正しさの確認
ゼーラの部屋の洗濯物は取り込まれていなかった。自室に戻った時点で滅魔力による魔力消費が始まっていたのか、窓辺の机に置かれたアクセサリー用の石が散乱していた。しかし、ムスリカの話だと症状は既に進行しており、あと一週間もすれば全員から名前を忘れら、理性をほとんどなくした野良の魔族のようになっていたとのことだ。
これはゼーラ自身の魔力量が他の魔族より多い為に誤魔化せていただけで、魔族によっては発症した段階で一時間で消える事もあったらしい。
もし今回の一件が無ければゼーラは滅魔力によって徐々にその名前を忘れ去られて、元の魔族のように理性も半ば存在しなくなったに違いない。
俺の施した処置が適切だった事を願いながら、あの日から一週間が過ぎた。
「すいませーん」
「はーい!」
客に呼ばれて笑顔で向かっていく姿は以前と変わらない。明るい調子もそのままだ。彼女自身、記憶が少し曖昧なようで何が起きたか覚えていないそうだ。
何も変化はない。俺は魔族に対して安堵しているという事実に少し落ち込みながら空いたテーブル席の片づけをしていた。
「あ、葵さん。これもお願いします!」
「ああ、持って行っとく…おい!」
宙に浮かぶ皿。それはゼーラが手を伸ばしたように俺の前にある。そしてなぜそんな事になっているのかと言うと、皿を掴んでいるのが他でもない抗魔力によって形成された手だったからだ。
「…まさかこうなるとは」
「いやー葵さんが光剣者とは夢にも見ませんでしたよ」
変化に気付いたのは3日後だった。ゼーラの部屋から悲鳴が上がると俺の部屋の壁がぶち破れ、ぽっかり穴が開いた。その犯人は悲鳴を上げたゼーラ本人によるものなのは疑いようはないのだが、その手法が何より俺を驚かせた。
抗魔力、それが俺の前で行使されている。俺ではなく、何故かゼーラがそれを行使していた。本人の話だと、食べていたクッキーを空中でキャッチしようとしたらそのまま行使されてしまったらしい。
案の定、この一件はマスターや阿久井さんにバレてゼーラはコテンパンに怒られた。しかも完全に修理されるのは当分先になりそうで、俺のパーソナルスペースは一か月も経たずに崩れ去った。今は応急処置として段ボールで蓋をしている状態だ。
「まぁ深く考えてもしょうがないですよ。出来るようになっちゃったんですし」
「あのな…言っとくがお前自分がどんな状態なのか理解してんのか?!魔族には本来その抗魔力は毒でしかないんだぞ?!」
「ふ…私の魔力量はそこらへんの魔族より3倍の量…知りませんけど。それによって毒としての抗魔力を克服したのです!きっと」
ムスリカも魔力量に関しては言及してたが、本当にそのくらいあるのだろうか。後日確認をしてみる必要はありそうだ。
「本当に何もないのか」
「そうですね。特にこれと違和感は…、いえあります」
冷房の温度が一度下がる。ゼーラが抗魔力でリモコンを操作してクーラーを動かしたのだ。
「こんな感じで、特に強く意識しないと抗魔力が出ちゃうんですよねぇ」
「俺自身も最初はそんな感じだった、何をするにしても抗魔力がその動きをサポートする、無意識に働いてしまうって感じで」
何かコツを教えてやりたいが、生憎と俺も慣れていくしかなかった。日々の中で動きを可能な限り意識的に行っていくしかない。そうすれば、無意識での動きでも変に暴発することもない。
「魔力に変化はないのか、どこか痛んだりとかは」
「それもないですね。体には問題はありません!」
少なくとも、今回の行為が間違っていたわけではなさそうだ。この様子なら他の魔族にも同じような処置をしていっても問題ないだろう。ムスリカの奴も一安心出来る。
「それにしても、葵さん」
「なんだ」
「やっぱりそっちの方が素の喋り方なんですね。私と喋ってるときどこか固い感じしたので」
「別にもう隠す必要もないしな、お前らと話すのに変な気を遣う道理もないし」
「うわー。噂で聞いてましたけど、本当に私たちが嫌いなんですね」
「…当たり前だろ」
多分、今の俺は最低の目をしている。見下す、軽蔑、軽んじるような目だと思う。他の人々ならともかく、魔族に対してはこんな目を向けてしまうのは仕方がない事だ。ゼーラだって例外じゃない。
そんな風に考えて目を背ける、少なくとも今そんな目を向けてはいけない。どこかのタイミングでこんなのを阿久井さんに見られたらまた小言を言われながら詰められる。
「なら一つ聞いても良いですか」
それまでの明るい調子が感じられない。声色にどこか怒りが混じりながら静かに問いかけてきた。
「魔王様は、最後どんな様子でした」
「一人だったよ。城に残ってたやつも軒並み倒したし、あいつの周りには誰もいなかった」
「そうですか、最後まで残ったんですね」
魔王との戦い。ここ最近はそのことばかり夢に見るようになった。俺自身、ただ悪の親玉であり、絶対悪であるというそんな認識をしていたから。だから少しわからなくなっていた。いや、違うな。俺は最初から魔王の事なんて興味がなかったから、何も知らない。一方的にこちらがそういう存在だと認識して見ていただけだ。
「なぁ」
「なんですか」
「魔王ってのは、どんな奴だったんだ」
「どのような、ですか」
ゼーラの声は元の明るさを取り戻していた。少し考えながらも表情はどこか温かいものを感じさせる優しいものだった。
「魔王様は、私たちの恩人です。何も知らない、何もわからない。ただ感じるままでしか生きてこなかった私に、あの世界の広さを教えてくれました」
そして、つらつらと話を始めてくれた。
当時の俺だったら耳なんて傾けなかっただろう話だが、少なくとも今はその話に興味を持てた。
ゼーラの話は魔王に対する崇高や信仰。そんなものを一切感じない他愛のない話ばかりだった。朝は早い、お茶が好き、辛い物が好き、鱗を見るのが苦手、花が好き。なんて、魔王の事を聞いたつもりだったがその内容はまるで休日に一緒に出掛ける友人のような親密さを感じさせた。
「お城ではよく、滅魔力に関しての扱い方。魔術行使においてどう扱えば良いのかをレクチャーもしてもらいました」
「わかった。大丈夫だ、もういい」
聞きたかったのは、魔王の出自とかそういう生態的な物を期待していたんだが。随分と中身の無い話をされてしまった。けれど、あの魔王の人柄、この場合は魔族柄と言えば良いのか、それを聞けたのは良かったかもしれない。
魔王のあの最後の表情、自ら消滅した訳、分からない事ばかりだったから、それ対しての切り口になるかもしれない。
「魔王様は優しい方でした。それだけわかってくれればいいんです」
ゼーラの笑顔を見るのが、その時だけは少し辛かった。俺がした事を間違ったことだと思ってはいない、誰かの為に戦い続けたのだから。
ただ少し、少しだけ。あの戦いの意味に疑問を持つようになった。




