第十五話 夕夜のきもち
「そういえば昨日の夜ね、穂高くん来てたわよ」
「ぶっ!!」
一夜明けて朝。
夕夜は母と共に朝食をとっていたとき、何でもないことのように絵里にそう告げられた。
…実際、絵里にとっては何でもないことなのだが。
「ちょっと、何吐いてるのよー。汚いでしょ!」
「………………」
「夕夜、聞いてる?」
「………………」
「夕夜!」
「お母さん!!!!」
「え!?」
黙っていると思ったら次の瞬間には叫び返す。
な、なんなのこの子!
びっくりするのも無理はない。
「穂高、いつ来たって?…てか、ホントに来たの?」
ありえないことを聞くように、夕夜はゆっくりと確かめるように聞いた。
「…ホントよ。来たのは…昨日の夜ね、さっきも言ったけど。…なんで疑ってんのか知らないけど…、これは本当よ?」
うそ…。穂高が来た?
あたしのこと、避けてた穂高が?
「なんでその時に言ってくれなかったの!」
「だってあんた、朔眞くんちに行ってたじゃない」
だから言えなかったのよ、と絵里は言った。
その瞬間、夕夜はサーッと青ざめた。
…穂高が、穂高が来てくれたのは本当に嬉しい。
けど、じゃあ。
あたしまた、やっちゃった!?
「なんで差し入れ行ってるときに来るのよー!!あたしも穂高も、タイミング悪すぎ!」
これでまた、穂高が誤解を深めちゃうかもしれないじゃない!
意味もなくぶんぶん頭を振って夕夜は唸る。
「…あんたたち、なんかあったの?」
そのようすに絵里は当然の疑問をぶつける。
「そういえば最近学校の行き帰り別だし、あんた穂高くん晩ご飯に呼ばないし?」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
誰の所為だと思ってんの!!元はといえば、お母さんがよけいな親切を朔眞に申し出たせいでしょ!?
―――なんて言えるはずもなく。
「もー学校行く!」
夕夜はそのままの勢いで、家を出ていった。
「…ふ〜ん?面白くなってきたじゃない」
意味深に笑って絵里は夕夜が出ていった方向を見つめていた。
「でもそれって別にお母さんだけのせいじゃなくない?」
「分かってるよそんなの!」
学校に着いて栄理に今朝あったことを話した夕夜だが、返ってきた返事は実に正論だった。
だからよけいに頭にくる。
「分かってるけどどーすればいいの!?お母さんのせいじゃない、朔眞のせいでもない。でもかと言って」
「夕夜だけのせいでもないしね」
「……もう、分かんない」
難しいことを考えるのに自分の頭は向いてない、と夕夜はぼやく。
「難しいこと、ねぇ…」
そんな夕夜を見て栄理はため息をつく。
しょうがないな、というように。
「ね、夕夜」
「…なに」
「それってホントにそんな難しいことなのかな?」
「…どういうこと?」
「初めから順を追って考えてみよっか」
「順を追って…」
「そ。はい、《高良夕夜と結城穂高の愛の劇場》始まり始まりー」
「………………………………………………………」
あいのげきじょう…。
突っ込みどころは満載だったが、とりあえず黙って聞いてみることにした。
「あるところに、幼なじみの夕夜ちゃんと穂高くんがいました。二人は小さい頃からずっと一緒で片時も離れたことはありません」
…別に四六時中一緒にいるわけじゃないんだけど。
「ある時、夕夜ちゃんのお母さんが仕事で帰ってこれないと言うので、夕夜ちゃんはお隣の穂高くんの家に泊まることにします。さてその夜、いつものようにじゃれあっていたところ」
じゃれあって……そんな風に見えてるの!?
「なんだかいつもの悪ふざけと様子が違います。穂高くんは色気たっぷりの声で夕夜ちゃんの耳元で話すのです」
…なんかその言い方、やだ。
「何よその目。ホントのことじゃない」
「そうだけど」
「続けるわよ」
…いいえと言える空気ではない。
「―――ひと晩明けるとあら不思議。今までふつうだった穂高くんのことが、なんだかカッコよく見えちゃいます」
何でそれを…!!
「悲しいくらいに彼の一挙手一投足に惑わされるのです」
…ホントにそうだよ。
「前まで平気だった穂高くんの周りの女の子たちの存在にも、なんだか腹がたちます」
…栄理って超能力者?
言ってないことまで、読まれてる。
「そんなある日、夕夜ちゃんのことを彼女にしたいという転校生がやってきます。夕夜ちゃんは、お母さんの親切な気づかいにより、その転校生に毎晩晩ご飯のおかずをおすそ分けすることになったのです」
…やっぱりお母さん結構いらないことしてるよ。
「けれど、何ででしょう。夕夜ちゃんは、なんとなく穂高くんにこのことを言えません」
―――だって、なぜかまずいと思ったんだもん。
「黙っておすそ分けを続けて数日。ことあるごとに夕夜ちゃんに迫ってくる転校生ですが、ある時夕夜ちゃんに名前で呼んでほしいと言います」
…確かに言われた。
「バカな夕夜ちゃんは、素直に転校生のことを呼び捨てにします」
「バカって何!?あれは騙されて…ッ」
「言い訳しない」
「く………ッ」
「ひょんなことからそれらを知った穂高くんは、めちゃめちゃ不機嫌になってその日から夕夜ちゃんのことを避け始めました」
「…………うん」
「さてここで問題です。穂高くんは、何に対して怒っているのでしょう?」
…何に対して…?
「…あたしが朔眞の家に行ってたこと?」
「うーん…惜しいけど違います」
「えぇー…」
じゃあ何?と夕夜は頭をひねる。
「そこを自分で考えなきゃね」
そんな…。
「あ、先生来た。じゃあ夕夜、それ課題ね。今日一日たっぷり考えて」
自分の席に行きかけて、「あ、あとさ」と栄理は振り返った。
「穂高くんのこと考えるのも大事だけど、夕夜自身のこともきちんと考えてみれば?」
「あたし自身?」
「そう。…なんで夕夜は今、そんなにも悩んでるのか。なんでこの間、“幼なじみだから優しいだけ”なのがあんなに嫌だと感じたのか。…何より、なんでそんなに穂高くんのことで頭が一杯なのか」
「……………………」
「答えは、ひとつだと思うけど?」
綺麗に笑って栄理はいなくなった。
答えは、ひとつ…。
繰り返し呟いて、夕夜にとってはとても長い一日が始まった。