人にあらず
人相がとても悪い三人の男達は、振り返った私たちを見て嫌らしい笑みを浮かべる。
「ヒッヒッヒッ、氷雪のローサちゃんよお。ご機嫌いかがですかあ?」
「…………」
ローサは先ほどまでの和やかな雰囲気が嘘のように、男が言ったような氷を感じさせる冷え切った表情になった。今まで見た中で、最も温度を感じさせない顔だった。
私は前の世を合わせてもまったく初めての事態に、正直かなりびびっていた。食べかけの焼き鳥もどきを持つ手は震えている。アナグマの耳は恐怖心をそのまま反映し、ぴったりと寝てしまっている。心細くて思わず空いていた手でローサの服の裾をつまんだ。
ローサは私を隠すように前へ立ちはだかった。
男たちは揶揄するように、口々に言いたいことを言ってきた。
「随分と楽しそうだったじゃないか、ええ?」
「いつも連れてるでけえ家畜はどうしたんだ? 飽きたから捨てたのかねえ?」
「おうおう、可哀想に」
「……お前達には関係ないことだ」
ローサは果敢にもゴロツキ達の挑発を切り捨てた。
でけえ家畜とは、グレゴリーのことだろうか。何だかえらい悪意を感じる言い方だ。
「おやおや! やっぱり北の人間ってのはえげつねえなあ!」
「馬車馬のように働かせて後はポイーってな」
「無慈悲だねえ。流石氷雪の名は伊達じゃねえな」
北の人間って何だろう。ローサって北の方出身なのかな。確かに肌はすごく白いけれど。
「話にならない。お前達と遊んでる暇はない。大した用がないなら消えろ」
ローサにはまったく動じた気配が無い。すごい胆力だ。十代の少女の出す貫禄ではない。
一方私はやっぱりぷるぷる震えていた。情けなさすぎる。
動揺しないローサにゴロツキどもは気を悪くしたのか、悪い人相をますます悪くさせていらつきを露わにした。とてもこわい。
「澄ました顔しやがって!」
「お供の家畜がいねえと大したことないくせによ!」
「北の女のくせにでけえ顔してんじゃねえ! 目障りなんだよ!」
「…………ハァ」
屈強な男の怒鳴り声に、思わずびくりと体が揺れる。ローサはもう話すのも面倒という態度になっていた。クールすぎる。
「チッ! 大体なんなんだ後ろのそいつはよ!」
「随分と可愛らしい小熊ちゃんでちゅねー?」
「獣風情と仲良しこよしってか? 気色悪い」
「ひっ」
あまりにも手ごたえが無かったからか、男達の矛先が私へ向いた。ぎらぎらと醜く光る瞳と目があって悲鳴を上げる。
「私のことはどうとでも言えばいいが、無関係の者には手を出すな。この子は魔物の森で保護しただけだ」
ここにきて、ローサは初めて怒りを露わにした。
食いついたローサに、男達は若干余裕を取り戻したのかまた嫌らしくニヤニヤと笑い出した。
「随分と可愛がってるみたいだなあ?」
「熊ちゃんねえ……ははあん、そういうことか」
「あん? どういうことだよ」
「ああ、俺はわかっちまったぜ……衝撃の事実ってやつによ」
「もったいぶらずに言えや」
なんだかよくわからないがゴロツキどもは勝手に盛り上がっている。一体何なんだ。
やたらもったいぶっていたゴロツキが口を開く。
「お前、あの獣とイイコトしたんだろ?」
ゴロツキが言った瞬間、その場が凍りついた。
「……霊命種と人が交わるのは禁忌とされている。めったなことを口にするもんじゃない」
ローサは、絞り出すように、しかし口に出すのもおぞましいという風に嫌悪感を露わにした。
ゴロツキ達は調子に乗ってか、ローサをアバズレだとか尻軽だとか、そんな感じに口汚く罵りはじめた。
ローサはただただ黙っていた。
あまりの言われように、私はいよいよ耐えかねて、「やめて!」と声をあげてしまった。
「ああん?」
「ひえっ」
ゴロツキに睨まれ一瞬気持ちが萎えかけたが、私は自信を奮い立てた。そうだ、ローサがこんなにまでボロクソに貶されているのだ。今頑張らなくて一体いつ頑張るというのだ。
私は腹に力を込めてゴロツキどもを睨みつけた。
「さ、さっきから聞いていれば何なんですか! いい大人が寄ってたかって若い女の子をいじめて! みっともない!」
「ム、ムジナ……落ち着いて。私は大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃない! 絶対大丈夫じゃない!」
「えっと……」
ローサ、そんな血の気の引いた顔で大丈夫なわけが無いだろう。ああ、あんなに謂れのない罵倒を浴びせられて可哀想なローサ。
なんだか段々と怒りが沸いてきた。ふうふうと息が荒くなる。ローサは私の剣幕に呆気にとられている。
私は勝手にヒートアップしていった。
「小熊風情がさえずってんじゃねえよ」
「ガキはママのおっぱいでも飲んでな! ほれ、そこにママがいるだろう!」
「お世話されないと何もできないんでちゅう、なんてな」
げらげらげら、と汚い笑い声が聞こえる。
私にはもう冷静さのかけらも残っていなかった。私は考える前に口を開いていた。
「……できる」
「ああ? 何ができるんだって?」
「……お前達を今ここでボロ雑巾にすることくらいできるって言った」
「は? ……あがっ!?」
私は四肢を使って一瞬でゴロツキの一人に肉薄し、その汚い顔を片手で掴んだ。
そのまま腕を薙げば、男の巨体はいとも簡単に飛んでいき壁にぶつかった。男は動かなくなった。一人片付いた。次。
「な、なんだ? 何だってんだ?」
ゆらりと視線をゴロツキの一人に向ければ、相手は慌てて武器を構えた。
ローサの焦ったような声が聞こえる。
大丈夫、刃物があっても当たらなきゃ意味がない。
近づく私に男は必死の形相で武器を振りかぶったが、私にはそれはまるでスローモーションのようにゆっくりに見えた。
持ち手を軽く叩くと、男はあっけなく武器を手放した。カランと武器が落ちた音が路地裏に響く。
私はそのまま手を後ろに振りかぶった。
「ぐげ!?」
背後から襲いかかってきたゴロツキは倒れて動かなくなった。残り一。
武器も無く、仲間もいなくなった最後のゴロツキはやけになったのか、素手で襲いかかってきた。
私は難なく振りかぶられた腕を掴んだ。ちょっと力をこめれば、みしみしと音がした。
「うげえええ!」
ゴロツキの喉からも汚い音が出た。うるさい。顔の周りを飛ぶハエを払うような感覚で手を振れば、地面に叩きつけられた最後のゴロツキは動かなくなった。よし。
それで、次は、頸動脈を食い破って、それから――――それから?
「ムジナ! それ以上は駄目!」
「えっ」
私はいつの間にかローサに羽交い絞めにされていた。興奮のために体は熱く火照り、息はぜえぜえと荒く、口の端からはよだれが垂れていた。
手足は半ば獣化しており、鋭い鉤爪が飛び出ている。
辺りを見れば、動かないゴロツキが三人地面に転がっていた。
私がこれをやったのか。
そう思うと同時に、体中から力が抜けていった。
今の私には人間らしさのかけらも無かった。
私は全然人間じゃなかった。
わたしはけだものだ。
食べかけの焼き鳥もどきはいつから手を離れていたのか、地面にもの悲しく転がっていた。
どのくらいの間、そうして脱力していたのだろうか。ふと、後ろからローサがおずおずと話しかけてきた。
「ムジナ……。本当は私が守ってあげなきゃいけなかったのに……ごめん」
「ローサが謝る必要なんて無いのに」
「でも、元はと言えば私のせいで絡まれたようなものだから」
「それでも、ローサは悪くない」
ローサは羽交い絞めにしてそのままだった体勢を、後ろから抱きしめるように変えた。
背中から、ローサの鼓動が伝わってくる。
「私のために怒ってくれたんだね」
「……」
「こういう時は……えっと、ありがとう……で、いいのかな」
「……」
「ムジナ……」
「……」
「ムジナ?」
ローサは、やっぱり優しいね。
「ローサ、わたし」
「うん」
「私、全然人間じゃない……。私、化け物なのかな……」
「ムジナは、ちょっと力が強くて、ちょっと野性的なだけの……ただの女の子だよ」
「そう、なのかな」
「そうだよ」
力強い肯定が、揺らいでいた心に響く。もう少しだけ頑張ってみよう、そんな気持ちが沸いてきた。
幾分か落ち着きが出てくると、自分がやったことに改めてドン引きした。
依然として、周りには三人のゴロツキが倒れている。
どうしよう、これ。
私はだんだん焦り始めた。
この国って警察とかいるのかな。
もしかして刑務所にぶち込まれて即バッドエンドになるのではないだろうか。
私はローサから離れると、振り返って大いに狼狽えた。
「ローサ、私、どうしよう。私、捕まって一生臭い飯を食べることになるのかな」
「ム、ムジナ、落ち着いて」
「ああああ、どうしようどうしよう。風評被害でローサの家に嫌がらせの手紙が届いたりして、それで」
そこまで言ったところで、巨大な生き物が羽ばたく音が背後からすることに気付き、振り返った。
路地裏の間から見える空には、深い藍色の鱗を持つ美しいワイバーンがいた。
ばさりばさり、とホバリングをしてこちらをつぶらな瞳で見つめている。
その背中から、何者かが飛び降りてきた。そこそこの高度があったのでひやりとしたが、その人影は難なく着地をすると、ワイバーンに振り返り、大きな声で叫んだ。
「ありがとう、僕のお姫様! 君とは一秒でも離れていたくはないが、街を破壊するわけにはいかないからね! 君は先に兵舎の方へ戻っておいてくれ!」
な、何だろう。一瞬でこいつは変人だという確信を持てたぞ。
ワイバーンは呼びかけを正しく理解したのか、くるりと方向を変えるとどこかへ飛び去って行ってしまった。
路地裏に飛び降りてきた人影はしばらく名残惜しそうに空を見つめていたが、突然すごい速さでこちらを振り向いた。
「さて、この惨状……一体何があったんだ? ちょっとそこのお嬢さん達、事情を聞かせてくれないか?」
ワイバーンから飛び降りてきた男は、健康的に焼けた肌に太陽のような橙色の髪、そして澄んだ鳶色の瞳の……多分残念なイケメンだった。




