高校一年生、二度目の初登校 〜アリシアさんとは関わらないと決めたのに〜
どうやら本当に過去に戻ったらしかった。放課後、高校から実家に帰って、一晩寝て起きてもやはり俺は高校一年生だった。令和〇〇年5月12日。俺は今日も高校へ向かった。
◇◇◇
朝、登校して席についた直後に怒号が飛んできた。
「ねえ! 昨日掃除当番サボったでしょ!」
こいつはデブ委員長……じゃなくて、山本姫花という女子だった。容姿はショートカットでとてもふくよかな体型をしている。
山本とは3年間同じクラスだった。でも、2年から口を聞くことは無くなった。理由は俺が嫌われたから。まあ、容姿を馬鹿にしまくって、泣かせたこともあったからな。当然の結果だ。女子の容姿に言及するのはタブーだと、過去の俺は知らなかった。
「ねえ! 聞いてるの!?」
物思いに耽っていたら、山本が俺の机を強く叩いて、怒りを露わにした。
『辞めろw机がお前の体重に耐えられなくて壊れるだろw』なんて、昔の俺なら言っていたんだろうな。
「ごめんね。忘れてた」
俺は両手を拝むようにして、山本に謝った。
実際、昨日は動揺していて本当に掃除当番なんて忘れていた。いや、そもそも掃除当番がいつなんて把握しているわけが無かった。
「……え? ……あんたそんな奴だっけ?」
山本は高校受験組。出会って1ヶ月くらいだけど、どうやらもう俺の性格の悪さが露呈していたらしかった。
「いや、まあ、そうだね……こんな奴だよ」
確かに過去の俺の性格からしてみれば、急にこんな態度になるのはいくらなんでもおかし過ぎるかもしれない。
「でも、一昨日もサボってたでしょ! 忘れたなんて嘘てましょ!」
う〜ん。過去の俺なら全然あり得るなぁ。まあ、責任の取り方という奴を俺は高校生よりも経験している。
「悪かった。今日の掃除当番は俺一人でやるよ。いや、本当にすまない。でも、昨日は本当に忘れていたんだ」
「ふ〜ん。そ、じゃあよろしく。みんなには私から言っておくからね」
踵を返す山本に、俺は声をかけた。
「助かる。後、教えてくれてありがとう」
「……あんた、頭でも打ったの?」
山本は本気で心配そうな顔をした。
◇◇◇
アリシア・アレクサンドラウナ・鷹司とは関わってはいけない。見てもいけない。別に見たからと言って石にされるわけではないけれど、俺が彼女と関わると俺自身が不幸になってしまうのだ。過去の世界ではそうだった。
今は違うかもしれないなんて、希望的観測に縋るような無謀なことはしない方がいい。
朝のHRで担任の若い女教師―確か数学担当だった―が事務的に連絡事項を述べていく。
視界の隅には隣に座るアリシアが映っていた。見ないように、意識しないようにすればするほどにアリシアを意識してしまう。駄目だ、見たら駄目だ。気があることを悟られないようにするんだ。
目は口ほどに物を言う。過去の俺はいつもアリシアを見つめていた。だから、彼女のことが好きなのはきっと、本人も気づいていたのだろう。
鷹司アリシア(長いので省略)は北欧の血が流れるクォーターだった。長い銀髪と整った顔。気さくで明るく笑顔の絶えない陽気な性格。外部進学でこの高校に入学してきたが、1年の終わりには模試でも定期テストでもトップの成績を叩き出したまさに才色兼備の権化。そして俺と違って学年、いや、学校一の人気者だった。俺とは真逆だった。なのに、過去の俺は自分を彼女に相応しい男だと勘違いして、隣の席だったのをいいことに、アリシアにアプローチしてしまう。それが全ての間違いだった。
「……くん」
最初は俺の成績が良く、アリシアを馬鹿にした。勉強教えてやるなんてことも言った。そして、ちょっかいをかけ続けた。彼女は優しいから、うまく笑顔で受け流してくれていたのだが、それが彼女にとって迷惑でしかないと気がつくのはずっと後の話だ。
だから、このやり直しの高校生活では、アリシアには関わらないようにする。多分、関わってしまうと、俺は選択を間違えてしまうから。きっと、冷静な判断ができなくなる。
「……しろくん」
そう、分をわきまえるべきなのだ。彼女と俺は違う世界の住人だ。
「ねぇ、雪代君」
その声と共に、肩が叩かれた。フローラルな香りが漂う。
俺は反射的に右に振り向く。
「あ、やっと気がついた!」
笑みを浮かべながら、アリシアはそう言った。とても嬉しいことがあったかの様な表情をしている。
……やっぱ、かわいいな。久々に見た高校一年生のアリシアはやっぱり他の女子とは別格で可愛かった……。
幸さな気分に落ちる間近に気がつく。いかん、いかん。アリシアとは関わらないって決めたんだ。でも、話しかけられて無視する訳にはいかない。流石に性格が悪過ぎる。
「……どうしたの? 鷹司さん」
「……え?」
きょとんとした表情を浮かべて固まるアリシアさん。何か辺なことでもあったかな?
「な、何かな?」
「いつもと呼び方違う」
「呼び方?」
「前まで私のことアリシアって呼んでたじゃん」
一瞬で自分の顔が熱くなるのがわかる。そうだった! 過去の俺は何を勘違いしたのか、彼女のことをアリシアって勝手に呼び捨てにしてたんだ! 恥ずかしい! 何様だよ過去の俺! バカすぎる、アホすぎる、頭おかしすぎる!
頭の中ではアリシアと呼んでいたけれど、実際に声に出すのとは訳が違う。
「い、いや、ほら、あれだよ、あれ。ああ、ほら、多分、鷹司って長いじゃん? だからアリシアさんって呼んでたんだよ」
滅茶苦茶テンパって何とか苦しい言い訳をした。
「アリシア、さん?」
不思議そうに小首を傾げるアリシアさん。とても愛らしかった。
「そうそう。アリシアさん」
「でも、アリシアと鷹司って一文字しか変わらないよ?」
「そう。だから一文字しか変わらないなら、鷹司さんでもいいかなって」
アリシアさんはそれを聞いてふふっ、と自然に笑った。彼女のこんな笑顔はもしかしたら初めて見るかもしれない。作り笑顔ではない、とても自然な笑みだった。いや、それは本人にしか分からないけど。
「でもでも、鷹司にさんをつけたらもっと長くなっちゃうよ?」
そう言ってから、アリシアさんは指を折り始めた。
「ほら、三文字!」
笑顔で白くて綺麗な3つの指を目の前に立てたアリシアさん。
「……かわいい」
しまった。つい、本音が漏れてしまった……。
「……雪代君ってそんなこと言ってくれるんだね」
「へ?」
「前まで可愛いなんて言ってくれなかったじゃん」
わざとらしくムッとした表情を浮かべたアリシアさん。こういう表情を豊かに使い分ける所がみんなに好かれる要因なのかもしれない。
「そうだっけ?」
「うんうん。いつも、髪型が似合わないとか、そんな問題も分からないのとか、これだから外部進学生はとか、ネガティブなことばかり言ってきてたじゃない?」
う〜ん。過去の俺……。好きな子に意地悪しちゃうの精神が高校生になっても抜けてなかったのかよ、と心の中で苦笑する。いや、まあ意地悪というか、嫌がらせみたいなことをしてたのは覚えていたけれど……。
「そうだったね……申し訳なかった」
過去の出来事も含めて、頭を下げて、心の底から素直に謝った。
一瞬の沈黙……。
「えぇ〜!! ちゃんと雪代君が謝った!!」
アリシアさんの大きな声が教室に響いた。俺は咄嗟に周りを見回すと、どうやらHRは終わっていたらしかった。しかし、クラスメートがみんなこっちを見ている。
「どうしたのアリシア?」
アリシアさんと仲のいい女子生徒の七海がこちらき近寄ってきて、アリシアさんに後ろから抱きついた。
「聞いて! 雪代君がね、可愛いねとか言ってきて、しかもね、しかもね、しかもだよ! ちゃんと謝ってくれたんだよ! 天変地異だよ!」
七海はアリシアさんに抱きつきながら、俺に視線を向けてきた。
「なんか雪代昨日から変じゃない?」
「そ、そんなことないよ。いつも通りだよ」
ドシドシという足跡が聞こえてきて、山本がこちらに接近しているのを感じる。
「いや、おかしい。今朝も昨日掃除当番サボったことを認めて謝った上に、今日は一人で掃除をやるとか言い出した。明らかにおかしい」
「お、おかしくないよ。僕、健康」
「「「僕!?」」」
三人が驚き、いや、驚愕の表情を浮かべる。
しまった。高校生の時の俺の一人称はいつも俺だった。
「いや、俺俺俺。俺、健康」
「オレオレ詐欺みたいになってる」
七海はそう言って笑うと、何故かアリシアさんの服の中に手を入れ出した。
「ちょっと、霞! 何してるの!?」
「発育チェック……これは! EよりのD!」
「バカなの!? 声でかいよ!」
アリシアさんがこんな慌てた表情を浮かべるのはとても珍しいことだった。いや、初めて見るかもしれない。
「ほら、席につけー」
ナイスタイミング? で1時間目の英語を担当する昨日の女教師が教室に入ってきた。
教室に散らばっていた同級生達が、みんな席に座り出す。
「あ、そうそう。それでね、雪代君」
「な、何?」
アリシアさんは俺の耳元に口を近づけて、「英語の教科書忘れちゃったから、見せて」と小声で言った。