三話
Dは先程の出来事は一体なんだったか、と悩んでいた。
この場所で倒れていた事から、もしかしたら夢なのでは?と考えたが、夢にしては妙に現実的であった。
砂を踏んだ感触も未だ鮮明に思い出せるし、何より手が茶色く汚れていたのだ。
あの得体の知れない物に躓いて、咄嗟に壁に手を付いた時に汚れが付いたのだ。
ではやはり、あれは夢等ではないのだとDは得心がいった様子で頷いた。
Dは気が付いていないが、身に纏っているダブダブの黒いワンピースにも、多少の汚れが付いていた。
剣を持ち上げようとしてすっ転んだ、その拍子に被ってしまった砂埃であった。
黒いワンピースだからか、茶色の砂埃がはっきりと目立ってしまう。
ぱんぱんと手に付いた砂埃を払い、Dは地下へと向かう階段を降りた。
今度はもっと奥まで探索するのだから、と意気込んで。
結論から言うと、二回目の地下探索も失敗に終わった。
地下の迷宮は、前回とは打って変わった作りになっていたのだ。
そこに居たのは、Dが見た事もないような不気味な生物達。
運が悪い事に、それらが犇めき合う大広間へとDは降り立ってしまった。
そしてまたもや気絶。三度目の起床はやはり、見慣れたあの部屋でだった。
「…………うぅ、怖かったよう」
Dはぺたんと床に座り込んだまま、自分の身体をぎゅっと強く抱きしめる。
白蛋白石の瞳は、心細さに潤んでいた。
あの大広間に降りた瞬間の事は、ちょっとした心的外傷になってしまっているようだ。無理もない。
Dを迎えたのはあのブヨブヨとした半透明の生物だけではなく、うぞうぞと蠢く触手が生えた大きな目玉の怪物やDとほぼ同じ大きさのモグラ、それから動く骸骨と等言った怪物達であった。
恐怖で動けないDを怪物達は取り囲み、一斉に攻撃を仕掛けてきた。
何の武器防具も持たないDは、瞬く間に倒れ伏してしまった。
「次に地下に降りる時は……何か持って行った方がいいかな?でも、お家には武器なんて……
あ、そうだ!お鍋を頭から被って行こう!それからこのお鍋の蓋も持って行こう。
包丁は……危ないし、あたしも怪我しちゃうかもだしやめとこう。
それとこれもいるよね」
言いながらDが収納棚から取り出したのは、Dの師匠が愛用する背負袋だ。
一回目の探索の時に、結局拾えなかったがDは巨大な剣を発見していた。
二回目の探索の時も大広間に、草やら書物やらといった物が落ちていたのをDは気絶の間際に視界の端で見つけていた。
Dが誰かの落し物だと思っていた剣は、あの地下の迷宮の各所に乱雑に配置されている物品だったようだ。
あの物品を拾い使いこなす事で、この迷宮探索を有利に進められるのだとDは確信した。
「物品をいっぱい見つけなきゃね!
魔法の本とかも、沢山落ちてるといいなあ」
師匠が言ってたような、それ自体に魔法の力が宿っているような本がとDは続ける。
そんな物は普通滅多にお目に掛かれないが、あの出鱈目な迷宮の事だ。
物珍しい物等も、山のように落ちているようなそんな気さえDはしていた。
Dの取り出した背負袋は所々ほつれてしまっていたが、針と糸さえあればそんなものは直ぐに直る。
中に入っていた師匠の物は全て取り出したので、大分軽くなった。
サイズは明らかにあってないようで、後ろから見るとまるで亀のように見えるが、そんな事はDにとっては些細な事なのだろう。
兎に角、物品を大量に入れられるような袋があれば良かったからだ。
頭に大鍋を被り、片手に分厚い木の蓋を持ち慎重な面持ちでDは三回目の地下探索へと乗り出した。
もしかしたら、被った大鍋が階段を降りる時につっかえてしまうかもしれない、とDは思ったが割とすんなり降りる事が出来た。
降り立った場所は、最初の部屋や二回目の大広間とはまた違う場所であった。
作りは最初の部屋に似ているが、今度はDから見て前方と、後方に通路が出来ている。
注意深く辺りを見回したDは、直ぐ近くに葉っぱのような物が落ちているのを発見した。
すわ物品か、と思い拾い上げてみると、鮮やかな緑色の瑞々しい葉っぱであった。
「見る限りここは地下だし、植物なんか何処にも生えてないよね?
じゃあこれはやっぱり物品なのかなぁ?
……何に使うのか全く分からないけど」
困った事に使用方法が分からない。
拾ってみたものはいいものの、名称すら不明だ。
取り敢えずDは、葉っぱをそのまま背負袋に仕舞う事にした。
「あれ……?そう言えば階段何処に行ったんだろ?」
Dは三回目の地下探索で、今回初めて降りてきた階段が忽然と消え失せている事に気がついた。
どうしようこれじゃ帰れないよと不安になったDだが、忽ちその不安は消え去った。
地下の迷宮は広いのだから、その内何処かに階段があるでしょう、と少女特有の楽天さでDはそう決めつけた。
さて、と気を取り直しDは前方と後方、どちらに進むか考えた。
通路は暗く先に何があるかは見えない。
考えあぐねた末にDは靴を一旦脱いだ。投げてどちらに進むか決める事にしたのだ。
表向けば前方、裏を向けば後方を行く事に。果たして結果はーー
「表だ。
前方行こうっと」
前方の通路を渡ると、先程よりも広い部屋に出た。
今度はDから見て右側に通路がある。部屋をザッと見渡したが、どうやら何もなさげだ。
ならもう用はない、さっさと通路へ移動するに限る。
右側の通路を抜けると今度は小部屋、通路は後方にあった。Dは通路のやや手前に、何やら落ちているのを見つけた。
「あ、何だろあれ!」
Dは走り寄り、手に取ってよく観察してみる。
それは木で作られた先端がやけに大きな、ずっしりとした重さが特徴的な打撃武器--棍棒であった。ずっしりとした重さと言っても、フライパンよりやや重いくらいで持てなくはない。
抱えて歩くのは辛そうだが、引きずれば何とかなるだろう。
剣は流石に重た過ぎて無理だったが、これならば行けるとDは破顔一笑した。
Dはこれで漸く、地下迷宮に出没している怪物達へ対抗する為の手段を、手に入れる事ができた。
「『求めなさい、そうすれば得られる』
えへへ、これで向かう所敵無しだね!」
Dは上機嫌で通路を抜ける。
次の部屋は大広間であった。下方に階段を発見したDであったが、それは下りの階段であった。
探していた階段とは違った事にDは些か落胆するが、まあしょうがないかと開き直った。
そのまま階段の元へ行こうとしたが、その近くにはあのブヨブヨとした得体の知れない生き物が蠢いていた。
近付けばあのブヨブヨとした生き物と鉢合わせする事になるだろう。
逡巡したDだが、今の自分には棍棒があると思い直した。
引きずっていた棍棒を抱え直し、そっとブヨブヨ--Dはもうこの名で呼ぶ事にした--の近くへと抜き足差し足で近づく。
「てぇぇえぇぇい!!」
第一撃は戦いの半ば。
頭上高く持ち上げた棍棒を渾身の力でブヨブヨの脳天へ振り下ろす。
その衝撃でD自身もふらついてしまったが、相手は怯んでしまったのか反撃は来ない。
間髪入れずに二撃目をその軟体に打ち込む。
余波で浮き上がったブヨブヨは、そのまま壁まで吹き飛び、ぷちっという音を立てて潰れた。どうやら倒せたようだ。
「やったあ!」
初めて敵を倒せた嬉しさに、Dは飛び上がって喜んだ。
重たい物を振り回したと言うのに、Dの身体は疲れを全く感じなかった。
喜びで吹き飛んだのであろう。そのまま駆け足で階段を下る。
「また階段消えてる……」
地下二階に着いたDは、又もや階段が消え失せているのを確認した。
一体この迷宮はどういった作りになっているのか、謎が尽きない。
首を捻りつつ、Dは兎に角先を急ぐ事にした。
左側の通路を抜け、物品も何も落ちていない小部屋を素通りし、そのまま右側の通路を直進、敵が二体程うろつく小部屋に出る。ブヨブヨと、モグラの化け物だ。
強そうな方を先に始末よう、そう決めてDはモグラの化け物に襲いかかる。
先ずは小手調べに一発、軽く棍棒を振るう。
ブヨブヨとは違い、相手は獣だ。機敏な動きで躱されてしまった。
もう一発今度も軽く棍棒を振るう。
Dの狙いは壁際にモグラを追い詰める事だった。
鋭い爪が繰り出されるも、持参してきた鍋の蓋で防ぐ。
二三度蓋が爪に貫かれたが、怯んでる隙はない。
モグラの右脇腹へ狙いを定め、棍棒を叩きつける。
痛みでモグラが蹲った所を逃さず、頭蓋骨目掛けて棍棒を振り下ろした。
脳震盪を起こしたモグラは、そのまま地面に倒れ伏した。
少し距離をとって様子を伺うが、どうやら反応はないようだ。
上手く倒せたと見て、Dは次の標的の元へと近付いた。
「……ん?なんだろこれ?」
倒したブヨブヨは、何かを所持していたらしい。
身体に取り込んでいた、と見るのが正しいか。
赤銅色に輝く円形の、小さな通貨と思しきものが潰れたブヨブヨの身体から出てきた。
摘みあげてみると、1FCと薄っすら刻印がされている。
どうやら銅貨のようだが、それはDの見た事がないような通貨だった。
「どこのお金なんだろ……
シアリーズじゃこんなの使わないよねえ」
まあいいか貰っておこっと、と呟き背負袋の小さなポケットに銅貨を入れた。
その後も順調にDは地下の探索を進めた。
やはり武器があると違う、と上機嫌だ。
最初の頃に比べると、戦闘にも大分慣れてきた。
幾多の部屋を巡り、棍棒や葉っぱの他にも沢山の物品を拾った。
魔法の本以外は全て名称も使用方法も不明だが、詳しい事はここを出てから師匠に聞けばよいとDは楽天的に考えていた。
通貨もあれから十枚程拾った。
「ひょっとして、これってこの地下迷宮の通貨なのかな?お店とかあったりして」
ならば沢山拾い集めるに越した事はなし。
店等なくとも珍しい物であるし、意味なく収集しても楽しいかもしれない。
軽快な足取りでDは階段を降りた。
「ふわあ……なんか凄そうなお部屋に出たよ」
そこは今迄の部屋とは違う、華美な装飾が壁一面に施された大広間であった。
地面には天鵞絨で出来た真紅の絨毯が敷かれ、天井には目も眩みそうな程眩い豪奢なシャンデリアが輝いていた。
その部屋の奥の壁に魔法陣が描かれ、その中心には緋い宝石が埋め込まれていた。
それはどす黒い血のような色をした、巨大な石榴石だった。
その周りには、小粒の黒金剛石が取り囲むように配置されている。
「大きな宝石……綺麗だけどでもなんかちょっと怖いかも」
Dは吸い寄せられるかのように、巨大な石榴石へと近づく。
椛のような小さな手でそっと触れてみるとそれは、まるで心臓のように脈打っていた。
「きゃっ……これ、もしかして生きてる?」
何と無くそれ以上触れてはならないような気がして、Dはその場から一旦離れる。
眠っている犬は寝させておけ、何かが起きれば危ないのはDである。
早く帰らなきゃ、と呟き辺りを見回して階段を探すも何処にも見当たらない。
壁に隠されているかもと考えたDは、壁に向かって手あたりしだいに棍棒をぶつけるが、
やはり何処にも階段は見つからず。棍棒を振るう体力も尽きてきた頃。
「…………やっぱり、あれ。怪しいよね」
一度は遠ざかった、あの石榴石が埋め込まれた魔法陣に視線が行った。
危険は承知の上で、再び石榴石へと向かう。
このままここにいても餓死するだけだ、そう判断したDは最後の力を振り絞り石榴石へ棍棒を叩きつけた。
瞬間、大きな音を立てて石榴石は崩れていく。
ほぼ同時に大広間全体が漆黒の闇に飲まれた。
突然の事にDは驚き小さく悲鳴をあげる。
何が起こったのか確かめる為に、石榴石があった場所を手探りで調べる。
そこには空洞が出来たのみで、抜け道などなさそうだった。
「…………D?」
自分は意味のない事をしてしまったのか、と落胆に暮れるDの妖精のように尖った耳に、小さな声が聞こえてきた。
呆然とした声で誰かがDを呼んでいる。誰だろう、と思いDは声を張り上げた。
「ねえ、そこに誰かいるの?」
暗闇から、小さく息を飲む声が聞こえてきた。
いるなら返事をして、とDは暗闇に向かって呼びかけた。
「ねえ、貴方はだあれ?あたしを知ってるの?」
返事はない。幻聴だったのかとDは首を傾げる。
だが数秒経った後、再び誰かがDに向かって声をかけてきた。
「……ソコニ居タラ危ナイヨ」
奇妙な抑揚のある、ざらついたアルト。
少年と大人の中間、変声期の途中のような嗄れた声が暗闇より響いた。
「えっ、やっぱりいるんじゃない。何で返事してくんなかったの?」
「……階段ヲ探シテルノカイ?」
Dの質問には答えず、声は問いを投げかける。
あたしが聞いてるのに、とDは不貞腐れたが取り敢えずうん、と頷いた。
「……階段ハネ、コッチダヨ。
危ナイカラ、連レテ行ッテアゲル。
ホラ、手ヲ貸シテ」
声の主はいつの間やらDの直ぐ近くまで来ていたようだ。
言われるままに手を差し出す。ひんやりとした冷たい感触が、Dの手を覆った。
「つめた……」
思わず口から漏れてしまう。
声の主はそのまま固まり、ゴメンヨと口にした。
「今ボクノ身体、変温動物ノ姿二ナッテシマッテイルンダ。
明ルイ所デボクノ姿見タラ、キット驚イチャウカモ……」
「変温動物?」
それって蛙さんとかみたいな?とDは尋ねる。
ウン、と小さく声の主は頷いたーーようにDには感じらた。
それなら大丈夫だよ、とDは笑って続ける。
「あたし、蛙さん大好きだもの!」