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物語tips : サイバーネット
都市の中に張り巡らされてある情報ネットワークで、パルから都市サーバーにアクセスしあらゆる情報を知ることができる。
機密指定が解除された公文書、物理学の教科書、ブレーメンを題材にしたドラマ、ツノカバのアニメにいたるまでありとあらゆる情報が保存されている。別の都市のサーバーへはアクセス時間がかなり必要。
500年前にはすでにほぼすべての都市にサイバーネットが敷かれていたが、その後の分離主義の台頭で、連邦、連合、財団の各勢力間でサイバーネットが断絶した。そして砂漠化によって都市間の通信もほとんど途絶えてしまっている。
「なあレイナ……」
「うっせぇ、黙って手伝え。あと絶対こっち見るなよ」
「はいはい。別に見る気だって起きない」
「あん? てめーなんつった? ホモ野郎かよ。もっぺん言ってみろよ。いっとくけどよスタイルには自信があんだからな!」
レイナは、自分の下着の汚れを落としている男の背中に向けて怒鳴った。荷物という荷物すべてにテウヘルの臭い汁を浴びてどす黒くそして腐敗臭が臭っている。運悪く防水バッグに入っていなかった衣類は全部汚物と化したので捨ててしまった。
体の方は髪の1本に至るまで汁が染み付いたせいで、レイナは裸になって丹念に汚れを落としていた。
砂漠を抜け、夕方にはカシコン州のはずれの町に到着した。店という店はシャッターが閉まり、郊外は空き家だらけだがその中でなんとか潰れずに残っていたトラック整備場へ駆け込んだ。しかしシャワールームはなく、整備工場の裏手で、給水タンクにつながっているホースから水浴びをした。タンクの水は日光を浴びているので十分に水は温かい、というか熱い。明かりもないので、日が落ちるまでには体をきれいにしてしまいたい。
「レイナ、新しい下着、買ったらどうだ?」
「こんなド田舎じゃ売ってない」
「下着ぐらいどこでもあるだろう」ニシはしばらく考えて、「乳が垂れ下がってるせいで特注なのか」
「死ね、スケベ野郎」
「はいはいわかったよ。死ねと言われてもあいにく死ねないがな」
しかし落ち着いて考えてみれば、下着を洗わせている男の背後で全裸で体を洗っているのは不自然極まりない/たぶん、覗き野郎に出くわしたときの保険のつもりでそばに侍らせていた。
「あたしにゃあたしなりのこだわりがあるんだよ。適当なパンツじゃちくちくするし適当なブラは窮屈で動きにくだろ。マチェーテを振り回すと脇に繊維が刺さるんだって」
「つけ心地なんて知らないよ。俺は男だ」ニシはたらいの上で洗濯物を絞った「で、こっちの外套は?」
給水塔の支柱と工場の外壁にロープを渡して、そこで洗濯物が風に揺れている。真っ先に漂白剤につけて洗ったので臭いはともかく汚れはだいぶ落ちた。砂漠のからっ風なら1時間としないうちに乾く。ニシがロープにひっかけていたのはレイナがいつも着ている外套で、裾にブレーメン模様の刺繍があった。
「そっちは大切なもんだ。死んだ父親が、買った? 盗んだ? いやよく覚えてないけど、小さいときからずっと着てた」
「そうだろうと思ったよ。あちこち丁寧に補修がされている。自分でやったんだな」
「まあな。大切なものなんだよ」
「案外いい子だな、レイナ」
「ちっ、一言余計なんだよ!」
バイクの着座姿勢というのは難がある。雨であれ砂であれ股に溜まりやすい。おのずと、全身に浴びた臭い汁も股に貯まった。髪の毛より臭いを洗い流すのが面倒だ=ぜんぶ剃っておけばよかった。この男の背後でそこをゴシゴシ洗うというのも、バレないとわかっていても気まずい。
「んじゃ、レイナ。洗濯は終わったから、表で待ってる」
ニシはすくっと立ち上がり、後ろを向いたまま手の甲でバイバイした。
「ちょ、まてよ。あたし1人かよ。のぞき魔がいたらどーすんだ」
「アーヤとシスがこっちに歩いてきてる。それでいいだろ」
「よくないって!」
ニシが首を傾げる/言った自分も理由がわからず=つい出た言葉だ。
結局ニシには呆れられ、代わりにアーヤとシスがやってきて、
「デカい」「デカい」
ふたりは示し合わせたかのように同じ言葉を同じタイミングで言った。
「ジロジロ見るなよな」
「いいじゃん女同士」「何食べたらそうなるの? やっぱ牛乳?」
まったく面倒くさい。これだからニシを侍らせていたんだ。あいつは静かにそばにいてくれる。不器用だし目つきも悪いが、あれでも包容力がある。
臭いの取れない毛は剃ってしまおう/他人の目があるときにはやりずらい/ごしごし洗うのもダサい=服を着るんだからバレない。
レイナはホースの水で石鹸の泡を洗い流すと、まだ半乾きのパンツとブラを洗濯紐から取った。着ていれば乾く、という算段でアーヤと相対する。
「で、あっちはどうなった?」
「トラックはオーランドまで走れる程度には応急処置ができるんだって。荷台は幌を被せて。明日には出発できそう」
「ふうん、で依頼人のことだが」
「待った、レイナ」
アーヤは手のひらを出して、レイナの言葉を止めた。3人は地面にあぐらをかいて額を突き合せた。
「いい、レイナちん、あまり余計なこと言わない考えない知らないほうがいいかも」
「アーヤは依頼人の顔、見たんだろ? ──シス、あたしの乳 見てばっかいると、てめーの豆粒みたいな乳首をちぎっちまうからな」
「見たよ。金持ちそうだけど“鳥かごの鳥”とも違って肝が座った感じ。威厳っていうの。綴りはね──」
言わなくてもわかる/それについては同意見だ。
「あとね、んーとわたしが気になるのはね、ちっちゃい方の。ネネちゃん。あのとき、テウヘルを弾け飛ばしたのは、ネネちゃんだよ、あたし視たもん。まるでおとぎ話のブレ……」
しかし再び、アーヤは手のひらを向けてシスの話を遮った。
ロゼの所属は近衛兵大隊、ネネは侍従長だったか。近衛兵と“じじゅうちょー”という身分は、綴りさえわからない。それでも、対立しているのが連邦の内務省の司書とかいう謎の武装組織ということを加味すれば、依頼人の正体は──考えただけで胃が痛くなった。
「で、ネネ婆ちゃんの容態は? あれからずっと寝てるんだろ?」
「うん。工場の2階で。依頼人といっしょにいるんだってさ。怪我とか病気じゃない、しばらく休めば回復するってロゼさんが言ってた。ついでに、ロゼさんから修理が終わるまで、交代で工場のまわりを警備してって言われた」
「ま、そうなるよな当然」レイナはすっと立ち上がると、半分ほど乾いた外套を着た。ひんやりとして着心地は悪くない「弾、実のところあまり残ってねーんだよな。残りはこう、片手で持てるぐらい」
「あーい、わたしは残り6発」
「ロゼさんのトラックに連邦規格の銃弾がある。予備のライフルも」アーヤは自分の短機関銃をレイナに渡しながら「はい、貸してあげる」
「いいーって。マチェーテあるから」
ロゼの色気と金にほだされ工員たちは深夜も作業を続けた。レイナは仲間たちと交代で休みながら、作業が終わるまで周囲の安全を確保した。
「ずっとだんまりじゃん。なにか言う事あるんじゃねーの?」
レイナは熱々のアガモール茶をすすりながら言った。眼の前にいるのはニシで、その背後では東の地平線から眩しい朝日が登りつつあった。
「おはよう、レイナ。良い一日を」
「そーじゃなくて」
工場の中──シャッターの向こう側では工員たちは疲れ果てて寝ている。ロゼは事務員が差し出した高額な請求書にためらいもなくサインした。
「依頼人のことだよ。てめーはなから気づいてたな、今回の仕事が普通じゃないって」
「はなからそう言った、俺は。それでも請けようと言ったのはレイナだ。プロなら最後までてめーのケツはてめーで拭くのが筋じゃないのか?」
レイナはニシのクソ正論に反論もできず、ニシは続けた。
「まだ仕事は終わってない。バイカーギャングにテウヘルと来たが、つぎは連邦の中心領域だ。“司書”たちもあからさま妨害をしてくるかもしれない。もしかしてレイナ、降りたいのか」
「んなわけねーだろ。降りたら前金、返さなきゃならねーし」
それに知りすぎた以上、首が物理的に飛ぶかもしれない。
工場のシャッターが開き、ラリートラックが現れた。反重力機構はさすが軍用品の冗長性といったところで、絶縁被膜の剥がれた配線だけを新しくしてすぐ復活した。ひしゃげた外装は取っ払い、同じメーカーの中古の外装を溶接して止めてある。塗装は錆止めのみでまだシンナーの臭いが付いたままだ。
アーヤとシスも起きてきた。まだ眠そうだが本能的に自分の乗り物に乗り込んだ。依頼人もネネに連れられて工場の2階から降りてきた。とたんに工場は水を打ったようだった。
背筋はまっすぐ/視線は遠く=モデル然とした女性だった。金持ちなのは明らかだが着ている服は質素な無地のワンピースで、首元まできっちりと覆っていたが腕は肩まで大胆に見せていた。街なかじゃ子どもが2,3人いてもおかしくない歳だったが体の線は均整がとれていた。
依頼人とネネはトラックの荷台に乗り込む。天井は幌で覆っているだけだが、バタつかないようがっちりと固定してある。
「さて、オーランドまではあと2日です」
ロゼはレイナとニシの方を向いた。
「ああ、聞いてるぜ。海沿いと内陸の2ルートだろ? テウヘルの出没領域は抜けたからあとはヒト相手に1発かましてやればいい」
「さすがレイナさん、よく予習できて偉いです。ですが方針変更です。寄り道せずまっすぐ、ハイウェイを使って堂々とオーランドへ向かいます。今日の夕方には着くでしょう」
「へぇ、そいつは驚きだね」レイナは軽口で応えた「いくらハイウェイつったって夕方にはつかねーはずだ。このあたりじゃ“速度制限”ってのがあるんだろ? 速く走りすぎるとポリが追いかけてくるっていう。笑えるね」
レイナの軽口にロゼは片眉を浮かせた。しかしニシはロゼの味方をして、
「レイナ、俺からしたら速度制限無しで好き勝手している方が普通じゃない。アフガンの砂漠じゃないんだから」
あれ、そうなのか。
「実のところレイナさんのほうが、正解です。御大から先を急くようにと拝命されましたので速度制限を無視して走ります。みなさんは私達の後ろをついてきてくださいまし」
「じゃあポリに根回しができたってわけね」
しかしロゼの答えはなかった=“それ以上聞くな”だった。優しく冷たい笑顔が恐ろしい。
「──それとニシさん」ロゼが付け加えた。「我らが御大が、ニシさんと直接お話されます。いっしょにトラックへ乗っていただけますか? 武器は持ったままで構いません。むしろ護衛として安心しますので」
ニシは片目だけレイナの方を振り向いたが、静かに頷いてロゼの後に続いた。
ちくしょう、なんだってんだ。ニシばかり特別扱いしやがって。
田舎町から1時間ほどで州間ハイウェイに出た。道の広さもさることながら、地平線の先まで立派な道が続いている。両側は鼠返し式のフェンスになっていて要所要所にテウヘルを監視するカメラが点在していた。ラリートラックはぐんぐんと速度を上げて、他の車を左右へ避けながら邁進した。
ラリートラックの後ろにはアーヤのバギーが続き、レイナの前駆二輪は最後尾から追いかけた。首都に近い公道でライフルを構えるわけにもいかず、シスは長大なライフルをツノカバ ステッカーが貼られたゴルフバッグにしまったままだ。
アーヤの横に並ぶとハンドサインを送られた=無線機の周波数の変調パターンだ。
『いやーこれで自由に話せるねー』
「なんかずいぶん空気が変わった気、しね? 最初はこそこそ砂漠で野宿してたってのによ。今じゃオーランドに向けて威風堂々行進中だぜ」
『だねー、“お偉いさん”もニシ君にずいぶん興味があるみたいだし。もしかしてショタコンなのかな』
あたしでもそんな物言いはできねーってのに=ロゼの冷笑とガン・カタが思い出される。
「そいやニシの様子もおかしかったぜ。大切なことをあたしに言ってくれていないような」
『言ってくれなくて寂しい?』
「んなんじゃねーって! あたしは嘘に敏感なんだ。だけどよ、嘘なのに悪意がねーんだ全く」
『ふふーふ、レイナちんは朴念仁ねー。善良背上』
「あのな、普通に喋れよ。無線機じゃよくわかんねって」
『これは愛なんだよ、レイナちん。愛』
アーヤからの無線はそこで終わった=わけがわからない/暇つぶしの女子トーク。
ハイウェイは山をくり抜いたトンネルに入った。フアラーン周辺/大陸北部は丘が続いていてトンネルは無いので、まあまあ珍しい光景だった。薄暗く、オレンジ色の光が点々と続く。珍しいがひどく単調で、さすがに飽きたころにやっと出口から飛び出た。
久しぶりの青い空/両側は高い壁が続く。ハイウェイは大きく左回りに弧を描きながら続いていた。
「んだ、ここ? 変な道だな」
『レイナちん、道じゃないよここ。街だよ、廃都』
何いってんだ──そうアーヤに返事しようと思ったが、とたんに壁が途切れてハイウェイの高架下が一望できた。
ボロボロの街だった。建物という建物が壊れ崩れ、柱と外壁が骸骨のように林立している。ヒトの気配がまったくなく、代わりに蠢くのは数え切れないほどの腐獣の群れだった。
「おいおい、なんだよここ! 不気味じゃねーか!」
改めて周りを見ると、他に車がいなかった。対向車もさっきすれ違った軍用の偵察車両1台だけだ。
『スコイコ市。地図ではそう書いてあるね。ここを抜ければオーランドなんだけど』
「オーランドは連邦の首都だろう? そのすぐそばでこんな事態になってるなんて」
『うん、私も知らなかった。ほら見て、街をぐるっと高い壁で囲ってる。カメラとサーチライトと自動機銃も』
壁はいくつかのビルの壁面を、古い樹木のように飲み込みながら円を描いて街を囲んでいた。ハイウェイの高架はスコイコ市外周の壁面も兼ねていて、ぐるっと一周して街の外へ出た。壁の外は古い町並みに連邦軍の駐屯地にが広がり、予備のコンクリート壁と重機の姿もあった。
「どうしてこんな事になってるんだ? 腐獣っていや、唯一大陸の東のほうが酷いってのが道理だろ?」
『むむ、わかんないけど。あとでオーランドのサイバーネットにパルを繋いで調べてみる』
ロゼが言っていた=ルート変更をします/まさかこれを見るため。趣味が悪いったら無い。腐獣は1、2匹程度ならカカシ同然/しかし群れで来られると敵わない。悪夢で見るような腐獣の群れなんて、軍の力があれば一掃できるだろうになぜまた飼いならすような真似なんて。
ハイウェイはまた平野にまっすぐ続いていた。海が近くなり背の低い草が鬱蒼と茂る大地だった。交差点ごとに小さい町が点在していたが、途中からハイウェイ警察の先導が加わり、信号を無視して邁進できた。
「まじでポリに話、付けてたんだな」
『ほんと、依頼人は只者じゃないよ。仕事、受けて正解だったね♪』
「ばかやろうが。アングラのボスをぶち転がして、そん次があれだぜ」
後ろに続く警察車両がまた増えた。赤色灯がきらめく大行列が大都市オーランドに向けて走る。道端では市民がパルを掲げて珍しい写真が撮れたと喜んでいる。
『レイナちん、手を振ってあげたら』
「くだんねーこと、するわけないだろうが」
レイナは鼻の上までスカーフを引き上げた。しかしバギーの中ではアーヤとシスが沿道の観衆に向けてあざといポーズを取る。
大都市オーランドの威光が見えてきた。都市の陰が地平線全部を覆っていた。郊外には製鉄所や製油所、工場が広がっている。まるで血管のようにすべて道は直接交わらず、一方通行に物流が阻害されないよう配置されていた。
都市の中心へ向かうと「第七環防御壁」と飾りっ気のない赤い字で書かれた壁をくぐる。それらは壁というより要塞で、そばには連邦軍の軍用列車や戦車、巡空艦があった。
「うへ、まじかよ」
『企業連合の都市と全然雰囲気 違うね。なんかこうまるで』
戦争しようって気に満ちていた/一体誰と?
「内に閉じこもってるよな。ほかの衛星都市と違ってさ。そんなに外が怖いのか」
スコイコ市の惨状を見たら、しかし、その恐怖心は多少理解できた気がする。
ハイウェイはまっすぐ都市中心へ伸び、第6環防御壁から第4環防御壁までの壁をくぐった。中心に行くにつれ、その規模は郊外の要塞のような異彩はなくなり、巨大な円を描く堤が都市を切り取り、てっぺんは都市環状鉄道が走っていた。
『オーランドのサイバーネットに繋いで、だいたいの事情はわかった。聞きたい? レイナちん』
「あ、ああ。暇つぶしに」
ラリートラックを中心にした車列の速度はずっと落ちていた。市警が交差点を封鎖し、パトカーとバイク警官の先導で悠然と大都市の中を走った。
『街はね、同心円状に区切られていて、防御壁は第1から第7環まであるんだって。第8は建設中』
知りたいのは、なぜ連邦軍はそこまで武装しているのかってことだったんだが。そしてスコイコ市の惨状についても。
『近年の砂漠化で他の街からの移民が増えてて。この100年で都市の規模が倍になったんだってさ』
第3と記された環状鉄道の高架をくぐる。ここまでは“広い街”だったが、第3環から先は“デカい街”だった。都市が上層と下層に別れていた。地面からは古いビル群が生え、それを支柱に新しい地面を作りそしてまた天高くビル群がそびえていた。ハイウェイはそのちょうど中間の空間に走っている。
階層都市に道路はなく、代わりに路面電車が縦横無尽に走っていた。ビルとビルは空中回廊で結ばれて、ヒトが蟻のように群れて歩いている。
『うわぁーすっげー』
シスの甲高い声がイヤホンから聞こえてきた/レイナも今回ばかりは同意だった。
砂漠の廃列車の客車で暮らしていた間、企業連合の都市はどこもきらびやかで好きだった。金さえあればどんな欲望でも叶えられる。そして夢は、都市で成り上がって金に困らない自由な暮らしを送ること。
しかしオーランドは違っていた。フアラーンじゃ、どれだけ金を積んだところでこんな暮らしはできない。砂嵐も腐獣も無い。警察と軍隊に守られた大都市。こんな街があっただなんて夢にも思わなかった。
こんなときはぜひ、ニシの意見も聞きたかった/しかしやつは依頼人といっしょだ=つまんね。
ハイウェイの制限速度の看板がだんだんと小さい数字に変わり、左右に分岐した。車列はそのどちらにも向かわず中央車線を維持して高架道路から降りた。降りた先は下層都市の片側5車線の巨大道路で、モニュメントを中心とした環状交差点だった。左右対称のモニュメントは、台座の上に金色に塗られた皿が載っている=意味不明。
しかしここから先は円に切り取られたかのように階層都市が無く、昔ながらの背の低いビル群が小高い山を中心にして建っていた。
車列から警察車両が退き、元の3台だけになった。そしてモニュメントの“あちら側”にも相対するように、軍の車両がずらりと並んでいた。
階層都市で働く人々は足を止め、ビルの空中回廊から普段と違う物々しい雰囲気を珍しそうに見ている。
トラックの荷台が開き、まずニシが降りてきた。中にいる某に会釈したと思ったら、レイナたちの元へ帰ってきた──シスがいきなり抱きついて放さないので話しかけづらい。
次に、顔を薄いベールで包んだ例の淑女が降りてきた。隣にはネネも付き添っている。
モニュメントの“あちら側”でも動きがあった。高級リムジンから礼服を着た男が降りてきた。真四角な顔で真面目な中年男。礼服を着ていなければ、そのへんの居酒屋でくだを巻いていそうな小役人、そういう2面性のある堅物という印象だった。
「おしゃべりは楽しかったかい?」
レイナが訊いてみたが、ニシはしたり顔で、
「ああ。興味深い人物だ」
「それだけかよ」
「ああ。逆に訊くがレイナは何が知りたい? まさか一流の傭兵ともあろうレイナが依頼人のことを根掘り葉掘り聞きたいってこと、無いよなぁ」
いつもの意地悪ニシだ。
「この状況で訊かないって方が頭おかしいと思わないか、色男」
ったくムカつく態度だ。
ニシはアーヤの方を見て、しかしアーヤも肩をすくませる。
「どのみち知ることになるんだ。情報共有しておこう。今、あっちの車から降りてきた男、連邦の宰相チャクラムだ。元内務省の最高事務官で、先々代の皇から内務省で勤め上げている、いわゆる忠臣だな」
依頼人の正体については察しがついているが、
「で、政治家のおっさんが、何か関係があるのかよ」
「まったく、唯一大陸の政治体制は、トーキョーから来た俺よりレイナのほうが知っているはずだろう」
「るっせぇ。連邦の街なんてこれが初めてなんだよ」
「皇、つまり諱 赤月の印は“統合の象徴”として君臨するが統治せず、政は各州から選出された議員とそれを束ねる宰相によって決められる。議会は、もとは二院制度だったけど、1000年前の第1次テウヘル戦役以降は皇の直接統治時代を経て一院制なんだと」
なるほど──何を言ってるか理解できなかったが、表情は変えない。ニシから学んだことだ。
「それで、あのおっさんが出張ってくる意味は?」
よし、いい切り返しができた
「タムソムで一戦交えた司書、隠語でもなんでもなく内務省の中の治安部隊の名称で、その発起人があのチャクラム。主な仕事は、連邦にとって害ある人物を排除すること。そう言ってしまえば簡単なんだが、実のところ禁止された知識や技術を所有・継承する人物や組織を排除するのが仕事だ。回帰主義の名のもとに」
「禁止されたっていうけど、サバロップ市じゃ不気味な機械怪物がいただろ、玉なしのロンとかいう。あれも禁止された技術じゃねーのかよ」
「むしろ、連邦が禁止し財団が推奨しているからこそ、財団系の国に技術者が集まるんだろう」
「それが連邦軍の仕事なのか」
「いや、軍は軍だ。その行動は法律と議会の承認が必要だ。でも司書は行政の一機関だから議会の承認が不要だ。わかりやすく言えば司書とは、宰相チャクラムの意のままに動く私兵というわけさ」
「あたしらの敵の親玉じゃんか」
「だからって撃つなよ。この世には銃弾じゃ解決できないことは山ほどある」
依頼人が1人で前へ出る。宰相チャクラムもライフルを提げた護衛から離れて1人で歩み寄る。2人はちょうどタイマンを貼るのにちょうどいい距離だ。依頼人のほうが背が低いが若い。チャクラムの方はぼてっと腹が出ている。殴り合えば、掛け金の倍率はイーブンという感じだった。
「ん? なにか喋ってる? よぉシス、おまえ、わかるんじゃないの? 読唇術できっだろ?」
「んー」シスの機械ウサギの耳がピクピク上下する「赤外線走査が阻害されてる。あのヴェール、普通の布じゃない」
「あっそ、ならいいや」
謎だらけの依頼人なんて珍しくない。懇切丁寧、自己紹介するほうがハズレだ。とくに下っ端の傭兵なんて使い捨てのコマにされなきゃラッキーぐらいなもんで、依頼人は絶対な存在だ。
「でも、おっさんの顔なら見える」
「くっだらね。あたしゃ興味ないね」
「そう? でもすごい……すごい顔してる──」
どんなだよ。それにニシも興味ありそうにシスを横目で見た。
「──死刑宣告されたみたいな顔」
「あのな、そんな顔、ふつー見ないだろ」
笑っては見せたが、そういう顔はしょっちゅう見た。ビッグフットジョー、グフィカ、バイカーギャングのバハ。血塗られた道じゃ珍しくもない。
宰相チャクラムは顔中に脂汗を浮かべ、そして深々と頭を垂れた。その後ろに並んでいる兵士たちも、将校は最敬礼の姿勢を取り、下士官たちは捧げ銃の姿勢を取る。その波が周囲にも伝わり、騒ぎに集まった民衆たちも片膝を付いて最敬礼を示した。
「みなさん、お疲れ様でした。お仕事完了です」
ロゼがラリートラックから降りてきた。ジャケットの下では物騒な二丁拳銃が下がっているが、もう用はないとばかりにスーツのジャケットのボタンを閉じた。
「ちゃんと報酬はくれるんだろうな」
「ええ、もちろんです。ですが選択肢があります。報奨金をもらって回れ右してフアラーンへ帰るか──」
それとも?
「──わたくしたちの元で働くかです。給料、福利厚生はいいですよ。平時なら有給休暇もとれます。銃弾薬も割引価格で買えます。また市内のトラムは乗車無料です」
「ふうん」レイナはロゼの上司の方を見て「皇さまって気前いいんだな」