害獣捜索
ぴるぴるとさえずる小鳥達の美しい鳴き声がかすかに聞こえる。
目をそっと開けてみれば、閉ざされたカーテンの隙間から柔らかな日の光が差しているのが見えた。
むくりと身を起こし、寝癖であちこちに跳ね回る髪の毛を撫でた。
いつもはアナグマの姿で寝ていたので、人の姿のままでちゃんと目が覚めたことにほっとする。
誰かに見られるかもしれない場所では、アナグマの姿を晒すのはいささかまずい。
ベッドから降りてカーテンを開ければ、のどかな農村風景が広がっていた。
ポタート村の朝だ。
昨夜は誘われるがままにパターさんのお宅へ連れて行ってもらった。
パターさんは、息子夫婦と孫娘と一緒に住んでいるらしく、彼らは帰宅したパターさんを暖かく出迎えた。
最初は息子夫婦も孫娘も、パターさんが連れてきた私が何者であるか興味があるようだった。
しかし、私が村の依頼を引き受けた冒険者だと知ると、息子夫婦も孫娘もやや不安げな顔になった。
パターさんは私が霊命種だから見た目が子供でも頼れるだろうと判断したが、皆が皆そう思うわけでも無いらしい。
私の冒険者カードが金色だったのならば彼らの不安も払拭できたのだろうが、残念ながら新人の証の白色カードしか持っていない。
実際に働いて見せることでしか実力は示せないので、昨夜はちょっぴり気まずいひと時を過すことになってしまった。
ちなみに採れたて作物で作られた夕飯は、期待通りの美味しさだった。
さて、ちゃんと寝坊せずに目が覚めた私は、さくっと身支度や朝食を済ませた。
害獣駆除は夜が本番ではあるが、その前に現地の様子を見たり、情報収集をしておいた方が良いだろう。
パターさん達にその旨を伝えると、私は朝日が降り注ぐ広々とした畑に繰り出した。
作物を傷つけないように気を付けながら畑の合間を縫うようにうろつけば、すぐに畑を荒らす者の爪痕が見つかった。
「これは、芋、かな?」
芋らしき作物は、文字通り根っこから見事に掘り返されていた。
何者かが齧った後も見て取れる。
あちこちにある穴はどれもそれなりに大きく、折角の立派な畑も台無しになってしまっている。
これだけの穴を掘る生き物となると、そこそこの大きさの体躯はありそうだ。
私は周囲に人がいないかを確認してから、両手を地面に着けて四つん這いになった。
そして、齧った跡のある作物や、穴周辺のにおいを念入りに嗅いだ。
「ううん、やっぱり獣臭い。でも、一種類じゃないみたい……?」
この獣のにおいは嗅いだ覚えが無いので、もしかしたらアナグマの私より大きな生き物かもしれない。
ウル・グエラ山脈では地中に隠れられる生き物ばかり生息していたので、あまり大きな生き物のにおいは嗅いだことがないのだ。
とりあえず、ここまでの調査で分かったことと言えば、穴を掘れて、体はそれなりに大きい生き物ということ。
それに、一種類の生き物ではなさそうなこと。
知っている限りだと、猪や、熊あたりだろうか?
ここは異世界だから、もしかすると私の知識の範疇外の生き物かもしれない。
そこまで考えて、私は手に着いた土を払って立ち上がった。
畑は広い。ここだけではなく一通り見てからまた推測を立ててみることにした。
「根菜、葉物野菜から、麦や果物まで……。色々育てるんだなあ」
あれから、村周辺の畑をざっくりと端から端までチェックした。
どうやら、小さい村ながら実に様々な作物を手掛けているらしい。
パターさんによると、村の人口はそれほど多くないらしいが、少ない人数でよくもここまでの種類の作物を育てているなと感心した。
しかし、色々な種類の作物を見たことで私はある違和感を覚えることとなった。
「何で根菜以外も掘り返されてるんだろう……?」
地下に栄養豊かな根がある作物ならまだしも、地上に実をつける作物まで掘り返されていたのだ。
だからといって根っこが食べられているわけでもなく、実の方だけに齧った後がある。
実だけに手を付ければ良いのに、何故用も無い根っこまで掘り返されているのか。
畑荒らしの犯人の真意がよくわからず、ううむ、と唸った。
とりあえず一通り見回りが終わったので、一旦帰ってパターさんに調査の報告することにした。
気付けば日も随分と高く昇っており、動き回り続けた体は空腹を訴えている。
ついでに何かつまもうと、これから食べる物に思いを馳せながら村への帰路を辿る。
ぽつぽつと民家がある場所まで着いた所で、長閑な農村には似合わない喧騒が村の中心の方から聞こえてきた。
何かトラブルでもあったのだろうか。
別に知らんぷりをして通り過ぎても良かったのだが、優秀な耳が喧騒の中からパターさんを拾い上げたことにより、そうもいかなくなった。
面倒事じゃありませんように、と祈りながら騒がしい方へ小走りで駆けつけると、まばらな人垣ができていた。
かと思えば、何かに驚いたような悲鳴を上げながらその人垣は左右に綺麗に別れた。
人の壁が無くなって見えたそこには、農村にはまったく似つかわしくない小さな生き物がいた。
「ええっ!? ちょ、ちょっと待って、ドラゴン!?」
ドラゴンを認識した私も、あまりの驚きに思わず後ずさった。
私の大声に驚いたのか何なのか、こちらへ向かって這いよって来ていたドラゴンは止まって首を傾げた。
目を離せば飛び掛かってくるかもしれないと警戒をしながら、じりじりと一歩ずつ距離を取る。
ドラゴンはくるくると喉を鳴らしているが、その場から動こうとはしなかった。
「ムジナ殿!」
「パターさん! このドラゴン、どうしたんですか!?」
呼ばれた方を横目で見ると、鍬を手にしたパターさんがいた。
よくよく周りをみれば、他の村人達も遠巻きにしつつも、その手に色々な農具を持っている。
私の疑問に答えるように、パターさんや村人達は声を上げた。
「こやつ、いつの間にか堂々と村の広場に居座っておったんじゃ!」
「きっとそいつが作物泥棒だったんだ!」
「もしかしたら邪竜の子どもかもしれないぞ……」
「は、はやく駆除しちまおう!」
村人達は興奮した様子だったが、口にした内容とは反面、皆ドラゴンには近寄ろうとはしなかった。
遠巻きにドラゴンを囲み、手にした農具を振りかざして牽制しているのみである。
だが、私もドラゴンという生き物の恐ろしさは身に染みて理解している。
戦闘経験もあまり無い人間が迂闊に手を出すのは危険すぎるだろう。
ドラゴンは周囲の喧騒をちらちらと気にしつつも、私の方を向いている。
きらきらと光る明るい色の瞳は、すぐに襲い掛かってくるような凶暴さは感じなかった。
興奮した村人が下手に刺激与えないうちに、と私は提言した。
「待ってください! 下手に手を出すと危ないかもしれません」
「で、でもせめて村から追い出さないと……」
「私が何とかしてみます」
「あんたが?」
「は、はい。できる限りは……」
横にいた村人は怪訝そうな声を出した。
そのやりとりを聞いたパターさんは周囲に言い聞かせるように言った。
「ムジナ殿は害獣退治を引き受けて下さった冒険者じゃ。ここはお任せしてみよう」
「冒険者だって?」
「こんな小さな子が……」
「でも見て、獣の耳がある。霊命種ならもしかしたら……」
私の正体に村人たちはざわついたが、村長が言うならば……といった感じに、皆さらに遠巻きにするように下がった。
さて、宣言したからにはどうにかする努力をしなければならない。
まずは、今のところは大人しいドラゴンをじっくりと観察してみる。
ドラゴンは、多少周囲の村人達を警戒するような素振りを見せてはいるが、先ほどの場所からはまったく動いていない。
ウル・グエラ山脈の邪竜とは違い、小さめの犬ぐらいの大きさしかない。私でも抱えられそうだ。
それに、鱗の色は奴とはまったくの真逆で、全身は透き通るような真っ白い鱗に包まれている。
背中には体には不釣り合いな大きな翼がついており、子どものドラゴンのように見えるが飛行は可能そうだ。
背中側から尾にかけての部分に虹色に光る不思議な光沢があり、太陽の光を反射してきらきらと輝いている。
瞳は明るいアメジスト色をしているが、見る角度によって色合いがきらきらと変わり、まるで本物の宝石のようだった。
手足は爬虫類らしく、ほっそりとしていて頼りない。
そこまで確認して、私は疑問を覚えた。
村人はこのドラゴンが作物泥棒の犯人だと思ったようだが、この小さな体と手足では一晩の内に作物を根っこから掘り返すのには無理がある。
何故このタイミングで村に現れたのかは分からないが、少なくとも作物泥棒では無い。
それに、遠くから嗅いでもわかるくらい、ドラゴンのにおいは穴周辺の獣のにおいとはまったく違った。
作物泥棒ではないのなら、無理に殺したりせず、一先ず村から追い出せさえすれば良いのではないだろうか。
そう結論づけて、私に意識が集中しているらしいドラゴンをおびき出そうと後ろに下がってみるが、ドラゴンは首は延ばしたが、その場に留まり続けた。
手を振ってみても、恐る恐る小石を側に転がしてみても、多少の反応はあるが、その手足を前へ動かすことは無かった。
少し迷い、無駄かと思いつつ、子犬に呼びかけるように優しく声をかけてみた。
「君、ここに居座っていても何も良いことは無いんだよ。良い子だからこっちにおいで」
「くるる」
意外にも私の説得が通じたのか、喉を鳴らしたドラゴンはこちらに向かって這いずって来た。
そこまでは良かったのだが、ドラゴンは思いのほか素早い動きで寄ってきたので、慌てて後じさりながら逃げた。
「ちょ、はや!? 待って、はやすぎ!」
「きゅるる?」
私の悲鳴を聞いたドラゴンはぴたりと止まった。
まるで言葉が通じているかのようなタイミングに、私は目を瞬かせた。
「えっと……」
「くるくる」
ドラゴンは次の言葉を待つかのように、じっとこちらを見つめて首を揺らしている。
「ゆ、ゆっくり……なるべく、ゆっくりこっちにおいで……?」
「くるる」
ドラゴンは応えるように、喉を鳴らしながら先ほどより随分とのんびりとしたペースでこちらへ這いずり寄って来た。
私は、少し考えてから次の言葉を発した。
「そ、そこまででいい。止まって」
「きゅ」
ドラゴンはぴたりと動きを止めた。
これは、もしかすると……。
「君、もしかして言葉通じてるの?」
「きゅるるる? るる?」
ドラゴンは私が傾けた首と同じ方向に、首を傾けて見せた。
返事としてはいまいち不明瞭だが、どうやらこのドラゴンは、私とコミュニケーションを取ろうとする意志があるらしい。




