第8話 紅の影、迫る焔
霧の谷を越えたアオイたちは、“赤い焔”と呼ばれる異変の調査に向かいます。
廃村に残された痕跡。すれ違う紅の騎士団。そして、それぞれの“記憶”に触れる場面も。
小さな出会いと、消えない過去。
彼らの旅は、少しずつ、確実に核心へと近づいていきます。
今回も、じっくり読んでいただけたら嬉しいです。
陽が高く昇った昼下がり、〈暁星の灯〉の面々は、ギルドの集会室に集まっていた。
昨日の任務──霧の谷での戦闘と“記憶の魔物”との遭遇、その余韻はまだ体に残っている。だが、休息をとる間もなく、次の報告が求められていた。
「……記憶を食らう魔物、か。聞いたことはあったが、まさか本当に現れるとはな」
集会室の奥、木製の長机に肘をついて座っていたギルド幹部の中年男性──カーラ隊長が、静かに額を押さえた。
「その上、“赤い焔”ときたか。話がきな臭くなってきやがる」
「現場には焦げ跡がありました。ただの火じゃない。魔力が……深く染みついてました」
ユナが落ち着いた声で説明する。
「感情のようなものが混じっていて、それが“焔”の正体かもしれません」
「魔力の感情汚染……あまり聞かない現象だな」
「それに、“紅の騎士団”が痕跡を追っていた様子もありました」
レオンが椅子の背に腕を回しながら言うと、隊長の表情が一層険しくなる。
「……やはり、奴らが動いているか」
「ご存知なんですか? 紅の騎士団のこと」
ミレイが問いかけると、隊長はうなずきつつも言葉を選ぶように少し間を空けた。
「王国直属の特殊部隊だったが、今は半ば独立状態だ。“記憶災害”への対応を名目に、各地で独自に動いているという話だ」
「つまり、ギルドの指揮下にはない……」
アオイがつぶやくと、隊長は重くうなずいた。
「奴らの目的は明確じゃない。だが、“記憶”に強い執着を持っていることは確かだ。今のうちに備えておくべきだな」
その言葉は、ただの警告以上の意味を持って聞こえた。
アオイは、胸の奥で何かがざわつくのを感じた。
(……きっと、またあいつらと出会うことになる)
霧の谷で感じた、あの“重さ”──忘れることはできない。
「次の任務がある。詳細は休息後に伝えるが、今度は南西の廃村に、記憶の異常反応があるという報告が入った」
隊長の声に、全員が静かにうなずいた。
それはまるで、彼らの歩みが“何か”に導かれているかのようだった。
(俺たちも……動くしかない)
そう思いながら、アオイは仲間たちの顔を見渡した。
どこか不安げで、けれど揺るがない瞳たち。
再び旅路が始まる。
紅の焔が揺らめく、その先へ──
ギルド本部をあとにし、〈暁星の灯〉の一行は南西の廃村へと向かっていた。
夏の名残を感じさせる風が、草むらを優しくなでていく。だが、その穏やかさとは裏腹に、どこか空気は重く感じられた。
「レオン、さっき言ってた“記憶災害”って……本当にそんなに危険なのか?」
アオイが隣を歩きながら尋ねる。
「うん。普通の魔物や盗賊とは訳が違う。“記憶”ってやつは、人の芯に触れる部分だからな」
「芯……」
「忘れられた過去、誰かの想い、怒り、悲しみ……そういうのが、“魔力”と結びついて暴れ出す。それが“記憶災害”だ」
「だから、騎士団が動いてるんだね」
ユナが後ろから声をかける。
「でも、あの人たち……どこか、焦ってるように見えた。何かを追い詰めるような目をしてた」
「まるで、“時間がない”って思ってるみたいだったよね」
ミレイが言い、ガルドも短くうなずいた。
「……焦げ跡が、昔見たのと似てた」
突然、ぽつりとガルドがつぶやいた。
皆が一瞬、足を止める。
「前にも言ったが……俺の村でも、ああいう焔があった。赤くて、熱くて、でもどこか悲しい匂いがした」
アオイはそっと彼の横顔を見る。
(……やっぱり、何かあったんだ)
ガルドの語る過去は多くはない。それでも、彼の言葉にはいつも重みがあった。
「そのときのこと、覚えてる?」
「……家族を、村を……全部、喪った。だから、ああいう痕跡を見ると、どうしても気になっちまうんだ」
「ガルド……」
ユナが静かに目を伏せる。
「……すまん。余計な話だったな」
「ううん。大事な話だよ。むしろ、ありがとう」
アオイはそう言って、ガルドの背中に追いついた。
(この人にも、守りたいものがあったんだ。俺と同じように──)
廃村へと続く道は、やがて岩肌の多い細道へと変わっていった。
地形が険しくなるにつれ、空気もまた、ゆっくりと重く、澱んだものに変わっていく。
「……ここ、空気が変だな」
レオンが立ち止まり、周囲を見回す。
その瞬間──
「っ……!」
ユナが胸を押さえ、膝をついた。
「ユナちゃん!?」
アオイが慌てて駆け寄ると、彼女は首を横に振った。
「大丈夫……ただ、すごく強い“感情”が……この場所に染みついてる。怒りと、哀しみが……重なってる」
(また、“記憶”か……)
一行は静かに、だが確実に、何かに導かれるように廃村の入り口へと足を踏み入れた。
その先に待つものが、彼らの運命を揺るがすものであることを、まだ誰も知らなかった──。
廃村は静まり返っていた。
崩れた屋根、瓦礫と化した壁、雑草に覆われた道。
すべてが、かつてそこに“暮らし”があったことを語っている──だが、それはあまりに無言で、そして寂しかった。
「……誰も、いないんだな」
アオイがぽつりと呟く。
「当たり前だよ。こんな場所に、まともに住めるわけがない」
ミレイが苦笑まじりに言いながらも、目は鋭く辺りを警戒している。
「けど、何かがあった痕跡はある。見て」
ユナが指さした先には、赤黒く焦げた地面があった。
まるで何かが爆ぜたような、不自然な焼け跡。
「……これ、さっき見たのと似てるな」
レオンが警戒を強める。
「この廃村……やっぱり“焔”の震源地の一つか」
「何か……残ってるかも」
アオイがそっと地面に触れた。
その瞬間、微かな反応があった。
指先に、ぴり、と小さな魔力の痕跡が走る。
「……赤い魔力。でも、それだけじゃない」
「……混じってる?」
ユナが静かに跪き、アオイの隣に手を添えた。
「赤……それから、青。ほんの微かだけど、確かに……」
「青……!?」
アオイの心が、一瞬だけざわついた。
(なんで……こんなところに、青の痕跡が……?)
けれど、それが何かを理解するには、今はまだあまりにも情報が少ない。
「焔に巻き込まれた人たちの“記憶”が……残ってるのかも」
「それを“紅の騎士団”が追ってるんだよね。痕跡を集めてる……」
ミレイが言う。
「でも、それって……どうしてあいつらだけでやろうとするんだろうな」
レオンの言葉には、どこか苛立ちがにじんでいた。
「焦ってるんだよ。あの目……何かを“取り戻そう”としてる目だった」
ユナのその言葉に、全員が黙り込む。
「“記憶”に、何か……とても大きな意味があるのかもしれない」
「過去を……見てるだけじゃない。変えようとしてるのかもな」
ガルドが、かすかに低い声で呟いた。
「変える……?」
「いや、すまん。ただの独り言だ」
アオイは、ガルドの目の奥にあるものが気になった。
(この人も……過去に何かを、喪ってきたんだ)
「ともかく……ここでの調査は十分だ。帰還の報告と、紅の騎士団の動向を伝えるのが先だな」
レオンが立ち上がり、廃村の外を見やった。
「……あれ?」
アオイがふと、視線を落とす。
瓦礫の隙間に、ひときわ黒い小石が転がっていた。
「これは……」
拾い上げた瞬間、わずかに光がにじむ。
赤と、青。二色の魔力が、ほんのかすかに交差している。
(……なんで、“青”がここに?)
言いようのない不安が胸をかすめた。
だが、それが何かを問い直すには、まだ時間が足りない。
アオイは、そっとその石を懐にしまい、仲間たちのあとを追った。
──何かが、少しずつ動き出している。
だが今はまだ、それがどこに向かっているのかは、誰にも見えなかった。
村の外れ、小高い丘の上に立つと、そこからは焼け落ちた家々が見渡せた。
沈黙の中に、かすかな風の音だけが鳴っている。
誰もいないはずの場所に、確かに“何か”があった──そう思わせる気配が、そこかしこに漂っていた。
「ここ、やっぱり……誰かの“終わり”の場所だったんだな」
アオイがそう口にしたとき、後ろから小さな足音がした。
「……やっぱり、ここに似てる」
ガルドだった。
いつも無口な彼が、自ら近づいてくるのは珍しい。
「……昔、住んでた村が、少しこんな感じだった」
そう言って、彼は焦げた地面にそっとしゃがみこむ。
「小さくて、静かな村だった。みんな顔見知りで、火を囲んで食事をして、騒がしくはなかったけど……温かかった」
誰も言葉を挟まない。
「ある日、突然襲われた。理由はわからない。ただ……炎に包まれて、終わった。何も守れなかった」
それだけを語ると、ガルドはそれ以上話さなかった。
だが、その背中は、普段よりも少しだけ近く感じられた。
「……ありがとう、話してくれて」
アオイの言葉に、ガルドはうっすらと頷いたように見えた。
「俺は……たぶん、こういうのを、もう見たくないんだと思う」
それは、淡くも確かな“決意”の言葉だった。
「……レオンたち、そろそろ集まってる頃だよ。行こう」
ユナの声にうながされ、アオイは立ち上がった。
廃墟と化したこの村に、もう何かを探す余力はなかった。
だが、心には何かが残っていた──それだけで、十分だった。
「戻ったら、報告だな。紅の騎士団の動きも、“痕跡”のことも」
ミレイが腕を組んで言うと、レオンがうなずいた。
「本格的に動くには、まずは情報だ。あいつらの動きを追うにも、準備が必要になる」
「……次に出会うときは、“敵”かもね」
ユナのつぶやきに、誰もがわずかに眉をひそめる。
「敵……か。けど、オレたちはオレたちのやるべきことをやるだけだ」
レオンが言い切る。
「……うん」
アオイもまた、かすかに拳を握った。
あの赤い鎧の男──ヴァルド。
冷たく見えたその瞳に、ほんの一瞬だけ“迷い”があった気がする。
敵なのか、それとも──
(今はまだ、わからない)
それでも、前に進む。
迷いの中でも、自分の意思で。
アオイは、仲間たちの背中を見つめながら、ゆっくりと歩き出した。
焔の記憶がまだ消えない、その廃村を後にして──
街への帰還路。
夕暮れが近づくにつれ、空は朱に染まり始め、地平の彼方で光と影が交錯していた。
長い一日だった。
霧の谷での戦い、記憶の魔物との遭遇、そして廃村で目の当たりにした“赤い焔”の痕跡。
仲間たちの足取りにも、言葉少なな疲労がにじんでいた。
「……戻ったら、ギルドに報告だよな」
レオンがぽつりとつぶやく。
「それと、あの石碑のことも。あれ、多分……普通の痕跡じゃない」
ミレイが応じた。
「うん。あれは、何かの“記憶の鍵”……そんな気がした」
ユナの言葉に、アオイはそっと懐を確かめた。
(……あの小さな黒い石。赤と青、二つの魔力の気配)
それはまだ答えを持たなかったが、確かに“次”へと続くもののように思えた。
「そういえば……お前、拾っただろ。あの石」
レオンがふとアオイの方を見た。
「え? あ……うん。なんか、気になって」
「ふーん……まぁ、悪いもんじゃなきゃいいけどな」
軽く笑って、レオンは前を向いた。
(悪いものじゃない。けど、これから俺たちが踏み込む場所に関係してる。……そんな気がする)
アオイは胸の奥で静かにそう思った。
しばらくして、一行は無事に街へ戻った。
ギルドの建物に入ると、見慣れた空気に少しだけ肩の力が抜ける。
受付の職員に軽く会釈し、報告の準備に入った。
──だがその夜。
仲間たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
レオンはギルドの資料室で古い記録をめくり、焔にまつわる過去の事件を探っていた。
ミレイは部屋の窓辺に座り、赤い光の残像を思い返していた。
ガルドは鍛冶場の隅で一人、冷えた鉄を磨いていた。
ユナは自室で、例の石碑の夢をもう一度思い出そうと、静かに目を閉じていた。
アオイは、夜の街を歩いていた。
風が冷たい。だが、澄んでいた。
「……俺たちは、何に向かって進んでるんだろうな」
誰に言うでもなく、呟いた。
それでも、迷ってばかりじゃ前に進めない。
赤い焔。記憶の魔物。石碑。そして、紅の騎士団──
ひとつひとつが、何かに繋がっている。
(なら俺も……自分の“力”で、そこにたどり着かなきゃいけない)
静かな夜の中、アオイの心に灯ったのは、小さくても確かな“決意”だった。
──次は、きっともっと深く踏み込むことになる。
だからこそ、立ち止まってはいられなかった。
翌朝。
朝靄がまだ街に残る中、アオイは早めに目を覚ましていた。
ギルドの一角、静かな訓練場。
誰もいないその空間で、彼は一人、呼吸を整えていた。
(……昨日の戦いで感じた“限界”。それを超えなきゃ)
手に力を込め、基本の構えを取る。
身体強化魔法を静かに巡らせ、意識を集中させていく。
──だが、その奥に微かに反応する“何か”があった。
赤の魔力でも、いつもの流れでもない。
それは昨日、石に触れたときに一瞬だけ感じた“もう一つの色”。
(……まだ、わからない。けど、あれは──)
「おい、こんな朝っぱらからストイックだな」
声をかけてきたのはレオンだった。
「……ちょっと気になってさ。身体の反応とか、動きの確認とか」
「ま、いいことだ。お前のそういうとこ、嫌いじゃねぇよ」
レオンは笑いながら肩をすくめると、軽く拳を構えた。
「ほら、せっかくだし軽く一発やっとくか?」
「えっ……いきなり!?」
「文句言う前に構えろよ、弟分!」
冗談半分、本気半分の拳が、アオイの目の前で振るわれる。
とっさにかわし、受け流し、返す。
一瞬だけ、昨日の戦いで掴んだ感覚が、指先に残っていた。
──戦う理由。
──守りたいもの。
──進むべき道。
拳と拳がぶつかった瞬間、レオンがふっと笑った。
「やっぱ、お前強くなってるわ。安心したぜ」
「……ありがとう、兄貴分」
笑いながら言い返し、拳を下ろす。
互いの額には汗が滲んでいたが、それは心地よい疲れだった。
その日の午後、ギルドの作戦室に集まった一行は、新たな任務の説明を受けた。
地図に示されたのは、かつて鉱山だったという場所。
「“記憶の痕跡”がそこにもある可能性が高い。紅の騎士団の動きも、そっちの方面に確認されているらしい」
ギルドの職員の声に、仲間たちは目を合わせた。
「次は……鉱山跡か」
「きっと、また一歩踏み込むことになる」
ユナが静かに言った。
アオイは、懐にしまった小さな石に一瞬だけ触れ──そして頷いた。
(この先に、きっと何かが待ってる)
小さな“炎”が、胸の奥でまた静かに灯った。
彼らの旅はまだ続く。
過去と未来、そのどちらとも向き合いながら──
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
アオイたちは“赤い焔”の真相を追いながら、それぞれの過去や思いと向き合い始めています。
ガルドの静かな語り、ユナの感応、ミレイの優しさ、そしてレオンとの拳──
一つひとつの描写が、アオイの歩みを照らす灯になっています。
次回からは、さらなる“記憶の痕跡”と対峙していく鉱山編へ。
少しずつ、深く、静かに。
この物語があなたの心にも届いていたら、とても嬉しいです。
どうか引き続き、よろしくお願いします。