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世界の綻び

09: ふしぎなパン屋さん

作者: コトリ
掲載日:2026/10/12

土曜日の午後、あかりと弟の湊は、おばあちゃんの家へ向かっていた。

小学五年生のあかりは、しっかり者で、弟の面倒を見るのが得意だった。一方、二年生の湊は、気になるものを見つけると、すぐに駆け寄っていってしまう。

その日も、あかりが「寄り道しないでね」と言ったそばから、湊は商店街の角で立ち止まった。

「お姉ちゃん、あそこ!」

「何?」

湊が指さした先には、小さなパン屋があった。

商店街のほかの店より少し奥まった場所にあり、看板も古い。店の名前は、木の板に白い文字で書かれていた。

『明日のパン』

「変な名前のお店」

あかりがつぶやくと、湊はもう店の前まで走っていた。

「パン屋さんだよ! 見て、すっごくおいしそう!」

店先の棚には、丸いパンや細長いパン、クリームの入ったパンなどが並んでいた。けれど、普通のパン屋と少し違うところがあった。

パンの横に、値段を書いた札ではなく、妙な説明がついているのだ。

『明日、勇気が出るパン』

『明日、なくしたものが見つかるパン』

『明日、びっくりすることが起きるパン』

そして、棚のいちばん端に、ひとつだけ違う札があった。

『明日、宝物を見つけるパン』

「宝物だって!」

湊は、今にも棚に飛びつきそうだった。

「そんなの、パンで見つかるわけないじゃない」

あかりは呆れたように言った。

「でも、明日って書いてあるよ?」

「だから何よ」

「明日、宝物が見つかるんだよ!」

湊は、もう買う気満々だった。

そのとき、店の奥から、白いエプロンをつけたおじさんが出てきた。

「いらっしゃい」

おじさんは、二人を見ると、にこにこ笑った。

「そのパンが気になるのかい?」

「本当に宝物が見つかるの?」

湊が尋ねると、おじさんは少し考えるふりをした。

「さあねえ。でも、買った人はみんな、次の日を楽しみにしているよ」

「ほら、やっぱり変なパンじゃない」

あかりが湊を引っ張ろうとすると、おじさんは言った。

「宝物っていうのは、必ずしもお金や宝石とは限らないからね」

その言葉に、あかりは少しだけ気になった。

宝物。

そういえば、自分たちにとっての宝物って、何だろう。

湊はポケットのお小遣いを確認していた。

「お姉ちゃん、ぼく、これ買いたい!」

「えー……」

「半分こしようよ。ぼく、お姉ちゃんにもあげるから」

結局、あかりは弟に押し切られた。

二人は『明日、宝物を見つけるパン』をひとつ買った。

家に帰ってから、夕食のあとに半分ずつ食べた。

パンは、外側がほんの少し甘く、中にはやわらかいクリームが入っていた。特別なところはないように思えたけれど、湊は大満足だった。

「明日、何が見つかるかなあ!」

「だから、そんなの本当か分からないでしょ」

あかりはそう言いながらも、内心では少しだけ楽しみにしていた。

もしかしたら、何か面白いことが起きるのかもしれない。


翌朝、二人は早く目を覚ました。

朝ごはんを食べると、湊はさっそく玄関へ向かった。

「宝物探しに行こう!」

「ちょっと待って。どこを探すの?」

「それを今から探すんだよ!」

あかりは笑ってしまった。

まったく、弟らしい。

二人はおばあちゃんに行き先を伝え、近くの公園から商店街まで歩いてみることにした。

最初に向かったのは、公園だった。

湊は砂場を掘り、植え込みの隙間を覗き、ベンチの下まで確認した。

「何もないねえ」

「そりゃ、そうでしょ。宝物なんて、そんな簡単に見つかるわけないじゃない」

そう言いながらも、あかりは公園の隅にある古い木を見上げた。

大きな木で、根元が地面から盛り上がっている。何度も遊びに来ている場所だったが、今までじっくり眺めたことはなかった。

「ねえ、あそこは?」

「どこ?」

「木の根元。なんか、石が並んでない?」

近づいてみると、確かに三つの石が、木の根元に並んでいた。

偶然なのかもしれない。

でも、宝物を隠すなら、こういう場所がいいのではないだろうか。

二人は石の周りを調べた。

すると、一番奥の石の脇に、古い板が半分だけ土に埋もれているのを見つけた。

「これ、動くかな?」

湊が板の端をつかむ。

「ちょっと待って。無理に引っ張らないで」

あかりは慎重に板をずらした。

その向こうに、小さな空間があった。

そして、そこには、古びた箱がひとつ置かれていた。

「……あった」

あかりは思わず声を上げた。

湊は目をまん丸にして、箱を見つめた。

茶色い木の箱で、角はすり減り、表面には細かな傷がついている。けれど、壊れてはいなかった。

二人は顔を見合わせた。

本当に、宝物があったのだ。

「すごい……!」

湊が小声で言った。

あかりも、何も言えなかった。

昨日食べたパンのことが、頭に浮かんでいた。

本当に、宝物が見つかった。

偶然だろうか。

それとも、あのおじさんは知っていたのだろうか。

二人は箱を大切に抱え、おばあちゃんの家へ帰った。

玄関を開けると、おばあちゃんが台所から顔を出した。

「おかえり。あら、何を持っているの?」

「おばあちゃん、見て!」

湊は、箱を両手で差し出した。

「宝物を見つけたんだよ!」

おばあちゃんは、笑いながら箱を受け取った。

「まあ、宝物? どんなものが入っているのかしら」

蓋は、少し固くなっていた。

あかりがそっと持ち上げると、きい、と小さな音がした。

中には、ビー玉がいくつか入っていた。

青いもの、緑のもの、透明なもの。

ほかにも、きれいな小石や貝殻、小さなボタン、古いブリキのおもちゃが入っていた。

一見すると、どれも大したものではなかった。

けれど、湊は目を輝かせた。

「わあ! すごい! このビー玉、きれい!」

透明なビー玉を窓辺に持っていくと、光が透けて、床に小さな虹が映った。

「お姉ちゃん、見て!」

あかりも、思わず笑顔になった。

そのときだった。

箱の底に、一枚の紙があることに気づいた。

茶色く変色した紙は、小さく折りたたまれていた。あかりがそっと広げると、子どもの字で、こう書かれていた。


『ここは、わたしたちのひみつのたからばこ。

いつか、だれかがみつけてくれますように。

ふみ・さち』


おばあちゃんの手が止まった。

「……あら」

さっきまで笑っていた顔が、少しずつ変わっていく。

おばあちゃんは、紙を受け取って、じっと眺めた。

「これ……私が小さい頃に書いた字だわ」

「えっ?」

あかりと湊は、同時に声を上げた。

おばあちゃんは、懐かしそうに箱の中を見た。

「そう。これは、私が子どもの頃に隠した宝箱なのよ」

おばあちゃんが子どもだった頃、近所に仲のいい友達がいた。名前は、さち。

二人は毎日のように一緒に遊び、きれいな石やビー玉、拾った貝殻などを集めていた。

ある日、二人は考えた。

大切なものを箱に入れて、秘密の場所に隠そう。

いつか誰かが見つけてくれたら、きっとびっくりするだろう。

そうして二人は、この箱を木の根元に隠した。

「いつか取りに来ようって、さちちゃんと約束したのよ」

おばあちゃんは、箱の中のビー玉をそっと手に取った。

「でも、そのあと、さちちゃんが引っ越してしまってね。私も大きくなって、いろんなことがあって……いつの間にか、忘れてしまっていたのね」

おばあちゃんは、ビー玉を窓の光にかざした。

「まだ、こんなにきれいだったのね」

その声は、とても嬉しそうだった。

あかりは、なんだか胸が温かくなった。

自分たちが見つけた宝物は、ただの古い箱ではなかった。

おばあちゃんが子どもだった頃の、大切な思い出だったのだ。

「おばあちゃん、見つかってよかったね!」

湊が言った。

おばあちゃんは、にっこり笑った。

「本当にね。まさか、あなたたちが見つけてくれるなんて思わなかったわ」

三人は、しばらく箱の中身を眺めていた。

やがて湊が、ふと思いついたように言った。

「ねえ、おばあちゃん。ぼくたちも、宝物を入れていい?」

「もちろんよ」

おばあちゃんはうなずいた。

あかりは、今日の冒険の途中で拾った、小さな白い石を思い出した。

形は少し歪んでいるけれど、表面がつるつるしていて、光に当てるとほんのり白く輝く石だった。

「これを入れようよ」

二人は、紙を一枚用意した。

湊が一生懸命、鉛筆を動かす。

『たからものをみつけてくれてありがとう。

こんどは、あなたのたからものもみつかりますように。

あかり・みなと』

おばあちゃんは、その紙を見て、優しく笑った。

「きっと、喜んでくれる子がいるわね」

その日の午後、三人はもう一度、公園へ向かった。

古い木の根元に、箱をそっと戻す。

ビー玉も、貝殻も、ボタンも、みんな元の場所に戻した。

そして、二人の白い石と、新しい手紙を入れた。

あかりは、箱の蓋を閉じた。

今度、この箱を見つけるのは、どんな子だろう。

その子も、今日の自分たちのように、胸をわくわくさせてくれるだろうか。

そう考えると、なんだか嬉しかった。

帰り道、湊はずっと、宝箱の話をしていた。

「あのビー玉、ほんとにきれいだったね! おばあちゃん、昔はあれで遊んでたんだよね!」

「そうだね」

あかりは笑った。

「私たちも、今日のこと、忘れないと思う」

湊は、うん、と大きくうなずいた。

そのとき、あかりはふと思い出した。

昨日、パン屋のおじさんが言っていた言葉。

――宝物っていうのは、必ずしもお金や宝石とは限らないからね。

あのときは、何を言っているのだろうと思った。

でも、今なら少し分かる気がした。

宝箱の中にあったビー玉も、石も、貝殻も、どれも特別なものではない。

けれど、誰かが大切にしていた時間がそこに詰まっていた。

そして今日、自分たちもまた、新しい思い出を手に入れた。

宝物を見つけるつもりで出かけたのに、気づけば、一日そのものが宝物になっていた。

翌日、二人はもう一度、商店街のパン屋へ向かった。

店に入ると、昨日のおじさんが、いつものようににこにこ笑っていた。

「おや、いらっしゃい」

湊は、すぐに駆け寄った。

「おじさん! 本当に宝物が見つかったよ!」

「そうかい。それはよかった」

おじさんは、驚く様子もなく、嬉しそうにうなずいた。

あかりは、少し考えてから尋ねた。

「ねえ、おじさん。どうして宝物が見つかるって分かったの?」

おじさんは、棚のパンをひとつ手に取った。

そして、いつもの調子で言った。

「さあねえ。パンが知っていたのかもしれないね」

あかりは、思わず笑ってしまった。

湊は、もう次のパンを探している。

『明日、勇気が出るパン』

『明日、なくしたものが見つかるパン』

そして、棚の奥には、まだ見たことのない札がひとつ増えていた。

『明日、誰かを笑顔にするパン』

湊は、あかりの袖を引っ張った。

「お姉ちゃん、今度はこれにしようよ!」

あかりは、笑ってうなずいた。

明日は、何が起きるだろう。

それは、まだ誰にも分からない。

でも、きっと。

明日も、少しだけ楽しみだった。

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