不安だ。
ローサは顎に手をやりながら、意見を述べた。
「とりあえず、戸籍登録の時は熊族ってことにすればいいと思う。丸い耳がそっくりだし、尻尾は服の下で見えないし。それで、口が堅い研究職員を見つけて、って感じになるかな」
「うん……。ってそういえば、私今完全に人間の姿だった。霊命種は耳とか尻尾出しとかないといけないんだっけ?」
「ああ。だがそんなに難しいことでもないぞ。ちぃとばかり意識するだけで大丈夫だ」
「意識する、か」
アナグマ耳とアナグマ尻尾生えて来い! って感じだろうか?
そう考えた瞬間、頭と尻からぴょこりと耳と尻尾が生えてきた。結構適当でいいんだな。
モフモフパーツが人間の体から生えているのが何だか不思議で、自分の耳と尻尾をいじりつつ尋ねた。
「それで、口が堅い研究職員って誰かいるのん?」
「うーん、そこなんだよね……。とりあえずイヴシルに着いてから調べてみようと思ってる」
「何か何から何まで世話かけちゃってすみません……」
「何度も言うようだが好きでやってるんだから気にしなくていいんだぜ?」
「いやいやそんなわけには! このご恩は絶対返しますので!」
この世界で初めて出会った人間が二人で本当に良かった。人によってはすぐに研究施設に直行させられ、そして実験動物パターンだったかもしれない。
とりあえずの方針が定まり、その後は自然な流れで明日に備えてそろそろ眠ろうということになった。
そして、次の日。
前日と同じように魔物の森をひたすら進んでいたら、いよいよ森の木々の切れ目へとたどり着いた。
開いた視界には、ただっぴろい平原に作られた街道が見えた。そして街道が向か言っている先には、城壁に囲まれた街が小さく見えた。
とうとう城郭都市イヴシルへとやってきたのだ。
私は緊張にごくりと唾を飲みこんだ。そして一歩踏み出そうとし――――
「所で、街に着く前にムジナは人性体に変性しておかないとね」
「あっ」
そういえば私は今はアナグマの姿だった。盛大に自分で自分の出鼻を挫いてしまった。