彩雲
念のための畑の見回りだが、どうせ誰も見ていない場である。
私は久々に真性体……つまり、アナグマの姿であちこちを駆け回り、手早く見回りを済ませた。
一応他にワームがいないかと、地中にめぐらされていた穴の中も確認したが、どうやら棲みついていたワームはあの一匹だけだったらしい。
チェックが終わった時には夜も更けてしまい、村民の皆が寝静まったような時間になっていた。
大物を倒したあげくに一日中動き回っていたので流石に体が重く感じる。
パターさんの家に帰った頃にはへとへとだったが、このまま寝るわけにもいかない。
穴の中まで駆けずり回ったせいで、全身泥まみれである。
人様の家のベッドを汚すわけにもいかないので、半分ぐらい寝ていた頭だったがちゃんと風呂で隅々まで綺麗に洗った。
後は生乾きの頭のまま、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。
翌朝、ばたばたと騒々しく部屋に入ってきたパターさんによって眠りを妨げられた。
だがしかし、私は寝起きが良い方ではないので間髪入れず二度寝をしようと決め込んだ。
表面上はまったくの無反応になったので、パターさんは焦れたように私を起こしにかかった。
「ムジナ殿、起きて下され! 畑にある魔物の死骸は一体!?」
「むにゃ……」
大きな声とは裏腹に控えめに体を揺さぶられ、渋々と目を開ける。
寝ぼけ眼をこすりつつ起き上がると、ひどく慌てた様子のパターさんがいた。
少し肩からずり下がっていた寝間着をぐいぐいと戻すと、パターさんはやや気まずげな素振りを見せた。
「こりゃ失礼……す、すまんの」
「んん……別に気にしてません……ふわあ」
大あくびを交えながら寝起きでかすれ気味の声で受け答えをする。
孫と祖父ほど歳が離れているとはいえ、家族でもない年頃の娘の寝起き姿は流石に見るのは気まずいのだろう。
パターさんは居間で待っている、ということを告げるとそそくさと出て行ってしまった。
若干寝足りないが、パターさんが待っているので、のそのそと朝の身支度を開始した。
生乾きのまま寝たので、いつもより三割増しであちこちに跳ね回っている頭髪は念入りに整え、ぎこちない手つきで髪を結わえる。
多少の時間が経ったことで意識も先ほどよりさっぱりとした。
見苦しくない程度に身支度を整えてから居間へ行くと、そわそわとしているパターさんがいた。
「お待たせしました。おはようございます」
「おお、おはようさんじゃ……」
「ええと、それで何のご用件でしたっけ?」
先ほどは寝ぼけ頭だったので、とにかく何か話があることらしいくらいしか認識していなかった。
改めて聞きなおすと、パターさんは落ち着かない様子で喋りはじめた。
「畑にあった巨大な魔物の死骸についてなんじゃが……もしやムジナ殿が……?」
「ああ、畑を穴だらけにした犯人だったみたいです。きっちり駆除させていただきました」
「なんと……まさか魔物が棲みついておったとは。犠牲になった者が出なかったのが奇跡のようじゃ」
「多分夜行性だったんじゃないでしょうか。無理に夜に出歩かなかったのが良かったみたいですね」
「うむ……」
運が悪ければ死者が出ていたかもしれなかった事態に、パターさんも神妙な顔つきで頷いた。
「じゃが、あのような巨大な魔物が相手だったのなら依頼料があまりにも安すぎたのう……。今回はこれにて依頼完了として、さらに依頼料に色も付けさせてもらうぞい」
「いいんですか?」
「うむ。依頼内容と実際の仕事が食い違ってしまって、むしろこちらが謝らなければならんのう……」
「まあまあ、今回は無事に済みましたしあまりお気にせず」
お金が喉から手が出るほど欲しい現状、嬉しい提案である。
依頼もさくっと終り、もともとそれなりにあった依頼料も割り増しして貰えた。
ポタート村に来た要件はギルド仲介の仕事依頼を済ますことだったので、後はもう帰るだけとなった。
すぐに帰っても良かったのだが、どうもイヴシルに荷馬車を出すのが明日の予定らしいのでついでにそれに乗せて貰うことにした。
つまり、やることが無くなった本日はまるまる休日である。
ワームを退治したことにより、畑荒らしの犯人の汚名を返上したドラゴンは一先ず自由の身にしても良いという許可を貰えた。
渋い顔をされるかと思いきや、案外すんなりと認めて貰えたことに拍子抜けをした。
昨日さんざんに犬のように人懐こい様子を村人達の前に晒したのが効いたのかもしれない。
朝食を済ませた後、パターさんを伴ってドラゴンの様子を見に行ってみた。
私が物置小屋に近づいた足音で既に感知していたのか、小屋の中からかりかりと戸を引っ掻く音がする。
つっかえ板を外して戸を開けると、待ちかねたように私の胸にドラゴンが飛び込んできた。
「うおっと!?」
「きゅる! るるる!」
「ほほ、元気じゃのう」
慌てて支えるように尻のあたりに手を添えると、そのまま甘えるようにぎゅうぎゅうとへばりついてきた。
小屋の中を見ると、食べた痕跡のある作物や肉が転がっていた。
ドラゴンが何を食べるのかよく分からなかったので野菜、果物、肉などを置いてみたのだが、どうやらドラゴンは雑食のようだ。
興奮するドラゴンを一しきり撫でまわして愛でてから、地面へそっと降ろす。
「にしても、子どものドラゴンねえ……。君、お母さんとかお父さんはどうしたの?」
「きゅる?」
「ドラゴンって子育てしない生き物なのかな? 爬虫類っぽいし、有りえなくもないか……」
「ふるる?」
「ムジナ殿、そのことなんじゃが……」
「どうしたんですか?」
ドラゴンと私の触れ合いをまじまじと見つめていたパターさんが、難しい顔をして呟いた。
「もしかすると、その子はドラゴンではないかもしれん」
「え? そうなんですか?」
「るる?」
私とドラゴンが同時に首を傾けた。
パターさんはそれを見て少し笑った。
「ここまで人懐こいとなると、ちとドラゴンとは考えにくくてのう。確か、南の方で大きな飛ぶトカゲをペットにするのが一昔前に流行っとった。……なーんて話を思い出したのじゃ」
「つまり、この子はそのドラゴンによく似た飛ぶトカゲってことでしょうか?」
「おそらく。確か、なんて名前じゃったか……カラカラトビトカゲだったかのう」
「カラカラトビトカゲ、ですか」
ちらりと足元のドラゴン……もとい、カラカラトビトカゲ? を見やる。
ドラゴンだと思い込んでいたが、ここは異世界である。よく似た別の生き物だったとしても何らおかしくはない。
ペットとして流行していたのなら、それほど危険はないだろう。ある意味ドラゴンより安心である。
「飼い主とはぐれたか、はたまた捨てられたのか……。何とも哀れじゃのう」
「そうですね……。とりあえず私が引き取ろうと思います」
「うむ、それがええじゃろう。特にムジナ殿に懐いとるようじゃしの。君もそう思うじゃろう?」
「きゅる?」
「あはは、よろしくね。えっと……、私が新しい名前考えてあげなきゃね」
「きゅー」
カラカラトビトカゲ君、なんて長すぎてまるで早口言葉である。
引き取ると決めたからには、短くて呼びやすい名前をつけたい。
何かこの子に関連したようなものがいいな、とこちらを見上げるトカゲをじっと見つめ返す。
不思議な色合いの瞳も綺麗だが、一番目を引くのは背中から尾にかけての虹色の光沢だろうか。
白い鱗に虹色が浮かぶその体に、連想するのは空に浮かぶ虹色の雲。
「彩雲……さい、うん……とか?」
ぶつぶつと呟いてみるが、少し言いづらい。
他に何か無かったかと考えなおそうとしたら、パターさんがほう、と声を上げた。
「サイアム、かの? 良い名前だと思うぞい」
「サイアム……そう、ですね」
小声で呟いたためにパターさんは聞き間違えたようだが、音としては悪くない。
私の日本風な名前と違って、ちゃんとこの世界に合った名前だ。
私は大人しくやり取りを見ていたトカゲの前にしゃがんで、なるべく目線を合わせた。
「君は今日からサイアムってことでよろしくね」
「るるる」
サイアムは上機嫌な様子で歌うように喉を鳴らし、羽をぱたぱたと揺らした。




