表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/31

第1話 村に咲いた花の名は

はじめまして。


この物語は、ひとりの青年と、ひとりの少女が、“誓い”を胸に旅をする物語です。

魔法も剣もありますが、主軸は「修行」と「成長」、そして「優しさと強さの両立」。


ゆっくりと始まります。

けれど、少しずつ“本当の戦い”に向かって、歩いていきます。


派手さはありませんが、読後に何かが残るような、そんなお話を目指しています。


よければ、気ままに読み進めていただけたら幸いです。

その日、空が少しだけおかしかったことに、誰も気づいていなかった。


 ほんのわずかに──風の向きが、違った。

 朝露の匂いに、微かに混じっていた“何か”。


(……いつもと、違う)


 アオイは、言葉にならない違和感を喉の奥に押し込んだまま、いつも通りの朝を迎えていた。


 ──静かな、どこにでもある村で。


 けれど、この日から、彼の世界は静かに、確実に揺らぎ始めていた。


 そしてその揺らぎは、“記憶”という名の深くて暗い谷へ、彼を導いていくことになる。


 まだ、誰も知らないまま──




空気が澄んでいた。

村の朝はいつも静かで、どこか懐かしい匂いがする。


アオイは井戸のそばに腰を下ろして、小さな花に視線を落とした。

名も知らないその青い花は、まだ朝露を纏っていて、朝の光を跳ね返すように輝いていた。


「……きれいだな」


ぽつりと漏らした声は、誰に届くでもなく風に流れる。

手を伸ばして触れることはしなかった。触れたら、壊れてしまいそうで。


少しだけ、胸が痛くなった。


いつからだろう。

目を覚ましたときにはもう、この村にいて。

名前だけは覚えていたけれど、それ以外は何もなかった。


「アオイ」


誰かがそう呼んでくれたから、自分はそうなのだと信じている。

でも、本当にそれが自分の名前なのかも、正直よくわからない。


「……ま、いっか。今さら悩んでも仕方ないし」


軽く笑って、立ち上がる。

そうやって毎日を過ごしてきた。変わらない風景。変わらない日々。


でもその日は、少しだけ違っていた。


遠くから、見慣れない旗が揺れているのが見えた。

村の入り口。誰かが来たのだ。

しかも一人ではない。何人かの影が、ゆっくりとこちらへ向かっていた。


「旅人……? いや、あれは――」


アオイは思わず目を細める。

村人たちも気づいたらしく、ちらほらと家の中から顔を出し始めていた。


「ギルドだよ!」

子どもが叫ぶ声が響いた。


それと同時に、旗に描かれた紋章が風にあおられて翻った。

金色の星と、薄明かりの灯火。


〈暁星のぎょうせいのともしび〉。

冒険者のギルドのひとつ。その名は、村の者たちにも知られていた。


アオイはしばらくその光景を見つめたあと、花の前にしゃがみこんで、そっと一言だけ呟いた。


「なんか……風が変わったな」


村の広場には、もう人が集まり始めていた。

普段は静かなこの場所も、今日は妙にざわついている。


アオイは、少し離れた場所からその様子を見つめていた。

中央に立つ旅装束の人物たちは、やはり噂に聞くギルド〈暁星の灯〉の面々だった。


ひときわ目を引いたのは、その中の少女だった。

金色の髪が朝日に照らされて、まるで風に舞う陽光のように揺れている。


「あれが……」


アオイの口から言葉が零れたが、その先は出てこなかった。

何かを思い出しそうで、でも思い出せなくて。

それでもなぜか、あの少女だけが強く目に焼きついて離れなかった。


「アオイ、いたのか」


声をかけてきたのは、村の鍛冶屋のアルドだった。

分厚い前掛けに煤のついた手、短く刈り上げた髪と無愛想な顔。


「お前もギルドの連中、見に来たのか?」


「うん……まあ、ちょっとだけ」


「へっ。なんでも、例のモンスターの件で来たらしいぞ」


「モンスター?」


アルドは少し声を潜めて言った。


「北の山の方で、最近変なのが出るって話があったろ? 行商人が襲われたってやつだ。ギルドに依頼が出てたんだとさ」


「それで……あの人たちが」


アオイは再び視線を向けた。

少女の隣には、大柄な戦士風の男。

その後ろに軽装の女性と、無口そうな盾持ちの男。


それぞれが違う空気を纏っていて、村の人間とはまるで別の世界にいるように感じた。


「……かっこいいな」


思わずそう漏らすと、アルドは鼻で笑った。


「お前も行けばいいんじゃねえの? ギルド入りたいんだろ」


「……入りたいなんて、一言も」


「思ってんだろ? いつも剣の練習してんの、知ってんぞ」


図星だった。

村外れの広場で、誰にも見られないように動きを繰り返していたのに。


「夢見るのは勝手だが、あの連中は本物だ。お前みたいな素人が近づいたら……」


そのときだった。


「あなた、アオイっていうの?」


金色の髪の少女が、こちらに歩いてきていた。


一瞬、空気が止まった気がした。


「えっ……?」


「あ、自己紹介が遅れたね。わたし、ユナ。よろしく」


笑った。

その笑顔に、なぜか胸の奥がざわめいた。


まるでずっと昔に、その声を聞いたことがあるような――

そんな気がして、アオイは言葉を失っていた。


「……あ、うん。アオイ、です」


ようやく返した声は、ひどく小さかった。

ユナと名乗った少女は、その反応を責めるでもなく、ただ穏やかに頷いた。


「そっか。じゃあ、やっぱりあの子が言ってた通りだ」


「……え?」


「ううん、なんでもないの」


ユナは少しだけはにかんだように笑い、くるりと振り返る。

その仕草が風とともに光をまとって見えた気がして、アオイは思わず目をそらした。


後ろにはギルドの他のメンバーが集まり始めていた。

大柄で堂々とした構えの男が、アオイたちの方に近づいてくる。


「ユナ、お前また勝手に声かけて……」


「大丈夫だよ、レオン。この子は大丈夫だから」


レオンと呼ばれた男は、胡散臭そうにアオイを見たあと、ユナの言葉にため息をついた。


「まったく、お前の“感”だけは当たるからな。今回は信じるとするか」


「でしょ?」


ユナが自信たっぷりに胸を張る。その様子を、後ろのメンバーが遠巻きに見ていた。


軽装の女性――ミレイと呼ばれる風魔法の使い手らしい――が面白そうに笑う。


「ふふっ。あなたがアオイ君? なんか、思ったより優しそう」


「おいミレイ、あんまり怖がらせるなよ」


盾を背負った寡黙な男――ガルドが、小さく声を漏らす。

仲間同士の気心が知れた空気感。それがどこか、心地よかった。


「……えっと、どうして僕に?」


アオイはようやく口を開いた。

心臓がばくばくしている。

ただ声をかけられただけだというのに、まるで心の奥を覗かれたような気がしていた。


「あなた、村で剣の練習をしてるって聞いたの。少しだけ、気になってね」


ユナの言葉は、まっすぐで、飾り気がなかった。


「たぶん――何かを探してる人の目だったから」


探してる?

自分が――?


アオイの頭の中が、静かにざわつき始める。

過去の記憶も、夢も、目標も持たず、ただ目の前の毎日をこなしていた自分。


それなのに。


「……そんな風に、見えたの?」


「うん。私も、昔そうだったから」


ほんの一瞬だけ、ユナの笑顔が陰った気がした。

アオイはその意味を尋ねられなかった。


「そろそろ行こうか、ユナ」


レオンが促すように声をかけた。

ユナは頷き、最後にもう一度だけアオイに向き直った。


「また会えるよ。きっと、近いうちに」


(……ユナちゃん、マジ天使……)

アオイは、自分でも驚くほど自然に、そう思っていた。


風が吹いた。

金色の髪が揺れて、朝の光にきらめいた。


アオイはただ、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。


――なぜだろう。

この村のどこかに、見知らぬ空の匂いが混じっていた。


「アオイ、行くのか!?」


誰かの声が背中に飛んできたが、彼の足は止まらなかった。

急ぎすぎて息が切れる。それでも、走る。

林の入り口を抜け、見慣れた獣道を踏みしめ、やがて土の匂いが濃くなる。


――バチッ。


目の前に黒煙が立ちこめた。


炎の焦げた臭い。

それに混じって、鉄と血のような金属臭。


「なんだ……これ……」


倒木。焼け焦げた枝。

地面に走る爪痕のような溝――。


その奥に、誰かがいた。

動かない影。だが、まだ動いている気配がある。


「ユナさん! レオンさん!!」


叫びながら駆け寄ったアオイの目に、ようやくそれが映る。


盾を構えて膝をつくガルド。

その背に倒れ込むようにして、ミレイがうずくまっていた。


「……アオ、イ……?」


かすれた声。

ユナだった。


彼女は倒れた木の根元に寄りかかって、肩で息をしていた。

その胸元には、傷がある。

けれど、まだ意識はある――アオイはそれを確認すると、すぐに近づいた。


「ごめん……僕……でも、何があったんだ!?」


「魔獣……おかしい……。突然、現れて……」


レオンが、血にまみれた額を押さえて立ち上がる。


「“あの程度”の依頼のはずだった。なのに……っ!」


怒りとも、悔しさともつかない声がこぼれた。


その瞬間、林の奥――黒い影が、ひとつ揺れた。


「っ、来るぞ!」


レオンの怒声が響く。


そして次の瞬間――


木々を薙ぎ倒しながら、漆黒の獣が現れた。


毛並みが逆立ち、目は血のように赤い。

常識的な生き物とは思えない異質さ。

アオイは言葉を失った。


「下がってろ、アオイ! これは俺たちの仕事だ!」


レオンが剣を構える。

けれどその足元はおぼつかない。


ユナはすでに魔法の構えを解いていた。

ミレイは動けない。

ガルドも盾で支えるのが精一杯。


つまり――


「……俺しかいない、のか?」


アオイは、震える手で足元の枝を拾った。


「違う……剣じゃ、ない。俺が、やってきたのは……!」


構える。


何百回も、ひとりで素振りを繰り返した。

何千回も、ただ夢中で木の棒を振り続けた。


あれは、何の意味もないことじゃなかった。


「うおおおおおっ!!」


叫んだ。


身体が、跳んだ。


枝が――風を裂いた。


振り抜かれた木の枝が、獣の前脚をかすめた。


刹那、黒い巨体が揺らいだ。


しかしアオイの身体は弾かれるように吹き飛び、地面を転がった。


「……っぐ……!」


肺が押しつぶされるような痛みに耐えながら、アオイは歯を食いしばった。

頭の中が霞む。視界が歪む。けれど、恐怖はなかった。


「立て、アオイ!」


レオンの怒鳴り声が飛ぶ。

それは罵倒ではなく、励ましだった。


「お前の中にある“何か”を信じろ……!」


その言葉が、なぜか心に刺さった。


――何か。


(俺の中に……何がある?)


ただの村の青年。

剣術の師匠もいない。ギルドにも属していない。

戦ったことなんて、ない。


でも――


「身体が、覚えてる……?」


枝を構えた瞬間。

腕の角度。足の運び。重心の位置。


それは、昨日までの自分にはなかった感覚だった。


(俺は……戦える……のか?)


獣が唸る。

目の前には仲間を守ろうと必死なガルド。

ユナはまだ起き上がれず、レオンも満身創痍。


アオイが動かなければ、誰かが死ぬ。

それだけは、嫌だった。


「うおおおおおおおおお!!」


声にならない声を上げながら、アオイはもう一度駆けた。


今度は冷静だった。


獣の足の動き。

突進のタイミング。

爪の振り下ろされる角度。


一瞬の隙を見極め、アオイは枝を振るった。


――ガンッ!


とてつもない衝撃。

だが、確かに当たった。

獣がぐらりと体勢を崩す。


「いまだっ!」


レオンが吠えた。


剣が、閃光のように走る。

ガルドが全身を盾にして体当たりする。

そしてユナが、最後の力を振り絞って癒しの魔法を放った。


刹那、光が走った。


黒い獣は、吠えることなく崩れ落ちた。


しばらくの沈黙のあと、誰かが息を吐いた。


「……終わった、のか?」


誰の声かもわからないほど、空気は静まり返っていた。


 


アオイは、その場に膝をついた。

枝は途中で折れていた。

腕は震えていた。

でも、立っていた。


「やるじゃん……」


ミレイのかすれた声。


「……すごい、よ……」


ユナの優しい笑み。


アオイは、何も言えずに、ただ、照れくさそうに笑った。


陽が傾き、森の中に斜めの光が差し込んでいた。

戦いのあと、誰もが疲れ切っていたが、奇跡的に全員が命をつなぎとめていた。


アオイは倒れた獣の横に座り込んでいた。


背中の汗が冷えて、妙に体温を奪っていく。

それでも心は熱を持ち続けていた。


「……俺、本当に……戦ったのか」


枝を見た。

中ほどでぽっきりと折れたそれは、まるで儀式の終わりを告げる道具のように見えた。


あんなもので、あの魔獣に立ち向かった。

今なら、震えがくるほど無謀だったとわかる。


けれど、不思議と後悔はなかった。


「アオイ!」


振り返ると、ユナがゆっくりとこちらへ歩いてきていた。

身体を痛めているはずなのに、その足取りは確かなものだった。


「……無茶だったよ。でも、あなたが来てくれて、本当に助かった」


「そんな、大したことしてないよ。ただ……」


アオイは言葉を詰まらせた。

でも、それを遮るようにユナが続けた。


「“助けたい”って思ってくれた。その気持ちが、何よりの力だったんだと思うよ」


彼女の笑顔は、森の光よりもあたたかかった。


アオイはその場で小さくうなずいた。


その後、森の中で最低限の応急処置を行い、全員でゆっくりと村へ戻ることになった。


村に着く頃には、空は茜色に染まっていた。


 


ギルドの一団は村長に報告を済ませ、宿に向かう途中だった。

アオイはひとり、広場の井戸で顔を洗っていた。


ひんやりとした水が額を伝う。


「おーい、アオイ!」


レオンの声が響いた。


「今日は本当に助かった! 礼を言う!」


「いや……俺は、その……勝手に動いただけで……」


「だからいいんだよ」


レオンは笑った。

その後ろに、ミレイとガルド、そしてユナが並んでいた。


ユナが一歩前に出る。


「ねえ、アオイ。よかったら――私たちのパーティに、入らない?」


その言葉に、時間が止まったような感覚があった。


アオイは目を見開いた。

そして、心の奥で何かが確かに灯ったのを感じた。


「……俺で、いいのか?」


「うん。もう、私たちの“仲間”だよ」


その言葉が、胸に染み渡った。


こんなにも、誰かに必要とされることがあるなんて。

こんなにも、あたたかい場所があるなんて。


「……ありがとう。俺、頑張るよ」


アオイは小さく笑い、そう答えた。


 


夕焼けの空の下。

新しい旅のはじまりが、静かに幕を開けた。


……俺には魔法の才能なんてない。だからこそ、せめて身体くらいは鍛えておこうって、ずっと……」

小さく呟いたアオイの拳が、ほんの少しだけ、光を帯びた気がした。




お読みいただき、ありがとうございました。


まだ物語は、始まったばかりです。

この先、仲間たちとの出会い、苦悩、成長、そして“誓い”へと向かっていきます。


コメントやご感想、励みになります。

気が向いたときにでも、ぽつりと一言いただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ