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第二十一話 隠しごとを告げるとき

 穂高が曇りのないまっすぐな目で、夕夜を見つめていた。

 もう逃げられない、言わなければと夕夜は思う。

 どうせごまかしていてごまかせてないも同然の隠しごとなのだ。穂高だって、部屋に入った瞬間にこの部屋の変わりように気づいたはずだ。

 でも…どうすれば?『あたし、ロサンゼルスに引っ越すんだー、あはは。もう簡単には会えないね』って明るく言えばいい?泣きながら『行きたくない』と駄々をこねればいい?

 分からなすぎて夕夜は口を開けない。

 だって、どんな言い方をしたって、最後にはお互い悲しむのが目に見えているのだから。

「………………………」

 眉間にしわを寄せたまま黙り込む夕夜に穂高はため息をつくと、

「じゃあ、分かった。…俺から言いたいこと言うから、とりあえずこっちの話聞け」

 そう言って夕夜の注意を引いた。

 そうして何を言うのかと思えば。

「…ごめん」

「えっ、何が?」

 いきなり謝罪の言葉を口にした穂高に、何が『ごめん』なのか、夕夜は心底不思議に思って尋ねた。

「俺、ずっと謝りたかった。あの時…おまえの話、最後まで聞いてやらなかったこと」

「あの時…?」

 それは、朔眞が差し入れのことを『夜のお楽しみ』と言ったときのことだろうか。そういえば、ケンカの発端はそんなことだったような。

「あんなの…気にしてないよ」

 てゆうかもう、忘れかけてたし、と夕夜はベッドの中からあっけらかんとした笑顔を穂高に向けた。

 ほんとは気にしまくりだったのだけれど、これは言わないでおこうと密かに決める。

 だって穂高ってば、こうでもしないといつまでも気にしてそう。

「…今なら、理由聞ける。話してよ?」

 ていうか聞きたい、と興味津々な顔で穂高は夕夜ににじり寄った。

「…聞きたい?」

「あぁ」

 少しだけ意地悪なきもちになって、焦らしてみようかとも思う。

「…どうしようかな」

「言えッ」

 穂高が夕夜のおでこに軽くデコピンをした。

「い、痛いじゃない」

「うるさい。早く言え」

 あれ?いつの間にか、いつもの俺様な穂高に戻ってるじゃない、と夕夜は嬉しさ半分、悲しさ半分でひとりごちた。

「昨日のしおらしい穂高はどこに…」

「は?」

「いえ、なんでも」

 またデコピンされるのはいやだから、素直に夕夜は朔眞の言葉の真意を説明した。

「…あたし、朔眞とは何もないよ?お母さんに頼まれてね、毎晩ご飯のおかず分けに行ってただけ。それをあいつが勝手に、“夜のお楽しみ”だなんて変な言い方したの。…安心した?」

 熱のせいでとろんとした目を穂高に向けて、夕夜はふわりと笑う。

「…そういうこと、な」

 内心かなりほっとしながら、穂高はふぅっと息をついた。

「ねぇ、聞きたいこと何でも聞いていいって言ったよね」

 目をきらきらさせながら、夕夜は上半身を起こす。

「…おまえほんとに熱あるの…。まぁ、言ったけど?」

 呆れ顔の穂高にもめげず、夕夜は今朝穂高と会ってから、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。

「質問。…どうしてここにいるの?」

「…は?」

「だ、だって穂高あたしが風邪ひいて学校休んだなんて知らないはずじゃん。なのになんで」

 穂高とも仲直りできず、絵里も仕事に行ってしまい。…ひとり寂しく寝ていた夕夜にとっては、風邪をひいたことを知るはずもない穂高が部屋にあらわれたことは、これ以上ない『不思議』だったはずだ。

 そのことに思い立った穂高は、ここにくるまでのいきさつを話すことにした。

「…高橋さんが、朝俺の教室まで来たんだ」

「栄理が?」

 夕夜と栄理のクラスは1組。穂高と智也のクラスは6組。あの離れた距離を、わざわざ移動してくれたということだろうか?

「うん、おまえ学校来てないって教えてくれた。…消去法で、サボりなんてすると思えないしじゃあまだ家か?って」

 それで来てみたら、こうして赤い顔でぶっ倒れてたわけで。

「…なるほど。なんか、手間かけさせたみたいで…」

「別に?まぁ、それはいいとして。…夕夜の番だけど?」

 この話はコレで終わり、とばかりに次はおまえだ早く言え、と、目線で促されてしまった。

 聞かれているのはもちろん、あの隠しごとのことだろう。

「………っ。分かっ、てるけど」

 そうは言いながらやっぱり歯切れの悪い夕夜に、穂高は渋面をつくる。

「…まさか、ここまで来てまだ言わないなんてこと、ないよな?」

「!!あ、あたしだって…さらっと言えるもんなら言いたいよ!なのにそんな責めるような言い方しないで!!」

 とっさに叫び返してしまった。

 あぁ…これじゃ逆ギレじゃん。

 はっとするが、一度溢れだした感情はそう簡単には止まらない。

 ましてや、この1ヶ月はゆうに黙っていた隠しごとで、しかもそれが今後の自分たちに大きく関わってくることなんだと思えば、不安になるのも無理はない。感情論になってしまうが、今の夕夜に冷静に事情を話すことなど到底無理な話だった。

「責めてるつもりなんかない。…話してほしい、それだけだ」

 そんな夕夜の頬に手をあて、めったに感情に揺れることのない漆黒の瞳で、夕夜の少しだけ茶色がかっている瞳を覗きこむ。

 その瞳には自分だけしか映っていなくて。

 …真摯なきもちが全身から伝わってくる。

 …うん、ちゃんと言おう。

「今まで黙ってて、ゴメン。…あたし」

 穂高はゴク、と息を呑む。

「引っ越すんだ。…ロサンゼルスに」

 ―――足を着いている地面がいきなり抜け落ちて、奈落の底につき落とされたような感覚だった。

 …ロサンゼルス…?

 声になっていない呟きを、唇の動きだけで繰り返す。焼けるように喉が渇いている気がして、喋ろうとしてもひりついて声が出ない。

「嘘だろ、そんな…」

 かすれた声で、それだけをぽつり、と。

 ズキンと夕夜の胸が痛んだ。

「…一番初めに、時計塔の下で。穂高があたしに『何か隠してんだろ。俺にも言えないこと?』って言ったの覚えてる?」

 その問いに穂高はコクッ、と頷きだけでYESと答えを返した。

「…あの時ね、まだ引っ越し本決まりじゃなかったの。それに、たとえ言ったとして、自体がいい方向に向かうとは思えなかった」

 だから、と夕夜は続ける。

「言わなかったんじゃないの。“言えなかった”んだ…ッ」

 膝の上のかけ布団に顔を伏せ、うずめた。

「分かって…っ!分かってよッ…!“穂高だから”言えなかったんじゃない…!!」

 ―――穂高は黙って聞いている。

 ただその目からは…絶望の色が伺えた。

「だからって…なんで今なんだよ?」

「…え?」

「なんで、今―――!!!」

 …もう、知ってしまったのに。

 ふたりでいることの喜び。きもちが通じ合うことの愛しさ。

 そういうのを、たとえこの短時間であっても経験してしまったから。

 だからもう、ひとりだった頃には戻れない。

「やっと…やっと、ここまで来たのに!!ロサンゼルスなんて海の向こうじゃねぇか!…どうしてもっと早く言ってくれなかったんだよ…」

 穂高の頬を、ほんの一筋だけ、すうっと涙が伝った。

「『俺と離れることはありえない』って言ってただろうが…」

 あれは嘘だったのか?

 最後にそう呟いて、穂高もまたベッドの淵に肘をついてくずれた。

 ―――16年間一緒にいて、穂高が泣いたのを目にしたのは初めてだった。

 あたしは…なんてバカだったんだろう。

 いつだったか、栄理に『そうやってさぁ…タイミング逃したら大変なことになるんだからね』と言われたことがあった。

 どうしてあの時忠告を聞かなかったのか。

 …穂高をここまで苦しめることになるのなら、朔眞の存在やケンカなんて関係なく、もっと早くに言ってしまえばよかった。

 ―――ただひたすらに、後悔の念が夕夜を襲った。

「穂高…」

 ベッドの淵に顔を伏せたまま動こうとしない穂高のさらさらした髪の毛に、おそるおそる手を置く。

 穂高の肩がビク、と震えた。

「ごめん。本当にごめん。…お父さんがさ、一緒に暮らさないかって」

「…圭吾さんが?」

 反応があった。

「うん。お父さん、もう3年は向こうに単身赴任してるでしょ?…この前ね、お母さんが訪ねて行ったときに、言われたんだって」

 ―――家族がこんなにも長い間離れているのはやっぱり耐えられない。…ここを離れて日本に戻れるのは、いつか分からないんだ。悩んだけど…こっちで一緒に暮らさないか?

 夕夜はしばしのあいだ瞑黙して、だいぶ前に絵里に告げられた言葉を思い出していた。

「いやだ、って言えるわけないじゃない…。たった17歳のあたしに何ができたっていうの?…それに」

 夕夜は穂高の頭に置いていた手を思い切り振りかぶると、グーにして勢いよく急転直下。…真下に振り下ろした。

 ゴツンッ。

「!?いっ…」

「穂高のバカ!!」

 グーで殴られたうえにバカとは何事か。

 穂高はもたげていた頭を上げた。

「何す」

「あんた、なんも分かってない!どうして嘘だったのかなんていうの?…あたしが、どんなきもちで…ッ!!」

 怒りに見開いた目から、またボロボロと涙が零れていた。夕夜はそのことに、気づいているのかいないのか。かまわず、大口を開けてまくしたてる。

「あたしだって悲しいに決まってるじゃない!!自分だけが被害者みたいな顔するな!!」

 はぁ…、と荒い息を繰り返す。

「でっ、できることなら行きたくない。…でも、お父さんもたいせつなの…ッ」

 手のひらで顔をおおって、夕夜は悔しそうに唇を噛みしめた。

 そんな夕夜を見て、どうしてまだ自分が嘆けるだろうか?

 穂高は、さっき自分が言った言葉を心底反省していた。

 ―――本当に夕夜が言うとおり、自分はバカだ。

 あの時、『穂高と離れることはありえない』と言い切った夕夜の眼差しや態度は、それこそ真剣そのものだったのに。引っ越しのことを分かっていてもなお、離れたくない一心で願いを込めるように言ったであろうあの言葉。

 1ヶ月も前に母親に引っ越しのことを知らされて、一番ショックで長い間悩んでいたのは、きっと夕夜だっただろう。それなのにこっちは自分のことばかりで。

「…ごめん夕夜。今回だけは、ほんとバカって認める。おまえだって、苦しいんだもんな…」

 こんどは穂高が夕夜の頭をポンポン、とたたいた。謝罪と、ねぎらいのきもちを込めて。

「ほっ、ほんとだよ…」

「―――まぁ、ロスに行ったって一生会えないわけじゃないし?」

 ゆっくりと立ち上がると、ギシッと音を鳴らしてベッドの上にあがる。引きつけをおこしている夕夜を、壊れ物を扱うみたくやさしく抱きしめた。

「悪かった。…引っ越しは、いつ?」

 耳元で、優しく穂高の声がする。いつもの穂高の声のトーンに夕夜はほっとして、いつの間にか引きつけは止まっていた。

「…こ、今週末」

「今週末っ?」

 最初は驚いているだけだった顔が、みるみるうちに不機嫌な顔になっていく。

 あ、あれ。何かマズった?

「おーまーえーなー」

「え、えっ?」

「いくらなんでもギリギリまで黙りすぎだ!確かにさっきは俺が悪かったけどなぁ!今のは完全におまえが悪いっ」

 ポコ、と頭を小突かれる。

「あと4日でどーしろと…」

「う、ごめん…」

 なんだか今日はお互いに謝ってばかりだ。

「とりあえず、おまえは早く風邪治せ。そしたら…」

 穂高が言いにくそうに視線をずらす。耳が赤くなっている。

 なんだろう?

「そしたら、思い出たくさんつくろう。…俺とおまえで。高橋さんなんかも入れて」

「う、うん…!うん…!!」

 目を潤ませて夕夜は大きく大きく頷いた。

 穂高もそんな夕夜に笑顔で答える。

「約束」

「約束だよ!」

 ふたりは笑顔でゆびきりを交わした。

 ―――ロサンゼルスなんて認めたくなかった。考えたくなかった。

 でも今は、少しだけ前向き。それは全部全部、穂高のおかげで。

 …引っ越しまであと4日。

 今だけ、今だけは―――。引っ越しのことは忘れて、生涯忘れない最高の思い出をつくろう。

 ―――時刻は昼前で、窓からは明るく眩しい、太陽の光がさし込んでいた。


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