1
まったくもって予想外だった。
訳アリの超金持ちに指名され、最北の地タムソムからオーランドまでの護衛を依頼された。唯一大陸を1/4周もする、大旅行だった。街と街をむすぶ街道は連邦軍の監視があるから、ギャングも腐獣もそうそうは出没しない。
しかし訳ありとあっては堂々と整備された道を行くわけはない。荒野、砂漠、ギャングの根城の廃都、そして腐獣の群れ──というのは予想内だった。
トーキョーとかいうところから来た常識無しのニシが、今度ばかりは異様に気色ばっていた。
「ネネ、君が、あのネネか」
「や、やめんかこら。体は小さいが妾は子どもではないぞ!」
あのおりこうさんぶってばかりのニシが、クライアントの幼女を両手で抱え上げた。その隣でロゼも目を白黒させている。「やめろ」と言いつつも尊大な幼女は鼻の下を伸ばしている。
「これ、妾とそなたは初対面なのだぞ。こんな馴れ合いは叱られてしまう」
「ああ、そうか。初めてだったか。だが、なんというか覚えがあるからつい。大スターに会えたときの喜びだ」
「大スター? 妾は有名になった覚えはないぞ」
「ところでショタンコンロリババアというのは本当なのか」
途端に、なせか浮ついた表情だったネネが正気に戻った。隣でロゼも視線を遠くに──笑いをこらえている。
「それをどこで知ったかは知らんが。とにかく下ろすのだ」ネネがニシの額をぺしぺし叩いた「ロゼよ、とんでもない者を見つけてきたな」
ネネは床に下ろしてもらうと、スーツの裾を叩いてシワを伸ばした。
「まあよい。わけあって事の仔細は話せぬが、その分報酬は弾むと約束しよう。ではロゼ、輩を休ませてやれ。これから忙しくなる」
「仰せのままに」
ネネが先に退室し、その後でロゼに部屋を案内された。そう広くはないが掃除の行き届いた客室が4つ、ひとり1つ用意されていた。部屋には質素ながらバスルムームもあり、熱いお湯が出た。
「ちくしょう。なんたってんだ」
レイナは服を脱ぎ捨て身軽になると、バスタブにまたいで入って頭からシャワーのお湯を浴びた。絡まった銀髪がほどけ、体がしっとりと暖かさに包まれた。
どいつもこいつも、ニシに色目使いやがって。確かに珍しい黒い直髪に黒い瞳というなんともイカした見た目だ。それに強いし知識もあるし、なんだかんだいって優しい。ときどき意地悪な皮肉屋だがうまく仕事をやり遂げたたときは褒めてくれる。
「ちくしょう」
さっきのやつの顔、あたしには一度も見せてくれたことのない顔だった。いつもいつも澄まし顔で「よくやったな」って褒めてくれる。でもあんな、嬉しそうで悲しそうな顔を見るのは初めてだった。
熱いお湯でも絡まった考えは洗い流せず、レイナは清潔な真っ白いタオルでごしごし体の水滴を拭き取ると、ショーツだけを履いてベッドに飛び込んだ。アーヤのいびきがきこえないひとりきりの硬いベッドに寝そべって天井を見上げていた。ニシとロゼと、依頼人の幼女の顔が順繰りと浮かび、そのまま眠ってしまっていた。
朝日が高窓から斜めに差し込んできてやっと目が覚めた。服を着て、仕事用に肘と膝にもプロテクターを付ける。銃が手元になくて少しだけ探したが、昨日預けたままだったのを思い出した。
邸宅の中庭ではSUVが並び、野暮ったい服を着た兵士たちが地図を広げ最後の打ち合わせをしているところだった。レイナはその誰とも声をかわさず、仲間に合流した。アーヤとニシと、シスはバギーの上でライフルの照準器の調整をしていた。
「ねぼすけレイナ」
ニシは笑いながら、レイナのショットガンとその弾を収めた弾帯、そして磨かれたマチェーテをレイナに渡してくれた。
「うっせぇ、ロリコン野郎」
「さてレイナの機嫌を損ねるようなことは」
「昨日、あのチビに欲情してたろ。見てたぞ。シスに甘々しているのだって、お前がロリコンだからだろ」
「俺は、別になんともないさ」
黙れ──変態はそう言うものだ。
「わたしはおねーさんだよ。レイナより歳上なんだから」
「あららレイナちん、ご機嫌斜め。月のものかな」
によによ笑うアーヤも、レイナをちゃかした。
「るっせえ、凡人みたいに毎月あるわけじゃね―んだよ。昨日あまり寝られなかったせいだって」
とげとげしいレイナだったが、ニシから朝食用にと紙に包まれた葱平餅とパック容器のアガモール茶を渡された。
「俺は、レイナがいつも通りで安心したよ。でかい山だけど、普段通り仕事をすればレイナならできるって信じてる」
ちくしょう、こう優しいと調子が狂う/ニシはまたシスと仲良く手を繋いでるのでやっぱムカつく。
「ところでレイナちん、無線機の変数をセットしといてね。6-2-9だから。さっきロゼさんが教えてくれた。連邦軍の無線機、大枚はたいて買っといて正解だったね―」
「あー、そういやそんな機能もあったっけか。周波数、ずっと同じままで忘れてたよ」
レイナは無線機のイヤホンを左耳に挿し、アーヤが言った通り、周波数の不規則変調のパターンをツマミを回して合わせた。前駆二輪の風切音に負けないようやや音量は大きく変えた。
誰が号令したわけでもなかったが、変装した兵士たちが各々の車に乗り込んだ。窓の中からは事情を詮索しない地元の使用人たちが見下ろしている。
『では、出発です』無線機からロゼの声が聞こえ『砂漠のトカゲ団のみなさんは、私が運転するトラックに付いてきてください。フフ、遅れたら置いていきますからね。もし敵に遭遇しても積極的な攻撃は避けてください。あくまで自衛です。相手が撃つまでこらえてください』
ラリートラックは八百長レースのときにも見たが、こちらはシャシーから軍用に作られた装甲トラックだった。反重力機関は連邦軍の可変戦闘車に使われるような巨大なもので、後輪のノンフラットタイヤもレイナの背丈ぐらい大きかった。
推して知る──あの意味深な幼女と護衛対象は荷台の中にいる。これを遠路はるばるオーランドまで守りきればこちらの勝ちだ。
こういうのをブレーメン学派の諺でなんといんだっけか/そう、ムシャぶるいだ。ムシャがなにかは知らないが、とにかくこのドキドキをそう呼ぶんだって死んだオヤジが言っていた。
ロゼの運転するラリートラックが先に敷地を出た。続いてアーヤのバギーとレイナの前駆二輪が続く。そして後ろをSUVが2台ずつ、ぞろぞろと続いた。海沿いの細道を抜け、タムソムの郊外を横切るハイウェイに乗ると一気に速度が上がった。ハイウェイは右手にずっと海岸線が見えた。複雑な海岸線を切り取るように、まっすぐ南下する。
無線封止、というわけではなかったがロゼからの連絡は来なかった。アーヤもレイナも、海風と走行風に負けないよう運転するのでおしゃべりしている余裕はない。
長い車列も、途中のジャンクションを過ぎるたびに2台ずつ減っていき、昼食のためパーキングエリアに停まるとトラック、バギー、前駆二輪の3台だけになってしまった。
「くそあのデカ乳女。休み無しで走らせやがって」
レイナはトイレを済ませ、洗面台で顔を洗った。高速で走りっぱなしだったので顔中に砂埃が着いて茶色く変色している。
「こうも高速で走らせっぱなしだと疲れるわぁ。バギーじゃなくて車 買えばよかった。おかげでおしりがぺったんこだよ」
アーヤもくたびれ顔で洗面台を見ている。
「予定だと、今日一日、ずっとハイウェイを走るんだろ?」
「そそ、初日は距離を稼ぐんだって。で、明日からは旧道とか密輸団が使う荒野のルートとか。ニシ君が言ってたけど、今日は尾行者をあぶり出すため囮と本命とを分けてハイウェイを走るんだって」
「せせこましいことしなくたって、さっさと襲ってきてくれたら楽なのに」
「ん、そうだよね。でもニシ君はどうも違うと思ってて、内務省と近衛兵大隊と、戦争しているわけじゃなくて政治的にいがみ合っているだけだとか。軍も表立っては妨害してこないって。だからあくまで私達は監視されているだけ。昨日みたいに司書たちが直接手を出してくることはないかも、だって」
アーヤはニシから教わったことを淀み無く読み上げた/とたんにレイナの眉が釣り上がる。
「あっそ。そんなくだんねーこと、あたしにゃ関係ないって」
レイナは手を洗って、服の裾で手の水滴をぬぐった。
「ふーん、嫉妬? レイナちんもニシ君とおしゃべりしたいんだ」
「ばっ、んなわけねーだろ」
「いいんだよー、レイナの荷物をバギーに乗せてさ。ニシ君が前駆二輪の後ろに座るってのも」
「それだとチビスケがあたしの荷物の上に座るんだろうが。ヤだぜそんなの」
半ば投げやりに、レイナはアーヤの尻を叩くと駐車場へ戻った。ラリートラックからはロゼや積荷が降りてくる気配はない。前駆二輪に向かう途中、屋台で米とチキンの煮込み料理を手早く食べた。パーキングエリアには呑気にドライブを楽しむ家族や腕っぷしの強いトラック野郎たちで賑わっている。とても銃声やら爆弾が飛び交う場面じゃない。
前駆二輪へ戻るとロゼが4人に新たな許可証を渡した。
「銃携行許可証?」
「ええ、そうです。クラス1の銃器の所持許可証です。この先、検問も増えるので、その際はその許可証を見せてください。警備兵も簡単な確認だけで通してくれます」
「許可もクソもないだろ」
自分のショットガンはオヤジの形見でシリアル番号なんてない。アーヤは正規店で買ったからまだいいとして、ニシの自動小銃と拳銃は連邦兵士の死体から奪ったものだし、シスの長大なライフルにいたっては、一体全体どこで作られたかさえわからない代物だった。
「……あたしたち、怪しすぎないか」
「フフ、レイナさんは随分と真面目なのですね。連邦支配領域では許可証がすべてです。たくさんのヒトを管理するにはこれが一番なのです」
この許可証が偽造品に思えて仕方がなかったが、依頼人がそう言うなら従うほかない。
昼食休憩は30分で終わり、再びハイウェイをひたすら走った。日没を過ぎハイウェイをそれてひなびた村のモーテルにやっと止まった。
『レイナさん、先に中に入って安全を確かめてください。そして今日は貸し切りにします。宿のオーナーにそう伝えてくださいまし』
やっと休めると思ったのに今度は使いっ走りかよ/しかし金で雇われている以上反論はできない。
レイナはホルスターにショットガンを収めこれみよがしにがちゃがちゃ鳴らしながら部屋を見て回った。
一部屋ずつ見てみたが他に客はいない。2階建てで部屋数は10ほど。最低限の清掃は行き届いていそうだったが、黒いゴミ袋は山積みのまま、ゴミが溢れて避妊具の包みやら煙草の吸殻が風の吹き溜まりに積み重なっている普通のモーテルだ。
「ハイソな訳あり金持ちがこんなとこ泊まるのかねぇ」
受付の鉄格子越しに全部屋を貸し切る旨を伝えると、老婆の店主もすこし驚いていたが駐車場に泊まる巨大なラリートラックを見るなりなにか納得したようだった。
トラックは荷台を部屋のドアに近づけ、一瞬だけハイソな依頼人が見えたがすぐ何事もなかったかのようにロゼは受付で連邦通貨を電子払いした。
「“じゃんけん”しよう」
ニシがそう提案した。
「ん何だって?」
ときどき現れるニシの妙な趣味だ。
「じゃんけんで夜の間の見回り当番を決める。不寝番。一応、護衛の仕事だから報酬に見合う仕事をしないと」
「あーじゃああたしは最後で。とりあえず寝かせてくれよな1日中運転してたんだから」
アーヤは何かと文句を言いたげだったが、それ全部を無視してレイナは荷物を抱えて自分の部屋へ向かった。
部屋は、きれいじゃなかったが寝られないこともない。家具はドレッサーとエアコン、真っ白なシーツのベッド、それだけ。トイレはきれいだがシャワーは明日 次の宿で浴びることにした。
服を緩めてベッドの上で横になる。しかしマットレスは前駆二輪のシートより堅い。枕もぺちゃんこだった。
「あーこんなんで、この先どうなるのかねぇ」
物語tips:通貨
連邦、連合、財団 それぞれの支配領域で通貨が異なる。
連邦ではクレジットと呼ばれ電子化されている。厳密には、電子通貨と通貨カードがある。通貨カードの外見はパンチ穴のあいたプラスチックの板で贈答用などに使われる。普段はパル(個人データ端末)を通して電子決済している。
いわゆる、名前の書かれた安全通貨なので、他の通貨から両替してクレジットを持っておくと何かと安心。しかし取引にはパルが必須で、正式な市民証がなければ受け取れない場合もある。