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第13話 君が還らぬ森で

黒樫の森に足を踏み入れたアオイたち。

そこはただの森ではなく、“記憶”が形を持って残る、不思議な空間でした。

今回は、ユナが出会う“もうひとりの自分”と、かつて守ってくれた“誰か”との記憶をめぐるお話です。


静かな中にも感情の波があり、少しずつ前へ進む一歩になってくれたら嬉しいです。

黒樫の森の奥へと、一歩ずつ足を進めていく。


 


空はもう見えなかった。

空気はひどく湿っていて、どこかよどんでいる。


 


「……光、届かなくなったね」


ユナがぽつりとつぶやいた。

彼女の声すら、葉の壁に吸い込まれていくように感じる。


 


「道、まだ続いてるのか?」


レオンが周囲を見渡す。

地図など、もう意味をなしていない。あたりはすでに“森の内側”──“何か”の領域に入っていた。


 


「この地形……少しずつ変わってる。森が“見せようとしてる”んだと思う」


ミレイの言葉に、アオイは思わず足を止めた。


 


(見せようとしている……?)


 


森が、生きている。

いや、それ以上に、誰かの“意思”がこの空間に染み込んでいるような……そんな気配があった。


 


「……この感じ、前にもあった」


ガルドが低くつぶやく。

「祭りの夜に消えた村」を訪れたときの、あの記憶の“引っかかり”と似ている。


 


アオイの胸にも、不意に重たさが差し込んだ。


(……気のせい、じゃない。ここには確かに、“誰か”がいる)


 


「気をつけて」


ユナが足を止めて言った。


「……このあたりから、記憶の“声”が近づいてくる気がする。私たちに……“見せようとしてる”」


 


「じゃあ、構えといた方がいいな」


レオンが剣に手をかける。


 


だが、敵意のある気配はない。ただ、そこにあるのは“強い想い”。

忘れ去られた、でも確かにここに“残っている”何か。


 


──ザッ……。


 


一陣の風が吹いた。

その風は、木々を揺らすことなく、まるで体の内側をなぞるように、全員を通り過ぎていった。


 


「……誰か、いるよ」


ユナがそう言ったとき、空間の奥に、わずかな光が揺れた。


 


その先には、見知らぬ景色が広がっていた。


赤い花が咲き乱れる、小さな空き地。


そして──そこに、ひとりの少女の姿。


 


「ユナ……?」


アオイが横を見ると、彼女の瞳はじっと、幻の少女を見つめていた。


 


その目に浮かぶのは、戸惑い。

そして、ほんのわずかな懐かしさだった。


 


「……あれは、だれ?」


 


だが、ユナ自身も──それが答えられない。


 


(あれは……私……?)


 


少女は、こちらに気づくこともなく、ゆっくりと歩き出す。


白いワンピースの裾が揺れ、花々の間を静かに通り抜けていく。


そして、彼女の後ろ姿が、森の奥に消えていった。


 


「……見せられてる、んだ」


ユナが静かに言った。


 


「“誰かの記憶”……それとも、“私の記憶”?」


 


アオイは、そっとその手を取った。


「行こう。確かめよう」


 


森は、ただ静かに揺れていた。

誰かの想いを、今もなお抱えたまま──。



森の奥へ進むにつれ、空間の質が変わっていくのがわかった。


音が消えていく。

鳥の声も、風のざわめきも、仲間の足音すら──


 


「……まるで、水の中にいるみたいだ」


アオイがつぶやいた。


歩いているはずなのに、足元の感覚が曖昧だった。

地面の苔はまるで霧のようにやわらかく、重力の方向さえ定かでない。


 


「さっきの子……また見える」


ミレイが指をさした。


木々の向こうに、白い影がふたたび現れていた。


 


少女は、こちらを見ない。

ただ、記憶の中の誰かのように、静かに歩き続けている。


 


「……あれ、“私”かもしれない」


ユナの声に、全員が振り返った。


「子どもの頃の、記憶……だと思う。ぼんやりしてて、全部は思い出せないけど──」


彼女は前を見つめたまま続けた。


「赤い花、白い服……あの森で、誰かを待ってた。そんな気がする」


 


アオイはそっとユナの背中を押した。


「行こう」


 


数歩、足を進めるたびに、風景は薄れていく。

現実と記憶のあいだを、滑るように移動している感覚。


 


少女は立ち止まった。

そこは、赤い花が円を描くように咲いた、ひときわ開けた空間。


 


「──ここ」


ユナがつぶやいた。


「ここで、誰かと別れた」


 


少女の姿が、ふっと光に包まれ、そして霧に溶けるように消えていく。


そこに残されたのは、ひとつの欠片。


 


──真新しい、白いリボン。


 


ユナはそっとしゃがみこみ、それを拾い上げた。


手の中に残る感触が、記憶を呼び覚ます。


 


「これ、私の……じゃない。誰かにもらったもの」


 


アオイは問いかける。


「誰に?」


 


「……わからない。でも……」


彼女はゆっくりと、リボンを胸元にあてた。


「“大切な人”だった。たぶん──もう、いない人」


 


そのとき。


──ザザッ……!


 


苔を踏みしめる音。

明確な“存在”の気配が、森の奥から迫ってくる。


 


「来るぞ!」


レオンが剣を構える。


「魔物か!?」


ミレイが魔法陣を展開するが、魔力の反応は……不安定で歪んでいた。


 


「……違う。“記憶の断片”が動いてる」


ユナがリボンを握りしめたまま言う。


「ここで……何かが起きた。“その記憶”が、動いてるの」


 


「でも、記憶って……動くものか?」


アオイが問いかけると、ユナは小さく首を振った。


 


「普通は、動かない。でも、ここの記憶は……まだ“終わってない”の。

 誰かの想いが、ずっと、終わることを拒んでる」


 


木々の奥で、またひとつの光が揺れる。


それは、少女とは違う影──明らかに、違う“何か”。


 


仲間たちは、息を飲んだ。


森が、彼らを試そうとしている。


いや──森の記憶が、彼らに何かを伝えようとしている。


 


ユナが立ち上がり、言った。


「……行こう。まだ、終わってないから」


アオイは黙ってうなずいた。


 


リボンを手にした彼女の背中は、どこか少しだけ強くなっていた。


森の奥は、さらに濃く、深い。


あたり一面を覆う苔はやがて途切れ、黒くぬかるんだ地面へと変わっていった。

木々はねじれ、まるで空を拒絶するかのように枝を絡ませている。


 


「ここ、さっきと……空気が違う」


アオイが警戒を強めた。


ほんの数十歩しか進んでいないはずなのに、気温が下がり、光が消えたようだった。


 


「視界が……」


ミレイが顔をしかめる。


霧は晴れているのに、どこか“見えにくい”。

視界そのものが、揺らいでいるようだった。


 


(これは、“外”の問題じゃない。俺たちの“内側”が……)


 


そのとき。


──カッ……カッ……。


 


靴音。


ありえない。こんな地面では、あんな硬い音は鳴らないはずだ。


 


「誰か……いる」


レオンが低くつぶやいた瞬間──


 


現れたのは、“誰か”の背中だった。


黒衣に身を包み、頭には兜。

どこか騎士のような、けれど鎧は錆び、布は風に擦れたまま。


 


「……動いてない」


アオイがそう言ったとき、“それ”がゆっくりと振り向いた。


 


顔は見えなかった。だが、確かに“目”があった。

その目はまっすぐユナを見据えていた。


 


「……君、は……」


ユナが、ふと前に出る。


「その人、知ってるのか?」


ミレイが思わず止めるように声をかけたが、ユナは首を横に振った。


 


「わからない。でも、知ってる気がする。……この人、“私を守ってくれた”──そんな気がするの」


 


“影”は微かに頷いた。


次の瞬間──その身体が、崩れた。


 


布が風に舞い、鎧は錆びて砕け、土に還るように姿を消していく。


 


──そこに残されたのは、ひとつのペンダント。


 


「……!」


ユナは駆け寄り、それを拾い上げた。


古びた銀の輪に、小さな青い石が嵌め込まれたもの。


それを見た瞬間、ユナの目に涙がにじんだ。


 


「……この人、私のことを……ずっと、ここで……」


彼女は震える手でペンダントを握りしめた。


「“私を守る”ために、この森に残ったんだ……記憶が……そう言ってる……!」


 


アオイは、言葉が出なかった。


ユナの記憶が、断片的に蘇り始めている──

それはこの森と、かつてここで“何か”を失った過去に繋がっている。


 


「ありがとう……ありがとう……」


ユナが震える声で、消えた“騎士”に向けて呟く。


 


その時、森が微かに揺れた。


風が吹いた──はずなのに、誰もそれを感じ取ることはできなかった。


 


「……動いてる。森の“記憶”が」


ミレイの言葉に、アオイは気づいた。


 


「ユナちゃんが、“過去”を思い出したから……」


「いや──“受け取った”から、だろ」


ガルドが言った。


 


「守られた想いを、今の自分のものとして……受け取ったんだ」


 


ユナは静かに頷いた。


ペンダントを胸にあてながら、小さく、微笑んだ。


 


「私は、前に進むよ。今はもう、ひとりじゃないから」


森の奥へと足を踏み入れるにつれ、空気がさらに重くなっていった。


湿った土の匂い、苔に覆われた倒木、絡まるような枝。

そして──空間そのものが、どこか“沈んで”いるような感覚。


 


「……ここだけ、時間が止まってるみたいだ」


アオイが周囲を見回す。


音も、風も、光も、すべてが“内側に引き込まれて”いた。


 


(ここは……“記憶”の中? いや、それとも……)


そう思った瞬間──


 


「ようこそ、訪れし者たちよ」


 


声が、響いた。


まるで森そのものが囁くような、しかしはっきりとした“言葉”だった。


 


全員が身構える。


だがそこに立っていたのは、朽ちたマントを纏った、ひとりの人物。


 


性別も年齢もわからない。

その顔は光と影に隠れ、ただ“声”だけが、意識の奥に直接語りかけてくるようだった。


 


「あなたは……?」


ユナが問う。


「我は、“この森に忘れられたもの”。記憶の波に飲まれ、名を捨てし者」


 


アオイの背筋が凍った。


(名を捨てし者……それって、記憶の中に閉じ込められた“想念”か)


 


「何を……望んでる?」


レオンが剣に手をかけた。


 


だが“主”は、静かに言葉を続けた。


 


「この森に残された想いは、いずれ消える運命。だが、時折、強く縛られた記憶は、形となりて、迷い人を引き寄せる……」


 


「ユナちゃんのことか……」


アオイが低く呟く。


 


「少女よ。汝は“忘れられた者”の記憶を、その身に宿している」


「……はい」


ユナはまっすぐに応えた。


「でも、私は忘れません。守ってくれた人がいて、その想いが今の私を導いてくれた。その記憶は──私の中に、ちゃんと生きてる」


 


“主”は、しばらく黙った。


やがて、静かに言った。


 


「ならば、試すがよい」


「試す……?」


 


「“想い”が力を持つならば、それを“証明”せよ。過去に囚われず、今を生きる力を──この森に示せ」


 


同時に、地面が震えた。


森の木々が呻くような音を立て、周囲の景色が揺らいでいく。


 


「来るぞ──!」


レオンが構える。


ミレイが魔法陣を展開し、ガルドが盾を構え、アオイは前に出る。


 


そのとき、ユナが小さく呟いた。


 


「大丈夫。私たちは、“今”を生きてる。過去に流されない──ちゃんと、未来に向かってる」


 


彼女の言葉が光となり、胸のペンダントが微かに輝いた。


そして──森の奥から、“何か”が姿を現そうとしていた。


森の奥から、うねるような魔力の波が押し寄せてきた。


空間がゆがみ、空気が張り詰める。


そして──現れたのは、“形のないもの”だった。


 


「あれは……」


 


誰かが呟いた。


光でも影でもなく、輪郭すらあいまいな、“黒い霧”の塊。

けれど、その中央には、明らかに“人の顔”のような何かが浮かんでいた。


それは次々と姿を変え、時に大人、時に子供、時に──ユナに似た少女の顔を見せた。


 


「やめて……っ!」


ユナが叫ぶと同時に、“霧の獣”が動いた。


 


ぐわ、と空気を裂くような音と共に、影が伸び、アオイたちへと迫る。


 


「レオン、右から!」


「ガルド、防げ!」


「いくよっ!」


 


仲間たちは即座に連携し、攻撃を交わす。


だが、影はすり抜け、まるで“心”を探るように襲いかかってきた。


 


(これは……“記憶”を喰らう存在?)


 


アオイはすぐに察した。


実体を持たないようでいて、確かに“感情”をぶつけてくる。

それは過去の悲しみ、後悔、恐れ──そんなものを増幅させる“記憶の残響”だった。


 


「ミレイ、感情の乱れを抑える魔法、使えるか?」


「やってみる……!」


ミレイが詠唱を開始する。


ユナは、胸のペンダントを握りしめ、しっかりと足を踏みしめた。


 


「これは、誰かの“想い”。私、感じる……!」


影の中に、何かがある。


ただの魔物じゃない。

“誰か”の記憶が、この姿を保っている──それが苦しみのまま、形を持った存在。


 


(なら……)


 


「アオイ、下がって!」


ユナが前に出た。


彼女は、影の中心に向かって、そっと手を伸ばす。


 


「あなたは……ずっと、ここにいたの?」


 


その瞬間、黒い霧が一瞬だけ揺れた。


少女の顔が現れる。


それは、ユナとよく似た顔──だが、目は虚ろで、何も映していなかった。


 


「もう、大丈夫。私は、あなたを……“忘れない”」


 


その言葉と共に、ペンダントが光を放つ。


 


柔らかな、けれど確かな“想い”の光が、霧を包み込んでいく。


 


「……ありがとう」


 


聞こえたのは、風のような声。


そして次の瞬間──霧の獣は、ふっと崩れるように消えていった。


まるで、“救われた”かのように。


 


静寂が、戻ってくる。


空気の重さが、少しだけやわらいだ。


 


「ユナちゃん……」


アオイが声をかける。


ユナは、ゆっくりと振り向いた。


「うん、大丈夫。あの子……ずっと、待ってたんだと思う。誰かに、気づいてもらえるのを」


 


“忘れられた記憶”。


それはもう、消えていた。


けれど、想いは、確かに誰かの胸に届いたのだ。


風が、静かに木々のあいだを吹き抜けていく。


黒樫の森の空気は、ほんの少しだけ軽くなっていた。


 


「……終わった、のか?」


レオンが、剣をゆっくりと納めた。


「霧の中に“心”があった。確かに感じたわ」


ミレイも魔法陣を解きながら、周囲を見渡す。


 


アオイは、ユナの隣に立ち、そっと肩に手を添えた。


「ユナちゃん、ありがとう。君がいなきゃ、きっとあの子は……」


 


ユナは小さく首を振った。


「私じゃなくても、きっと誰かが。……でも、私だったから、ちゃんと“届いた”って、そう思いたいの」


 


その言葉には、迷いがなかった。


アオイは、言葉を探しながらも、静かに笑う。


「……うん、届いたよ。俺にも」


 


そのやりとりを見ていたミレイが、ふっと表情を緩めた。


「やっぱりアオイって、そういうところあるわよね。まっすぐっていうか、危なっかしいっていうか」


「褒めてる?」


「半分くらいは」


 


軽口に、レオンが肩をすくめる。


「まあ、無事でよかった。あんな得体の知れないものと出くわすとは思わなかったけどな」


「……得体の知れないもの、か」


ガルドが森の奥を見つめながら、ぼそりと呟いた。


「まだ、終わってない。あの霧は──あの“記憶”は、おそらく……この森にいくつもある」


 


重い静寂が、再びその場に満ちる。


けれど、それでも──誰も、立ち止まらなかった。


 


「進もう」


アオイが、先に歩を進める。


「ここには、“知るべきもの”がある。そう感じるから」


 


「そうだな。俺たちはもう“見てしまった”」


レオンが続く。


 


「誰も、見つけられなかったものを、私たちが“見届ける”のよ」


ミレイが背中を押すように言う。


 


「……行こう」


ガルドが短く、だが確かに答える。


 


ユナもまた、前を見据えながらうなずいた。


「私は、“還ってこられなかった誰か”のためにも、この森を歩く」


 


それぞれの想いが、ひとつにまとまっていく。


仲間として。

今を生きる者として。


 


黒樫の森は、まだそのすべてを見せていない。


けれど、彼らの足取りは確かだった。


たとえ、過去の亡霊が彼らの行く手を阻もうとも──


それでも、前へ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


今回の話では、「忘れられた記憶」や「想いの継承」といったテーマを中心に描きました。

ユナにとっての“かつて誰かに守られた記憶”が、彼女自身の強さへとつながっていく──その一歩を感じてもらえたなら幸いです。


この森には、まだ“語られていない記憶”が多く眠っています。

引き続き、仲間たちとともに進んでいく物語を見守っていただけたら嬉しいです。


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