09: ふしぎなパン屋さん
土曜日の午後、あかりと弟の湊は、おばあちゃんの家へ向かっていた。
小学五年生のあかりは、しっかり者で、弟の面倒を見るのが得意だった。一方、二年生の湊は、気になるものを見つけると、すぐに駆け寄っていってしまう。
その日も、あかりが「寄り道しないでね」と言ったそばから、湊は商店街の角で立ち止まった。
「お姉ちゃん、あそこ!」
「何?」
湊が指さした先には、小さなパン屋があった。
商店街のほかの店より少し奥まった場所にあり、看板も古い。店の名前は、木の板に白い文字で書かれていた。
『明日のパン』
「変な名前のお店」
あかりがつぶやくと、湊はもう店の前まで走っていた。
「パン屋さんだよ! 見て、すっごくおいしそう!」
店先の棚には、丸いパンや細長いパン、クリームの入ったパンなどが並んでいた。けれど、普通のパン屋と少し違うところがあった。
パンの横に、値段を書いた札ではなく、妙な説明がついているのだ。
『明日、勇気が出るパン』
『明日、なくしたものが見つかるパン』
『明日、びっくりすることが起きるパン』
そして、棚のいちばん端に、ひとつだけ違う札があった。
『明日、宝物を見つけるパン』
「宝物だって!」
湊は、今にも棚に飛びつきそうだった。
「そんなの、パンで見つかるわけないじゃない」
あかりは呆れたように言った。
「でも、明日って書いてあるよ?」
「だから何よ」
「明日、宝物が見つかるんだよ!」
湊は、もう買う気満々だった。
そのとき、店の奥から、白いエプロンをつけたおじさんが出てきた。
「いらっしゃい」
おじさんは、二人を見ると、にこにこ笑った。
「そのパンが気になるのかい?」
「本当に宝物が見つかるの?」
湊が尋ねると、おじさんは少し考えるふりをした。
「さあねえ。でも、買った人はみんな、次の日を楽しみにしているよ」
「ほら、やっぱり変なパンじゃない」
あかりが湊を引っ張ろうとすると、おじさんは言った。
「宝物っていうのは、必ずしもお金や宝石とは限らないからね」
その言葉に、あかりは少しだけ気になった。
宝物。
そういえば、自分たちにとっての宝物って、何だろう。
湊はポケットのお小遣いを確認していた。
「お姉ちゃん、ぼく、これ買いたい!」
「えー……」
「半分こしようよ。ぼく、お姉ちゃんにもあげるから」
結局、あかりは弟に押し切られた。
二人は『明日、宝物を見つけるパン』をひとつ買った。
家に帰ってから、夕食のあとに半分ずつ食べた。
パンは、外側がほんの少し甘く、中にはやわらかいクリームが入っていた。特別なところはないように思えたけれど、湊は大満足だった。
「明日、何が見つかるかなあ!」
「だから、そんなの本当か分からないでしょ」
あかりはそう言いながらも、内心では少しだけ楽しみにしていた。
もしかしたら、何か面白いことが起きるのかもしれない。
翌朝、二人は早く目を覚ました。
朝ごはんを食べると、湊はさっそく玄関へ向かった。
「宝物探しに行こう!」
「ちょっと待って。どこを探すの?」
「それを今から探すんだよ!」
あかりは笑ってしまった。
まったく、弟らしい。
二人はおばあちゃんに行き先を伝え、近くの公園から商店街まで歩いてみることにした。
最初に向かったのは、公園だった。
湊は砂場を掘り、植え込みの隙間を覗き、ベンチの下まで確認した。
「何もないねえ」
「そりゃ、そうでしょ。宝物なんて、そんな簡単に見つかるわけないじゃない」
そう言いながらも、あかりは公園の隅にある古い木を見上げた。
大きな木で、根元が地面から盛り上がっている。何度も遊びに来ている場所だったが、今までじっくり眺めたことはなかった。
「ねえ、あそこは?」
「どこ?」
「木の根元。なんか、石が並んでない?」
近づいてみると、確かに三つの石が、木の根元に並んでいた。
偶然なのかもしれない。
でも、宝物を隠すなら、こういう場所がいいのではないだろうか。
二人は石の周りを調べた。
すると、一番奥の石の脇に、古い板が半分だけ土に埋もれているのを見つけた。
「これ、動くかな?」
湊が板の端をつかむ。
「ちょっと待って。無理に引っ張らないで」
あかりは慎重に板をずらした。
その向こうに、小さな空間があった。
そして、そこには、古びた箱がひとつ置かれていた。
「……あった」
あかりは思わず声を上げた。
湊は目をまん丸にして、箱を見つめた。
茶色い木の箱で、角はすり減り、表面には細かな傷がついている。けれど、壊れてはいなかった。
二人は顔を見合わせた。
本当に、宝物があったのだ。
「すごい……!」
湊が小声で言った。
あかりも、何も言えなかった。
昨日食べたパンのことが、頭に浮かんでいた。
本当に、宝物が見つかった。
偶然だろうか。
それとも、あのおじさんは知っていたのだろうか。
二人は箱を大切に抱え、おばあちゃんの家へ帰った。
玄関を開けると、おばあちゃんが台所から顔を出した。
「おかえり。あら、何を持っているの?」
「おばあちゃん、見て!」
湊は、箱を両手で差し出した。
「宝物を見つけたんだよ!」
おばあちゃんは、笑いながら箱を受け取った。
「まあ、宝物? どんなものが入っているのかしら」
蓋は、少し固くなっていた。
あかりがそっと持ち上げると、きい、と小さな音がした。
中には、ビー玉がいくつか入っていた。
青いもの、緑のもの、透明なもの。
ほかにも、きれいな小石や貝殻、小さなボタン、古いブリキのおもちゃが入っていた。
一見すると、どれも大したものではなかった。
けれど、湊は目を輝かせた。
「わあ! すごい! このビー玉、きれい!」
透明なビー玉を窓辺に持っていくと、光が透けて、床に小さな虹が映った。
「お姉ちゃん、見て!」
あかりも、思わず笑顔になった。
そのときだった。
箱の底に、一枚の紙があることに気づいた。
茶色く変色した紙は、小さく折りたたまれていた。あかりがそっと広げると、子どもの字で、こう書かれていた。
『ここは、わたしたちのひみつのたからばこ。
いつか、だれかがみつけてくれますように。
ふみ・さち』
おばあちゃんの手が止まった。
「……あら」
さっきまで笑っていた顔が、少しずつ変わっていく。
おばあちゃんは、紙を受け取って、じっと眺めた。
「これ……私が小さい頃に書いた字だわ」
「えっ?」
あかりと湊は、同時に声を上げた。
おばあちゃんは、懐かしそうに箱の中を見た。
「そう。これは、私が子どもの頃に隠した宝箱なのよ」
おばあちゃんが子どもだった頃、近所に仲のいい友達がいた。名前は、さち。
二人は毎日のように一緒に遊び、きれいな石やビー玉、拾った貝殻などを集めていた。
ある日、二人は考えた。
大切なものを箱に入れて、秘密の場所に隠そう。
いつか誰かが見つけてくれたら、きっとびっくりするだろう。
そうして二人は、この箱を木の根元に隠した。
「いつか取りに来ようって、さちちゃんと約束したのよ」
おばあちゃんは、箱の中のビー玉をそっと手に取った。
「でも、そのあと、さちちゃんが引っ越してしまってね。私も大きくなって、いろんなことがあって……いつの間にか、忘れてしまっていたのね」
おばあちゃんは、ビー玉を窓の光にかざした。
「まだ、こんなにきれいだったのね」
その声は、とても嬉しそうだった。
あかりは、なんだか胸が温かくなった。
自分たちが見つけた宝物は、ただの古い箱ではなかった。
おばあちゃんが子どもだった頃の、大切な思い出だったのだ。
「おばあちゃん、見つかってよかったね!」
湊が言った。
おばあちゃんは、にっこり笑った。
「本当にね。まさか、あなたたちが見つけてくれるなんて思わなかったわ」
三人は、しばらく箱の中身を眺めていた。
やがて湊が、ふと思いついたように言った。
「ねえ、おばあちゃん。ぼくたちも、宝物を入れていい?」
「もちろんよ」
おばあちゃんはうなずいた。
あかりは、今日の冒険の途中で拾った、小さな白い石を思い出した。
形は少し歪んでいるけれど、表面がつるつるしていて、光に当てるとほんのり白く輝く石だった。
「これを入れようよ」
二人は、紙を一枚用意した。
湊が一生懸命、鉛筆を動かす。
『たからものをみつけてくれてありがとう。
こんどは、あなたのたからものもみつかりますように。
あかり・みなと』
おばあちゃんは、その紙を見て、優しく笑った。
「きっと、喜んでくれる子がいるわね」
その日の午後、三人はもう一度、公園へ向かった。
古い木の根元に、箱をそっと戻す。
ビー玉も、貝殻も、ボタンも、みんな元の場所に戻した。
そして、二人の白い石と、新しい手紙を入れた。
あかりは、箱の蓋を閉じた。
今度、この箱を見つけるのは、どんな子だろう。
その子も、今日の自分たちのように、胸をわくわくさせてくれるだろうか。
そう考えると、なんだか嬉しかった。
帰り道、湊はずっと、宝箱の話をしていた。
「あのビー玉、ほんとにきれいだったね! おばあちゃん、昔はあれで遊んでたんだよね!」
「そうだね」
あかりは笑った。
「私たちも、今日のこと、忘れないと思う」
湊は、うん、と大きくうなずいた。
そのとき、あかりはふと思い出した。
昨日、パン屋のおじさんが言っていた言葉。
――宝物っていうのは、必ずしもお金や宝石とは限らないからね。
あのときは、何を言っているのだろうと思った。
でも、今なら少し分かる気がした。
宝箱の中にあったビー玉も、石も、貝殻も、どれも特別なものではない。
けれど、誰かが大切にしていた時間がそこに詰まっていた。
そして今日、自分たちもまた、新しい思い出を手に入れた。
宝物を見つけるつもりで出かけたのに、気づけば、一日そのものが宝物になっていた。
翌日、二人はもう一度、商店街のパン屋へ向かった。
店に入ると、昨日のおじさんが、いつものようににこにこ笑っていた。
「おや、いらっしゃい」
湊は、すぐに駆け寄った。
「おじさん! 本当に宝物が見つかったよ!」
「そうかい。それはよかった」
おじさんは、驚く様子もなく、嬉しそうにうなずいた。
あかりは、少し考えてから尋ねた。
「ねえ、おじさん。どうして宝物が見つかるって分かったの?」
おじさんは、棚のパンをひとつ手に取った。
そして、いつもの調子で言った。
「さあねえ。パンが知っていたのかもしれないね」
あかりは、思わず笑ってしまった。
湊は、もう次のパンを探している。
『明日、勇気が出るパン』
『明日、なくしたものが見つかるパン』
そして、棚の奥には、まだ見たことのない札がひとつ増えていた。
『明日、誰かを笑顔にするパン』
湊は、あかりの袖を引っ張った。
「お姉ちゃん、今度はこれにしようよ!」
あかりは、笑ってうなずいた。
明日は、何が起きるだろう。
それは、まだ誰にも分からない。
でも、きっと。
明日も、少しだけ楽しみだった。




