東の道標(みちしるべ) 第18話 封じられた願い
──過去に囚われた想いは、時に未来への鍵となる。
ユナの記憶に眠る“村”の真実へと踏み込んだアオイたち。
そこで彼らが出会ったのは、ただの幻ではなく、確かに誰かが“願い”として遺した記憶だった。
今回の章では、“記憶の祠”という静かで幻想的な舞台を通じて、ユナ自身の過去と向き合う大切な転機を描いています。
過去の痛みも、後悔も、決して消えはしない。
けれど、そのすべてを受け止めた先に、新しい希望が生まれる。
そんな想いを、少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
静寂の中、アオイたちは石段を踏みしめ、祠の奥へと進んでいた。
壁面には古い魔法文字が刻まれており、いくつかは崩れかけて読み取れない。天井から滴る水音だけが響く中、空気の密度が徐々に変化していくのがわかる。
「……あれ、空間が……」
ユナが立ち止まり、眉をひそめた。
気づけば、あたりの景色が淡い靄に包まれていた。天井も壁もぼやけ、いつの間にか祠の構造すら感じ取れなくなっている。
「これは……“記憶領域”だわ」
ノエルが静かに言った。
「特定の想いが強く残っている場所では、現実の空間がその影響を受けることがあるの」
「ってことは、ここは……」
アオイがあたりを見回す。
どこか懐かしさを感じる風の匂い。耳を澄ませば、子どもの笑い声がどこかで聞こえた気がした。
「……ここ、知ってる」
ユナがぽつりと呟いた。
「小さい頃、父に手を引かれて来た場所。村の奥……森の境界にあった、記憶の祠。祈りの場だった」
彼女の声には、戸惑いと少しの震えが混じっていた。
「ユナちゃん、大丈夫?」
アオイがそっと彼女の肩に手を置いた。
その手の温もりに、ユナが小さく頷く。
「……うん、だいじょうぶ。ちゃんと、向き合うって決めたから」
「ここは、“祈った人間の想い”が最も強く残っている場所だろう」
ヴァルドが祠の奥を見つめたまま言う。
「想いが記憶として結晶化している……下手をすれば、心まで呑まれるぞ」
「構わないよ」
アオイが一歩前に出た。
「ここに、ユナちゃんの過去があるなら……知りたい。俺は、彼女のそばにいたいんだ」
「……あんたって、本当にまっすぐね」
ミレイが少しだけ苦笑する。
「そういうの、きらいじゃないよ」
その時、不意に風が吹いた。
どこからともなく現れた光の粒が、祠の奥へと流れていく。
それは、まるで“記憶”そのものがアオイたちを導いているかのようだった。
そして次の瞬間──
空間が、静かに“変わった”。
気づけば、アオイたちは“祠”ではない場所に立っていた。
広がるのは──記憶の中の村。
しかし、それは今の“焼けた村”ではない。かつて人々が暮らしていた、静かで穏やかな村の風景だった。
「……ここって……」
ユナが目を見開く。
足元には石畳。周囲には木造の家々と、遊び回る子どもたちの幻影。
懐かしい匂い、懐かしい光景。けれど、それはどこか“淡く”、触れれば消えてしまいそうな幻想のようでもあった。
「これが……“過去の記憶”?」
アオイが息を呑む。
「この空間全体が、ユナの村に残された想いに引き寄せられた“記憶の幻影”なんだわ」
ノエルの言葉に、ミレイが肩をすくめた。
「記憶にしてはやけに“鮮明”ね。これ、本当に幻影なの?」
「いや……違うな」
ラズがぽつりと呟く。
「これは……“願い”のかたちだ。忘れ去られた想いが、誰かの“残したかった記憶”として、ここに留まってる」
その言葉の意味を理解するより早く──
ユナが、ふらふらと前へと歩き出していた。
「……ユナ!」
アオイが呼び止めようとするが、彼女の足は止まらない。
彼女の視線の先にあったのは──
一本の大きな木の下で、ふたりの子どもが笑い合っている姿だった。
「……あれは……」
ユナの声が震える。
そこにいたのは──彼女が忘れようとして、けれどずっと忘れられなかった幼なじみ。
──少女リセと、その弟カイ。
かつて、一緒に森を駆け回った親友たち。
そして──村が焼かれた日、ユナの目の前で、姿を消した兄妹だった。
『ユナ! かくれんぼしよ!』
幻影のリセが、笑顔で手を振る。
『ほら、はやく!』
まるで時間が巻き戻されたかのように、あの頃の声が、あの頃の笑顔が、ユナの心を貫いていく。
「……リセ……カイ……」
ユナがその場に立ち尽くす。
涙が頬を伝い、地面に落ちる。
「どうして……私は……何もできなかったのに……」
アオイがすぐに彼女の隣へ駆け寄り、そっと肩を抱く。
「……ユナちゃん」
「こんな風に笑ってたのに……」
ユナの声はかすれ、震えていた。
「なのに、どうして──!」
そのとき──
幻影の空が、微かに“揺れた”。
歪む空間。ざわつく空気。
──記憶の奥に、何かが“動き出した”気配。
「まずい、来るぞ!」
レオンが剣を構える。
「影か? それとも……!」
霧の奥から、何かが姿を現そうとしていた。
忘れられた願いが形を取り、“想いの守り手”として現れる──そう、まるで“この記憶”を守るために。
霧がひときわ濃くなり、村の幻影がかすかに揺らいだ。
その中から、ひとつの“影”が現れる。
大人ほどの背丈で、長く垂れた腕、ぼんやりと光る眼。形ははっきりしないが、その“存在感”は圧倒的だった。
「……出たな」
カリスが双剣を抜き、前に出る。
「まるで“記憶”の守護者ってとこか。ここから先は通さねぇって顔だな」
「……いや、違う」
ノエルが冷静に周囲の魔力を読み取る。
「これは“攻撃”のためじゃない。きっと、“想い”を守ってるのよ。この村の……願いの核を」
「でも、あのままだと……!」
ミレイの言葉通り、影の動きは次第に鋭さを増し、何かを守るように周囲をぐるぐると巡り始めた。
村の中心、大木の下で笑っている幻影の兄妹。その傍にだけ、影は決して踏み込まなかった。
「……あれは、“記憶の番人”だ」
アオイが呟く。
「この場所を、そしてあの子たちの“願い”を、ずっと守ってきたんだ」
「じゃあ、敵じゃないってこと?」
ユナが問いかけるが、アオイは小さく首を振る。
「わからない。でも……ただ近づくだけじゃ、通してはくれなさそうだ」
そのとき、ラズが前に出た。
「俺に任せろ」
低く響く声とともに、彼は鎧の隙間に仕込まれた札を取り出す。
「これでも一応……昔、術式の研究をしていたんでな」
「お前が? ウソだろ……」
カリスが半笑いで言うが、ラズは無視して祠の石畳に印を描き始めた。
「この影の根は、記憶と感情に結びついている。だからこそ、“共鳴”できれば通じ合えるはずだ」
「共鳴……」
アオイがラズの様子を見つめながら呟いた。
やがてラズが立ち上がり、静かに手を伸ばす。
すると、影の動きが止まり、わずかにこちらを向いた。
「……俺たちは、君たちの“想い”を踏みにじりに来たわけじゃない」
ラズの声が、空間に溶けていく。
「ただ、見届けに来たんだ。君たちの願いを、ユナが……引き継ぎたいと、そう言ってる」
影がゆっくりと、揺れた。
そのまま、まるで“審判”するかのように、アオイたちの方へ歩み寄る。
そして──
「来るぞ!」
レオンが咄嗟に前へ出るが、影の一撃は、まるで“風”のように彼の頬をかすめただけだった。
「……試されてる」
ガルドが呟く。
「“本気”で向き合う覚悟があるか──そういうことだ」
「だったら、応えるだけだ!」
アオイが踏み出す。
体中に“赤の力”を集中させ、影の正面へ。
「俺は逃げない。君たちの願いも、想いも──絶対に、踏みにじったりしない!」
──影が止まった。
そして──ふっと、霧が晴れるように、その姿が“淡く”なっていった。
「……認めてくれた、のか?」
ユナが一歩踏み出す。
幻影の中で、兄妹が微笑み、手を振った。
まるで「行っていいよ」と言っているように。
「……ありがとう」
ユナが微笑み、涙をそっと拭う。
その瞬間、幻影の村全体が、優しい光に包まれ──
──ふたりの兄妹の姿が、静かに空へと還っていった。
霧が完全に晴れると同時に、まるで世界の輪郭そのものが変わったようだった。
先ほどまで曖昧だった村の輪郭が、くっきりと姿を取り戻す。
草木の一本一本、家屋の細部──すべてが、記憶の中の風景そのままに蘇っていた。
「まるで……」
ユナが呆然と呟いた。
「焼かれる前の村……そのまま……」
「これが、“核”だな」
ノエルが魔力を探るように指先を動かす。
「想いと記憶が結晶化し、この場に留まり続けている。……だから、番人が守っていたのよ」
「でも、ここに何があるっていうの?」
ミレイが辺りを見回す。
「ただの記憶なら、もう十分見たはずでしょ」
そのときだった。
──ギィ……
木の扉が、音もなく開いた。
村の中央にある一軒の家。古ぼけた木造の建物。ユナが見覚えのある場所だった。
「……あそこ」
ユナが指さす。
「……あの家、私の家だった」
静かに近づいていくと、戸口の先に──
ひとりの男性の幻影が立っていた。
「……お父さん」
アオイが反応する間もなく、ユナはふらふらと近づいていく。
男性は穏やかな顔で笑みを浮かべていた。
その姿は、以前見た霧の幻影とは違っていた。
──確かな“記憶”として、そこにいた。
「……ユナ。よく、ここまで来たね」
「どうして……ここに……」
「君が、忘れなかったからさ」
幻影の父は静かに言った。
「想いは、記憶となり、形を得る。この場所は、“約束”の場所なんだろう?」
ユナは息を呑んだ。
「……あのとき、私……なにもできなかった……!」
「それでもいい。想い続けてくれた、それだけで、もう十分なんだ」
父の幻影が、そっと手を伸ばす。
ユナもまた、無意識のまま手を伸ばしていた。
──ふたつの手が、交差する。
触れることはできないはずの幻影。
それでも、その瞬間、ユナの手には確かな“温もり”があった。
「これは……!」
アオイが思わず一歩踏み出す。
同時に、祭壇の奥から何かが“現れた”。
それは──
“紋章”だった。
淡い光を帯びた、草木の模様を模した印。
「これは……青の流派の……?」
ガルドが声を低くする。
「いや、違う……“始まり”の紋だ。青も赤も、すべてが生まれた源……!」
「お父さん……これは?」
ユナが幻影に尋ねる。
「それは、君たちがこれから進む道の鍵になる」
父は微笑む。
「君の“願い”は、もうこの森を超えている。だからこそ──進め、“未来”へ」
その言葉を最後に、父の姿はゆっくりと霧に溶けていった。
ユナはそっとその場に膝をつき、紋章を胸に抱いた。
その背中を、アオイが静かに見守っていた。
「……俺たちは、やっぱり、ここに来る運命だったんだな」
レオンがぽつりと呟く。
「この紋章が、きっと“次の扉”を開く」
ノエルが呟く。
「東の山脈、“修練の地”へ……」
風が、再び吹いた。
今度はもう、何も濁っていない。
まるで新しい始まりを祝福するように、やわらかな風が、村を包んでいた。
朝の光が、村を包んでいた。
霧は完全に晴れ、かつてここが“生きていた場所”だったということが、静かな風景の中に刻まれていた。
ユナはまだ、祭壇の跡に座ったまま、胸元に紋章を抱いている。
その横に、そっとアオイが腰を下ろした。
「……ユナちゃん」
「うん、大丈夫。ちゃんと……前に進めるよ」
ユナの声は、晴れやかだった。
もう、迷っていない。
「ありがとう、アオイ。……みんなにも、ありがとうって、伝えたい」
アオイは黙ってうなずき、空を見上げた。
どこまでも青く、どこまでも澄んだ空だった。
そんなふたりのもとに、ヴァルドたち紅の騎士団がゆっくりと歩み寄ってくる。
「これで……“あの子たち”も報われるだろう」
ノエルが呟く。
「森に縛られていた想いが、ようやく解き放たれた」
「……ああ」
ラズがうなずく。
「これで、ようやく“償い”の第一歩を踏み出せた気がする」
「ったく……結局、泣かされるとは思わなかったぜ」
カリスがつぶやき、そっぽを向く。
「別に感動したとか、そういうのじゃねえからな……」
「ふふ、素直じゃないね」
ミレイが軽く笑う。
「でも、終わったわけじゃない」
ノエルが表情を引き締める。
「この“紋章”が指し示す先……おそらく、もっと大きな“源流”がある」
「“記憶”の発生源……だとすれば、そこにはさらなる謎と危険が待っている」
レオンが険しい表情を浮かべた。
「けど、もう俺たちは逃げない」
アオイが静かに立ち上がる。
「“想い”を信じて進むって、決めたから」
「それじゃあ、あたしたちもついていくわけ?」
ミレイが振り返り、ヴァルドに尋ねた。
ヴァルドは短く頷く。
「共に行こう。記憶の源に、答えを見つけるために」
「だってよ、カリス」
「……勝手に決めるなっての」
「じゃあ置いてく?」
「……チッ、行くよ。どうせヒマだったしな」
そのやり取りに、みんなが小さく笑った。
敵として出会った彼らが、いまこうして隣にいる──
その事実が、これからの旅をより意味あるものにしてくれると、アオイは思った。
「じゃあ、次の目的地は……?」
「東方の山岳地帯。かつて“蒼の流派”の修行場があった場所だ」
ノエルが言った。
「伝承では“風の門”と呼ばれていた。そこに……“始まりの力”があるかもしれない」
「蒼の流派……!」
アオイの胸がわずかに高鳴った。
そこには、自分の“力”の真実があるような気がした。
「……ようやく、“出発地点”に立ったってことか」
レオンが背伸びをしながら笑う。
「よし、だったらさっさと準備して、朝飯食って、出発するか!」
「了解、レオン隊長」
ミレイがふざけたように敬礼し、ユナもその場に立ち上がった。
「さあ、“次”へ進もう」
アオイの声が、森に響く。
その一歩は、新たな旅の幕開けを告げるものであった。
木漏れ日が差す森の外れ。
少し開けた草地で、アオイたちは最後の準備を整えていた。
ガルドは荷をまとめ、ミレイは地図を広げ、ユナは祈るように胸の前で紋章を握りしめていた。
紅の騎士団の三人も、無言で装備を整えている。
だが、その空気は険しさではなく、どこか心地よい“静けさ”をまとっていた。
「……よし、出発の準備、完了」
レオンが手を叩いて立ち上がる。
「この先は、いよいよ山越えだ。“風の門”までは楽な道じゃねえ」
「けど、今の私たちなら、きっと乗り越えられる」
ユナが微笑んだ。
「この“願い”が、きっと導いてくれる」
ミレイが頷く。
「“記憶”を追ってたはずなのに、いつの間にか自分たちの“軌跡”になってきてる気がするわね」
「おい、うまいこと言ったつもりか?」
カリスがからかうように言う。
「ま、悪くねぇけどな」
「君もずいぶん柔らかくなったじゃないか、カリス」
ノエルがくすっと笑う。
「その調子で、仲良くしていきましょう」
「……無理はしない」
ラズがぼそっと言う。
「だが、必要なら手は貸す。それが俺の……けじめだ」
アオイは、その言葉に強くうなずいた。
「ありがとう。……また、何度でも言うよ。“仲間”として、よろしく頼む」
太陽が昇りきり、朝の冷たい風が、少しだけぬるくなり始める。
森を抜けた道の先には、うっすらと山並みが見えていた。
「“風の門”……そこから、俺は“蒼”へ進む」
アオイが静かに呟く。
「身体強化の“赤”しか知らなかった俺にとって、それはきっと新しい扉だ」
「修行が必要だな」
ガルドがぽつりと口にする。
「山岳地帯は険しいが……鍛錬にはうってつけだ」
「修行!? やだ~また筋肉痛とか勘弁!」
ミレイが叫んで、皆が笑った。
──その笑顔の裏に、確かな決意があった。
誰かの願いを継いで、自分の想いも重ねていく。
「じゃあ、行こうか」
レオンが歩き出し、続いて仲間たちが次々と道を踏み出す。
最後尾には、静かに祈るユナと、彼女を守るように並ぶアオイの姿があった。
空は澄み、風は穏やか。
そしてその空の下で──
かつて敵だった者と、かつて孤独だった者たちが、
ひとつの目的のもとに“仲間”となって進んでいく。
それはまだ、道の途中。
だが確かに、“物語の次章”が始まった瞬間だった。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
このエピソードは、物語の中でも特に“静けさ”と“祈り”を大切にした話でした。
村の記憶、兄妹の幻影、そしてユナの涙──すべては過去に取り残された想いであり、
それに寄り添い、受け入れることでようやく“次”へ進める……そんな物語にしたかったんです。
そして、ここで手に入れた“始まりの紋章”は、アオイたちの旅にとっての大きな転機。
次に向かう東方の修行場──“風の門”では、新たな試練と出会いが待っています。
紅の騎士団と、かつて孤独だった冒険者たちが、いまは同じ道を歩んでいる。
それぞれの想いが重なり合っていく旅の続きを、ぜひまた見届けてもらえたら嬉しいです。
それでは、また次の章で。