【第2話】名前のない俺と、小さな声の“ありがとう”
モブキャラ転生――そんな異世界モノでよくある展開が、まさか自分の身に起こるとは思わなかった。
「……いやいや、落ち着け、俺。まずは状況整理だ」
ステータスは空っぽ。名前も職業もなし。
チート能力? あるわけがない。スキル? ゼロだ。
でも、不思議と焦りはなかった。むしろ、ほんの少しだけ――心が軽かった。
「誰かに頼られることもないし、誰かに利用されることもない。……最高じゃん」
そう思ったのは、草原のど真ん中に立ち尽くしてから、わずか五分の話だった。
「助けてぇえええええええ!!!」
遠くから、叫び声が聞こえた。
振り向くと、小さな人影がこちらに向かって走ってきていた。
ボロボロの服に、必死の形相。まだ小学生くらいだろうか。子どもだ。
そして、その後ろを追うのは――
「……スライム!? でかっ!」
見覚えのある姿。ゲームで何度も倒した、初心者狩りの定番モンスター……なのに、リアルで見るとめちゃくちゃデカい!
直径1メートル以上。中に骨っぽいものが見える。こっち来んな!
逃げる子ども。迫るスライム。
そして俺は、手に持っていた木の枝剣を握り直す。
(やめとけ……どうせモブだ。どうせスキルもない。ただの背景。手を出したって――)
でも。
「た、助けて……誰か……っ!」
子どもが、泣きながら叫んだ。
その声に、身体が勝手に動いていた。
「――来んな、コラァ!」
枝剣を振りかざし、スライムの前に立ちはだかる。
足が震えている。手汗が止まらない。でも逃げなかった。
「うおおおおおおおおっ!!」
振り下ろす木の枝。スライムのヌメッとした身体が裂ける――わけもなく、
ただボヨンと反発されて、俺はその場に尻もちをついた。
「いってぇ……! てか硬すぎだろコレ!」
スライムが口をパカリと開く。完全にこっちを敵と見なしている。
(終わったか……)
そう思った瞬間。
「えいっ!」
後ろから投げられた石がスライムの目(らしき部分)に命中した。
「ぐぐっ……!!」
スライムが怯んだ。そのスキに、俺はもう一度立ち上がり、
今度こそ全力で――木の枝をスライムの中心に突き刺した。
「おおおおおおっっっっっっ!!」
ズシャッ!!
スライムがビクッと跳ね、ドロリと崩れ落ちる。
……倒した?
「……や、やった……!」
「すごい! 本当に倒したんだ!!」
子どもが駆け寄ってきて、俺の手を握った。
「ありがとうっ! ほんとに、ありがとうっ!!」
泣きながら、何度も言ってくれる。
――ああ、そうだ。
俺が、ずっと、欲しかった言葉。
「……お、おう……」
気恥ずかしくて、うまく返せなかった。
でも、胸の奥が、じんわりと温かくなっていく。
たった一人にでも、必要とされるって、こんなに嬉しいんだな。
【称号を獲得しました:名もなき英雄】
【条件:初めて誰かを助け、感謝された】
透き通ったウィンドウが目の前に表示された。
称号効果――なし。でもそんなの、どうでもよかった。
この世界では、俺の優しさが、ちゃんと返ってくる。
「……名前、ないの?」
子どもが首をかしげて聞いてきた。
「うん、たぶん……この世界では、まだ“名無し”ってことになってるみたい」
「そっか。じゃあさ……名前、つけてもいい?」
「え?」
まさかの申し出に、驚く俺に、子どもは照れくさそうに笑った。
「“グラシア”って名前、どう? 助けてくれた人って意味があるんだ」
「グラシア……」
なんて優しい響きなんだろう。
「……気に入った。じゃあ、俺は今日から“グラシア”ってことで」
ようやく名前を得た俺は、子どもと共に草原を歩き出した。
もう“誰かのため”だけに生きなくていい。
でも、“誰かに感謝される”って、こんなに幸せなんだって――
この世界が教えてくれた。