神の仰せのままに
「神が顕現した……」
ローサはありえないものを見たかのように、唖然とした様子で呟いた。
アトゥンコロック様……は長くて言いづらいので、フクロウ神様は何だか面白がるようにホウホウと笑った。
「異界の記憶を捧げよ。さらば、知識の神の加護を授けよう!」
「き、記憶ですか?」
「そう! 類まれなる異界の子よ!」
なるほど。先ほどローサは対価が無いと神様はめったに現世に干渉しないと言っていた。
つまり、私の記憶が欲しいからこのフクロウ神様は私をここへ呼びつけ、加護を授けるから記憶をよこせと言っているのだろうか。
だが、いくら神様の加護が貰えると言っても、記憶が無くなってしまうのは困る。
「記憶が無くなったら、私が私じゃなくなっちゃうじゃないですか」
「ホッホウ! 要は記憶を見るだけじゃ! そなたから奪いとるわけではない」
「な、なんだ……そういうことなんですか……」
言い方が紛らわしいです。
記憶を見られるのはちょっと恥ずかしいが、神様のご加護が頂けるというなら条件を飲んでも良いかもしれない。
とりあえず、一応頂けるモノの内容は事前に確認しておかねば。
「所で、知識の神様の加護って、どんな効果があるんですか?」
「フム。まず、そなたは豊穣神から既に加護を授かっておろう」
「多分そうです」
やっぱり神様だと見ただけでわかるものなのだろうか。自分では具体的にどんな加護を授かったのかさえわからないのだが。
と、ローサがそこでまた驚きの声をあげた。
「ムジナ、授かったのは豊穣神の加護だったの? 豊穣神が現世に干渉するなんて……」
「ホッホッホ! 豊穣神はとんだ怠け者じゃからのう!」
「へ? そうなんですか?」
「そうだとも! 最も現世に干渉せぬ神と言っても良いかもれしんのう!」
パピリファル様、ああ見えてとてつもなく怠け者だったらしい。それが、わざわざ夢の中に姿を表して加護を授けるだなんて、一体どんな気まぐれだったのだろうか。
「おっと、話が逸れてしまったのう!」
「あ、はい」
「つまり、豊穣神はそなたに知識の加護を授けた。しかし、豊穣神故、その学は不完全! 知識の神たる儂の加護により、完全な知識の加護とする! ということじゃ」
「知識……。えっと言葉、とかですか?」
「さよう!」
パピリファル様の加護の効果の全貌は、言葉がわかるようになった。以上。ということで良いのだろうか。
それで、その知識は不完全だからフクロウ神様が補完してやろう、ということらしい。
とてもありがたい話である。私はフクロウ神さまの提示した条件で了承することにした。
「丁寧な説明ありがとうございました。えっと、そのお話受けようと思います」
「よきかな、よきかな! では早速!」
「ひょえっ」
フクロウ顔が急接近してきて思わず後ずさりしかけてしまった。
フクロウ神様は手を私の頭にかざした。その手からは暖かな光が生まれ、私は心地よさに目を閉じた。
少ししたら手が離れて行ったのを感じ、目を開ける。
フクロウ神様は、顎に手をやり満足気な様子だった。
「フム。良いものを見せて貰った!」
「それは良かったです」
どのくらい詳細に見られたのかわからないが、私の何の変哲もない記憶に満足していただけたようだ。
おっと、満足して姿を消される前に少し質問させてもらおう。
「あの、少しお伺いしたいことがあるのですが」
「フム? この知識の神の知恵を拝借したいとな?」
あ、そうか。神様は対価が無いと現世に干渉しないのだった。
質問一個にどれくらいの対価がいるのだろう。今の私に渡せるものなんて特にないぞ。
「あ、その……これ以上お渡しできるものは特にないのですが」
「よいよい! 儂は今とても気分が良い! 聞いてやろうではないか!」
「ありがとうございます」
知識の神様は気前が良いみたいだ。内臓を要求されなくてよかった。
私は神様と接触できる機会があれば聞いてみようと思っていたことを口に出した。
「地球……異界と、この世界って、どんな関係なんですか? こちらから地球に行くことって、できるんですか?」
「異界については儂も異界人の記憶の中でしか知らぬが、そうさな……。異界からは時たま迷える魂や生き物が流れ着くことがある。逆は皆無じゃ。完全に一方通行じゃな」
「一方通行……」
「つまり、リムリールから地球に戻ることは不可能じゃ」
まあ、薄々感づいていた。やっぱり多少のショックは受けたが。
知識の神様が無理と言うならば、きっと絶対無理なのだろう。現実はそう甘くはなかったらしい。
私はこの世界に骨を埋める覚悟を決めねばいけない。
俯いた私に、フクロウ神様は元気に喋り続けた。
「そう気落ちするでない! この街にはそなたの同郷の者もおるゆえ、寂しければ訪ねてみるのもよかろう!」
「同郷!? 地球の人ですか!?」
同郷という単語を聞いた瞬間、私はがばりと顔を上げ食いついた。
が、フクロウ神様はホッホッホ、と捉えどころのない笑みを浮かべる。
「ホッホ。これ以上は個人情報保護法に触れてしまうゆえ、口にはできぬのう」
「ここ、日本じゃないです! そこをなんとか! 教えてください!」
「ホウホウ! 儂が君の前に顕現することはもう無いだろうが、まあ頑張りたまえ!」
「あ、ちょっと!」
「では、さらば!」
そう言い残すと、フクロウ神様はあっという間に姿を消してしまった。
何だかパピリファル様の時もこんな感じの別れだった気がする。神様は最後に気になる事を言ってから姿を消さなければならない決まりでもあるのだろうか。
私は神様にいいように振り回され、精神的な疲れに深いため息をついた。
今までほとんど黙して見守っていたローサが、気遣わしげに声をかけてきた。
「ムジナ、えっと……大丈夫?」
「うん。ちょっと疲れたけど大丈夫だよ」
「そう……ならいいけど」
ローサは何だか物言いたげな顔をしていた。
帰る場所の無い迷子の私に、どう言ったものか、と迷っているのだろうか。
そんなに心配しなくても、それなりに割り切っていたことだから本当に大丈夫なのに。
私はローサを安心させるように、にこりと笑顔を浮かべた。
「えっと、思わずここに走ってきちゃったけど、本当は別の神様の所に行く予定だったんだよね?」
「そうだね」
「じゃあ、戻ってそっちの用事済ませよう!」
「うん。……行こうか」
私とローサは隣合って歩きはじめた。
まだ少し気がかりそうではあるが、とりあえずは私が気にしてないよ、という態度をストレートに出したのである程度は納得してくれただろうか。
そして私達は先ほどの神官と巫女が控える建物へと戻ってきたのであった。
ローサが先ほどと同じカウンターにいた巫女に、謝罪を入れた。
「途中でいなくなって悪かったね」
「ごめんなさい」
九割くらいの割合で私のせいだったので、私もぺこりと頭を下げて謝る。
巫女さんは特に不快感を表すことも無く、のほほんとした様子だった。
「いえいえ、いいんですよ。でも、いきなりどうなさったんですか?」
「この子が虫にじゃれついたみたいでね。気付いたら外に走り出してて」
「えっ、あっはい。本当にすみませんでした」
「あらー、そうだったんですか。うふふ」
ローサのデタラメの話に、一瞬呆気にとられたがとりあえず話を合わせておく。
真実をそのまま喋ったら大騒ぎになりそうではあるが、まさかその設定でいくのですかローサよ。
確かに私の見た目は十代前半で、遊びたい盛りに見えないこともないけど!
受付の巫女さんもしょうがないですねー、みたいな顔をして納得していますけど!
羞恥心に顔がほんのりと温まり、横の方を向いていたら手続き的なものは終わったらしい。
巫女さんが綺麗な石が先についている杖を持って、「ではまいりましょうか」とカウンターから出てきた。
巫女さんはとても綺麗な女性で、大きな三角の耳と毛量豊かなふわりとした尻尾が生えていた。キツネの霊命種だろうか、とあたりをつけた。
巫女さんに先導されてやってきたのは、社務所のような建物からそれほど遠くない場所にある建物だった。
中々の大きさのある建物で、細やかな装飾が施されており、なんとなく女神が祭られている建物なのかな、と察した。
中へ入ると、内装も大層優美なデザインで、作った人間の拘りを感じられた。
奥には予想通り女神像が設置されていた。狐頭の美しい女神像だ。中々に際どい服装をしており、美しい体のラインが引き立っていた。他の神像と同じように、あちこちに光る石が埋め込まれている。
「では、像の前にお立ちくださいな」
巫女さんに促され、私は像の前に歩み寄る。ローサは後ろの方で待っているようだ。
巫女さんは私の一歩斜め前あたりに立つと、振り返って穏やかに微笑んだ。
「それでは祈祷を始めますね。気を楽にしてそのままでいてください」
「はい」
私は言われた通りに、緊張に少し硬くなっていた体をリラックスさせた。
巫女さんは頷いて像の方へ向きなおると、杖を掲げて朗々と言葉を紡ぎ始めた。
「偉大なる美と娯楽の大獣神、シュマリルフスよ。契約者フォルティエの名のもとに、今ここへ降臨したまえ」
そう言い切ると同時に、杖の先の石と女神像の石がじわりと光を灯す。
巫女さんはそのまま喋り続けた。
「偉大なる美と娯楽の大獣神、シュマリルフスよ。契約に従い、迷える霊命種の子へどうかそのご加護を授けたまえ」
と、そこで急に光が強くなったかと思うと、ぼふりと謎の破裂音と共に白い煙が吹き出しあたりが見えなくなる。
巫女さんにとってもこれは予想外の事態だったのか「えっ! な、なんで? いつも通りにやったのに!?」と、焦りの声を上げる。
しばらくして煙が晴れたかと思えば、女神像の前に先ほどは無かった小さな紙切れが落ちていることに気付いた。
近づいて拾い上げると、そこには文字が書いてあった。以前までは私が読むことができなかった、この世界の文字である。
知識の神様の加護のおかげで読めるようになったことを喜ぶ間もなく、そこに書いてあった文字にぴしりと硬直する。
【馬臭いのじゃ。馬婆のお手付きになんかわらわの加護はやらんのじゃ。馬臭さを消してから出直してまいれ。この世で最も美しい毛並の、この世で最も麗しい、この世で最も遊び心のある素晴らしき美と娯楽の女神 シュマリルフスより】
えっと、何だこの文章は。神様からの直々のメッセ―ジということでよろしいのだろうか。
ローサが「何が書いてあるの?」と、近寄って、覗き込む。
「こ、これは……」と何とも言えないような顔になった。
私は半ばやけくそに、同じく硬直していた巫女さんに紙を手渡す。
はっと気を取り直した巫女さんは紙に目を通すと、すぐに私に視線をやり、「パピリファル様のご加護をお持ちだったのですか!?」と、驚いた。
私は微妙な表情のまま、こくりと頷く。
巫女さんは、「ああ……」と納得したような声をあげた。
「シュマリルフス様は……パピリファル様のことを大層嫌っていらっしゃるんです……」
「神様同士で仲が良い悪いとか、あるんですね……」
「はい……。一説では、その……胸が……」
「な、なるほど……」
私はその一言で納得した。シュマリルフス像はとても美しい肢体をしていたが、どう見ても胸の大きさではパピリファル様に負けていた。
まさかそんな理由で嫌うとは……。いやでも、美の女神のプライドとして許せなかったのだろうか。
私は神様って意外と子供っぽいんだなあ、と遠い目をした。




