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第三十話 思い出にしたくない。《中編》

「今日絵里さんは?」

「飲み会で遅くなるって」

「じゃあ邪魔は絶対入らないんだな」

「はぁっ?」

 穂高は晩ご飯の準備をしながら、まぁ、あの人ならたとえ家にいても邪魔なんてしなさそうだけど、と思った。

「なにおまえ顔赤くしてんの」

「べべべべつにしてない!」

「…いやらしい奴」

「どっちが!!!」

 あの後穂高の方の家に入ってすぐ、部屋着に着替えてキッチンにきた穂高は、さっさと晩ご飯を作り始めていた。といっても、まだ午後5時半だ。「早くない?」と聞く夕夜に「いーんだよこれで」と意味ありげに返し、ご飯作りを続行し、今に至る。

「あ、ねぇ、それ…」

「ん?」

「その、はじっこのやつ。2、3個取っといて」

 夕夜は焼き上がって皿に乗せられた餃子の端の方を指し示すとちょいちょい、とはじく仕草をした。

「は?何で」

「…朔眞の分」

「あぁ?」

「だ、だって!届けなきゃお母さんに怒られるんだもん。穂高だっておととい、あたしが届けに家出るの見送ったじゃない。…ピンポンダッシュだったけどさ」

「それは分かるけど…今のタイミングで名前が出るのと、おとといのタイミングで名前が出るのとは天と地ほどの差があるだろ」

 フライパンに水を適当に入れて、ジュワーッと大きな音がたった。

 …それもそうである。

「悪かったわね」

「素直にごめんといえないのか、おまえは。まぁ期待しちゃいないけど」

「じゃあ言うなよっ」

「―――てかさ?」

 ドキッ。

 ふざけ調子だった口調を一転、真剣なものに変えて、穂高は使い終わったフライパンを流しに置くと、カウンターの向こうから見学していた夕夜の方にくるりと振り返った。

「おまえ、まだあいつのこと朔眞って呼んでるんだ?」

「え…、だって一度呼ぶと癖になるし」

「そーだろーけど。…あぁ、もう」

「…穂高?」

 艶のある綺麗な黒髪を片手でぐしゃぐしゃとかき回して、はぁ、とため息をついたあと、穂高は小さな声で呟いた。

「…嫌なんだよ」

「え?」

「嫌なんだよ。おまえが、自分以外の男を下の名前で呼んでるの。大野でさえ、名字呼びにさせてたのに」

 チッ、と悔しそうに舌打ちをする。

「なにそれ…だからあの時名字でいいって言ったわけ」

 夕夜は、つい2日前栄理と大野智也と穂高と四人で遊びに行ったときのことを思い出していた。確かに、下の名前を呼び合おうした夕夜と智也を、穂高は妙な気迫で遮って「名字でいい」と言っていた。

 あれは、そういうことだったのか。

「そうだよ」

「…ばかじゃないの」

「は?」

「…やきもち?」

 きょとんとした目で問いかける夕夜に穂高は、憮然てした声音で答えた。

「くだらないやきもちだよ。悪いか」

 そっぽを向いても、耳が赤くて笑いが込み上げる。

 か、可愛いなぁ。

 口に出して言っても怒られるから、黙ってるけど。

「ねぇ穂高」

「…なに」

「たとえあたしが誰のことを名前で呼んでたって―――好きなのは穂高たった一人だからね」

「!」

 首をかしげてほんの少し頬を染めて。カウンターに肘をついて穂高を上目遣いで見やる夕夜が、可愛いと思う。

「ばかやろ…」

 穂高は片手で顔を覆って、ぎり、と唇を噛みしめた。その顔は真っ赤だ。

「え、なんでよ」

「―――襲ってほしいのか、夕夜?」

「ちちちち違うッ!!」

「じゃあおとなしくテーブルに座っとけ。…ほら」

 言葉と共にカウンターにとんと置かれたのは二人分の茶碗と箸。それを夕夜はじぃっと見つめて。

「え、えへへへへ」

「…なんだよ?」

「なんか…夫婦みたい」

「………………」

 あ、あれ。あたしミスった?

「…や、今の忘れて下さ」

「結婚するか?」

「えっ!?」

「…そうしたらおまえと俺は家族関係になるから、向こうに行かなくて済むかもしれないし…」

 穂高が寂しそうに笑う。

 その笑顔を見ているのが苦しくて、夕夜はつい言ってしまった。

「してもいいよ。あたし、結婚」

「な…」

 穂高が目を瞠った。けれどその一瞬後、額にわずかな痛み。穂高にデコピンをされたのである。

「うっ」

「…できるかばーか。圭吾さんが悲しむよ。それに俺、まだ17だし。おまえは女だから結婚できる歳だけど、男の俺は法律的に無理だな」

 言いながら、冷めるから早く持ってけと餃子の皿もカウンターに追加される。

 少しつまらない気持ちで夕夜は唇を突き出して皿を持ち上げる。踵を返しテーブルに向かう夕夜の背中に、小さく声がかかった。

「できることなら今すぐ俺のものにしたいのに」

「…っ!」

 ど、どういう意味?

 夕夜は背中が熱くなるのが感じた。

「誕生日が同じって、やなもんだな」

 あ、そっちね…。

 自分一人の勘違いに、ガックリと肩を落とす。

 って、何ショック受けてんのあたし!おかしいから!?

「おまえ何一人で百面相してんの?食うぞ」

「…はい」

 ―――そんなこんなで他愛のない話をして、夕食の時間が流れていった。

「あ、穂高、ここご飯粒ついてる」

「…どこ?」

「ここ」

 夕夜は指でごく唇近くの頬を指し示した。

 すると何を思ったのか穂高は一瞬黙る。次にニヤッと笑い―――。

 あ、嫌な予感!

「夕夜取ってよ?」

 やっぱりぃぃぃ!

「じ、自分で取りなさいよっ」

「やだね。ほら、早く」

「うーーーっ…」

 真っ赤な顔で夕夜は手を伸ばした。

「…だめ。手は使うな」

「はぁ!?だったらどこで…」

「どこでって―――口?」

「なっ!!無理よっ」

「何で」

「恥ずかしいじゃない!」

「あぁ、じゃあ問題ないな。夕夜、頑張れ」

 穂高は他人事のように告げてにこりと微笑んだ。

 あ…ありえないありえないありえない!!これは悪魔の微笑みよ!

「早く」

「…っ」

 夕夜は椅子のうえに膝立ちし、テーブルに手をつくと前屈みになった。

 黙って目を閉じて待っている穂高に顔を近付ける。

 心臓がばくばくとうるさい。

 肩からさらりと髪が零れ落ちた。

 あと5センチ、3センチ…。

「―――っ」

 夕夜は静かに、ついばむように、唇で穂高の頬―――といってもほとんど唇なのだが―――からご飯粒を舐め取った。

「…えろ」

「!!このS男ッ!」

「そうだけど、悪い?」

「むっ、むかつく…」

「ふ、はっ」

「笑ってんじゃないわよ!」

「あー悪い悪い。おまえおもしろすぎ」

 く…っ、駄目だあたしこの笑顔に弱い。

 付き合ってから、穂高は前より多く笑顔を見せてくれるようになった気がする。それが嬉しくて夕夜も口では怒っていながら、顔が自然と緩んでいた。

「ごちそうさま」

 食べ終わった穂高が立ち上がる。

「あ、あたしも。ごちそーさまっ。ありがと穂高、おいしかった」

「あたりまえだろ。俺が作ったんだから」

「ハイハイそーでしたっ」

「ほらコレ」

「?」

「届けるんだろ?…隣の隣に」

 そういえば!

 うん、と皿を受け取って夕夜は玄関に向かった。

「早く来いよ。またピンポンダッシュでいい」

「りょーかい」

 扉を開けて共同通路に出ると、夕夜は思わず「あっ」と声をあげた。

 …朔眞がすぐそこにいたからだ。

「あ、高良さん。それ僕の?」

「そ、そうだけど」

 ビク、と反射で身を退きながら夕夜は答えた。

 た、高良さん…?この前までは夕夜ちゃん、だったくせに。

「あんた何してんの」

「えー何って…僕いま帰ってきたところだしー」

 朔眞はいつもの笑顔でへらっと笑った。言われてみれば学生服だし鞄を持ってるし、その言葉は事実のようだった。

 忘れていたけどまだ6時だ。遊んで帰ってきてもおかしくない時間だろう。自分たちが早いのだ。

「はい。じゃあね」

 納得したところで手早く皿を渡すと、夕夜は踵を返した。

「待って」

「…なに?」

「もういいからねー」

「はい?」

「…晩ご飯。差し入れは今日で最後」

「はぁ?なんでよ」

「―――いなくなるから」

 …え?

「って、あんたが?」

「そー、明日」

 朔眞が何でも無いことのようにさらりと言う。まるで、初めから決まっていたかのようだ。

「…随分急なのね。あたしより一日早いじゃない」

「まぁねー。君は穂高くんとうまくやんなよ。くっついたの僕が君にキスした後でしょー」

「…だから?」

「いやいや、最後の悪あがきが決定打になったかなっ、てねー?」

「…はぁ?」

 意味が分からず夕夜は眉根を寄せる。

「気にしないでっ。穂高くん待ってるよ?早く行ったら?」

 朔眞は夕夜が今出てきたところが夕夜自身の家ではなく、穂高の家だと分かっていた。

 きっと彼はやきもきしながら待っているだろう。

 ニコニコしている朔眞を不気味に思いながら、夕夜は素直に戻るのだった。

「遅かったな?」

 穂高はリビングのソファーに座って待っていた。

「なんか…朔眞に会っちゃた」

「は!?」

 がばっと立ち上がって夕夜を見る。

「あ!だいじょぶだよなんもされてない」

 夕夜は慌てて手のひらを見せて、パタパタと横に振った。

 穂高がほーっと息をつく。よほど心配していたようだ。

「で、何て」

「明日いなくなるって」

「…あ?どこに」

「それは聞いてない。なんか分かんないけど、だからもう差し入れいらないよって言われた」

「………………」

「穂高?」

「…そうか。俺、風呂入る」

「ふぇっ?」

 いきなりの言葉に夕夜は変な声が出てしまった。

 おおおおお風呂!

「…おまえ反応でかすぎだから」

「だ、だってぇ」

「…一緒に入りたい?」

「はぁ!?」

 夕夜は首まで朱に染まる。

 穂高のことを男なのだと初めて意識したあの夜にも、お風呂がどうのこうのは言われたけれど。あの時とは明らかに違うドキドキが夕夜を支配していた。

 そんな夕夜を気にも留めず、穂高はさくさくと話を進めていく。

「ふ、冗談。やっぱおまえ先に入る?そっちの方がいいだろ」

「そ、そりゃまあ」

「じゃどーぞ。着替え、適当に置いとくから。30分で上がれよ?」

「分かってるわよ」

 彼女が長風呂なのを承知したうえで穂高は言った。

「夕夜」

「んー?」

 もう風呂場に向かっていた夕夜は、足を止めて首だけリビングに覗かせる。

「綺麗に洗っとけ?」

「う、うっさいわ!セクハラだっつーのッ」

 ―――上がってみると、脱衣所に置かれていたのはただの白いTシャツとスウェットだった。

 な、なにこれ。完全に泊まり態勢?

 とりあえず着てみる。また制服になるのだけは嫌だった。

「……………」

 ぶかぶかである。

 上はまだしも下はひどかった。

 …そうだった、あいつは足が長いんだ。

 ウェストだって合わなくて、履いても履いてもずり落ちる。これでは履いてる意味が無い。

「………………」

 夕夜は黙考した。考えた末出した結論は―――。




「ねぇ、あんたコレ一種の嫌がらせ?」

「ぶっ!!」

 風呂上がり、穂高の部屋に来た夕夜はTシャツ一枚だった。

 いや、実際は制服のときスカートの下に履いていたスパッツも身につけていたのだが、Tシャツが大きいせいで何も履いていないように見えたのだ。

「おま…、スウェットは」

「でかすぎて履いてらんないわよあんなの。足の長さを考慮しなさいよね、あ・し・の・な・が・さ・を!」

 噛みしめるように言って、夕夜は手に持っていたスウェットをビシビシと指差した。

「…そりゃ、悪かったよ。けど…」

「けど、何よ」

 ―――その格好はないだろ!?おまえこそ俺に対する嫌がらせかよ!!

 穂高は痛切な叫びを心の中でどうにか抑えた。

「な、なんでもねーよ…俺も風呂入ってくる」

「?いってらっしゃい…」

 夕夜は頭のうえにクエスチョンマークを浮かべたまま、穂高を見送るのだった。

「はぁ…」

 穂高は頭からシャワーを浴びながら唇を噛みしめた。

 今日、俺はあの無自覚小悪魔野郎に勝てるのか?

 …自信がない。

 でも、我慢しなければならない。それが夕夜の為でもあるし、自分の為であるとも思った。

 穂高は頭を一つ振るとシャンプーを手に取り、わしわしと頭を洗い始めた。

 ―――部屋に残った夕夜が、何を考えているのかも知らずに。


次回後編。この3回はとにかくいちゃつかせようと画策している作者です。笑

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