2 静かな決別
翌朝、公爵家の応接室は重い空気に満ちていた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる中、父――クローヴィス公爵は厳しい表情で私を見下ろしている。
母はハンカチを握りしめ、目を伏せたまま。
そして、ミレイユは父上の隣に控えめに座り、穏やかな微笑みを浮かべていた。
昨夜の涙は、まるで幻だったかのように。
「エレノア」
父上の声は低く、抑揚がない。
「昨夜の件で、王太子殿下から直々に連絡があった。お前はクローヴィス家の恥だ。ミレイユを正式に養女として迎え、王家との縁を繋ぎ直す。そのため、お前は一週間以内にこの屋敷を出ろ」
私は静かに頷いた。
「承知しました。必要な書類と私物だけ持っていきます」
母上が小さく息を呑んだ。
「エレノア……本当にいいの?ミレイユちゃんが可哀想で……お姉様のせいでこんなことに……」
その言葉に、ミレイユが優しく首を振る。
「いいんです、お母様。お姉様はきっと、どこかで幸せになれるはずですわ」
優しい声。
でも、目が笑っていない。
私は視線を逸らさず、ミレイユを見つめた。
「ありがとう、ミレイユ。あなたも、これで王太子妃になれるわね」
ミレイユの微笑みが一瞬、凍りついた。
「え……?」
「これでやっと、王太子妃になれる……そう思っていたのでしょう?」
私は静かに続けた。
「昨夜、小声で呟いていたのを聞いていたわ」
ミレイユの顔色がわずかに変わる。
父上は気づかず、苛立ったように手を振った。
「もういい。一週間だ。それまでに荷物をまとめろ」
私は深く頭を下げ、部屋を出た。
自室に戻ると、すぐに荷造りを始めた。
ドレスは必要最低限。
宝石類はほとんど持たない。
代わりに、机の引き出しの奥に隠していた小さな箱を取り出す。
中には、金貨約8000枚。
宝石数個。
そして、錬金材料の小瓶がいくつか。
実は三年前から、少しずつ私財を別管理していた。
公爵家に頼らず生きるための、密かな準備。
母方の祖母が遺してくれた資金と、幼い頃からこっそり調合して売っていたポーションの売り上げで、貯めたものだ。
さらに、書類の束。
五年前に匿名で購入した、王都郊外の小さな別邸の権利証。
これで、住む場所は確保済み。
荷物をまとめ終えると、部屋を見回した。
ここで過ごした十九年。
抑圧と仮面の日々。
父上の「王家に恥をかかせるな」という言葉が、毎日のように耳に残っていた。
笑顔を控えめにし、目立たぬよう生きることだけが求められた。
「さようなら」
小さく呟き、部屋の扉を閉めた。
廊下を歩いていると、角からガレスが現れた。
王太子の側近騎士団長であり、私の幼馴染でもある彼は、青白い顔で近づいてきた。
「エレノア……昨夜、遠くから見ていた。何かあったら、俺を頼れ。いつでも……」
私は小さく微笑んだ。
「ありがとう、ガレス。でも、今は一人で大丈夫」
彼の目が少し揺れた。
「本当に……?」
「ええ。これからは、私の道を歩くわ」
ガレスは黙って頷き、深く頭を下げた。
「いつでも、待ってる」
私は軽く会釈し、その場を去った。
一週間後。
荷物を馬車に積み、私は公爵家を後にした。
振り返ると、屋敷の窓からミレイユがこちらを見ていた。
彼女の唇が、わずかに動いた気がした。
「これで……終わりね」
私は馬車に乗り込み、窓を閉めた。
王都の喧騒が遠ざかる。
これで、本当に自由になった。




