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かれこれ1週間も経つがシンタローもロゼも、音沙汰がなかった。ニシが言うには、政変の真っ只中で事務手続きに時間がかかっているだろう、とも言っていた。それはたしかにそうで、ここまで偽造IDで来たのだから、真正の身分証を作らなくてはいけない。しかも連邦領域出身じゃないので戸籍すら存在せず、法律的には難しい。
くそったれ。くだらね。
金はもらえている。嫌になるのは、何もせずだらだらと飼い殺しにあっていることだ。
アーヤはジムに行く、とかで朝からいないし、ニシとシスも銃砲店へ行くとかで出かけてしまった。
レイナはショーツだけを履いてソファに横になっていた。空調機能で室温と湿度がいつも一定なのが楽でいい。ニシがいないのもあってブラも付けてない。
気晴らしも考えてみたが、アーヤとジムに行ったところで銀髪はなんら筋力が増えるとか体型が変わるわけでもない。銃は、支給品を我慢して使うか、ロゼから支度金が渡されるのを待ってから買おうと思っていた。
「あたしも、でかけるか」
レイナは鏡の前で軽く身繕いをしたが、結局はいつもの服を着て、部屋の鍵をかけた。
外気はどこかツンと冷たかった。砂漠の街と違って、大陸西岸に近いオーランドでは冬がある、と後から思い出した。道行く人も、コートをボタンを留めずに着ている。
どこに行くというあてもなかった。レイナはヒトの流れに混じって歩き、すっかり慣れたトラムに乗って大勢の乗客と一緒に降りた。きもち、乗客が少なくよそ行きの服装をちらりと見かけ、今日は休日なんだと気づいた。
にこやかな家族連れからは距離を取った。左へ避けると今度は和気あいあいなアベックがいる=なんとも歩きづらい。
顔を上げたら、青空を反射するビルのガラス/人工植物園の青々とした草木&花=あえて建物の名前は小さくこじんまりと出入り口の上で光っていた。電車に乗っているとよく目にする屋号の複合施設だった。
エントランスは半地下にあって、座り心地のいい曲線を描いたベンチがぐるりと囲っている。アベックたちはパルで似たような写真を何枚も撮っている。歩く群衆の隙間を子どもが走り回っている=のんびり退屈な空気が空調機から垂れている。
入口をくぐると、地下1階はすべて食料品コーナーだった。連邦通貨から連合通貨に換算する=高くはないがこの前までの極貧生活の頃じゃまず買おうとは思わない価格帯だった。どこから/どうやって運ばれてきたのかわからないが、みずみずしい果物、海鮮、惣菜、パテシエが作るデザートコーナーまであった。
企業連合の街じゃ、こうはいかない。食料品といえば半数が人工合成食材で、ほぼチョウシュウ食品が牛耳っている。不味くはないし高くもないが、口にしたソレが一体何から作られているのか、不気味でしょうがなかった。
食品の数は、フアラーンのスーパーと違いない。
「充実感、っていうのか」
しっくり来る言葉を思いついた。ちょっと賢くなった気がする。ここなら何でも買える、金さえあれば。
体は自然と、牛乳コーナーへ吸い寄せられた。企業連合の街じゃ、一様にチョウシュウ食品のロゴが付いた、合成牛乳かお高い新鮮牛乳と分かれる。その程度だった。だがこのデパートじゃ、まがいものじゃない本物の牛乳が、何種類も並んでいる。
「クリーム・ノム?」
牛乳コーナーなのに、小さいカップ容器が売られていた。スプーンですくえばほんの5回で無くなりそうな、そんな小ささだった。
「それは牛乳の発酵食品でスナックにつけて食べるんだよ」やたら渋い声の男が後ろから声をかけて、「やや酸味が強い。俺は塩とパプリカをかけるのが好きだ。ミトーのサクサクマンチップスが一番よくあう」
「へー、初めて見たぜ。ありがとよ、おっちゃ……げっ、お前!」
高級そうなスーツにコート、色を合わせたシックなコートそして垂らし巻きのマフラーは、高級デパートに娘のプレゼントを買いに来た紳士、というふうだった。しかしその顔は忘れるはずもなかった。
「久しぶりだな、銀髪のレイナ」
「フリオ……拳骨野郎!」
場違いなほど下品な物言いに、小金持ちそうな客たちが振り向く。一方のフリオも呆れたようで、
「レイナ、君ももう子どもじゃないんだ。場所に合わせて言葉を選んだらどうだ」
「じゃあシリコンチンコ野郎はどうだ? 父親ズラすんじゃねー」
「年齢で言えば、祖父と孫、ぐらい離れているんだがね」
知るかそんなこと。
フリオは、レイナがさっきまで眺めていたクリーム・ノムを手に取ると、背中越しにレイナを見た。
「ちょっとおしゃべりしないか。外で。嫌なら、無理にとは言わないが」
気色ばんでいたレイナだったが、すんと息を整える=ここは大人の、プロとプロの会話で行こう。
「別に、かまわないけど」
レイナは新鮮牛乳のボトルを手に取ると、フリオの後に続いた。フリオは途中でスナックコーナーからサクサクマンチップスを1袋、手に取った。
レジは自動で、支払いもパルだけで済ませる=紙幣を数えなくていい分、楽だ。
「外っていうと、エントランスのベンチか?」
「いや、1階にいこう」
ここは地下1階なのでつい上を見上げたが、フリオが指差すのは下だった。
「レイナもすっかりオーランドの上級市民ということか。忘れたか? ここは階層都市の上部分。俺が言っているのは下のほうだ。来い、こっちにエレベーターがある」
フリオは、フロアの端のトイレをさらに通り過ぎ、非常階段へ続く防火扉を開けた。作業員が使うであろう飾りっ気のないエレベーターの呼び出しボタンを押した。地上階からエレベーターが上がってくるのに随分時間がかかっている。
「しかし、刺々しかったレイナも、すっかりトゲが抜けてしまった。俺が後ろから近づくのに全く気づかなかった。刺されていたかもしれないんだぞ」
「ふん、刺す気が無いから気にする必要もなかったんだ」
よし、うまく言い返せた。
「あの黒髪のような物言いだな。よく学んでいるじゃないか」
「クソが、んなわけないだろ!」
フリオは口角を引っ張って笑った。
やっとエレベーターが到着して、そして狭い空間に2人、無言のままさっきと同じぐらい時間を過ごした。
本当の地上階へ着いた。しかし上層と差があるようには思えなかった。区画整理された真っ直ぐな歩道とトラムが整然と並んでいる。自動車用の道が上層都市より広い、というぐらい。道行く人々は、確かに金持ちには見えないが、馴染みやすい庶民という風貌だった。しかし一番の違いは天井だった。
「うへ、空が見えない」
上層都市の地上階/天井は見渡す限り広がっていた。さいの目状に明かりが灯っており、空の光は届かないのに異様に明るかった。天井を支えるのは巨大な円柱で、その円柱に寄り添うようにして飾りっ気のないビルが林立していた。
「なんか、変じゃね? どのビルもまるで同じ形してる。壁に番号まで振ってある」
「番号がないと、見分けがつかないからね」
ああ、なるほど──ってなるわけないだろう。
「俺の爺さんがよく話してくれた。100年ほど前のことだ。公団の四葉建設がオーランドの再開発計画を主導した。1桁区から3桁区までを階層都市へ変貌させる。とくに下層部は自動建設機械でかなり速いペースで建築が進んだ」
「自動?」
「このあたりの建物は同じ形だろう? ケーキにクリームを重ねるように、機械が全自動で資材を組み上げるんだ。10分の1の数の人員が働き20倍の早さで仕上がる。爺さんは四葉建設の下請けをしていた。そしてあそこ──」
フリオが指差す先は上層階とをつなぐスロープ状の道路とトラムだった。
「──ああいう上層への道には爆砕ボルトが仕掛けてある。スイッチひとつで上層部と下層部を切り離せる。もちろん、このエレベーターもな」
「どうしてそんな」
「戦争」フリオは短く答え「将来の国との戦いを思ってのことだろう。だが、レイナ、君も連合の国出身だからよく分かると思うが、オーランドに戦争を仕掛けようってトンチキな国はいない」
「ん、よくわかんねーな。意味ねーじゃん」
「そう。都市の外の要塞壁もそうだがオーランド政府はいったい誰と戦うつもりなのかね」
フリオは上層行きエレベーターから少しだけ歩いて、路地へ入った。壁にはスカジャンを着た男の後ろ姿が描かれている=落書きじゃないが意味不明。道端ではハンチング帽の爺さまたちがボードゲームの駒を熱心に見ている。立ったまま、2人のプレイヤーを見下ろしてそれでも助言や小言も一切言わず眉間にシワを寄せている。
「ここにしよう」
フリオはやっと足を止めた。小川沿いにトラムの駅があり、その出口のベンチに腰掛けた。そして長い脚を組むと膝の上でクリーム・ノムの蓋を開けた。正面には小川が見える。
「もうちょい、景色の良いところもあるだろう」
「どこも同じさ、3桁区の下層部分は」
小川、といっても生き物の臭いはしなかった。代わりにヒトの生活臭が漂ってくる。下水が混じっているとかゴミが淀みに溜まっているとか、そういうのは無いが暗渠から流れ出る灰褐色の水は、間違っても泳ぎたいという気持ちは浮かんでこない。
フリオはスナック菓子を白いクリーム状のソレに付けて食べていた。レイナも観念してフリオの横に座る。新鮮牛乳は樹脂製の容器に丸いキャップが着いている。そのおかげで飲みやすい。
「で、フリオのおっさん、どうやってあたしを見つけたんだ。というか、そういやレースのとき言ってたな。体の修理のためにオーランドへ行くって」
「レースのことは、水に流そう。八百長あり妨害ありのインチキレースだったからね、恨みっこなし。それがいい漢というものだ。それで、アーヤは今何を?」
「さあね。体が華奢だからってジムに行ってるよ。つーか、そこのトレーナーがイケメンだかどうとかで、馬鹿みたいにはしゃいでいたけど」
「ふむそうか」
「おっさん、まだ狙ってんのかよ。あのガリペタな乳のどこがいいんだよ。歳だって祖父と孫なんだろ」
「彼女の純粋な向上心に惹かれた」
男はみんな馬鹿だねぇ。
「じゃ、アーヤのケツを追っかけて、わざわざあたしを尾行してたのか」
ちょうどフリオはサクサクマンチップスを食べ終えた。そしてお行儀よく、駅の横のゴミ箱に捨てて来た。
「レイナ、君は、なんとまあ。状況が何もわかっていないんだね」
「ん?」
レイナは気にもせず新鮮牛乳を飲んでいた。フリオは手帳型のパルをコートの内ポケットから取り出すと、サイバーネットを検索してそれをレイナに渡してくれた。
「あれ、これあたしたち?」
短い動画の切り抜きだった。警察の護衛の中、ぼろぼろのラリートラックから姿を表す皇、それを護衛する兵士たちと、そしてわざわざ悪者という字幕付きでレイナ、アーヤ、シスそれにニシがドアップで映っている。
「ああ、そうだ。まったく、何も知らなかったんだな。まずは、そうだな、君たちの居場所がわかった件だが、外国人の居留地は3桁区のこの周囲と決められている」
「外国人?」
「域外住人という意味だ。他の国から来たら外国人と呼ばれる。ふつう、オーランドの居住許可なんて降りないが、ツテかコネか金があれば住める。そういう住人を外国人と言うんだ」
「へー、じゃおっさんもあたしらの近くに住んでるわけね」
「そうだ。察しが良いな。それに銀髪なんて目立つ。レイナのことはすぐ見つかったよ。その感じじゃ、軍に入った、とか」
そうだぜ、とレイナは短く返事した。飲み終えた牛乳の容器を投げ捨てようと振りかぶったが、フリオと目が合ったせいか気まずく、腰を上げるとゴミ箱まで捨てに行った。
「じゃあ、おっさんの用件というのは、アーヤに求婚したいってことか。シリコンのチンコは新品に換えとけよな」
「俺のチンコはどうだっていい。用件は1つ、今オーランドは危険だ。気をつけるんだ。そうアーヤに伝えてくれ」
「はっ、くだらね。見てみろよ。上層階の連中、腐獣さえ見たことねーやつらばっか。おしゃれして写真とってバカみたいにたけーアイスを食ってる。下層部も、危ないところは危ないんだろうけどよ。窓に鉄格子がはまってない。それだけでも十分平和だぜ」
しかしフリオの顔は厳しく淀んだ小川を見ていたままだったので、レイナも笑みがすっと消えた。
「ここのところオーランドは皇の帰還の話で持ち切りだ。明日には宮廷から王政復古の勅が発せられる」
「で、それがどうしたって?」
「君が皇を幽閉地のタムソムからオーランドまで護送したんだろう。皇アナ=キルケゴールを」
そういや、そんな名前だったか。みんな「御大」とか「陛下」とか堅苦しいあだ名で呼ぶせいで眼中になかった。その皇を守る近衛兵団に仮入隊したことは伝えないでおく/伝えなくても多分ばれてる。
「オーランド政権が大きく変わる中、混乱も生じている。混乱と関係があるかどうかまだ定かではないが、君が今日見た上流階級たちが狙われる犯罪が増えている」
「へぇ。ああ、そうかオーランドじゃそういうのが珍しいわけか」
「俺は今、訳あってとある方の護衛の仕事をしている。なかなか金払いの良い方だ。で、平和だったオーランドも今や影に潜む悪に怯えている」
「金持ち連中が多少ビビってるだけっしょ。あたしらには関係ねーって」
「オーランドの中枢が混乱すれば、庶民もまた被害を受けるんだぞ。と、小娘に説教しても無駄か──」
馬鹿にするな、と言いたかったが立ち上がったフリオの広い背中に躊躇してしまった。
「──俺はそろそろ仕事に戻る。レイナ、君の腕は認めよう。俺には敵わないがガッツはある。いい傭兵になるだろう」
挨拶もそこそこにフリオは歩き去ってしまった。そしてすぐ防弾仕様の半浮遊式の乗用車が駐車場から道路に出てきた。足が治ったのでもう前駆二輪にくっついていないらしい。
レイナはマンションまでの帰り道で、コンビニで一抱えのスナック菓子とソーダを買った。両手が買い物袋で塞がっているのでパルで鍵を解錠して足で押して部屋に入った。
リビングではすでにニシ、シスそしてアーヤが帰ってきていた。そして茶を出されソファに座っているのが、ロゼとカッシンタだった。
「あれ、久しぶりの登場じゃん、オバ……きれいな髪型ですね、ロゼ隊長」
「うふふ、お久しぶりです。レイナさん。しばらく会わない間にずいぶん丸くなりましたのね」
フリオに言われたのと同じことをロゼから聞かされる羽目になった。
「レイナ、荷物を置いてきてくれ。仕事の話だと」
ニシがそう教えてくれた。レイナは部屋で身支度をしてくると開口一番、
「あたし、知ってるぜ。皇さまのことだろ? “おふせーふっこのみこのとり”とかで、あたしらはその護衛だろ。へへへ。あたしはプロだからな」
「ふふ、レイナさん。王政復古の勅、綴りはわかりますか」
クソっ。
「しかし、レイナさんの推測も間違いではありません。明日、御大から勅符が議会に手渡され、オーランド政府の最高権限が皇の下、再編成されます。警察庁と軍警察も刷新されます。しかし、面倒ごとというのは一番起きてほしくないときに起きるものです。現在、1桁区と2桁区で見境いのない殺人事件が起きています。所轄警察では対処しきれず軍警察も今は動かせません」
「ところでその1桁区って何なんだ?」
「住所みたいなものだってさ」アーヤが教えてくれた。「オーランドは同心円状の街で、1区から9区が1桁区、10区から99区までが2桁区、って感じに。で私達がいるのは3桁区の第129区」
なるほど。というか999区まであるのか。
「1桁区と2桁区に住む富裕層ばかりを狙った殺人事件です。夜な夜な1人になったところを襲われています。なるべく早急に増援がほしい、と所轄警察から再三要請が出ています」
カッシンタが説明してくれた。
「あーわかったぜ。だから最強の傭兵たるあたしらに声がかかったっていう」
「フフ、最強の傭兵なら他にもアテがあります。しかし近衛兵で最強の小隊なら、それはあなた達のことです」
ロゼの隣でカッシンタがタイミングを見計らって、アタッシュケースからIDカードケースを渡してくれた。首から下げる革紐も着いていて、中は近衛兵団の記章と顔写真が付いていた。
「まだ入隊手続きは正式に済んでいませんが、現場には話を通してあります。明日、朝一で現場に向かってください。詳細な事件のデータは現場にて。ま、あなた達なら問題ないでしょう」
ロゼは、にこにこスマイルで、出された熱々のお茶を楽しんでいた。