かつて起こったこと。
デュロ・パラディアは、昔から魔導の天才だった。
そして、優しい人だった。
『アズライア嬢。私はね、出来るだけ多くの人に健やかに平穏に過ごしてほしいんだ』
柔らかな笑顔で、そんな風に語る人だった。
『君は何か、やりたいことはあるかい?』
『殿下の側に、ずぅっと居たいですわ!』
するとデュロは、少し笑顔に困ったような色を浮かべた。
『それは凄く嬉しいけど、それだと、君への贈り物を考えるのが難しいね。結婚以外に、何かないかな?』
う〜ん、と考えたアズライアは、次にこう口にした。
『そうですわ! 空を飛んでみたいですわね!』
『空?』
『ええ! あんなに広い場所を、鳥のように自由に舞えたら、凄く楽しそうでしょう?』
『空か……なるほど』
まだ、アズライア嬢、殿下、と呼び合っていた頃の記憶。
その後、デュロの運命を変えたのは、皇国の内海にある島で、強烈な魔力震が検知された時だった。
兵を率いて調査に赴いた彼は古代文明の遺跡を発見し、その中から手に入れた文献を読み解いて……近い内に『災厄の魔性』が復活する可能性を示唆したのだ。
発見された遺跡は、その脅威に関連した場所だったのである。
けれど、彼の警告は無視され、あるいは否定された。
父親である皇帝や、異人の二大国を筆頭に。
その警告を聞き入れる耳を持ってくれたのは、ほんの僅かな国だけ。
あまりに自分の警告が無視される状況に不信感を抱いたデュロは、少数の協力者と共に調査を重ねて、真実に気づいた。
ーーー各国首脳部は、既に複数復活している『災厄の魔性』に囚われている。
父である皇帝も、異人の二大国も。
他の『遺跡や文献の研究をやめろ』と強硬に主張した幾つかの国も。
世界は、そのまま願いを叶える為に、とてつもない戦乱を引き起こす予兆の中にあった。
デュロは苦悩していた。
そうして、ベアトリィテの二つ年上で、アズライアと同じ年齢のエーリが〝神の使徒〟として『天恵』を受けたことを知って、決意したのだ。
『災厄の魔性』を殺す手段を得る、その為に研究を重ねる。
やつれた顔で、けれど強い決意を瞳に宿して、デュロは動き始めた。
魔性の封印が可能なエーリを殺させない為に、表向きデュロは皇国の戦力増強に奔走し、その為にエーリが必要だと皇帝陛下を欺いた。
時間の猶予を確保して、その上で、アズライアに謝罪した。
『すまない。君の為に作り出したものを、私は悪用することになる』
そうして、『空を飛ぶ』為の魔導技術を、兵器転用した。
飛行戦艦の建造を表向きの囮に提供し、行動を起こす時まで、自分とエーリの身を守る為に。
アズライアは、デュロの行動と苦悩の、全てを見ていた。
そして二年後、ベアトリィテが〝永遠の聖女〟として『天恵』を得た。
婚約者同士が〝神の使徒〟と〝永遠の淑女〟。
こうなれば、デュロの目論見が達成された後に、想い合う二人が引き離されることはない。
二人なら、今後の皇国を酷いものにはしないだろうとも、思った。
『うふふ〜♪ ベアトリィテ、多分皇后の座は貴女のものね〜!』
『お姉様……』
ベアトリィテは悲しそうな顔をしていたけれど、アズライアは、心から喜んでいた。
デュロも、その頃には決意に見合う『冷酷の仮面』を被ることに、慣れていた。
『聖女が生まれたなら、潮時だな』
『あら、本当にやるのですか〜?』
『当然だろう。他の選択肢はない……ついてきてくれるか、アズライア』
アズライアは、知っていた。
デュロが、必要であると分かっていても、何かが起こる度に傷つくのを。
どれだけ細心の注意を払っても、『人が死ぬ』闘争を起こす自分の優しさ故に、壊れて行くだろうと。
だから、彼の幕引きは『自分が殺されること』だろうというのも、分かっていた。
デュロの目的が達成されるまで、彼の心が壊れてしまわないように守るのが、アズライアの役目だった。
だから、こう答えたのだ。
『うふふ、良いですわよ〜!』
デュロの為なら、喜んで地獄の底まで。
『全ては世界救済の為……私はこれより、悪となる』
そうしてデュロは、飛行戦艦以外の秘蔵の兵器……飛翔の魔術を扱えるようになる鎧を、反乱軍の全兵士に支給した。
圧倒的な有利を得てなるべく戦闘を最小限に抑えて目的を達成する手段を持って、デュロは世界に挑んだのだ。
けれど彼は、アズライアにも黙っていたことがあった。
「ねぇ、デュロ?」
二人きりの牢獄で、アズライアは小さく首を傾げる。
「『災厄の魔性』を殺す手段を開発したなんて、嘘だったんでしょう。貴方は、文献と歴史から、〝逆位置の魔性〟エルピスとの契約を交わす方法を知ったんだわ。きっと、あの遺跡に封じられていたのかしら。……そして、自分の魂を捧げたのよね」
デュロは、魔力震で発見した遺跡のことを『箱』と呼んでいた。
そしてあれほどやつれていたのに、皇帝陛下を殺すと口にした日以降、体だけは健康になっていた。
きっとあの遺跡こそが、『災厄の魔性』が皆逃げ出した後に『最後の希望』が残された場所だったのだ。
「その力を使って、貴方は国の首脳部を乗っ取った『災厄の魔性』を喰らい尽くした……各国首都だけへの電撃侵攻、万一の際に代わりになるエーリ達を見逃したこと、大陸の八割を手中に収めながら、その後奪還される算段を立てたことまで、全部全部、隠し切ったまま、貴方の思い通りになったわね」
デュロは、何も言わない。
でもアズライアは、それで良かった。
「『災厄の魔性』がエルピスに力を食べられると、きっと魂の取引した時に示した欲望まで、食べられてしまうのね。だから皆忘れた。自分が取引したことも、その為に行動していたことも。……契約者を殺さなくて良いことを知ったのは、皇帝陛下を殺した時かしら?」
ただ唯一、戦闘ではなく『デュロの手によって弑虐された』人。
最初に彼が始末した、『災厄の魔性』の契約者。
それに気づいたデュロの後悔は、どれ程のものだっただろう。
「うふふ。でも、それを気にする必要はないわよ♪ だって、自業自得だもの!」
デュロに殺されていなければ……彼が〝逆位置の魔性〟エルピスと契約を交わさなければ、末路は今のアズライアと同じ、幽閉だろう。
手を下すのが、デュロかエーリか、その程度の差でしかない。
欲望の為に魔性との契約を交わした連中を生かす必要なんてデュロにはなかったのに、それでも記憶を失ったオークの帝王やエルフの女首長を、彼は生かした。
甘すぎる程に優しい、アズライアの最愛の人。
「エーリとベアトリィテは、本当のことを知っているわよ。あの二人だけが、お父様達と同じように抱いた疑問を私にぶつけて来たから。デュロの思惑通りに動いてくれたご褒美に、教えてあげたの!」
「……」
「うふふ。皆に話すかどうかは任せる、と言ったけれど、きっとあの二人は話さないでしょう。だって、もし真実が明らかになれば、これまで以上の混乱が起こるものね!」
あの二人は、聡明だ。
オークの帝王なんて、自分こそ魔に堕したのに、アズライアにあんな憤慨した態度を見せていた。
同じように感じる者が多ければ多いほど、それが帝王に座すことを認めることはないだろう。
今度は、異人の大国に内紛の嵐が吹き荒れ、最悪、崩壊することになる。
それは、平和を望む者のすることではないから。
アズライアはベッドから立ち上がり、デュロに両手を伸ばす。
「ねぇ、デュロ。連れて行って。貴方なら、ここから私を連れ出すことなんて簡単でしょう? 二人で、誰も知らないところで、静かに暮らしましょう♪ 私、また空を飛びたいわ!」
彼と共に世界に挑んだ二年間、アズライアも空を舞った。
思った通り、空は自由だった。
飛んでいる間は、自分達の身に起こったことが、ひどく小さく感じられた。
デュロは戦場の最前線にこそ、決して立たせてはくれなかったけれど、地面に毛布一枚で眠ったこともあるし、粗末な食事を自分で作ったこともある。
侯爵令嬢として、手取り足取りの生活なんかなくたって、アズライアは身の回りのことも一通り出来るようになった。
だから、生きていける。
デュロと一緒に。
「私に、幸せになって欲しいんでしょう? 貴方の横以上に幸せな場所なんて、私にはないわ! そうして、寿命が尽きるまで生きて、死んだら……地獄に堕ちて、エルピスに貴方の魂が喰われる前に、取り返すのよ!」
アズライアは、にっこりと笑う。
「私に幸せになって欲しいならーーー貴方はずぅっと、私の側にいないとダメなのよ、デュロ!」
すると、デュロは大きく息を吐いた。
「私はエルピスだ。この姿は、仮初のものに過ぎない」
「ええ♪」
「君の恋人は、既に死んでいる。〝逆位置の魔性〟の契約者は、君だ。寿命以外で、死ぬことはない」
「ええ♪ デュロがそういうことにしたいなら、それで良いですわよ〜!」
贅沢で餌の心配をする必要がない籠の鳥よりも、辛く明日をも知れぬ日々の中で自由に舞う方がいい。
死んだ後だって。
デュロのいない天国の籠の中よりも……そこが地獄の空であっても、デュロの為に自由に舞うほうが、ずっと良いのだ。
「仰せのままに、契約者」
デュロはその腕にアズライアを抱き上げて、最後にこう囁いた。
「ーーー君は本当に、魔性の女だ、アズライア」
と。




