閑話 「亡名した魔王の独白」
私は床の冷たさで目を覚ます。周りを見渡しても、ここが何処かわからない。怪しく光るガラスの中には液体が満ちており、機械に繋がれたグロテスクな生物や、見たことないロボットのような物、その中間的な存在まで様々だった。
どこか出口が無いか探す為に立ち上がり、靴下越しに冷たさで体を震わせながらしばらく歩いた。
出口は無い。どこにもそれらしい物はなく、寂しさで視界がぼやけたその時。高い場所に梯子があるのを見て、それをなんとかここまで下ろせないか辺りを調べる。
基本的に読んだことも見たこともない文字ばかりでどうすれば皆目見当がつかなかったが、何故か日本語で『降下』書かれて隣にあるボタンを矢印で指している。
ボタンを押せば梯子はゆっくりと降りてきて足がかけられる低さまで来てくれた。迷わずに登り始める。下は見ちゃだめ、そもそも高所があまり好きではないのだから。梯子の鉄は床よりも冷たかった。
登りきると液体に満ちたガラスの上を行き来できる橋に繋がっており、飛び出した箇所はそれぞれ真上にまで行けるようになっていた。残念ながら出口に繋がる場所ではなさそうだった。
助けて…。
それでも他になにか手がかりはないか可能な限り調べる。けれど、気味の悪い生物や機械の上に立っても何も見つかるはずがなく。最後に立った唯一液体だけで満ちたところに立って、失望し、梯子で下に降りようと考えた。
地響き、爆発、どちらかのような音と建物全体が揺れて私はその場に倒れる。揺れは収まる事はなく、むしろその大きさを増していく。そして、音は鳴き声も混じるようになり、体が恐怖で震えた。外で何が起こっているのか、私には知る由もない。ただただ震えを止めるために体を丸め、目を閉じ、状況を拒絶する。
助けて…。
何かが割れる音がした。すぐ近く、下から聞こえる、割れる音と言うより破れるような音と共に、金切り声と、アラートのような機械音声、それらは多量の水と零れる音と混じり聞くだけで心臓が止まりそうだった。
それらの影響だろうか、橋が傾く。少しずつ落ちていく感覚と恐ろしさに目を開け状況を理解しようとしたら。
既に天を仰ぎ、床の冷たさは既に無く。宙に、宙に投げ出されていて。届くはずのない手を伸ばして、視界はあの液体の色に塗れ、何もわからず。
助けて…。
それが、私が誕生する前の最後の記憶。
余の理解を越えていた全て。
余は眠りから目覚めると、見知らぬ森にいた。遠くで何か燃えているような気もするが、そのような事はどうでも良い。身のうちからの衝動は凄まじく、その全能感は目に映るもの全てが矮小に見えた。
私は逃げるように走り出し、自分の身に何かが起きたのだけを理解した。全身は血に濡れているのに、痛いところはどこもない。これは私の血じゃない。
怖い、怖い、怖い。どうしてこうなってるの?私の家は?お父さんは?お母さんは?兄さんは?どこに行ったの?どこにいるの?
余がその素晴らしい衝動のままに駆けていると、前に何か矮小な存在が見えた。そして直感でわかった。余の同族、余の出来損ない、余の配下だ。その奇形じみた見た目は実に哀れで、可哀そうだったので、余の特別な魔力を分け与えた。するとどうだ、見た目も多少マシになり、余を崇拝するように膝をついて、手を合わせる。
なんでこんな力があるの?見たことないが、生物としての形はあったその生き物は不思議な力で火を放ったり、風を出したりした。けれど、それを全て溶かすように、私は触れもせずに消して、自分も同じような、少し違うような力でその生き物を…。
そして。余は理解した、この世界は余の為にあるのだと。
私はそこで理解した。私は、知らない、別の世界に来たのだと。
助けて…。
まず、周囲の同族を蹂躙し、余を崇めさせる。配下にした奴らはセンスのない珍妙な呼ばれ方でそれぞれ呼び合っており、気に入らないので改めさせた。そして、さすがは余と褒めてやりたいほど、名前は何故か浮かびあがりそれを付けていく。特にお気に入りはタマネギだ。何故かすごくしっくりくる。
私は自分が生きる為にいろいろとやってみた。私を何故か慕ってくれるその生き物達は私の魔力を貰う前と後では知性も変化したようで、この世界についていろいろ教えてくれた。自分たちは魔族と呼ばれる存在で、本来ならと、指差しながら野良の魔族がどういう存在か教えてくれた。
魔術についても教わった、もっとも私は魔術を行使する際に別の魔力が干渉して基本的にどの魔術も媒体を介さずに使用できた。ふと思い立って、自分の髪を切り、それに魔力を注ぐ。この魔力に少し私の特別な魔力を合わせれば思い通りの魔術媒体が作れる。これで私は、元の世界に帰る為の方法を探す魔術の媒体作って、暇な時に使うようにする。
すぐに余は全知全能となった。その魔力を察知した矮小な魔族は一目散に逃げ出し。周囲は余の村、都市、国へと変貌していく。その覇道において、時折目障りな存在も現れた、余の力を受けておきながら余に反旗を翻す馬鹿な魔族、余を恐れた別種族の侵攻、それらを余は自らの知恵と魔力で時に殺し、時に追放し、時に封じた。
追放した魔族は私の手には負えない者もいた。そいつらと戦えば周囲の被害も尋常じゃない、だから手っ取り早く別世界に追放した。私が元の世界に戻る為に知った魔法陣、これを研究するついでに丁度良かった。まるで自分じゃなくなっていく感覚を覚えはじめ、研究するときは自室に閉じこもり、信頼できる魔族に国の統治や行政を任せた。
力は絶対、余の前に現れるのは名声を集めた英雄たち。勇者や剣聖、あとは何があったか、そうだ覇王。それら有象無象を悉く蹴散らして余は伝承に伝わる、かつて魔族を治めた存在、魔王と呼ばれるようになった。だが同じ魔王ではかび臭い。そこで余は思いついた。余はスフェンダ、魔王スフェンダと名乗ろうと。温故知新とはまさにこの事だ。
私の名前を知っている魔族は本当に少ない。何故か周囲に自分の名前を告げるのは怖くて、信用できる、信頼できる魔族にしか伝えていない。そして、私が魔族ではないという事も、私が別世界から来たという事も。私の名前は楓で、お父さん、お母さんが居て、兄さん…葵兄さんが居て。
助けて…。
もはや敵なし。無敵とも言える余はその領土を拡大。配下に各地を治めさせ、余の名前を全世界に轟かせた。地図を見れば余の色で全てが染まっており、ゴマ粒ほどの塗り忘れがあるだけだ。
私なりに頑張ってきたが、ここまで上手くいくなんて思いもしなかった。魔族たちはみんな自分に優しく、いつしか元の世界に戻る研究もほっぽりだしていた。むしろ、家族を私のところに召喚しようと研究していた。今の私を見れば家族も褒めてくれるし、兄さんなんて私のすごさで腰を抜かすに違いない。あの兄さんの驚いた顔を想像するだけでにやけてしまう。ああ、幸せだ。
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて
私は、余は。何を間違えたの?ゴマ粒領地の国からまた英雄が現れた。なんて事はない。また自ら出向いて捻りつぶせば良い。今までそうしてきたようにまた邪魔者を倒そうとその顔を水晶越しに見つめ、目を離せなかった。
兄さんが映っていた。どうして?なんでそっちに居るの?私はここに居るよ?生意気な事言ってた事も謝るから、そんな怖い顔をこっちに向けないでよ。
今までそうしてきたように英雄を倒す為その姿を前に晒す。なんでそんな目で余を見る、兄さんは優しく、私に笑顔しか向けないそんな呆れたような人なのに、余は戦えない。どうしてそんな。
適当な捨て台詞だけ吐いて、居城に戻る。自室で周りに誰も居ない、独りぼっちの空間で泣き叫んだ。
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて
鏡を見ると姿が映る。そこには変わり果てた魔王の姿があった。魔王スフェンダの髪、魔王スフェンダの目、魔王スフェンダの体、魔王スフェンダの翼、魔王スフェンダの。
そこに楓は居ない。
そっか。わかるわけが、ないもんね。余はもう。
そして、事実を受け入れた私は。部屋に閉じこもった。少しでも兄さんの前に現れたくなくて、この姿を見られたくなくて、そのせいで、優しい魔族はいっぱい死んだ。
ふと、兄さんならと思って。姿を偽装する魔術を行使して、会いに行った。そこに居たのは人々に笑顔を振りまくよく見た兄さんの姿。優しい兄さんの姿に安堵して、夜の暗闇から町の光に足を出そうとして、斬撃が飛んできた。兄さんは居ない、ただ魔族へ憎悪を向ける光剣者がそこに立っていた。まるで、別の人格が入り込んできているようにその怨を飛ばしてくる。
恐ろしくなって、余は逃げ出し。夜空の中で笑って、私は泣いていた。もう戻れないんだ。もうあそこには、家には、家族には。余は、魔族だから。
助けて助けて助けて助助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けてけて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて…。
そうして、籠って、逃げ出して、状況は何も良くなることなんてなくて。数百年かけて築いた余の家は、崩壊した。
もう配下も数える程度にしかいない。私は、せめてもの償いで身の回りの世話してくれていた魔族を魔法陣で自分の世界に逆召喚した。きっとみんな怒ってると思う、こんな我儘をして、自分勝手にして、そして、兄さんって言うのが怖くて、光剣者を頼れなんて。兄さんもいずれ元の世界に戻るから、この世界、余の居ない世界でなら、きっと元の兄さんの筈だから。根拠もない、自分勝手な妄想を並べて、勝手に納得して。
けど、けどね。
私、頑張ったんだよ。ちゃんと胸を張って言えるよ。
炎の熱でこの涙もすぐに乾いてしまう。兄さんを殺せるわけがなくて、本気で戦えるわけがなくって、余は全力を出せなかったけど、ここまで私は生きたんだよ。
もう帰る場所はない。ここに居る意味も元の世界への未練も無い。余は魔力を滅魔力に喰わせて、せめて兄さんから殺されないようにした。きっとあの刃は、私がうまれる前の床よりも冷たいから。
せめて、兄さんの妹として、死にたい。私は最後まで頑張るから。
兄さんの優しさも、魔族のみんなの優しさも、私は上手く言葉と態度に出来なかったけど。
楓は、この世界で生きたんだ。だから。
褒めて。




