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庭先にて

 私は手足を獣化させ、鋭い鉤爪をカチカチならすと、シャーッと唸って威嚇した。

 相手は威嚇に怯むでもなく、嫌悪感を露わにした。


「ふん、結局は所詮獣か」

「その獣の爪の錆になってみる?」


 とりあえず、こういう時には強気に出ておくべきだ。本当にやるつもりかどうかはさておき。


 男はその手を再び淡く発光させ、少し何か溜めるような素振りを見せるとこちらへ炎を発射した。

 私は先ほどよりは落ち着いた心持ちで横へ避ける。

 炎の熱量は大したものだが、その攻撃は極めて直線的だ。それならば横へ動けば問題は無い。

 それに、魔術を行うには若干の溜めのような行動が必要らしい。

 今まで魔術を向けられた時、手元に注目していなかったので気付かなかったが、魔術を行う前段階で手が淡く発光をするようだ。おそらく、魔素を手元に集めているためだろう。


 目視で魔術攻撃が来ることは確認できるので、あとはその手の向きに注意を払って避ければ良いのだ。

 言うは易く行うは難し、という言葉があるが、私の人間ではない身体能力がそれを可能にさせる。

 男は狙いをつけてこちらへ炎を撃つが、私はそれを卓越した動体視力で正確に弾道を予測し、ひょいひょいとかわして見せた。


「くそっ、何故当たらん!?」


 しかし、避けているだけでは状況は変わらない。相手がそのうちへばるかもしれないが、それにどのくらいの時間がかかるのか、まったくわからない。

 こちらが反撃に出ないと見れば再び逃走を謀るかもしれない。

 男の片手に抱えられている袋の中身が何であるのか正確にはわからないが、生き物であることだけはわかっている。

 男の様子からして、連れ去られてしまったら生き物の辿る結末は良いものではないだろう。


 私は袋を見据えると、身を低く構え前に飛び出した。

 愚直に真っ直ぐ向かっても丸焦げになるだけなので、天敵から逃げる兎のごとく、右へ左へ不規則に地を蹴る。

 ぶれるターゲットに、男は狙いあぐねて手を揺らす。


「ちょこまかと!」


 甘い狙いの炎は、見当違いの方向へ飛んでいく。


 あと数歩分までの距離まで積め、低くしていた身をさらに低く……両手両足を地面につけ、体中のバネをつかって獣のように飛び掛かる。

 男は咄嗟に後ろへ身をかわしたが、私の鉤爪が袋をかすめる。

 爪に引っ張られ、取りこぼされた袋はそのまま地面へと落ちる。


「ぴぃ!」


 くぐもった悲鳴が響き、しまった、と慌てて駆け寄ろうとするが目の前に炎が着弾して阻まれる。

 男は炎で牽制しながら、袋の元へ戻ってきた。

 男はこちらに手を向けたまま、もう片方の手で袋を掴んだ。


「馬鹿野郎! 傷物になったら商品価値が落ちるだろうが!」


 言うやいなや、男は器用に片手で袋の口を開けた。

 そして袋が揺さぶられると、空いた口からは茶色い毛玉が転がり出てきた。小さな子鹿だ。

 体は縄で縛られ、口には物を詰められ、首元には不似合いなごつい首輪を嵌められていた。

 男は子鹿の小さな体を不躾に触る。子鹿は嫌がるように身をよじったが、雁字搦めの縄のせいでその場でもがくだけに留まった。


「どこも痛めてないな」

「商品って、子鹿が?」


 生きた子鹿が商品とは一体どういう用途なのか。鹿なんて食べるために狩猟することもままある動物なのに、何故そんなに後ろめたそうに輸送をしているのだろう。

 混乱する私に、男は嘲った。


「とぼけるな。獣の鼻で、お仲間のにおいを嗅ぎつけたんだろう?」

「仲間……まさか霊命種?」


 正確には私は霊命種の分類ではないが、見た目上はどう見ても霊命種だ。つまり、男が言う私の同族とは霊命種。

 子鹿は、幼い霊命種だったのだ。


「そんな……」


 街中で見かけた、獣の耳を生やした幼い子供が思い出される。あんないたいけな子供を、この男は売り買いするというのか?


「知らなかったのか? 獣人は高く売れるんだ」

「霊命種を売り買いなんて、この国で許されるわけない……」


 私は僅かなこの世界の知識で、男の主張を否定した。霊命種を大事にするこの国で、そんなことをしたら消し炭では済まされないだろう。


「この国では、な。これ以上教えてやる義理は無い」

「む……」


 目的の障害である私には親切に情報を教える義理も無いということだろう。

 だが、霊命種は国によって扱いが大分違うと言う話を以前聞いている。この国以外ならば、霊命種の売買が成立するのかもしれない。


 と、そこで私でも子鹿でも男でもない、第三者の短い悲鳴がやや遠い所から響いた。


「だ、誰!?」


 使用人といった装いの女性が、生肉がどっさり乗ったお盆を持って離れた場所に立っていた。

 忘れかけていたが、ここは人の家の敷地内だった。こんな所でドンパチ騒いでいれば、誰かに見つかるのも当たり前のことである。

 男は舌打ちすると、そちらに手を向けた。収束される魔素に、まずい、とその辺の石を投げて狙いを逸らそうとした。

 私の妨害は何とか功をなし、飛び出た炎は使用人の横を通り過ぎていった。


「きゃあ!」


 使用人は恐怖に肉を取り落とし、その場から逃げだした。庭のよく手入された芝生の上に、大量の生肉がぶちまけられる。


 男は開いた方の手で、腰に差さっていた片手剣を抜いた。


「くそ! 時間をかけ過ぎたか!」

「お前が捕まるのも時間の問題なんじゃない?」


 炎の連射は一発も掠りもしなかった。剣を抜いた所でそんなに状況が変わるとか思えない。

 使用人は誰かしらにこの事態を伝えるだろうし、後は適当に引きとめておけば、公的な機関なり何なりに捕まるんじゃないだろうか。

 と、やや呑気に構えていたのだが、男は足元の小鹿を素早く抱えるとその小鹿の首にその刃を添えた。

 先ほどまで傷の有無を神経質に気にしていた様子から一変した態度に私は目を剥いた。


「な、何やってんの!?」

「うるさい! 全部お前のせいだ! こいつを殺されたくなかったら大人しくするんだな!」

「うぐぐ」


 男は追い詰められたのか、とうとう自暴自棄になってしまった。

 そもそも人目がありそうな屋敷の敷地内に逃げ込んだのが相当な悪手だった。慌てていてそれ所ではなかったのだろうか。

 少し身構えただけで、脅すようにぐいぐいと子鹿に剣を押し付けるので、どうやら本気らしい。

 子鹿は潤んだ瞳でこちらを見つめている。

 人質を取られて私はその場から動けなくなった。

 男はそのままじりじりと後ろに下がっていく。

 このままでは子鹿を連れたまま逃げられてしまう。


 何か活路はないかと瞳だけ動かし、辺りを見回す。

 ふと、男の後ろ側にいる生き物が目に入る。キツネだ。

 最初に庭に飛び込んだ時に散って行ったと思ったのだが、一匹だけ戻ってきたのだろうか。

 キツネは私の目をまっすぐに見つめてきた。何となく知性を感じさせる瞳だ。

 そして唐突にキツネはぎゃんぎゃんとけたたましく吠えた。

 至近距離で突然獣の大声が響き、男はそちらに気を取られる。

 視線が私から逸れた瞬間、私は一足飛びに距離を詰めた。

 男がしまったという顔をしたが時すでに遅く、私の拳は男の頬を殴りつけていた。


「んごべ!」


 男は剣と子鹿を手放し、水平に吹っ飛びそのまま庭にあった離れの建物の壁をぶち抜いた。

 咄嗟のことだったのと、子鹿の命がかかっていたせいか力加減を間違えたかもしれない。

 人の家の建物を壊してしまったのと、男がひき肉になってないか心配になり、急いで後を追いかける。

 建物の壁には穴が開き、埃がもうもうと舞っている。ぽっかりと空いた穴のせいで煌びやかな外見が台無しである。

 男の様子を確かめようと、開いた穴を潜って建物の中へ入る。

 建物の内部は薄暗く、立ち込める埃のせいで見通しが悪い。

 パッと見で派手な血痕が見当たらないので潰れては無さそうだ。ほっと一息をつく。

 そして気を抜いたその時、不穏な空気の流れを察知して、振り向きざまに拳を突き出す。

 拳は非常に硬質な物にぶち当たり、ぶつかったそれは私の拳に負けてばきんと砕けた。衝撃が体の芯まで響く。


「づっ!」


 流石にちょっと痛かった。


「気付かれたか!」


 男は頬を腫らして鼻血を垂らしていた。

 立ち上る埃に紛れて身を隠して不意打ちを狙ったらしい。その手には杖のような物を持っていたが、杖先は私によって砕かれていた。


「この、往生際が悪い!」

「あぶぼ!」


 痛い思いをしてちょっぴり苛立ったのでさっきより強く殴打した。

 身体能力強化にも限界があったのか、今度こそノックダウンしたらしい。

 念のため足でどすどす脇腹を突いたり頭を踏んづけたりしてみたが、反応はまったく無かった。


「はあ……疲れた……」


 私は脱力し、へなへなとその場に座り込んだ。

 緊張したせいか荒くなっていた息を、深呼吸して整える。

 いくら命が懸かっていて必死だったとはいえ、色々とやらかしてしまった気がする。

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