第四話 イタズラと前兆
「おまえ先シャワー行ってくれば」
「………………は?」
「は?じゃなく」
現在時刻は午後10:00。 晩ご飯も終えて、見たいテレビも見た。あとは寝るだけ…となったとき。
穂高から飛び出したこのセリフ。
「ななななななに言いやがられてんのあんた!?」
気色悪いッつの!!!
「はぁ?そっちこそ何考えてんの」
不機嫌そうに夕夜に視線をやって。「寝る前に風呂入ってくればって言ってんの」
「そんなの分かってる!」「じゃー黙れ」
「分かってるけど気持ち悪いの穂高に言われると!!だから…」
「あーそう…俺はおまえに1番風呂譲ってやったってのに…そーゆー態度なワケね…」
…目が…すわっている。 こ、怖…!
分かった、とひとつ頷くと、穂高は部屋から足早に姿を消した。
シーンとなった部屋に1人残された夕夜もまた、むすっとして戸口を見つめて。
「そんなに怒んなくてもいーじゃん。穂高のバーカ」 言って夕夜は、風呂場へ向かうのだった。
ザーザーと音が響く。
「やっと入ったな」
―――正直言うのなら、自分だってできるならば夕夜には自分の家の風呂に入って欲しかった。でもそれはできない理由もあって。…いくら幼なじみといえど、同年代の少女が自分のうちでシャワーを浴びていて、気にならないワケがない。
「…まぁやっぱり俺も17の男だから」
…宿題やるか、と机に向かい、夕夜を待つこと30分―――…。
「穂高」
控えめに穂高の部屋のドアが開かれた。
「…なに?」
机に向かったまま振り向きもせず答える穂高に、夕夜はとつとつと、若干ぶすっと、そしてそっぽを向きながら言葉を返す。
「さっきの嘘だから」
「…は?」
「だから…『気持ち悪い』つったこと。あんなの…売り言葉に買い言葉っていうか…」
それでもごめんね、の一言はでてこない。
そんなこと、簡単に言える性格ではないし、それは穂高も重々承知のはずだ。
「あぁ…それね」
そういえばそんなこと言ってたな、とでも言うように首をかしげた穂高は、次の瞬間、にやりと笑い。
―――妙な、イタズラ心が湧いた。
「本当は…恥ずかしかった?」
「…………………………………………………はっ?」 またまた何を言ってやがるんだろうこの男は。
「照れ隠しに言ったんだろ」
…頭でも打ったんだろうか。
「…日本語喋って頂けますか?」
「めっちゃ日本語だっつの。なに?もう1回喋ってほしいの」
―――え。
すると穂高はみるみる内に夕夜との距離をちぢめ、夕夜を強引に中に引っ張り込み、さらにはドアを閉め、あろうことか…そこに手をついて夕夜をはさみ込んでいた。
なに?この、態勢!
静かに、耳元に唇がよせられる。
「――照れ隠しだったんでしょ…?」
穂高の、低く、甘い声が、耳朶をかすめる。
「―――んっ…」
何かが這い上がるような感覚に、ピクッとからだが反応して。
―――それは、夕夜にとって初めての感覚だった。
「………………………」 何も、できない。
…ん?
―――いつもなら、「ふざけてんじゃないわよ!!」と、罵声と鉄拳が飛ぶ場面なのだが…。
今は、ぴくりともせず俯いている。
「…?」
なんか変なもんでも食ったか?
首筋から顔を離し、覗きこむ。
…そこには。
―――顔を真っ赤にし、涙で目を潤ませ、必死に何かを我慢しているような…そんな表情の夕夜がいた。「………え?」
「………ッ、いつまでそこにいんのよ!どいて!!」 夕夜がドンッと胸を打ち、穂高は我に返る。
「もっ、いいでしょ!?あんたは早くお風呂入ってくれば!?」
そう言うや否や、彼女は穂高の横を駆け抜け、ベッドにもぐり。
「早く行けっ!」
そう罵声を飛ばすのだった。
…今だったか…。
てかその布団、俺のなんだけど。
驚きと、呆れたという感情。そして…戸惑い。
いつもの夕夜からはとうてい考えられない反応。
今日のコイツは…どうかしてる。
考え込みながら、夕夜の窒息死阻止のため、穂高は風呂場へ向かうのだった。
「…ふぅーっ」
布団から顔をあげて、夕夜は部屋を見渡す。 本当に行ったみたい。
ひとまずは安心だ。
あたし…どうしちゃったんだろ?いつもなら穂高なんてブッ飛ばすのに。
でもあの時は、動けなかった。
心臓が、おかしいくらいにうるさかった。
「穂高のバカ…」
あんなイタズラ、しないでよ。
難しいことを考えるのに夕夜の頭は限界で。
―――いつの間にか夕夜は、深い眠りへと落ちていた。
コンコン。
―――返事がない。
風呂から出た穂高は、自分の部屋でも一応ノックした。
部屋に夕夜がいるのは分かっていたから。
「…入るぞ」
窓を開け放したままの部屋には、月明かりが満ちていて。
「―――……ッッ」
ベッドに布団もかけず横たわる夕夜の姿は―――息を呑むくらい綺麗に見えた。
スカートからのびている色の白い脚は、艶めかしく月明かりに反射している。 コイツ…新手の嫌がらせか?
そんなことを思いながらも、足は勝手に彼女の元へと向かって。
…どうかしているのなら、自分だって同じだ。
―――あの時の夕夜の表情を、最高に可愛いと思ってしまったんだから。
ギシッ
手をついたベッドのスプリングがきしむ。
まだ乾いていない髪の、水滴がぽつぽつと伝い落ちるのも厭わない。
吐息がかかるくらいの近い距離で、穂高は囁く。
「風呂なんて―――1番無防備になる瞬間だろ」
だから家になんて、帰せなかった。
なのに、おまえは。
「…今この瞬間も、無防備すぎる」
ベッドについた手のひらが、一層深く沈み。
2人の距離は、ゼロに
なった。
これが、始まり。
非日常な日常の幕開け、その前兆だったとは…まだ、誰も。
本人達でさえ、気づいていない。