第二十話 Sour-sweet time《初キス相手?》
聞き間違いだと思った。
ぽかーんと口を開けたまま、夕夜は穴があくほど穂高の顔を見つめていた。
「…アホづら」
「ひょっと、いひゃい」
再度頬をひっぱられ、ろれつが回らなくなる。
ほっぺは少し痛いけど、耳にはたしかにあまい感覚が残っていた。
「ねぇ今…あたしのこと好きって言った?」
「一度しか言わないって言っただろ」
…それはつまり、やっぱり自分に好きだと言ったということで。
「…穂高」
「なに」
「あたし…ッ」
「だから何?てか、また泣くの」
おかしそうに目を細めながら、穂高は夕夜を見つめた。
「な、泣きたくなるでしょそりゃあ〜」
「なんで?」
「な、なんでって」
その先を言わせる気?
悔しかったから、言葉の続きはごくんと飲み込んだ。
てゆーか、と夕夜は穂高を見やる。
「あたし、いいよって言ってないよね?それなのにあんな…」
思い返して夕夜は耳まで真っ赤になった。
こいつ、返事するまえに口ふさいだよね?
「あんなキスして、って言いたいの」
「…そうだよ。もしあたしがすごく嫌がったらどうすんのよ」
「そんなの…」
穂高はくいっと夕夜の顎を持ち上げて。
「嫌がらない確信があったからな?」
勝ち誇った笑みで、色気のあるまなざしを穂高は夕夜に向けた。
「…っ、むかつく…」
ばくばくとうるさい心臓を頑張って無視して、真っ赤な顔で唇を噛みしめる。。恋愛超初心者の夕夜に、穂高のこの動作は、きわどいものがある。
「だっておまえ、『顔見ると不正脈で息がうまくできなくて、そのうえ自分以外の女がとなりにいるのはいやだ』って…完全な告白じゃん」
こ、告白?
すると穂高は呆けている夕夜の頬に、ちゅっとキスをした。
「あっ」
「俺のこと好きなんだろ?」
「…っ」
覗き込まれて夕夜は思う。
そうか…このきもちは、穂高のことが好きってことなんだ…。
言葉にされて、妙に納得した。
どうりで、穂高がかっこ良く見えちゃったりしたわけだ。
「うん…好き」
あたしも、穂高のことがすごくすき。
ごく近くにある穂高の顔を、自然と上目遣いで見つめた。
穂高の広い胸板に手をついて、幾度も「穂高」と名前を呼ぶ。
そのたびに穂高はしっかりと返事をしてくれた。
離れていた時間が長かったから余計に愛しく、胸が締めつけられる。
なんとなく胸がいっぱいで、言葉もつげなくなった。
沈黙のなかで、穂高はまた口づけようと、ゆっくりと顔を近づける。
夕夜も目を閉じて。
―――けれど次の瞬間。
『決定打を、与えてあげる』
そう言った朔眞の声がやけにはっきりと耳に蘇った。
そうだ自分は、朔眞に一度キスされている―――。
「だ、だめ…!!」
ついていた両手でそのまま穂高を押し返した。両手で口元をおおう。
あいつのあとに、穂高に触れてほしくない―――!穂高までが汚れてしまう気がする。
「夕夜?」
訝しんで夕夜の様子をうかがった。
拒まれたことはそれなりにショックだが、それよりも夕夜の様子が気にかかる。
せっかく泣き止んで笑顔が戻り始めていたのに、また涙目でうつむいていた。
押し返された手前、再び抱きしめることもできずに宙に浮いた手を、握りこぶしに変えて。
…そういえば最初家に来たときから、しきりに袖で唇をぬぐっていたことを思い出す。
夕夜の行動。
朔眞の言葉。
二つのヒントが繋がって、穂高は固く握られていたその手をひらいて、ガシッと夕夜の肩をつかんだ。
「おまえ…あいつにキスされた?」
「……………ッッ!!」
夕夜が息を呑むのが分かった。
「な、なんで?穂高なに言ってんの」
バカにするように笑って顔を上げた、…つもりだった。
「アホ。全然笑えてない」
「…っ、そんなこと」
ない、と言おうとした。けれど穂高にぐいっと引き寄せられて二の句を次げなくなる。
「夕夜」
「…はい」
「もう嘘つくな。…これ以上、俺に隠しごとして何になる?」
そう言う穂高もつらそうで、黒い瞳が揺れていた。
「頼むから…、ほんとのこと言ってくれ」
今にも泣きそうに顔が歪む。
そんな穂高を見るのは夕夜だって、つらい。
でも。
「だって、言ってどうなるの?あたしだってなかったことにできるならそうしたいよぉ…っ」
また大粒の涙が零れ落ちた。
「さっ、朔眞にキスされたなんて、どうして穂高に言えるのっ?言ったら嫌われるかもしれないのに〜ッ」
夕夜は大声で泣きじゃくった。
「あっ、あたしだって、最初のキスがあいつだなんてやだよ…ッ」
昨日の出来事を消してしまいたい。でもどうしたって、自分のファーストキスはもう戻ってこない。
「あんたがよかった。穂高じゃなきゃ意味ないのに…!」
唇を噛みしめてぼたぼた涙を零す夕夜を見て。
「ふ…ッ」
なぜか穂高は笑った。
「!!なんで笑うの!?」
自分は真剣なのにひどい!と夕夜は眉を吊り上げる。
「あ、ごめん。そうだよな。…つか、俺だって本気であいつにムカついてるよ?」
「…ほんと?」
「ほんと。正直、今すぐ学校戻って授業受けてるあいつぶん殴りたいくらい」
「…じゃあなんで」
笑ったのよ。以前眉を吊り上げて夕夜は問うた。
「…本当に、殴りたいくらい悔しいしムカつくけどさ。俺、あいつより夕夜に思われてる自信あるし、第一ファーストキス…」
「え?」
「おまえのファーストキスの相手、俺だから」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
たっぷり20秒。
「はぁぁぁああぁあぁぁ!?」
押し黙って夕夜は叫んだ。
「なっ、なっ、なっ、なんで?そんなわけなッ…だって記憶ないし、キスした覚えもない!どっ、どーせあんたの嘘ッ」
「じゃないから言っとくけど」
半眼で睨んでから、穂高は話し始めた。
「まぁ、おまえは覚えてるわけないな。だって寝てたんだから」
「…はぃ?」
寝てた?
「前におまえがうちに泊まりに来たとき。…おまえ俺のベッドで寝てたよな」
「あ、あぁうん…」
あの時は、穂高に例の、夕夜曰く『イタズラ』をされて、火照ったからだのままほとんどふて寝状態でベッドに潜り込んだのではなかったか。
「それがどうか…って、まさかその時に!?」
ピンときて目の前の穂高を指差した。
「夕夜にしては鋭い。…そうだけどだめだったか?」
…色気たっぷりに流し目で問われても。
「べ、べつに今さらそんな。…だめじゃ、ないけどォ…。…あれ、でも待って?じゃあ穂高って…その時からあたしのこと好きだったの?」
夕夜の直球すぎる質問に穂高は面食らった。
「…さぁね」
「なんでよ、教えてよ」
「…だって自分でも分からないから」
「えっ?」
それも驚きだ。
「分からないって…」
「追求していけば、多分、物心ついたときにはもう好きだったのかもしれないな?…俺にとってのおまえは、それくらい、初めからずっととくべつな人間だったから…」
遠い昔を慈しむような眼差しで笑い、夕夜の手を握った。
「そ、そうなんだ…。あ、でも!」
でも、寝込み襲うのはひどくない?と、最後の方は、照れが入ってか声が尻すぼみになっていた。
だってそれだと、穂高の記憶には残るけど、自分の記憶には残らない。
「…べつに襲ったわけじゃないんだけど」
「お、同じことでしょ」
夜這い疑惑に異を唱える穂高だが、夕夜にとっちゃどっちだって一緒らしい。
そんな夕夜に穂高は呟く。
―――バカ夕夜。
「襲うっていうのはな、こーいうこと言うんだよ」
「へ…はぅッ!?」
次の瞬間、夕夜は穂高に床に押し倒されていた。
「な、な、な、穂高!?」
「…なに?」
「なにじゃなくてぇ。はっ、離しなさいよ」
「やだ」
狼狽して赤くなったり青くなったりしている夕夜を無視し、穂高は夕夜の鼻の頭にちゅっ、とわざと音を立ててキスをした。
「ふにゃ!?…穂高ぁ」
「なんだよふにゃって」
はは、と声を上げて笑う。
「ううううるさいっ。ねぇ、離して…」
下から穂高を見上げる。「だから…いやだって言ってるだろ?」
その無駄にフェロモン出すの、やめてほしい。
夕夜の願いも虚しく、穂高は押さえ付けていた片方の手をはずすと、床に広がる夕夜の髪の毛を梳いた。
びくっ、と一瞬体が震える。
「…このまま時間が止まればいいのに」
「…ぇ」
穂高の口から漏れでた本音を、夕夜は聞き逃さなかった。
穂高…?
「…夕夜」
「は、はいっ」
「…なんで敬語?」
「…とっさに」
「ふはっ。バカなおまえらしい」
「き、聞き捨てならないなもう!この期に及んでバカ呼ばわり?」
穂高の下でぷぅ、と頬を膨らませる。
さっきのあまい空気はどこへやら。
「余韻とかないの、もー…」
すると。
「へぇ?じゃあ…続けていいんだ」
「へっ」
びっくり顔の夕夜の唇に、指を這わす。
親指で、それはもうゆっくりと。
「んっ…」
ピクン、と夕夜が体全体で反応した。
それを見た穂高が間を置かずに、今度は唇で唇をふさぐ。
「あ…」
最初は触れるだけだった口づけが、どんどん深くなる。
「んぅっ…」
角度を変えては口づけて。
気づけば夕夜は抵抗できなくなっていた。
抗えない。それに、抗う理由もない。
されるがままの夕夜に、穂高は好きなだけキスをする。そのうち、夕夜もそれに答えはじめた。
すぐ傍にはベッド。
腕の中にはとろんとした夕夜。しかも、パジャマ一枚。胸元が熱のあるあつさからか、大きめに開かれていた。
あ、やばい。
抑えられないかも。
「…ほだか?」
いきなり動きが止まった穂高を不思議に思い、首をかしげて夕夜は上目遣いに穂高を見やった。
その動作がまたそそる。
「―――っ」
耐えろ、耐えるんだ俺。
かつてないほどの強靭な意志で穂高は夕夜を起こすと、「ね、寝ろ」とベッドに導いた。
…なんで?
夕夜はひたすらはてなマークだ。
なぜこのタイミングで就寝を言い渡されなければいけないのか。
「あたし、なんかした?」
ベッドの上から疑問をぶつける。
したよ、しまくりだ。おまえって実は悪女か?
そう言いたいところをぐっとこらえて穂高は口からでまかせを言った。
「床って痛いし、…風邪悪くなるといけない、から」
「あ、そう…。ふーん…」
どこか腑に落ちない顔で、それでも夕夜はおとなしく布団に潜り込んだ。
「でも、良かった」
「…何が?」
胸元まで引き上げたかけ布団をふわっとかぶる。
「あたしの初キスの相手、穂高で」
「あぁ…」
「それに、朔眞とのこと言っても嫌われなかった」
へへっ、と本当に嬉しそうに笑う。
…なんだこいつ、可愛いな。
「…あたりまえだろ。確かにショックではあるけど、それで嫌いになれるなら、俺おまえのことでこんなに苦労してないと思う」
「…苦労してたの?」
突っ込むとこそこかよ、と穂高は呆れた。
「まぁ、ありえないくらいには」
「ぶっ、どんくらいよ」
アバウトすぎ、と夕夜は吹き出した。
「いいから、寝ろ」
「やだ。寝ない」
寝ちゃうなんてもったいない、と夕夜は抗議する。
…強情だよな、ほんとに。
呆れながら穂高は思い出したように一周部屋をぐるりと見回すと、つと真剣な表情になって夕夜を見つめた。
「なぁ夕夜…俺、まだおまえに聞いて欲しいことがある」
「なに?」
「それも言う。おまえが聞きたいことにだって何にでも答えるし。でもそしたら、おまえも俺に教えろよ?」
心臓が早鐘を打ち始めた。
「…何を?」
もしかして穂高は。
「俺が忘れてると思った?」
もう知ってるんじゃないだろうか?
「…おまえが、兼ねてからずっと俺にひた隠しにしてた」
…あたしがここから。
「隠しごとを、だよ」
いなくなってしまう、ってことを―――。
バカップルですね、はい(笑)Sour-sweetとは“甘酸っぱい”という意味です。あともう少しお付き合い下さいね(^∀^)