第30話 残響の記録
〈フォンタナの谷〉での戦いを終えたアオイたちは、
そこに残された“記憶”と向き合うことになる──。
誰かの“想い”が刻まれた石碑。
異形の影が守ろうとしたものとは、いったい何だったのか。
今回は、物語の静かな節目。
“過去”に耳を傾けるような第30話をお届けします。
──戦いが終わった。
まるで、その静けさが“何か”を語っているかのように、全員が石碑の前で立ち尽くしていた。
石碑は無言のまま、ただそこに在る。
異形の影が守ろうとした“想い”が、この石に刻まれているのだと、誰もが本能的に理解していた。
アオイが、ゆっくりと前に出る。
その手が石碑に触れた瞬間──
淡く、光が灯った。
それは焔ではなく、怒りでもなく──
ただ、残された記憶の“温もり”だった。
「……これは、誰の記憶だろう」
アオイの呟きは、空気を震わせるように響いた。
誰かがここで、“守りたい”と願った。
誰かがここに、“遺したい”と願った。
カルヴァロ・ノクスが喰い尽くせなかった“想い”。
それが、ここに残っている。
「感じる……悲しみと、祈りが混ざってる」
ユナちゃんが小さく目を閉じた。
「怒りに飲まれずに、“想い”だけをここに……」
ミレイがそっと腕を組んだまま言う。
「それでも、あの異形が現れたってことは……
この記憶は、“守られながらも苦しんでた”ってことよね」
「……なら、俺たちがやるべきことは、もう一つある」
アオイの声が、静かに、けれど確かに響く。
「この記憶の中身を……“知って”やらないといけない」
誰も反対はしなかった。
石碑の光が、彼らの答えを受け止めたかのように、少しだけ強く輝いた。
──その光は、再び“記憶”を紡ぎ始める。
──記憶が、流れ込んできた。
まるで風が吹き抜けるように、石碑から発せられた光が、アオイたちの周囲を包んでいく。
色が混ざり、音が重なり、やがて──一つの光景が浮かび上がった。
「……これは……」
どこかの戦場だった。
火の海。倒れ伏す兵士たち。
その中心に、一人の騎士が立っている。
紅の鎧を身にまとったその背は、すでに傷だらけだった。
だが、彼は立ち続けていた。倒れた者をかばうように。
その腕には、少女の遺体が抱かれていた。
「……ヴァルド?」
レオンが名を呟く。だが、違った。
その顔はヴァルドではなかった。
もっと若く、どこか儚げな目をしていた。
「違う……ヴァルドじゃない……誰?」
アオイの胸に、ざわめくような感覚が走る。
(でも、知ってる気がする……この人──)
その騎士は、仲間を守るために剣を振るい、何かに叫び続けていた。
──なぜ、守れなかった。
──なぜ、奪われなければならなかった。
──せめて、この“想い”だけは、消えないように。
やがて光景は、静かに消えていった。
記憶の波は凪ぎ、アオイたちは再び“今”へと戻る。
「……あれが、この石碑の記憶……?」
ユナちゃんの声は震えていた。
「誰かの……大切な“人を守れなかった記憶”」
ガルドがぽつりと呟く。
「きっと……この記憶が、あの異形を生んだんだ」
ミレイの言葉に、アオイは静かに頷いた。
「でも、その記憶は……俺たちに何かを伝えようとしてた」
「“守りたかった気持ち”を、ただ誰かにわかってほしかったんだよ……」
石碑の光は、少しだけ揺れた後、すうっと消えていく。
そして、もう一度、静けさが谷を包み込んだ。
「……ありがとう」
アオイは小さく呟いた。
「残してくれて。伝えてくれて。俺たち、ちゃんと……受け取ったよ」
彼の掌が、石碑から離れる。
その瞬間──
風が、吹いた。
谷を抜ける優しい風が、彼らの頬を撫でる。
それはまるで、「ありがとう」と返してくれたかのようだった。
風は、まだ吹いていた。
けれどもう、あの影のように唸ることはなく、穏やかに谷を撫でるだけだった。
ユナちゃんはそっと胸元に手を添える。
そこには、アオイから託された護符──“風結の護符”が、静かに存在していた。
何も語らずとも、その護符が伝えてくるものがある。
それは「信頼」でもあり、「帰る場所」でもあり、
そして「一緒に歩んでいく」という、静かな約束のようだった。
「……ちゃんと、届いたんだね」
ユナちゃんが小さく呟いた声は、誰にも届かないほどか細く、けれど澄んでいた。
彼女の瞳に浮かんでいたのは、悲しみではなく、温かさだった。
アオイは黙ってその横顔を見ていたが、ふと視線を空へと向けた。
「この谷に残された“想い”……たぶん、どれも誰かの“誓い”だったんだ」
「うん」
ユナちゃんが頷く。
「守りたかった人。伝えたかったこと。忘れられたくなかった記憶。
……それってきっと、私たちが進もうとしてる道と、どこかで重なってる」
「そうだね」
アオイは拳を握り、そっと見えない風に向かってつぶやいた。
「ありがとう。おかげで、また少しだけ強くなれた気がするよ」
そのとき──風が、ふわりと二人のあいだを吹き抜けた。
ただの風ではない。
谷に残された“誰かの想い”が、最後に届けてくれた、別れの挨拶だった。
「……行こう」
アオイが振り返ると、仲間たちはもう進む準備を整えていた。
レオンが剣を軽く持ち上げ、ミレイが肩をすくめるように笑う。
ガルドは静かに、しかししっかりと頷いた。
「ここで得たものを、次に繋げなきゃな」
「ええ。忘れずに、持っていくわよ」
──そして、彼らは再び歩き出す。
谷を抜け、次なる地へ。
風が後ろからそっと背中を押してくれている気がした。
──谷を越え、彼らは進んでいく。
足元の土はまだ冷たい。
けれど空は少しずつ、その灰色の雲を手放しはじめていた。
「……次は、“北の道”だよね」
ユナちゃんがぽつりと呟いた。
「うん。確か“フォンタナの谷”を抜けた先に、古い祠があるって聞いたことがある」
アオイが答えると、レオンが肩を回しながら笑った。
「また厄介な場所に行くんだな、まったく」
「でも……」
ミレイが空を見上げる。
「さっきまでの空気とは違うよね。……風が、やさしくなってる」
アオイは黙って、背中の風を感じた。
温もりのある風──
きっと、それはあの石碑に刻まれていた想いが、最後に残してくれたもの。
もう、怒りも悲しみも、そこにはなかった。
ただ「繋ぎたい」という、言葉にならない願いだけが、風に乗っていた。
「……忘れないよ」
アオイは小さくつぶやいた。
「ここで出会った記憶も。……戦ったあの影も。全部、俺たちの歩みに繋がってる」
風が頬を撫でた。
それはまるで、「そうだ」と語りかけてくれるようだった。
やがて彼らの足音は、岩の道を離れ、柔らかな草の上へと移っていく。
木々が揺れ、光が差し込む。
──“記憶の谷”と呼ばれたこの場所に、ようやく静かな朝が訪れようとしていた。
アオイたちの影は長く、けれど真っ直ぐに伸びていた。
その先に何があるのか、誰も知らない。
それでも、彼らは進んでいく。
“蒼”の誓いを、その胸に灯したまま。
誰かの記憶に触れ、誰かの想いを受け取り、
アオイたちの“蒼”は、また少しだけ深くなった。
──その歩みは、もう止まらない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回は“戦いのあと”に残された想い、
そしてそれを受け取るアオイたちの姿を描きました。
この話が読者さんの心にも、何か小さな温もりとして残ってくれたら嬉しいです。
次回から、彼らはまた新たな道へ。
よろしければ、引き続き見守っていただけると嬉しいです。




