小さな一歩
ゼーラの意識は戻らない。
俺とムスリカは魔族を挟んで、蒼白となったゼーラに俺の抗魔力を使うかどうかの判断を迫られた。
「葵さん、お願い出来ますか?」
「…勝手が分からない以上どうなっても知らないぞ」
「分かってます。例え失敗に終わってもその責任は必ず私が」
無論やらないわけにはいかない。だがこんなぶっつけ本番になるのは想定外だ。
体内に直接魔力を注げば良いのか、それとも全身を覆えば。
浅い思案しか出来ないのは緊張しているからなのか、魔族に向ける手を止める。今までこの力は戦う事にしか使ってこなかった、それを他者に使う、ましてや誰かを直接助けるような事になんて。
それに、俺は魔族の体の構造には詳しくない。話で聞いていただけで専門的な知見なんかあるわけない。
「ムスリカ、簡単で良いから魔族と俺たちの決定的な違いを教えてくれ。」
ムスリカは意外そうな顔をしていた。当然だろう、魔族戦っていた人間が魔族の体の構造を知らないなんて、本当に何をしていたのか笑われて然るべきだ。
「我々には魔力を発生させてる器官があるのは?」
「それなら知ってる」
「その近くに我々の魔力とは別に滅魔力を発生させている器官がある筈です」
「そんな物が?」
「最初からはありません。ですが魔王様に滅魔力を下賜してもらった際に我々の体が適応するべく新たに作り出すとの事です。そして、必ず二つの発生器官は隣あっていると」
まさか個別に器官があるとは。体の半分が魔力の魔族だからこその変化らしい。
「ただ私もそれ以上の事は。第一、魔力の発生器官自体が魔族はもちろん、人間ですら絶妙に違うのが」
そう。肝心なのはそれだ。直接体の中を覗くというわけにはいかな…。覗く?
俺は思案した。不可能ではないが、出来ないわけじゃない。
手の震えはより大きくなる。そうだ、やるしかない。抑えるように拳を握り、己に言い聞かせる。
「ムスリカ」
「はい?」
「もしこの処置が終わったら魔族…いや」
「ゼーラですか?」
「ああ。ゼーラが目覚めたら頼めるか」
その意図が分からないながらもムスリカはそれに頷く。
後は、覚悟を決めろ。大きく息を吸って、全神経を集中させる。
自身の抗魔力を纏った指を、ゼーラ…魔族の口に突っ込み、そこから抗魔力を注ぐ。
すると手首を誰かに掴まれる。強い力で、拒絶するように、指を引き抜こうと。
見ていたムスリカが魔族の手を抑えて、暴れようとする体をのしかかりながら止める。
本来なら毒の抗魔力を注がれれば拒否反応なんて当然だ。だけど、今集中を切らすわけにはいかない。抗魔力の力を薄め、柔らかく、ただ柔らかく。体の内側に浸透させるように。
「…見つけた」
小さくはっきりと口に出す。見えているわけじゃないが、一番抗魔力に対して反発している。そして、その近くで抗魔力を打ち消している物の存在も。
間違いなくこれだ。
微弱ながらもよく知るその反応に冷や汗が口元に垂れてきた。
「葵さん!血が!」
そう言われて舌で舐めると錆びた鉄のような味がする。おそらく鼻血だ。どうやら思っている以上に抗魔力の消費が早いらしく、抗魔力の使い過ぎの影響が既に出ていた。ただでさえ体の内部全体に広げて、今もこうして滅魔力に打ち消され続けている以上はいくら薄めても使う量が多くなってしまっているようだ。
あまり時間はかけられない。鼻から垂れているという状況は不愉快だが、そんな事で集中を乱すわけにはいかない。
ここからが問題だ、俺の考えとしてはこの滅魔力を発生させている器官を俺の抗魔力で包んでやれば良いという考え。だが、それをすれば滅魔力の器官にどんなことが起こるかわからない。現状として弱まった滅魔力が魔力を打ち消しているのならそれを自分の抗魔力で覆えばそれを阻害出来るだろう。問題はいずれ滅魔力が抗魔力を打ち消して再び同様の症状を再発させる事だ。そんなのはその場凌ぎに過ぎない。
何よりいちいちこんな事を施しているようじゃ俺が保たない。現に今ですらこの様だ、何十回もしてたら命があと50個は必要だ。考えても考えても同じような思考ばかり繰り返されていく。
覗くという閃きはどこへ行ったのか、体より先に頭が限界を迎えていた。
「ゼーラ…!しっかりしなさい!魔王様からいただいた物でしょう?!貴方を変えた物でしょう!」
変えた、物。ふと昼間に言われた事を思い出した。変われる、けどそれは人だけの話。
「恨むぜ、阿久井さん…」
鵜呑みにするなって言ってたけど、まさかこう解釈させる為じゃないのかと少々イラついてしまった。しかし、やってみる事にした。非常に不本意だが、やらざるを得ない。
俺は、滅魔力を発生させている器官に抗魔力を集中させる。打ち消されるより速く送り込み、より強く抑え込むように。
魔王が滅魔力を魔族に渡した時、魔族の体が半分以上魔力で構成されている事を利用したんだ。こうして自分が直接補給をしなくても良いよう、器官を生み出すように促したんだ。自身はあくまでも滅魔力をコントロールするだけに留めさせた。
魔王に出来て、俺に出来ないわけない。抗魔力でそれが可能なのかはどうでも良い。やるしかない。
滅魔力の発生源を少しずつ抗魔力で押しつぶす。内臓を潰す以上激痛が伴う、ゼーラの体がより強く暴れようとするが、ムスリカは必死に抑えてくれる。
頼む、上手くいってくれ。
「はぁ…はぁ…。つ、疲れた…」
ゼーラは暴れなくなった。その息遣いも大人しくなり、眠っているだけにしか見えない。
「葵さん、何をなさったのですか?」
当然聞かれる。ムスリカの手にはティッシュボックスがあり、何枚か取ると鼻血を拭う。最初は片方だけだったはずだが、いつのまに両方の穴から出ていた。
「滅魔力の発生器官を半壊させた」
「なっ?!それだと?!」
「落ち着け。今回ばかりはお前ら魔族の体質に助けられた。正確には勝手に助かったが近いか」
言っている事が理解できず、首を傾げる。俺だって本当に出来るとは思ってなかったし、なんで出来たのか首を傾げたい。
滅魔力の発生器官を半分潰した。これが良かったのかどうかはわからないが、潰れた器官を補修しようと、俺の抗魔力がそこに当てがわれたみたいだ。
その結果、滅魔力と抗魔力の両方を生み出す器官が完成したって事になる。なんで共存出来てるのか知らないし、これで滅魔力の発生量に影響が出るのかわからないが、少なくとも量と滅魔力事態の弱体化は関係しているようには思えない。あんなま隣りにあって大量に滅魔力が発生し始めましたって方が魔族たちの消滅理由として頷けるが、弱まったからなら発生量は特段問題ではないのだろう。
「葵さん」
「なんだ」
自分なりに解釈したというか、理屈を大雑把に説明したところでムスリカは俺に抱き着いてくる。
「なんだおい!くっつくな!」
「本当に…本当にありがとうございます」
「礼なんかいらない、俺は」
「やっぱり…言った通りでした」
泣いているのか、声が震えている。それはまるで不安からの解放よりも、嬉しさに満ちていた。
「貴方はきっと助けてくれると、魔王様の言った…」
「なんだと?」
魔王が俺にそんな事を?何故だ。
部屋に月明かりが差し込む。雲に隠れた光が徐々に俺の顔を照らし始めた。




