第二十三話 報告
5分後、マンションに着いた絵里は夕夜の部屋へ向かった。昨日同様、また電気が点いていなくてそろそろとドアを開ける。部屋が薄暗かったから、電気を点けた。
「…何がどーしてこーなったのかしら」
ところが、明るくなった部屋にいたのは夕夜ひとり…ではなく、朝にはいなかったはずの、穂高を含めた二人だった。しかもなぜだか部屋の隅に寄って、毛布一枚に二人でくるまって寝ている。
…意味が分からない。穂高の存在にも驚きだが、なぜ床で?
けれど同時に、二人が一緒にいるという事実に、ほっとする。
穂高くん来たの、一週間ぶりくらいかしら?
「ん…」
ごそっと動いたのち、穂高の方がぱちっと目を開けた。
「…絵里さん…?なんで」
まだはっきり意識が覚醒していないのか、不思議そうに目をこすりながら穂高は口を開いた。
「おはよ、穂高くん。…夜だから仕事終わって帰ってきたのよ」
「あ、おはようございます…って、え?夜?」
穂高が慌てて立ち上がりかける。が、肩に重みを感じて振り返った。見ると、夕夜が自分に寄りかかって寝ているではないか。…これでは、立てない。
穂高はなるべく動かさないように、また元の位置に座った。
「…あの。すいません、いま何時なんですか?」
少し昼寝するつもりがいつの間にか窓から見える外は真っ暗で、穂高は焦って聞いた。これじゃ昼寝どころか、普通の睡眠だ。
「今?今はね、8時過ぎ」
「は、8時?じゃあ俺5時間は寝てたのか…」
驚きの事実に数秒黙る。、その後はっとして穂高はすぐ傍にある夕夜の寝顔を見つめた。
そういえば、なんでこいつがここに?確かにベッドに寝ていたはずなのに。
黙考する穂高と、すーすーと寝息をたてて熟睡する夕夜。二人を数秒じぃっと見つめて、絵里はおもむろに口を開いた。
「…ねぇあんたたち、なんかあったでしょ。夕夜の寝顔がなんだか、すごく幸せそう」
それに穂高くんも、すっきりした顔してるわ。
真顔でそう言った。
「…幸せそう、ですか」
その言葉を聞いて、穂高はなんだか凄く嬉しくなった。むず痒いような、じんわりとした感覚。…母親の絵里がそう言うのだ。幸せなんだろうと、思う。いまこの時、幸せであればいいと、思う。
「…あの、絵里さん。話したいことがあるんです」
だから、意を決して穂高は目線を夕夜から絵里へ移した。
夕夜のことを本当にたいせつに思い、今まで育ててきた絵里。自分のことだって、本当の子どものように面倒を見てくれた。
―――そんな彼女だからこそ、話しておかなければならないと思うのだ。
「あら。なーに?」
絵里は夕夜そっくりの動作で首をかしげた。
「あの、俺」
「夕夜と付き合います、って?」
にっこり笑いながら、絵里はかがんで座ったままの穂高と視線を合わせて言った。
「…超能力とか」
「ないわね」
「…母親のカンってやつですか…」
気が抜けた、という感じに穂高は無意識に正していた背中を、すぐ後ろの壁にとんと預けた。そんな穂高に絵里は笑いながら、うーん…と考える。
「なんていうかね、まず、昨日の夕夜の様子がおかしかったのよ。もう、涙で顔がぐしゃぐしゃで。無反応だしベッドから出ないし」
穂高はズキンと胸が痛む。…きっとそれは、木原朔眞にキスされてしまったからだ。
「…はい。分かってます」
けれどそこまでショックを受けていたとは思わず、穂高はその様子を思い浮かべて眉根を寄せる。
「じゃあ話が早いわね。…穂高くん。そんな状態でも夕夜、あなたの名前繰り返し呟いてたのよ?何度も何度もね」
「名前…」
「そうよ?あと“ごめん”だったわね。だから確実に穂高くん絡みだって直感したわ」
あんたたちその何日も前から一緒にいなかったじゃない?
と絵里は、あたかも事件の謎解きをするように。
「だから、そろそろなんかあるなーと思って。今日、帰ってきてみたら久しぶりに穂高くんがいるじゃない。私、嬉しくなっちゃって」
「絵里さん…」
「夕夜の寝顔も今朝と打って変わって幸せそうだし?このタイミングで話しておきたいことがあるだなんて、大体予想つくじゃない」
絵里は、ねっ?と首を傾げた。
穂高は絶句だ。
なんでもお見通しなのだろうか、この人には。
「その顔。私のカン、ばっちり当たったわね。…やっぱり昨日が最後の夜になった」
含み笑いをして、絵里は自分も夕夜を挟んだ左隣に座り込んだ。それから、まだ起きない夕夜の少し茶色がかった髪を、愛しそうになでる。
「…最後の夜って?」
皆目見当がつかず不思議そうに尋ねる穂高に、絵里は夕夜をなでる手を止めて。
「聞きたい?」
にやりと笑った。
…何だろうか。
答えに窮していると。
「聞きたいわよね」
「―――………」
なぜだろう。
絵里のこの笑顔には、逆らえない迫力がある。
「き、聞きたい、です」
「でしょー。なんの最後の夜かっていうとね」
いたずらっ子みたいな目をして絵里はもったいつけた。
「いうと?」
「夕夜独身最後の夜ー!」
けらけらと笑いながら、絵里は手をパチパチと叩いた。
「…酔ってるんですか」
「やぁね。大真面目よ」
「はぁ…」
「もう。そんな変なもの見る目で見ないでよ穂高くん。…いーい?」
突然真面目な声音になって絵里は言う。
「付き合うなら、絶対この子を悲しませるようなことしないで。それが、私達の間の約束よ。守れないなら」
簡単に付き合うなんて言わないでと、射るような眼差しで毅然と告げられた。
一瞬、呑まれそうになる。けれど穂高はぐっと体に力を込めて、きっぱりと言った。
「…それは約束できません」
「え?」
「…だってこいつ、相当な泣き虫なんですよ。知ってました?」
穂高がふっと笑って相好を崩した。
「そ、そうだったかしら」
それじゃあ難しいかもしれないわね、と絵里は真面目に考える。
「そうですよ。…だからこそ、せめて。俺は…一緒にいたいと思えるような男になります。ずっと一緒に。どんなことがあっても、俺はもう―――」
目を閉じて、夕夜と離れていた昨日までの日々を思い出す。
あんな思いはもう沢山だから。
「夕夜を離さないと、約束します」
「―――えぇ……」
絵里は、それはそれは嬉しそうに伏し目がちに頷いた。
「ん〜…」
絵里が部屋から出ていった2・3分後、ようやく夕夜が目を覚ました。
「やっと起きた?…寝すぎ」
「んー?」
まだぼーっとしている頭と、半開きの目で夕夜は穂高の顔を見つめた。しばらくそうしていたのだが、いきなり何かに気づいたようにハッとして。
「あ、あたし…!!」
「ん?」
「その、ごめん!勝手に隣に座ってしかも爆睡っ」
あたふたと、離れようとしながら夕夜は謝った。離れかけたその手を、穂高はぱしっと掴む。
「いいよ」
「…ッ!」
一瞬顔を赤くして、夕夜はおとなしくまた隣に座り込んだ。どこか落ち着かなそうに、そわそわとしている。
「…で?なんでベッドから出たんだよ」
「その…。トイレに起きたら、本当に穂高がついててくれたから。…嬉しくなって思わず隣に」
言いにくそうに目線を逸らして夕夜は言った。
…穂高は、一瞬言葉が出てこない。
「…やけに素直。熱が高いままだったり」
夕夜の額に訝しそうに手を当てて、体温を確かめる。そこまで熱くない。
「はぁ?あんたどんだけ失礼なのよ。穂高に移って治ったんじゃないのっ」
夕夜がいつもの調子で頬をぷくっとふくらました。
「げ…マジで?」
「げってなによ、穂高があたしに移るようなことしたんじゃない」
「…キスしたこと言ってんの?」
「うん」
「……………」
穂高は耳を赤くしてうつむいた。まさにその通り、言い返す言葉などない。
そんな穂高を見て、夕夜はおかしくなってしまう。
ほとんど冗談で言ったのに、なにこいつ。
「か、可愛いー」
夕夜は肩を震わせて笑いを我慢しようとしたが、しきれずに。
「…何笑ってんの」
ばつが悪そうに言う穂高を、後ろからふわっと抱きしめた。
「んーん、べつに?」
なんだか無性に愛しさがこみあげて、こうしたくなったのだ。
「…穂高…」
「…なに?」
「楽しいこと…たくさんしようね。いっぱい遊ぼうね」
「―――………」
後ろから肩にこてんと頭をのせて、夕夜がとつとつと言った。ずずっと鼻をすするような音が聞こえて、部屋は静まりかえる。穂高には、夕夜が泣いているのかどうか分からなかった。
「…あぁ―――」
…それしか、答えることはできなかった。
―――その日。穂高は、久しぶりに夕夜と絵里と三人でご飯を食べた。
買い物をしていなくて材料がなかったから家にある有り合わせものだったのだけれど、穂高にとっては、ここ数日の中ではダントツにおいしいご飯だった。
―――ただやっぱり夕夜のことで、どこかに黒いもやもやとしたものが頭をもたげていたのだけれど。
穂高が家に帰ったあと、絵里は夕夜をすぐ寝かせた。夕夜と穂高、二人を思い浮かべれば、自然と口の端があがる。
やっとね。…作戦大成功じゃない。
「こうなればあとは、いつどうやってネタばらしをするかよね〜…」
夕夜が聞けば「何それ、どーゆー意味!?」と食い付いてきそうな言葉を呟いて、絵里は自分の寝室の扉を開ける。
「…ま、いっか。どうとでもなるでしょ」
扉の隙間から見えた彼女の部屋は、段ボールに荷物がまとめられた夕夜の部屋とは違って、いつもとなんら変わらなかった。
「おやすみ、夕夜」
その意味を知るのは、彼女ただ一人。
扉は、パタンと閉められた。
明くる日、夕夜と穂高は久しぶりに二人で登校した。
学校に着くと、校門に入ってすぐ、誰かが奇声をあげながらこちら側へくるのが目に入る。
「あ〜〜〜〜〜ッッ!!」
穂高の友人智也が、二人を見つけたとたん盛大に叫び声をあげて、走り寄ってきたのだ。
「えっ!?」
「…でた…」
夕夜はびっくり、穂高はげんなりとしたようすで彼を見る。智也は息も荒いまま穂高に近寄ると、いきなりぎゅっと抱きついた。
「はぁ!?離れろよ気持ち悪い」
力いっぱい引き剥がそうとして両手で肩を押す。が、智也は離れない。夕夜は少し遠巻きに、唖然としながらその様子を見守っていた。しばらくそうした後、もがいている穂高に智也は小さな声で。
「良かったなぁ…」
「え?」
穂高の動きはピタッと止まる。
「良かったなぁ穂高…。仲直りできたんだな」
「あ…」
それで、これか。
合点がいって頷く。そういえばこいつにも色々世話になったな、ととりあえずの謝罪。
「色々悪かった」
智也がやっと離れて、自分のことのように嬉しそうに笑った。
「べつに。…うまく行ったんだろ?それに、ごめんじゃなくてありがとうじゃん。…やっと俺の朝が始まるよっ」
晴れやかに言うと彼は、穂高の肩をポンと叩いて玄関へと入っていった。
最後にボソッと、「やっぱりおまえらは二人でいるのが自然だよ」と、言葉を残して。
「…あのひとなんだって?」
話が終わったのを見計らって、夕夜がひょっこりと顔を出した。
「いや…なんでもないよ」
そう言う穂高を覗き込むと、くつくつと笑っている。次にぽつりと、『さんきゅ』と漏らした。
「?」
夕夜は意味が分からずきょとんとしている。
「気にしないでいーよ」
笑って言いながら、彼女の手をつないだ。
「穂高?」
「行きますか」
「え?え?」
「思い出づくり。するんだろ?」
にやっと笑いながら彼は言う。夕夜はあっ、と声を上げて、その後思い切りうん!と頷いた。
「よし、まずは学校でだな」
「そーだね」
教室に行ったら、まず栄理にこのことを報告しよう。そしてその後、めいっぱい遊ぶんだ。
足取りも軽く、夕夜は校舎へと足を踏み出した。
隣には、穂高もいる。
自然と笑顔になる。
「何にやけてんの」
「何でもなぁーぃ」
―――さぁ。
やりたいことは、たくさんある。とびっきり楽しくて、一生忘れられないような、そんな。
最高の思い出を、つくろう―――!
ここまでくるのに時間かかりすぎですねスイマセン(__;) 次回から夕夜は思い出づくりに励みます!なるべく更新早くするのでよろしくお願いします…