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第十八話 最後の夜、最初の朝

 ―――夕夜は、泣いていた。

 もうほとんど物がない、ベッドだけの淋しい景観の部屋で、毛布にくるまってぐしゃぐしゃになるまで泣いていた。

 上も下も右も左も、分からない。

 ただ自分の声だけが、やけに大きく耳に響いていた。




「…夕夜ー?」

 いつもより帰るのが遅くなって、絵里は申し訳なく思いながら玄関の扉を開けた。もう十時も近くなっていたものだから、てっきり勝手にご飯を食べて、いつものようにテレビを見ているんだろうと思った。

 だから扉を開けて驚いた。

 電気ひとつ点いていなくて、家のなかは真っ暗闇だったのだ。

「え…何で!?夕夜、いるんでしょ?」

 まさか、何かの事件事故に巻き込まれたんじゃ、と一気に血の気が引く。

「夕夜!?」

 バタバタとあわただしくリビング、トイレ、バスルーム…と玄関に近い順から探した。

 すると。

 …どこからか、すすり泣きのような音が聞こえた。「!!」

 ビクーッと体が硬直する。

 泣き声は止む気配がない。

「…ゆ、夕夜ちゃーん?」 音源は、おそらく夕夜の部屋だ。

 恐る恐る近づいて、部屋のドアを開ける。

 一見して何もないように見えた。

「……………………」

 目を凝らしてよく見ると。

「あ…」

 いた。しっかりと。

 毛布にくるまっていて顔は見えないが、確かにいる。…とんでもなく暗い雰囲気を醸し出して。

 とても話しかけられる空気ではなく、絵里は困惑した。

 この落ち込み方は、『ソファーで体育座り』の遥かに上をいっている。

 とにかくもう大泣きで、手がつけられない。

 絵里がいることに気づいているだろうに、なんの反応も示さないのだ。きっとそんな気力もないのだろう。

 そんな夕夜が泣きながら繰り返す言葉の中で、聞き取れる単語がいくつかあった。泣きながら幾度も、「穂高」と名前を呼び。…それから「ごめん」と繰り返していたのだ。

 そんな娘が痛々しくて見てられなくて。

 絵里は静かにドアを閉めて部屋を後にした。

「そろそろ、かしらね…。―――これが、最後の夜かしら」

 絵里は呟いて、天井を振り仰いだ。




 翌朝。いつもの時間になっても起きてこない夕夜を心配して、絵里は部屋にノックして入った。

 夕夜は制服に着替えかけた状態の中途半端な格好で、ベッドに上半身をもたれて倒れていた。

「ちょっとあんた大丈夫!?」

 駆け寄って抱き起こしてみると、体が熱い。

「夕夜…熱あるじゃない!」

「んー…」

「んー…、じゃなくて!今日は学校休みなさい」

「や、やだ!…今日は、行かなきゃ!」

 穂高に会って、昨日のことを謝らなければ、と夕夜は思っている。

 ぐったりしているくせにそこだけは目一杯反論する夕夜に、絵里は呆れ半分で言う。

「バカ言わないでちょうだい。…休みなさい」

「…っ」

 こういう時は母強し。

 夕夜は勝てずに学校を休むことになったのだった。

 ―――それから30分後。

 絵里も仕事に行ってしまい、夕夜は家にひとりきりになった。

 風邪の時一人というのは、本当に寂しい。

 枕元には絵里が用意していったお粥、薬、水、それから果物と、一通りの食べ物は揃っていた。

 夕夜はベッドに入った状態で、首だけを巡らしてそれらを眺める。ものすごくありがたいのに、食欲が湧かない。

 それに、昨日泣きすぎたせいで目が痛い。…鏡で自分の顔を見るのが怖いな、と思った。

 寝るに寝付けなくて、部屋の天井をぼーっと眺める。ふと頭に浮かんだのは、栄理の言葉だった。

「あ…課題」

 …『立場を置き換えて考える』だっけ?

 夕夜は朦朧とした頭で精一杯逆の立場として回想をする。

 …もし、穂高があたしの知らないところで、あたしがあまり好きじゃない女の子の家に、黙って毎晩行ってたとしたら…?

 …そんなの考えるまでもない。

「やだ…」

 絶対、やだ。

 何がいやだって、家に行ってること自体よりも…自分に黙って行かれることがいやなんだ。

 だって、穂高のことは―――何でも知ってたい。

「そっか…」

 栄理が言ってた『朔眞の家に行ってたこと自体に怒ってるのではない。じゃあ何に対して怒ってるのか?』…この質問の答えはこれだったんだ。

 そのうえ、親しげに呼び捨てなんかしていれば、腹がたって仕方ないだろう。

「そういうこと…」

 分かってしまえば簡単なことだった。

 ―――それなのに。

 手のひらで顔を覆う。

「せっかく分かってももう、意味なくなっちゃったよ」

 じわりと涙が浮かんだ。

「あんな奴にキスされたなんて知られたら…穂高に嫌われるに決まってる」

 ようやく頭にかかってたもやみたいなものが晴れたのに、こんなんじゃ意味がない、と夕夜は声もなく泣く。

 涙が幾筋も頬を伝って布団へ落ちた。

 しゃくりあげがまた止まらなくなる。

「ぅくッ…、どうすればいいの?」

 引っ越しまであと6日。それさえもまだ言えてないのに。

 昨日の夕方、仲直りできると思った。でも、結局また心が離れただけ。

 …それに朔眞。

 何を考えているのか夕夜には全く分からない。なにしろ朔眞はちぐはぐで、言ってることとやってることが違うのだ。

 あいつは本当に、何をしたいんだろう。…あれ?前にこれと同じこと、朔眞に聞かなかったっけ…?

 聞いた。いや、聞かない…?

 ―――だめだ、今は頭が回らない。

 意識朦朧としながら、夕夜は止まることを知らない涙を、乱暴にパジャマの袖でぐいっと拭った。

 首だけで見渡せば、相変わらず部屋は静かで、夕夜は再びもの淋しさを感じる。インテリアがないせいもあるのだろう。でもそれ以上にこの感情に拍車をかけているのは、やっぱり昨日、朔眞にキスされたことが常に意識の片隅にあるせいだ。

 泣き疲れ、頭も体もずいぶんな疲労感を感じる。

 あたし最近、穂高のことしか考えてないなぁ…。

 そんなことをふと思いながら、夕夜はそのまま眠りに落ちていった。




「なんでだよぉおおぉぉ」

 朝会うと開口一番、智也はそう叫んだ。

「また俺の一日がはじまらないじゃないかぁああぁぁああッ」

 まだ続く。

「高良さんと仲直りしたんじゃなかったのかよー」

「うるさい」

 冷ややかに切り捨てて、穂高はそんなこと俺だって同じだよ、とイラついた。。

 どこか八つ当たり気味に言って、机に思い切り突っ伏し完全にふて寝態勢に入る。

「なーんーでーだーよー」

 なぁ穂高ぁ、と智也は激しく両手で穂高の体を揺さ振った。

 穂高はそれを完全無視。

 …昨日のことは、鮮明に記憶に残ってる。

 自分を拒否して朔眞の後を静かに着いていった夕夜。小さく震えていた背中が眼裏に思い浮かぶ。

 …何か事情があったはずだ。

 事実、夕夜は朔眞に何か言われてそれから大人しくなったではないか。

「…何か問題があるのか?」

 いつものケンカにしては様子が違うのを察して智也は控えめにそう問いかけた。

「ある。大有り」

 間髪入れずに穂高は断言する。

「ありえないくらい邪魔な奴がいる。正直消えてほしい」

「…へぇ?」

 穂高のそういう発言は珍しかったから、智也は好奇心丸出しで聞きたいことを聞いてみる。

「男?」

「あたりまえだアホ」

 女だったらどんなにいいか。

「ふーん…そっか」

 そんな会話をしているときだった。

「穂高くん」

 教室の外から名前を呼ばれ視線をやれば、そこにはどこか見覚えのある女が一人立っていた。

 誰だったかな、と近寄りながら考えを巡らせる。  そば近くに立ってみると、いつも夕夜と一緒の女友達だった。

「ごめん。えーと…」

「高橋です。高橋栄理」

「そう、高橋さん」

 …この前は名前覚えてたくせにもう忘れてるの?と栄理は心中呆れた。

「…本当にどこまでも夕夜中心よね」

「え?」

「ううん、何でもないわ」

 にっこり笑ってやり過ごす。

「それより、夕夜は?」

「は?」

 予想外な質問に穂高は間抜けな声を出す。

 夕夜は?って…。

「教室にいるんじゃないの」

 いないはずがない、と穂高は不思議そうに答えた。

 けれど次に栄理の口から出た言葉は。

「いないわよ。てゆーか、来てないの」

 夕夜の不在を知らせるものだった。

「え…」

「もう少しでHR始まるのに来ないでしょ?…穂高くんなら知ってるかなって思って来たんだけど…その様子じゃそっちも知らないみたいね」

 どうしたのかしら、と栄理は頬に手をあて考えこんでいる様子だ。

 どういうことだ?…まだ家にいるのだろうか?

 穂高も考えられる理由をいくらか推察してみる。

「学校をサボるなんてあいつの性格からは考えられない。だとしたら、やっぱり家にいるのかもしれない」

「家に?」

 栄理がおうむ返しに聞く。

「あぁ…」

 夕夜に、何かあって。

 ―――だから家から動けない?

 最終的にたどり着いたのはこんな結果だった。

「…高橋さん」

「ん?」

「俺、夕夜の家に行ってみるから。…いる気がする。教えてくれてどーも」

 お礼の言葉を述べるなり、穂高は自分の席にある鞄を持って教室から出ていった。

「…行動はやッ」

 穂高の背中をただ見送ることしかできずに、残された栄理は感嘆の声をあげた。

「高良さんのことになると、あいつ人が変わるからなぁ」

「はい?」

 いきなり後ろから声をかけられて振りかえれば、それは穂高の友達だった。

「あら、大野くん。いたの?」

「…穂高も相当ひどいけど君も相当ひどいね」

 肩を落として大野智也は隣に並ぶ。

「ふっ、嘘よ嘘。ちゃんと気づいてた。…お互い、世話が焼ける友達持ったわよね」

「ほーんと、二人して鈍すぎ」

 穂高が消えていった廊下の向こうを眺めながら、それぞれのこれまでの自分の働きを思い出しているのか疲れたような顔になる。

「…そろそろうまく収まって欲しいわね?」

「収まるよ、たぶん」

 そう言う智也の表情は、やけに自信満々だった。

「…そうかもね」

 HRの始まりを告げる鐘が鳴って、穂高と夕夜がうまくいくことを祈りつつ、二人は自分の教室に戻っていった。

 そのあと、お互いのクラスで穂高と夕夜の不在をごまかすのに苦労したのは、言うまでもない。


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