第三話 心地よい時間
穂高が去って20分。
ようやく夕夜は家に入ることにした。
「ただいま」
…あれ?
いつもならここで出てくるはずの母が出てこない。 不思議に思いながらも、まぁ仕事が長引いているのだろう、と特に気には留めず、夕夜は制服から部屋着に着替えた。
「腹減った…」
冷蔵庫に向かおうとして電話に目が行き、そこで留守電が入ってることに気づく。
「?」
ピッ、と再生ボタンを押して。
『ピーッ…1番目のメッセージです―――………』
一方その頃、穂高はといえば。
「ったく、なんなんだあいつは」
――イライラしていた。 何か悩みごとがあるのなら、相談すればいいものを。夕夜は、昔から変なところで意地っ張りだ。
隠しごとド下手なくせに…バカじゃん。
むすっとしながら穂高は風呂に入ることにした。
風呂から上がると、狙ったようにインターホンが鳴った。
「どっかの非常識バカがきやがったな」
しぶしぶドアを開ける。
「穂高、泊めて?」
そこにいたのは、そんなお願いをする夕夜だった。
「泊め…は?」
こんな隣同士の部屋で、泊めても何もないだろう。 見ると、スネたような夕夜の表情。
あー…。
「絵里さん、残業?」
「ん」
首だけでこくっと頷く。 そんな夕夜の動作を、穂高は可愛いと思う。
夕夜が可愛く見えるとか…俺も末期か?
べしっと夕夜にデコピンをくらわす。
―――自分の気持ちをごまかすように。
「いったッ!?何!!」
ギッと穂高を睨む。夕夜からしてみれば、普通に会話をしていたのにいきなりデコピンをされたのだから、当然の反応である。
「別に。中入れば」
「ありがと」
そうして2人は、部屋へと入った。
久しぶりに入った穂高の家は、簡素で綺麗だった。造りは同じなので、どこに何があるのかは大体分かる。というか、幼なじみの2人は本当に小さい頃から一緒で、お互いの家を毎日行き来していた。
だから造りどころか、家具の配置、どこに何がしまってあるか。そんなことまで分かっている。
「久しぶりだな。おまえがこうして泊まりにくるの」 晩ご飯を用意しながら穂高は言う。
「最近お母さん泊まり掛けの残業なかったから。あ、あたしもやる」
「当たり前だろ」
…穂高ってさぁ…。
じろっと見上げてみるものの、当の穂高はどこ吹く風。何とも思ってないようだ。
あーッムカつく!!
ガシャンガシャンと乱暴に食器をテーブルに置く夕夜を、穂高は実に楽しそうに見ている。
「は…ッ」
単純。
昔からそりゃあもういじりがいがあるったら。
そんなこんなで準備は進み、穂高と夕夜はスパゲティ を食べるのだった。
「そういえば…絵里さん、なんて?」
絵里さんとは夕夜の母で、昔1度穂高が『おばさん』と呼んだらめちゃめちゃ怖い思いをさせられた為、それ以後こう呼んでいる。 ちなみに夕夜が穂高の母を呼ぶ時は、『穂高ママ』である。
「お母さん?あー…」
すると夕夜は、唐突に口マネを始めた。
『ピーッ…1番目のメッセージです。………………………………あっ、夕夜?お母さんだけど。今日会社に泊まんなきゃいけなくなっちゃったの!もう最悪!!くそ上司が今日中に仕上げろってうるさくて!!………………あっ部長!いらしてたんですか!?やだなぁそんな汚い言葉使ってませんよぉ。空耳じゃないですか?はぃ〜お任せください!今すぐ!!…………っとに耳ざといっつーかなんつーか…うるさいくそじじぃね。あっ、そういうわけだから夕夜、あんた今日隣行って穂高くんちに泊まりなさい。絶対ね!そこのマンションてセキュリティ甘いんだから!!じゃあ、今日帰れないから。愛してるわよ〜夕夜!お休みなさい。チュッ』
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「……は?」
「だからぁ…あんたが聞いたから答えてやったんじゃない」
お母さんのセリフ。
「今のが…?俺の質問に対する答え…?」
「そうですけど何か?」
文句でもあんの?というように鋭い視線を送る。
すると。
「………………………………………くっ」
…え?
「ふ はッ」
なになになになに!?
「あははッ…」
なんなワケ!?
「おっおまえなぁ……クッい…いくら俺が絵里さんの言葉聞いたからって…普通口マネする?」
「………………………………………………何よ」
悪い?
「だっ大体なぁ…ッ留守電の機械オペレーションまでやんなくていぃっての」
そう言ってテーブルに身を突っ伏して笑い続ける。 もしかして…ツボ入ってんの?
「………失礼なやつ」
―――呟いてそっぽを向く夕夜もどこか楽しそうで。
そこには、ゆっくりと心地よい時間が流れていた―――。