第二話 隠しごと
「それ…穂高くんに言った?」
「言ってない」
夕夜の話が終わって直後、栄理がまずした質問がこれだった。
ここでいの一番に穂高の名前が出てくるって…。
「言うつもりは?」
「………」
ふぅ、と栄理は溜め息をつく。
「穂高くんのこと好きなくせに…それでいぃの?」
「……はぁ?…好き?」
あたしが?穂高を?
「栄理何言ってんの」
けらけらと夕夜は笑う。 栄理は遠い目をして外を見た。
(そういえば…夕夜が何か言おうとしてた気がするな)
1時間目の退屈な授業が始まり、うとうとした頃にふいに思い出した。
窓際の後ろの席は特に眠くなる。
まぁ、あいつのことだ。夜にでもなんか言ってくるだろ。
あの時はとにかく、間に合うことが最優先事項だったのだ。
―――ひとつ欠伸をし、また寝ようとして。
カキーン!!
「打ったぁ!」
「走れ走れ!」
「夕夜すごい!大きい!」 外からの歓声。
…こんなに大勢の中からでも分かる。
「しゃあッホームラン♪」 あいつの声。
これじゃあ自分にとって夕夜が特別のようで、穂高は自分に違和感を覚えた。 ―――いや、特別は特別なのか?あいつは、昔っからの幼なじみだし…。
「なーに見てんの?―――あ、彼女じゃん」
ビクッ。
前の席の大野智也が、後ろを振り返る形で穂高に話しかけた。
一応2人は友達だ。
「だから…彼女じゃないって。あいつは「それが毎朝毎晩一緒に登下校してる奴の言う言葉ですか」
穂高の声を遮って、智也が言った。
たとえるなら、ニヤニヤという効果音がまさに当てはまるような笑顔。
「……………………」
―――こいつ
「へぇ〜」
マジぶっ殺す。
「死ぬ覚悟はできてるんだよなぁもちろん」
ぐい、と胸ぐらを掴み引き寄せる。
席には座ったままだ。
「じょっ、冗談だって!」 穂高ならやりかねない! 身の危険を感じた智也は、止めて下さい!と懇願する。プライドも何もあったもんじゃない。
嫌そうに智也から手を放すと、再び穂高はグラウンドに目を向ける。
夕夜がコケた。
「ぶっ!」
「どうかしたんですか?結城くん」
「…いえ、なんでも」
目を向けてきた教師にそう返事をしてもなお、穂高はくっくっと肩を震わせ笑い続ける。
…あ〜、あいつってホントに…。
驚いたのはクラスメイトの方で、次の休み時間には「あの穂高くんが笑ってる……」の話題で持ちきりだった。
「穂高、さっきどうしたのオマエ」
例外なく智也も不思議に思い、尋ねる。
「オマエがあそこまで笑うのって滅多にないよな」
「え?いや…夕夜がさ」
そう言うと穂高はさっきまで夕夜が居た場所に視線を移し。
「コケてたんだよ、なんも無い場所で。―――それがツボでさ」
そしてまた笑う。
「昔っからなんだよな、あいつ…」
柔らかい笑顔。
智也が知る限り―――― カオ
穂高のこの表情は、『幼なじみ』の『夕夜』の話以外では、出すことの無い表情だった。
…智也は、大きな大きな溜め息をついた。
帰りのHRが終わり、それぞれが席を立ち始める。「そろそろ穂高くん来るんじゃなぃ?」
何気なく栄理が言った。 ビクッ!
穂高が…来るッ!!
「あっあたし…帰るから!あいつには適当に言っといて!じゃっ!!」
そう言うと夕夜は脱兎のごとく逃げ出した。
「はぁ!?夕夜!?」
今更なに!?
「あんたいつも一緒に帰ってるじゃない」という栄理の言葉は、必死で逃げる(ように彼女には見えた)夕夜に届くことはなかった。「あれ…あいつは?」
一足遅く穂高の登場だ。「なんか…先に帰るって」「はぁ?先に帰る?…意味分かんね」
「だよねぇ。なんか分かんないけど…今日の夕夜、少し変だったし」
理由なんて知ってるくせに、そんなことを言う。
「あいつが変なのはいつものことだろ」
…………………………。「…ま、まぁそれもそうなんだけど、なんてゆうかね…」
―――その言葉を聞いた瞬間、穂高の表情が変わった。
「わり…俺も行くわ」
そして穂高は玄関に向かって走りだした。
「愛されてんねぇ」
栄理の呟きは、教室のざわめきに溶けて消えた。
「んだょ…いねぇじゃん」 本当に先に帰ったのか? 高橋栄理が言っていた、「…ッ泣きそうだったってどーゆー…」
考えても分からない。 とりあえず自分も帰宅することにした穂高は、靴を履き替え、門の外に出るのだった。
穂高と夕夜が住んでいるマンションには、大きな時計塔がある。
小さな頃から、何かあれば2人はここへ来ていた。 もう陽も落ちかけているこの時計塔広場へ、夕夜はいた。噴水の淵に座って。「………………」
もぅどのくらい、時間が経っただろうか。10分にも思えるし、1時間にも思える。
家に入りたくなかった。行けば、どうせあの話をされるに決まってる。
「はぁ…」
ひとつ、ため息をついて。
「…げっ」
顔を上げればそこには穂高がいた。
「げっ、はこっちの台詞だと思うんだけど」
「穂高…」
「ったく、なんなのおまえ。高橋が先帰ったっていうから来てみれば…こんなトコ座ってるし。しかもその格好…まだ家入ってないんだな」
ご名答。
「あぶねぇだろ!こんな時間まで外にいて!いくら夏で明るいって言っても時間は充分遅いんだから!!」 ―――今まで穂高には何度も怒られてきた。けど―――……。
「ごめん…なさい…」
ここまで真剣な顔したのは初めてだった。
だから夕夜は、素直に謝った。
穂高と目が合う。
ふぃっ、と直ぐに夕夜が逸らす。
「…………」
あ、やば。穂高怒った? すると次の瞬間、穂高は近くに来たかと思うと、ドスッと音をたてて夕夜の隣に座った。
「…何?」
「それもこっちの台詞。おまえ…なんか隠してんだろ」
ギクッ。
「なっ…何の話?」
精一杯の笑顔。
―――ものすごく胡散臭い。
「何の話?じゃなくて」
穂高は静かに夕夜を見つめる。
「言えば?どうせまた1人で悩んでんだろ」
う…ッ。
「俺にも言えないこと?」 こいつってホント…。
「…………黙秘します。」「はぁ?」
黙秘?
「…っとにおまえは…」
もう知らね、と言って穂高はマンションへと入って行った。――その背中に。 「言わないんじゃなくて、言えないんだ」
そう呟いた夕夜の言葉が届くことはなかった。