第十二話 運命?〜単純確率問題〜
嫌な予感を感じた夕夜だったが、とりあえず帰りのHRが終わった時点ではまだ何も起こっていなかった。
少なくとも、夕夜の嫌な予感は、穂高の言う嫌な予感よりは確実に的中率は低かったはずだ。昔から。
「ほらHR終わったからさっさと散れ〜」
例のはちゃめちゃな担任が挨拶するなりそう言った。
またあの馬鹿教師…。散れって!せめて帰れって言えばいいのに。
「まっ、とりあえず穂高との帰り道はもぅ心配ないしッ」
夕夜はにんまりと笑う。
昼休みのやりとりで、朝の出来事なんて薄れてしまっている。
だから、朝恐れていた『置いてきたこと』への制裁と、『金〇〇を蹴ったこと』への報復は、ほぼ100%ないと考えていいだろう。穂高はそういう性格だ。
夕夜をいじめるのは好きだが、ネチネチと根に持って困らせるようなことはしない。
結局は、優しいのだ。
「夕夜」
「ん?」
そんなことを考えながら鞄にものを詰めて帰り支度していると、
「分かったでしょ?」
栄理が得意げにそんなことを言う。
「な、何が…?」
ちょっといつもと違う感じの栄理を察して、微妙にたじろぐ。
2人はもう、いつでも帰れる状態で会話していた。
「だからぁ、穂高くんは夕夜にだけは優しいってコト!」
「それは…まぁ」
他の女子とは会話すらしたくなさそうだったし。
曖昧に頷き返す。
「それって、すごいことなんだからね!?分かってる!?」
「う〜ん…」
夕夜には、それがすごいことかどうなのかよく分からない。
だって夕夜にとって穂高は、今も昔も変わらないあの穂高だ。
いつだって、さっきと何ら変わらない態度で、会話だってするし普通に遊ぶ。
でも。
…あの直後は、それが嬉しくて、すごくとくべつなことのように感じたのだけれど。
「…仮にそれが凄いことだとしても…結局はそれってあたしが幼なじみだからじゃない?」
よく考えればそうなのだ。
「…たとえば、穂高の隣の家に生まれたのが栄理だったら?…きっと、あたしだって昼休みに穂高に冷たく突き放された、あの人たちと同じ扱いなんだよ…」
自分で言ってて、落ち込んだ。
穂高があたしに優しいのは、『たまたま』隣の家に、『たまたま』同じ年で生まれたから。
そう消えそうなくらい小さな声で呟いてうつむいた。
「夕夜…あんたって」
「おまえってホント馬鹿」
「なっ…!!」
振り返れば、穂高。
「んであんたがここにいんのよッ」
いつの間に、来たのだろう。
穂高は夕夜の後ろに立っていた。
「いちゃ悪い?…いつまで待っても廊下に出てこない幼なじみを心配してわざわざ迎えに来てやったのに」
「う…。今の聞いてた?」
「あぁ。ばっちり」
何故か怒った表情で言うと、そのまま夕夜の腕を引いて教室を出る。
「おまえ、全然分かってない」
「…な、なにをッ」
「………―――、高橋さん。コイツ、連れ帰る」
「あ、もうどーぞどーぞお好きなように」
栄理は両手を差し出す仕草までして、あっさりと夕夜を引き渡した。
穂高の微妙に不機嫌な気配を感じて、このまま帰りたくない!と本能が訴える。だから今の夕夜にしてみれば、
「ちょっ、なんっ…栄理の裏切りものーー!!」
こうなるのである。
「裏切り?むしろ感謝してほしい位なんだけどね、夕夜?」
「…無駄な抵抗。行くぞ」
「…っ!!ちょ、まっ…!!栄理!!」
「なーに?」
「ほ、ほら、さっきいいかけたことあったでしょ!?あれの続き!続き聞きたいなっ。長くなってもいいからさ!!『夕夜…あんたって』の次!!」
「あぁ…あれ」
うんうん!!と目を輝かせて次の言葉を待つ。
「もういいわ」
にっこりと、それはもう極上の笑顔で。
「えぇ!?」
「あの続きは、きっと穂高くんがたっぷり教えてくれるから」
ひらひら、と手を振る栄理の姿はどんどん小さくなっていき。
夕夜はもう、観念するしかないのだった。
そんなこんなで微妙に不機嫌な穂高と一緒に帰りはするのだが、やっぱり会話なんてほとんどない。
最近このパターン多くない!?
時計塔が見えたときは、心の底からほっとした。
「あの、ほだ」
「…ホント理解できない」
時計塔の下のベンチの前で立ち止まり、夕夜に振り返り穂高は呟いた。
「…なに、が?」
「何で分かんないの?―――おまえさ、本気であんなこと考えてたの?」
「あ、あんなことって」
「…俺がおまえに優しいのは…『たまたま』隣の家に、『たまたま』同じ年で生まれた、から?」
睨むような目付きで夕夜に問いかける。
「…っ」
なぜかは分からないけど、夕夜は責められたように感じた。
「だっ…て!実際そうじゃん!!もしここにいるのがあたしじゃなくて、違う子だったら!?その子が幼なじみだったとしたら!?…そしたら、やっぱり穂高はその子にだけ優しいんでしょ!?」
「……………………」
穂高が黙っているものだから、夕夜の言葉はとまらない。
「だったら、素直に喜べるわけない!!……結局、基準になるのは『幼なじみであること』の、ポジションなんだから!!!」
―――ずっと、考えていた。
夕夜にだけ優しい、その理由。
…昼休みが終わってからいくらかは、他の女子には冷たかったという事実が、ただ単純に嬉しかった。
けれど、時間が経つほどに大きさを増す、この胸のモヤモヤ感。
なんでなんだろう、と考えて行き着いたのはこの答えで。
一度溢れた想いは止まらなくて。
「こ、こんなこと―――、言うつもりじゃ、なかっ、たのに…!!」
気づけば、泣いていた。
…言った。言って、しまった。
あたしは、今の自分自身の立場さえ、否定してしまったんだ……。
もう、そばにはいられない?
次に穂高が何と言うか、怖くて顔が上げられない。
夕夜の肩は、かすかに震えていた。
しばらく沈黙が続いたかと思えば、ハァ…、と息をつく音が耳に届いた。
ビク、と肩が動く。
「…言いたいことは、それだけ?」
声を出せば涙声になりそうで、夕夜は黙ったまんまだ。
「…それは、確かにその通りだな」
「…っ」
やっぱり、そうなの?
気分が落ち込んで、また目頭が熱くなる。
「でも、だから分かってないっていうんだよ」
次の瞬間、ふわっと穂高の香りがしたかと思えば、抱きすくめられていた。
「ほ、ほだか…?」
突然のことに、夕夜は頭が回らない。
すぐ耳元で、穂高の声がする。
「夕夜、確かにそれはおまえの言うとおりかもしれない。だけど、もっと単純に考えてみな」
もっと、単純に…?
「偶然同じ病院で、偶然同じ日に、偶然家が隣同士の子供が産まれるのって何分の何の確率だと思う」
夕夜は目を見開いた。
「それって、すごいことだろ。偶然通り越して奇跡じゃん」
そう思わない?と少し体を離して夕夜の顔を覗きこむ。
「…うん。お、思う…」
ぐずっと鼻を鳴らしながら夕夜は答えた。
「だろ?じゃあおまえと俺が出会ったのはもう、運命なんじゃない」
「…運命?…あは、そうかも」
泣き笑いの表情で夕夜は顔を上げた。
…いつの間にか涙は止まっていて。
「―――なんか穂高、らしくない」
「はぁ?…おまえが泣くから」
誰のせいだよ、と少し耳を赤くして言って。
―――夕夜はなんだか、今までにないくらい穂高のことを愛しく感じていた。
「…ていうかおまえって、本当バカなのな。…バカだバカだとは思ってたけどまさかここまでバカだとは」
「…ちょっと、バカバカ言い過ぎじゃない」
せっかくちょっと、いい雰囲気だったのに。
「―――ありもしないこと想像してあそこまで欝になんて、普通なんねぇよ」
蔑むような目つきで見られれば、そりゃあ夕夜だってカチンと来る。
「仕方ないでしょ!?…本当に、本当に不安になっちゃったんだから!!」
「…へぇ〜…」
不安にね…。
意味ありげな視線を送ってくる穂高に、夕夜はといえば。
「…なによ」
「別に?」
「はぁー!?」
あんたほんっっとムカつく!!
「知らない!」
噛み付くように大きな声で叫んで、夕夜はマンションの玄関口に向かって歩きだした。
「…やっと、いつもの調子が戻ったな」
先を歩く夕夜には聞こえないように、そっと呟く。 ―――夕夜は、知らない。
さっきまでの穂高の言葉は、落ち込んでいた夕夜にいつもの元気を取り戻させるためのものだったということを―――。