第4話 紅の騎士と背中の誓い
“仲間”って、何だろう。
戦って、支え合って、時にぶつかって。
でも、信じてくれる誰かがいるだけで、こんなにも世界は違って見える。
今回は、そんな「小さな成長」と「初めての冒険」から始まる物語です。
空気が、少しだけ冷たかった。
朝靄が村の端を覆い、木々の葉先に夜露が残っている。夜明けの太陽がそれを淡く照らしていた。
「……ふあぁ……」
アオイはあくびを噛み殺しながら、ギルドハウス前の集合場所へと歩いていた。昨日の戦いの疲れが、まだ身体にわずかに残っている。けれど、それ以上に胸の内に灯った熱が、彼を歩かせていた。
“仲間だよ”
ユナの言葉が、何度も心の奥で反響していた。
信じてくれる人がいる。それだけで、足取りは驚くほど軽くなる。
「お、来たか新入り」
すでに集まっていたレオンが、肩のストレッチをしながら声をかけた。
「おはようございます、レオンさん」
「堅いな。“おはよう”でいい。お前も、もうウチの仲間なんだからよ」
アオイは一瞬迷ってから、うなずいた。
「……おはよう、レオン」
「うし、よく言った。今日は軽めの任務だ。気張りすぎんなよ」
「うん!」
そうして挨拶を交わす間に、ガルドが静かに装備を確認し、ミレイがパンをかじりながら片手をひらひらさせてきた。
「おっはよーアオイくん。ちゃんと眠れた? 昨日あんなにガチガチだったのに」
「……まあ、なんとか」
「ふふ、よかった。今日はもう少しリラックスして戦えるといいね」
ユナの声は、いつもより少し明るく感じた。
ギルドパーティ〈暁星の灯〉としての初めての“正式な依頼”。
行き先は村から北東、半日ほど進んだ先にある古い遺跡周辺――最近、魔獣が出没するとの報告があった場所だった。
「じゃ、そろそろ出発するか」
レオンの号令に、皆が一斉に動き出す。
「アオイ。緊張してる?」
歩き出してすぐ、ユナが隣に並んで話しかけてきた。
「……ちょっとだけ。でも、大丈夫。昨日よりは」
「うん、それでいい。焦らなくても、ちゃんとアオイのペースでいいからね」
そう言って微笑むユナに、アオイは少しだけ顔を赤くした。
(……ユナちゃん、マジ天使)
心の声が、自然とこぼれた。
彼の足取りは、もう“村の少年”だった昨日とは違っていた。
村を出てから数刻。道は徐々に森へと入り込み、獣道のような細い小道に差しかかっていた。
「ふう……けっこう歩くんだね」
アオイが額の汗を拭いながらつぶやくと、前を歩くミレイが振り返りざまににやりと笑った。
「まだまだ、これからが本番だよ~。遺跡って、だいたい“たどり着く前に疲れる”場所にあるんだから」
「……嫌な知識だな」
ぽつりとレオンが言い、後ろでガルドがくすりと小さく笑ったのが聞こえた。
それでも、道中は悪くなかった。森の中を抜ける風は気持ちよく、草花の香りが鼻に心地よかった。ときおり鳥の鳴き声や、小さな動物の姿が見える。ギルドの仲間たちも、時折冗談を交えながら、アオイを気にかけてくれていた。
「前よりも自然に歩けてるじゃない。筋肉痛とかは?」
「うん、ちょっとあるけど、平気」
ユナとそんなやりとりを交わしながら、アオイは自分の歩幅が皆と揃ってきていることに気づいていた。昨日までなら、自分だけ遅れていただろう。だが今は、ちゃんと“隊列”の中にいる。
(少しずつ、馴染んでいけてるのかもしれない……)
そう思えたとき、不意にミレイが足を止めた。
「……ん? 魔物の気配。前方、三匹……いや、四匹。小型だけど速いよ」
「距離は?」
「あと……十数メートルってとこかな。飛びかかってくるよ、たぶん」
レオンが即座に剣を構えた。
「アオイ、落ち着いてな。お前は右の側面に注意を払え。初見殺し系の動きするかもしれん」
「わかった!」
返事と同時に、茂みの中から四足の獣が飛び出してきた。茶色い毛並み、鋭い牙。群れを成して狙いを定めてくるその姿は、野犬に似ていたが、瞳が異様に赤く光っていた。
「行くぞッ!」
レオンが前に出て、ミレイが風の魔法で横から援護する。ユナは後方で防御結界を展開し、ガルドが後衛の護りにつく。
そしてアオイは――
「はッ!」
咄嗟に踏み込んだ一歩、右に回り込んできた魔物の動きを察知し、拳を叩き込んだ。完全な命中ではないが、肩を押し戻す程度にはなった。
「まだ……!」
すぐに次の動きに備えようとしたそのとき、ミレイの風刃がその魔物を一閃。倒れ込んだ敵を見て、アオイは無意識に拳を握った。
(……俺も、やれる。もっと、ちゃんと……)
短い戦闘が終わると、ガルドが無言でアオイの肩をぽんと叩いてくれた。
「お見事」
ユナが笑う。アオイの胸が少しだけ、誇らしくなった。
戦闘を終えて少し歩いた先、小さな沢の近くで一行は短い休憩を取っていた。水の流れる音が静かに響き、鳥たちのさえずりが、森の奥から聞こえてくる。
「……水が冷たくて、気持ちいい」
手を濡らしたアオイがそう言うと、ユナが隣で優しく笑った。
「こういう時に、自然の中にいるって実感できるよね。私、冒険者になってから、こういう時間がすごく好きになったんだ」
「へぇ……なんか意外だな。ユナちゃんって、もっと……何ていうか、都会的っていうか」
「ふふっ、どういうイメージだったの?」
「えっ、いや、その……」
(マジ天使……とか、そんなの、言えるわけない)
思わず目を逸らしたアオイに、ユナは小さく笑いながら水をすくって頬に当てた。
「でもアオイくんも、動き、すごく良くなってたよ。さっきの戦い、しっかり反応できてた」
「……ありがとう。でも、まだ全然だよ。攻撃が軽かったし、足もふらついてた。ちゃんと倒しきれたわけじゃないし……」
言葉にした瞬間、自分の中に残っていた悔しさが少し顔を出す。
そんなアオイを見つめていたのは、少し離れた岩に腰かけていたレオンだった。
「なぁ、アオイ。お前、強くなりてぇんだろ」
「えっ……?」
「いや、見てりゃ分かるさ。動きも心もまだまだだけど、踏み込みに迷いがなかった。ああいうのはな、ただ“こなしてる”奴にはできねぇんだよ」
アオイは、言葉が出なかった。
「お前がどんな理由でギルドに来たのかは知らねぇ。でも、仲間として動く以上、頼りにしてる。自分を信じろ」
そのまっすぐな言葉に、アオイの胸が熱くなる。
「……俺、強くなりたいです。ちゃんと、みんなの役に立てるように……」
レオンがうなずいた。
「いい返事だ。じゃあ、このあとちょっと身体の使い方、見てやるよ。ああ見えてガルドもこういうの得意だからな」
「……ほんとですか?」
「おう。期待してろ、新入り」
アオイは思わず笑った。どこか温かく、少し懐かしい気持ちだった。
仲間って、こういうものなのかもしれない
陽が傾き始めたころ、一行はようやく目的の遺跡の前へとたどり着いた。
そこは鬱蒼とした森の中にぽっかりと現れた、小さな石造りの建物の跡地だった。苔むした石壁と、崩れかけた門柱がかろうじて“かつての入口”を示している。誰の手によって造られたのか、どんな役割があったのか──今となってはもう分からない。
「……思ったより、こじんまりしてるね」
ミレイが肩をすくめる。
「内部は二層構造。地上部分は簡単な監視塔、地下に本体があるらしいです」
そう言ったのはガルドだった。手にしていた簡易地図を畳みながら続ける。
「古文書によれば、ここは《月影の塔》って呼ばれてた場所。魔力の流れが歪んでいて、モンスターの巣になってる可能性が高い」
「なるほどな。アオイ、気を抜くなよ」
レオンの言葉に、アオイは強くうなずいた。
「はい」
重苦しい空気が張りつめていく。扉はなく、建物の入り口はぽっかりと空いている。中から吹き出す冷たい風に、アオイは思わず背筋を正した。
「じゃ、行くか。ミレイ、先頭頼む」
「任されました~」
ミレイが前を歩き、ユナとアオイがその後ろについた。ガルドとレオンが最後尾を固める。
中に入ると、空気の温度が一気に変わった。森の中の湿った暖かさとは違い、ひやりとした冷気が肌を刺す。床は石造りで、ところどころに亀裂が走っている。
「足元、注意してね」
ユナの声に、アオイはこくんと頷いた。
一行は慎重に進んでいく。外見以上に内部は広く、廊下は三方向に分かれていた。中央の道は真っ直ぐ地下へと続いているようだ。
「こっちだな。魔力の流れが濃い」
ガルドが呟いたその時だった。
──カッ……
乾いた音が、廊下の奥から響く。
「……今の音……」
「足音、だな」
レオンが剣に手をかけた。全員が身構える。
数秒後、奥からゆっくりと人影が現れた。
赤い外套、長身、漆黒の鎧。手には大剣。仮面の下からのぞく視線が、アオイたちを静かに射抜いていた。
「……来たな」
低く、よく通る声だった。どこか懐かしい響きがあったが、アオイには覚えがない。
「名乗れ。何者だ」
レオンが一歩前に出る。
しかし、その男は名を明かさず、ただこう言った。
「ここから先へ進むには、試される資格がある。──さあ、示せ。貴様らの“誓い”を」
その瞬間、遺跡全体が低く唸った。壁に埋め込まれた魔力灯が淡く赤く光り始める。
(……これは、普通の敵じゃない)
アオイの心臓が、鼓動を早める。
「誓い、だと……?」
レオンが眉をひそめると、仮面の騎士は微動だにせず、ただ剣を構えた。その刃からは熱気のようなものが立ち上っていた。赤い魔力が周囲の空気を歪ませる。
「問答無用ってやつかよ。面倒だが──やるしかねえな!」
レオンが一歩踏み出す。だが、その瞬間。
「待って」
ユナが前へ出た。
「この人、何かを守ってる……そんな気がする。誰かの命令で、無理やりここに……」
「ユナ……?」
「私の勘かもしれない。でも、悲しそうな目をしてた……」
ユナの言葉に一瞬、全員が戸惑った。
それでも、次の瞬間には避けられない現実がやってくる。
「構えろ、来るぞ!」
レオンの叫びと同時に、仮面の騎士が飛び込んできた。
大剣が振り下ろされる。地面が抉れ、石片が飛び散る。
「っ、速い!」
レオンが剣を合わせて受け止めるも、その重さに腕が痺れる。
(この強さ……下手すりゃ、一撃でやられる)
アオイはそう感じた。
「ミレイ、援護を!」
「任せて!」
風の刃が空を裂き、騎士の背後から襲いかかる。だが、赤い魔力がそれを弾いた。
(防御の魔力結界……? やっかいだ)
「ユナ、補助を頼む!」
「うん!」
ユナの魔法がレオンにかかり、動きが一瞬軽くなる。速度上昇の補助魔法だ。
「ガルド、回り込め!」
「了解」
ガルドが重い足取りで背後へ向かって動く。戦線が整うなか、アオイは自分の立ち位置を見つけられずにいた。
(俺にできることは……なにか、ないか?)
身体が強張る。だが、あの時の記憶が蘇る。
──「お前がどんな理由でギルドに来たのかは知らねぇ。でも、仲間として動く以上、頼りにしてる。自分を信じろ」
レオンの言葉。
──「動き、すごく良くなってたよ」
ユナの言葉。
アオイは、そっと拳を握った。
「……俺に、魔法の才能なんてない。だけど……!」
瞬間、アオイの身体が前に走った。
「アオイ!?」
「大丈夫、俺……ちゃんと見てたから!」
ガルドの背後から跳ね上がるように飛び出したアオイは、仮面の騎士の視線の隙を突いて、地面を蹴った。
「はああああっ!!」
拳を突き出す。全身の力を、一点に込めて。
(せめて、動きを止める!)
仮面の男が振り返ったとき、アオイの拳がその鎧にぶつかった。
衝撃と共に、紅の魔力が散る。
「っぐ……!」
騎士が一歩、二歩と後退した。
一瞬の、ほんの一瞬のチャンス。
「今だ、レオン!!」
「──らぁあああっ!!」
レオンの剣が閃いた。
剣戟が響いた。
レオンの剣が仮面の男の肩口をかすめ、火花を散らした。鋼鉄の鎧の奥に確かな手応えがある──だが、それでも敵は膝をつかない。
「……なかなかやるな」
静かな声。だが、その仮面の奥には、確かに熱が宿っていた。
「強がってんじゃねえよ、今のは効いただろ!」
レオンが間髪入れずに踏み込み、続けざまに斬りかかる。だが仮面の男は一歩退きながらも、的確に剣を受け、反撃の機をうかがっていた。
ミレイの風刃が再び飛ぶ。ガルドが迂回しつつ、じわじわと包囲を固めていく。ユナの支援魔法が全体に行き渡り、戦局はじわじわと傾きつつあった。
「もう一押し……!」
アオイは拳を握ったまま、一歩引いた位置にいた。さっきの一撃で手が痺れている。でも、心は揺らいでいなかった。
(俺にできること、まだある。動きを封じる……それだけでもいい)
次の瞬間、仮面の男が叫んだ。
「──十分だ。見せてもらった」
「えっ?」
全員が動きを止めた。
赤い魔力がふっと収まり、仮面の男は剣を地面に突き立てる。戦意が、まるで消えたように感じられた。
「お前たちの“誓い”……確かに受け取った。心に従い、仲間を守る意思。──それがある限り、お前たちは進める」
「何の話だ……?」
レオンが剣を下ろす。
仮面の男はゆっくりと仮面を外した。
現れたのは、まだ若い顔立ちの男だった。だがその目には、戦いの中で積み重ねられた深い苦悩が浮かんでいた。
「俺は、かつてこの塔を守っていた騎士だ。ある使命と引き換えに、ここに縛られ続けていた。だが……お前たちの姿を見て、ようやく……俺も前に進める気がした」
「……それって、あなた……」
「もう大丈夫だ。後を託す。お前たちが進む道が、どうか誓いを貫く道であるように」
そう言って、男の姿がゆっくりと魔力の光の中へ溶けていった。
まるで、魂がようやく解き放たれたかのように──。
「……なんだったんだ、あの人……」
ミレイが呟く。
「でも、確かに……感じた気がする。あの人の心」
ユナの言葉に、アオイは黙って頷いた。
拳に残る余韻。熱。痺れ。
(……俺にも、何かできたんだ)
その時、アオイの心の中に、ふと湧き上がる言葉があった。
──ユナちゃん、やっぱマジ天使だな。
(回復も支援も、全部こなして、こんな状況でも人の心を見ようとして……)
思わず自分でも苦笑いしながら、アオイはその言葉を飲み込んだ。
「さて、次は地下だな」
レオンが前を見据えて言う。
「この奥に、まだ何かがある……きっと」
アオイは拳をそっと握りしめた。
自分の力を信じること。その先に、きっと答えがある。
(俺は、ここで終わらない)
そう胸に誓って、アオイは一歩を踏み出した。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます!
今回はアオイたち〈暁星の灯〉の初任務でした。
旅のはじまりには、いつも不安と期待が混ざっています。
でも、それを支えてくれる仲間がいるって、いいものですね。
少しずつ世界が広がっていく感覚を、いっしょに味わってもらえたら嬉しいです。
またお会いしましょう!