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物語tips:財団

 正式名称は「復興財団」だが、綴り(スペル)が長いので「財団」と呼ばれている。

 1000年前、第1次獣人(テウヘル)戦役の終わり、焦土と化した大陸を素早く復興するため、当時の(おう)キエ=キルケゴールの一存で設立された。私有財産、人材や物資を強制的に徴発し都市の復興に当てるというもの。

 復興が終わった後も、州政府や軍部とのパイプを活かし、人材派遣や物資、資金の融通をする巨大組織へ成長した。第4次巨獣(テウヘル)戦役の国家(ネーション)侵攻作戦も財団のロビー活動があったと言われている。

 現在では南部を中心に(ステイツ)を実効支配し、強権的な管理社会を築いている。また「司書」の弾圧を受けた科学者の受け入れも広く行っており、科学力では連邦(コモンウェルス)を凌駕している。

「レイナくん、少しは落ち着いたらどうかね。さっきからシート越しにがたがた貧乏ゆすりが響くんだが」

 ハンドルを握るヲウボ警部がバックミラー越しに言った。ぴたり/レイナは膝の動きを止めたが、

「だってよ、ポリの車だろこれ。落ち着かねーって」

「その様子じゃ、警察にお世話になったことがあるみたいだねぇ」

「ねーよ。不良のガキといっしょにすんな。捕まるようなヘマ、してねー。あたし、優秀なんだ」

 青信号=一般車両に紛れる警察車両が発進する。後輪だけがゴムタイヤなのでゴロゴロとしたロードノイズが耳障りだった。

「レイナ、言葉遣い。プロとして、大人として」

 助手席に座っているニシが振り返った。レイナは鼻を鳴らしてスモークガラス越しに2桁区の夕方の退勤ラッシュを眺めていた。大抵の労働者はトラムにぎゅうぎゅうに乗り込んで街を縦や横へ移動する。それでもまだ自動車を使う者は多いので夕方となっては信号1つ分を進むのに15分もかかっている。

「ワシは構わんよ」ヲウボ警部の声は低く響いた「ワシは結婚もしとらんし子どもももちろんいない。同級生はみな結婚してレイナくんぐらいの子どもがいる。この歳になると子どもの言葉遣いぐらいじゃ気が立ったりしないんだ」

「あたしはガキじゃねーって……ないです、警部」

 あたしのオヤジよりは1周り年上に見えたが、ヲウボ警部はかなり老け込んでいる。どのみちストレス発散とかで酒に浸ってるんだろうな。

「それに、近衛兵団だろ? 軍の精鋭、軍警察よりも更に上。そうなれば頭を下げるのはむしろワシら所轄(ゲンバ)の方だ。気にはせんよ。奇妙な事件で応援部隊を頼んでいたが、近衛兵団から派遣されるとは予想していなかった」

「ちょうど手すきで、政治的な利害も関係ない動かしやすい俺達に声がかかっただけですよ」

 ニシが丁寧に応えた。

「そう謙遜しなくてもいい。警官の死体を発見してくれた、それだけでも十分に感謝している。あの不法居住者たちについては、一応、軍警察には知らせているが、どうだろうねぇ。無視、だろう」

 車はまた渋滞に挟まって動かなくなった。()はまだ地平線より上にあるがビルが林立する谷間のせいでずっと暗いし空気もジメッとしてきた。

「難民は、本当に厄介だ。救わなければならないが、どこにも行き場も帰る場所もない。俺もずいぶん苦労させられました」

「どこの(ステイト)の話かは知らないが、オーランドは極めて単純だ。砂漠化でオーランドへの移住希望者が多い、しかし知識人技術者優先で居住許可証は狭き門、それでいて1桁区2桁区じゃ安い給料の労働力が必要。密入国のブローカーも裏稼業の斡旋屋もいて、警察の一部もそれに加担している」

「なるほど、よくある話だ」

 信号が青に変わる=目的地まであと1ブロック。

「じゃあ、ヲウボ警部も賄賂、もらってんの?」

 レイナがあっけらかんと訊いたが、すぐぴしゃりとニケに額を叩かれた。

「はははっ、ワシが? いいかいレイナくん。賄賂というのは動かしやすいヒトの最後の一押しに使う手段だ。そもそもワシは刑事課の凶悪事件担当ばかりで、そういった利権には疎いのさ」

 以前もニシに賄賂の使い方は教わった気がする。

「じゃあ、警部は何があったら心を動かされる?」

「ん? もちろん犯人が素直に罪を認め心の底から自らの罪を悔いたら、ワシも心を動かされる」

「それで、逃がす?」

「まさか」

 最後の一瞬だけヲウボ警部の視線は鋭かった。

 車を立体駐車場に停めて、そこからは徒歩だった。ヲウボ警部の身分証でマンションの管理人に入口を開けさせると、上層階用のエレベーターに乗り込んだ。

「おいおい、カチコミでもする気なのか」

 ヲウボ警部が狼狽する/ニシはダッフルバッグからライフルを取り出し、レイナもショットガンとシェルの弾帯を体に巻き付けた。マチェーテの鞘も定位置に巻く。

「万が一に備えて、ですよ。司書──内務省の資料では警備用に銃の携帯許可証が発行され、購入履歴では軍用ライフルが納入されています」

「しっかしよ、刑事の流儀は、まずは“いい刑事(デカ)”を演じつつ話を聞くんだ。なにせ令状も取ってない」

「俺達はどうも財団との折り合いが悪いんです。安心してください、警部。向こうがおっぱじめない(・・・・・・・)限りは撃ちませんから」

 ニシの余裕の笑み&バリトンボイスだった。レイナもつられて頬が緩む。

 ヲウボ警部は、呆れながらも自分の脇の下のホルスターの位置を確かめていた。エレベーターはまもなく間の抜けた電子音で最上階に到着したことを告げた。

 マンションの屋上のペントハウスは、空調・変電設備を隠すように人工庭園が青々と茂り、ちょっとした石畳の小径(こみち)が背の高い生け垣の向こうへ続いている。

 カタギに見えない刑事と武装した傭兵(サイカ)✕2の登場に、庭園にいた警備兵がぞろぞろと集まった。3人の正面に1組、背後に2組が控えている。

「なにかご用で?」

 慇懃(いんぎん)な警備兵がヲウボ警部と対峙した。ぴっちりとした黒のスーツに、黒のサングラスだった。サングラスの奥では人工眼球の赤い虹彩が透けて見える。手に武器は持っていないが、他の警備兵が短機関銃を小脇に抱えている。

「64分署のヲウボだ」身分証を見せながら「とある事件の重要参考人が、この付近で目撃されている。ここにお住まいのグーン氏にお話を伺いたいと思いまして」

「氏は多忙な身だ。アポイントなしの訪問はご遠慮ください。どうぞ、お引き取りを。それでもまだ居座りたいのでしたら、我われも力付くで排除しなければなりません」

 下っ端の警備兵なのにずいぶん強気に出てくる。

「なに、お手間は取らせませんよ。なにか不審なものを見たかどうか、それだけを聞きに来たんです」

 ヲウボ警部も義体化兵を相手に奥せず堂々と話すせいで、見ているこっちがひやりとした。隣のニシは半身に構え、背後の警備兵にガンつけている=その度胸は嫌いじゃない。

 視界の端で動きがあった=先に銃を構えたのは警備兵の1人だ。それとほぼ同時にニシも機械じみた反応をした。義体化兵士たちがぞろぞろと銃を構え、レイナとヲウボ警部は状況の変化に追いつかず=恐怖心/自分が銃を抜いたら撃たれるんじゃないか。

「レイナ! 後ろ(チェックシックス)

 こいつのトーキョー語には慣れてきたが、とっさに6時と言われ()を向いてしまった。

「真後ろは5時方向だっていつも言ってるだろ! いいかんげん覚え、ろ?」

 真後ろのエレベーターの屋根に見覚えのある小さな女の子がいた。やせ細っていて幸薄そうなスラムの少女然としているが、ギラつく眼光とニカッと笑うと口角から犬歯が覗いた。

「あー、おいしそうな匂いのお兄さんと、銀髪のお姉さん。お久しぶり──」

 警備兵たちは幸薄い少女に銃を構えるが、ニシもレイナも銃口を向けるかどうか迷っていた。

「──ここがわかっちゃうなんて、お兄さん()鼻がいいんだね。わたしと同じ。うふふ。じゃ、競争しようか。どちらが先にアイツを殺せるか」


挿絵(By みてみん)


 少女がニヤリと笑い、笑った口の口角がどんどん広くなる。代わって鼻がとんがるように変形した。

 なにかの見間違えじゃないか。瞬きするごとに少女の顔と体がヒトとかけはなれていく。まるで、まるでこれは、

「テウヘル!」

 細い体格に長い手足。少女が着ていたワンピースを破り真っ黒な体毛に覆われた獣人が露わになる。その場の全員が呆気にとられ、ほんのコンマ数秒引き金を引くのが遅れてしまった。

 現れたテウヘルは脚力で宙を飛び、警備兵の1人に取り付いた。背後から首筋に噛みついて羽交い締めするとまるで人形遊びをするように警備兵の両腕を引きちぎった。断面からは炯素(けいそ)製の人工筋肉と電気配線が漏れ出て、線虫の群れのように動いている。

「キャハハハ、勝負よ」

 犬面にとても似つかわしくない甲高い声だった。警備兵がバラバラと発砲するが、テウヘルは生け垣に飛び込んで姿が見えなくなった。

 警備兵たちは軍隊調に叫びながら──というわけじゃなかった。静かに互いに目配せしてグーン氏の屋敷へ引き上げていく。ひとりだけ負傷者に付き添い容態を見ている。

「なんか、静かだな」

「電脳通信だろう。俺も使っていた。義体化していればそう難しくもないはず」

 つまり頭のなかにパルの機能が入ってるという。

「ヲウボ警部」ニシはおどおどと6連式拳銃を構えた警部に「近衛兵団には俺から連絡しておきます。警部は軍警察に市街の警備依頼を。まだ敵の数はわかっていません」

「あんなすばしっこいテウヘルがまだいるってのか。クソ信じられん。歴史ドキュメンタリーで見たテウヘルのまんまじゃないか」

 ヲウボ警部はエレベーターへ向かうと片手に銃を構えたままパルを手早く操作している。

「で、あたしたちは、アレと戦うわけね」

「なんだ、嫌なのか?」

「ば、ばかやろぅ。んなわけないだろ。電撃パンチのフリオとも互角にやり合ったんたぞあたしは」

「へぇ、互角ねぇ」

 ニヤつくニシが憎たらしい。だがあのとき、てめぇの死ぬほど心配そうな顔は絶対忘れないからな。

 ニシがライフルを構えて安全装置を解除した。

「急ごう。グーンは重要人物だ。死なれては困る。グーンの警備兵もそう数は多くないはずだ。それに500年前のテウヘルと同じ仕組みなら銃弾が効かないかもしれない」

「おう、任せとけ」

 ショットガンを構え、バックショット・シェルを2発込める。久々の戦いだ心が踊る。それに前を走るのはニケの大きい背中だ。これ以上頼りになるものはこのオーランドにはない──ないが、500年前のテウヘルってのはどういう意味だ? たぶん、まだあたしに知らされていないことがゴマンとある。

 グーンのペントハウスはそれが巨大マンションの屋上と思い出せないぐらい、広かった。植物園を思わせる木々や花々に、その間を小川が流れている。無駄に金をかけることこそ金持ちのステイタスであることを体現している。草木の間には対人センサーがひっそりと生えている。

「うへ、金持ちってのはこんなことまでできるんだな。フアラーンにも金持ちはいたけどよ、ここまでじゃないぜ」

「義体化し武装までした警備兵、防犯センサーの(たぐい)。レイナ、もしかしたら想像とは違う設備かもしれない」

 どういう意味だよ──聞く前に正面の入口に着いた。腹部を破壊され機械配線がむき出しの警備兵が2人倒れている。ドアは電子錠付きだがほんの隙を突かれたらしくテウヘルの4本爪が食い込んだ跡がある。

 室内は薄暗かった。照明は床の角の間接照明だけで、その上 化繊の絨毯が敷いてあるせいで足音がまったくしない。廊下の両側は応接室でその向こうはプールがあった。銃声は聞こえるが、人影がなかった。

「誰もいないぞ」

「銃声は下の階からだ」

 ニシが化粧材をあしらわれたドアの前に立った。ここも電子錠だったがドアノブを回しても開かない。

「へへへ、あたしに任せなって」

 レイナはショットガンをドアのデッドボルトに向けると、引き金を絞る。2発が発射されたが、壁材にめり込むだけで(じょう)は壊れなかった。

 レイナは新たに弾を込めながら、

「あれ、おかしいな。スラグ弾のがよかったか」

「待て待てレイナ。撃つな」

 ニシは、玄関口で倒れていた兵士からパルをぶんどってくると、そのパルで認証してドアを開けた。加圧された室内からヒュウヒュウと風が吹いている。

「レイナ、よく考えたな」ぽんぽんと、レイナの飛び跳ねた銀髪を撫でて「普通のドアならそれで壊れたはず。だが、ここは、どうやら普通じゃない」

 ドアの裏側を見て驚いた──上下に筋交いが入り、ドアの材質自体も鋼鉄製でかなり重かった。 階下から銃声が響く。そしてヒトのうめき声と機械が圧壊する音もする。

「さあ、行こう。敵はこの向こうだ」

「なあ、ニシ、すげーデジャブなんだけど、ここ財団の研究所にそっくりじゃね」

「奇遇だな。俺も同じ意見だ」

 階下は金持ちのペントハウスとは打って変わって、工場のような構造だった。天井にはパイプが走り、床下も鉄格子の下は配管が見えている。

「やつら、オーランドのど真ん中でこんな研究所をおっ建てていたのか」

「確かに。これなら司書が目をつけるのも頷ける。ロゼが知ったら驚くだろう」

 なんでここでオバチャンが出てくるんだよ。

 ニケを先頭に、ゆっくり進む。すでに銃声は止んでしまった。ブーツの先で転がっている薬莢を蹴って、それが鉄格子の下のパイプの隙間に落ちる。

 音。それに空気の動きだ。

 全身の毛という毛が逆立つ。心臓がぎゅうぎゅうと締め付けて苦しい。それでも確信があった。敵がいる。

 レイナは間髪入れずに振り返り、迷うこと無く引き金を絞る。2発のスラグ弾が廊下をまっすぐ飛び、レイナへ飛びかかろうとしていたテウヘルの脇腹をうがった。

「痛っ!」

 犬のようにギャンギャン吠えてくれればいいものの、その尖った口で少女のように叫ぶせいで気味が悪い。

 レイナはマチェーテを構えたが、ニシはすかさずライフルを斉射した。あたり一面に火花が飛び、大半の弾丸がテウヘルに命中したが長い手足でボールのように跳ねながら廊下の奥へ消えてしまった。

「くそ、心臓を狙ったのにまだ動いている。別の場所にあるのか。いや、それより、レイナ、いい判断だったぞ」

「えへへ、だろ? あたしだってやるときはやるんだ。頭、撫でてもいいんだぜ」

 しかしニシは鼻で笑うだけで撫でなかった。手早くライフルの弾倉を交換し、テウヘルの逃げた先を追う。

「でもよ、あたし、なんかピンときたんだぜ」

「ピン、っていうと、何か。そのアホ毛からソナーでも打てるようになったか」

「ちげーよ。後ろにいるって気づいたんだ。ていうか皮肉言うくらいならもっと褒めてくれてもいいんだぞ」

「レイナは褒めると失敗するタイプだろ?」

「褒めたら伸びるタイプだ。だから──」

「はいはい、仕事が終わったらな」

 んだよ。つめてーやつだ。慣れたカンジで適当にあしらわれる。や、もしやオンナがいるから慣れているのか。オンナのニオイがする。ニシの口ぶりじゃトーキョーにオンナがいるふうだったし。

 廊下には警備兵の機械義肢の残骸が転がっている。銃弾でへこんだ両開きのドアが廊下を塞いでいる。さっき拾ったパルでは開かなかった。

「どこへ行ったんだ、あのクソ、くそ、えっと雌犬?」

「それじゃ意味が変わるだろう。あれだ、通気口」

 ニシが指差す先で、通気口の金網が壊れて床に落ちていた。

「なーんか、普通のマンションにしてはデカい通気口よな。というか前、通気口を通るのは映画だけだって言ってたじゃん」

「もし、もしあのテウヘルが自在に少女とテウヘルの体と変身できるのなら、少女の体で通気口が通れる。それにこれはNBC防御規格の通風孔」

「えぬ?」

「核物質、生物、化学……危険なガスやウィルスを培養している施設用、ということ。まったく酷い。グーンはこのセキュリティドアの向こうだろう。テウヘルもそっちに向かったに違いない。開ける方法を考えよう。たぶん……ここ。制御パネルをパルと繋いで、シスだったら解除できるかも」

 ニシがやたら難しそうな機械いじりを始めて、レイナは手持ち無沙汰に後ろを警戒した。

 ショットガン・シェルを、1つをバックショット、もうひとつをスラグ弾に変えた。さっきの様子じゃ、軽い足止めぐらいにしかならない。かくなる上は、弾丸をぶち込んでそしてマチェーテで首を落とす。あれでも生き物なんだ。首を落とせば死ぬだろう。

 また音だ。

 レイナは廊下の向こうへ銃口を向けた。空気の音が聞こえ、目では見えていないはずなのに空気の流れが直感的にわかった。ちょうど(・・・・)そこだ。

 財団系の(ステイト)でよく見る電子ポスターだ。ブレーメン学派のありがたーい言葉()のスローガンで『労報国富(ハータムプラン)』と造語が踊っている。デジタルサイネージなのでしばらくすると昔の指導者たちの格言がずらずらと流れるビデオに代わった。

 目をこらす──デジタルサイネージの奥で影が動いている。四隅を撫で回し、ちょうど手がかけやすい取っ手があった。

「おっ、開いた」

 デジタルサイネージがドアのように開く/途端に暗闇から銃口が伸びて額に銃口が突きつけられた。

「うぁ、ちょいまち、あたしは敵じゃねーって」

 隠し部屋で機械式の赤い瞳が2つ、動いた。さっきヲウボ警部と対峙していた警備兵だった。ニシもすぐ異変に気づき、

「待て、俺達もあの怪物を追ってきたんだ。だから──」

「黙れ、声が大きい。こっちだ」

 半ば引きずり込まれるように、隠し部屋に押し込まれ、警備兵が隠し扉を閉じた。

「なんだってこんなところ……」

 レイナは口を開きかけたところ、無理やり口を封じられた。

 デジタルサイネージの裏側からさっきの通路が見えた。そして通気口からぬるりと少女が現れた。小さい体とはいえ、どう見ても肩の関節を外して体をねじ込んでいる。生まれたばかりの仔牛のように力なく床にボトリと落ちるとたちまちテウヘルに変身した。

 曲がった猫背に、長い手足。さっき撃った銃創はふさがりかけている。一瞬だけ偽装ドア越しにレイナと目が合った──気がしたがニシが撃ち込んだ弾丸で目も鼻もほとんど潰れていた。

 テウヘルはそのまま、獲物に気づくことなくもと来た廊下をとぼとぼと歩いて戻っていった。

「と、状況を整理すると、あんたがグーンだな」

 ニシが声を押し殺して言った。間違って銃を撃つことがないように丁寧にコックを戻してライフルから弾を抜いた。

 事前情報どおりの、胡散臭い(うさんくさい)人相の男だった。タレ目のくせにぎょろっとした大きい目のせいでどこか観賞魚を思わせた。猫背で頼りないが、しかし白衣を着ている。

 それを守る警備兵の方は、打って変わって硬派で清貧な兵士だった。赤い人工義眼は生身じゃない高度な義体化をにおわせた。

「俺はニシ、こっちはレイナ。近衛兵団から来た」皮肉なしで手短に自己紹介を終えると「で、あんたは?」

「オットー」

 低い声が帰ってきた。主人を守る忠犬というふうに、オットーはグーンの前に立っている。

「さっきのテウヘルについて捜査しているが、話を聞かせてもらえるかな、グーンさん?」

「何も話す必要はない」

「オットーさん、あんたに聞いたわけじゃないんだ」

 オットーの背後でグーンはぶるぶると震えていた。

「ここは財団の施設だ。近衛兵団の出る幕じゃない」

「ほう、あんたたちのペットが都市で殺して回ってるのにまだ知らん顔するのか」

 皮肉屋の本領発揮=ニシよりオットーのほうが背が高いが狭い部屋で顔を突き合せて一歩も譲らない。

「つーか、この部屋、なんだよ」

 レイナは、顔の直ぐ側の棚にツノカバのフィギュアが全種類並んでいるのを見つけた。この4人なら膝を突き合わせて座れるぐらいの空間で、それでも居心地の良い一人掛けソファ、大型スクリーン、高級ヘッドフォン、冷蔵庫(ミニバー)まで備えていた。小さなテレビ台に並んでいるのはツノカバだけじゃない、連邦で暮らしていて毎日見聞きするアイドルグッズ、音楽やライブ映像を収めたデータスティックも神経質なぐらい、几帳面に並べてある。

「わ、わ、わたしの個室だ」

 病院にいる子犬のように、ブーンがわなわな震えている。

「趣味の部屋が?」

「財団の(ステイト)じゃこうした公序良俗(こうじょりょうぞく)を乱す物は禁止されている」

「ははーん、それでこんな隠し部屋をこさえて、1人でマスを──」

「ともあれ、おかげで一時しのぎになった」

 ニケが途中でレイナを遮った。

「ブーンさん、正直に話してくれればここから逃げる手助けができるはずだ。財団だって、ここが公になったら困るだろう。近衛兵団は、とくに俺達は隠密に動いている。うまくやればバレずに事が運ぶ」

 ニシのド正面にいるオットーは眉1つ動かさない。しかしその背後でブーンは焦点の合わない左右のギョロ目でそれぞれがニシとレイナを見ている。

「わかった。話そう」

 気色悪い男だったが、声は優しかった。

「協力に感謝する」

「だが、ニムシペは殺さないでおくれ」

 しかしレイナは眉をひそめて、

「はっ? ふかしこくなてめぇ」

 すぐニシが唇に人差し指を当て、「静かに」というトーキョー仕草をした。

「えっと、まずは人数を確認したい。アレは……ニムシペ? の他に何人いる」

番号1348(ニムシペ)だけだ。翠緑種(すいりょくしゅ)の細胞内定着は非常に繊細かつ困難な作業の連続で、生存できた個体は彼女だけだ」

「よし、それは一安心だ」

 ニシはパルで手早くメッセージを作り、ロゼへ送信した。

「じゃあ次の質問。弱点だ。アレの弱点は」

「あったら苦労しない」

 代わって答えたのはオットーだった。グーンも続けて、

「そもそも弱点のない新人類の創設、それが目的だった。水も食事も不要、病気もしないし寿命もおそらく、無い。銃弾程度では死なず傷の治りも早い」

 何いってんだこいつ? あの怪物は何十人も食い殺している。

「それ、以前も同じことを聞いた。サバロップ市の研究所で。グフィカという男だ」

「な、グフィカを知っているのか? あいつとはずっとライバルだった。どちらが先に完璧な新人類を創造するか、と。彼は機械による生体の補強を目論んでいた。目下の課題は生体と機械の橋渡しで、それをテウヘルの心臓を培養することで実現していた。何かとムカつくやつだが頭はいい。だから──」

「──あたしが殺してやったよ、あのクソペド野郎」

 レイナが言い放った/多少のブラフを込めて。

「なに?」

「頭がさ、こうパーンて弾けて。フフ、目玉が転がっていったよ」

「なんてことを。ああ、可哀想なグフィカ」グーンは涙を堪えるようにうずくまったがすぐ飛び起きてレイナに飛びついた「なんてことを! 彼の頭脳は人類を救う希望だったんだぞ! もちろん私の研究のほうが優秀だ。だが人類が生存できる選択肢を、君はひとつ潰したんだぞ!」

 オットーが小声でグーンをなだめる。グーンはギョロ目に涙をためてまた部屋の隅っこで縮こまってしまった。

「レイナ」

「んだよ。こいつだってロクデナシのひとりだぜ」

 しかし、ニシにこうも睨まれるとそれ以上言い返せなかった。

「グーンさん、人類を救う希望、とはいささか大げさと思うが、理由を聞かせてもらえるか」

「理由? 近衛兵の君たちならその程度(・・・・)のこと聞き及んでいるはずだろう。虚無(きょむ)の災害だよ! 450年前、第4次テウヘル戦役の最後、国家(ネーション)連中が自爆に使った侵食弾頭(しんしょくだんとう)のせいだ。大陸中に腐獣(テウヘル)が現れ、東部の都市は黒い砂漠に飲み込まれている。黒い砂漠じゃどんな生物も死に絶えてしまう。だから財団(われわれ)は研究していた。過酷な環境でも暮らせる新たな人類を」

「動機は、わかった。で、生まれたのがあの少女」

「ああ。メス型なら無性生殖で繁殖ができる。水も食料もいらない。テウヘルに変身すれば腐獣(テウヘル)に対抗できる。武器もいらない」

「食事がいらない割には、死体の心臓を食べているようだが」

「む、それは」

 口をとがらせて黙ってしまった。秘密よいうよりミスを指摘された子どものようだった。

「それに何だあの凶暴な性格は。ヒトとは思えない」

「おそらくそれは、翠緑種(すいりょくしゅ)を埋め込む過程で少し、脳の協調性と自他認識にズレが出てしまったのかも。いや、飼育中はずっと大人しかったんだ、本当だ。頭を撫でられるぐらい。それなのに、ほんの隙をつかれて。餌の時間、腐獣(テウヘル)の心臓が餌なんだが与える瞬間に檻から逃げ出してしまったんだ」

 不意に記憶が蘇ってくる──やたら高騰していた心臓の買取価格/「近頃は皆が欲しがっている」=裏で財団が心臓を買い漁っていたのか。

「どうも嘘くせーな」レイナが口を挟んで「わざと逃がしたんじゃないよな」

 グーンは口を半開きにしたまま、震えた。

「ともかくだ」グーンのギョロ目が光る「貴重な実験サンプルなんだ。都市の下層で生存できていた、というだけでも検証する価値が十分にある。いいか、これは人類の希望なんだ。忘れるな」

 ロクデナシのくせに偉そうに説教しやがって。こういうロクデナシは1発殴って頭を正気に戻すのが(すじ)だ。ニシの手出しがなきゃぶん殴ってやるのに。

 グーンは興奮して意気が揚がっていた。オットーはなんとか自分の上司をなだめている。血に飢えたテウヘルが徘徊(はいかい)している以上、ここからの脱出策を練らなければならない。

「なあ、なんか。音しね?」

 レイナが呟く/反論しようとニシが口を開きかけたが、

「確かに」

 遠鳴りの地響きがグーンとオットーにも届いたらしくピタリと動作を止めた。リズムのいいドーンという音とともに、小部屋がカタカタ揺れた。ツノカバの首振り人形がカタカタ揺れて笑っている。

「オットーさん、この部屋の防御規格は?」

「防御? ここはグーン氏が勝手にデッドスペースを改造しただけだからそんなものは……」

 オットーが息を呑む。各々が手に持っている武器の装填を確かめたときだった。

 突然天井が割れ、モウモウとしたホコリが降ってきた。気管まで粉にまみれて息ができない。視界もゼロ。施設全体が加圧されているせいで、舞っている砂埃もあっという間に空いた天井の穴から吸い出された。

 オットーが拳銃を構え、ニシもライフルを向けた。遅れてレイナもショットガンに手を伸ばす。

「あろー♪」

 憎たらしい嬌声/黒い毛むくじゃらのテウヘルが現れた。鋭い爪はグーンの首に押し当てられている。グーンのギョロ目が忙しなく左右に動き、しかし羽交い締めされているので喋れず唇だけが「撃つな撃つな」とぼやいていた。

「いい匂いのお兄さん♪ さっきは痛かったなー。顔を舐めながら謝ってほしい」

「グーンを放せ。そうすれば今だけは逃してやる」

「アハハ、謝って♪ ご・め・ん・な・さ・い」

「5秒だけ待つ。1・2・3・4──」

 ニムシペとニシの間で全く会話が成り立たない。オットーは上司の喉笛が引きちぎられそうになっているので、ニシの態度にドギマギしている。

 まったく、見ているだけで気分が悪くなる。犬面(いぬづら)の怪物が少女の声で喋っている。マジシャレにならねぇ。それに、財団のクソ科学者なんて1人2人減ってもいいだろう、さっさと撃っちまおうぜ。犬面のクソ女もマジの犬みたいに鼻をひくつかせて獲物の()を堪能している。

「あれ、そういや────ニシ、こいつまだ目が見えていない! 鼻だけだ。撃っちまえ」

 ほぼ反射で喋ってしまった。マズルフラッシュで残像が視界にこびりつく/銃声が響いて鼓膜が揺れた。

 ニムシペはグーンを掴んだまま、真上に飛び上がって逃げてしまった。

「あ、ごめん、あたしつい」

「レイナは、ロゼさんに連絡を。俺は奴らを追う」

 ニシの瞳が黄色に輝く/同時に予備動作なしに垂直に飛び上がった。

「おい、彼、義体化していないんだろう。どうなって……」

「おっさん、追うぞ。あたしらは走るんだ」

 レイナはソードオフ・ショットガンをホルスターに収めると、来た道を戻ってペントハウスの屋外へ出た。

「くそ、ニシの野郎、どっち行った」

 レイナがあたりをくるくる見回していると、銃声が聞こえた。人工の小川に足を突っ込み、生け垣を飛び越える。その向こうは空調用の巨大なファンが並ぶ屋上だった。背丈より空調ファンが大きいせいで視界が悪い。ビルの端まで行くと、これから飛び降りるんじゃないかという、姿勢でニシが立っていた。

「おいおい、早まるなよ。(ア・メン)萬像(ミソロジー)だかなんだか知らねーけど、この高さから落ちたら死ぬぞ」

「飛ばないさ」

 ニシ=横顔は少し疲れて老けて見えた。瞳は黄色に輝いていたが、何度か瞬きする内に元の黒い瞳に戻った。

「連中はどこ?」

「反対側のビルの屋上。もう見えなくなった。ここから電線をちぎって、それでグーンを掴んだままスイング・バイしてった。さすがに俺にはそんな芸当、できない」

「まじかよ。じゃあもうグーンは死んだんじゃね」

「この高さからフリーフォールでバンジーしたら、そうだな。6Gってところか。気を失うだろうが、死にはしないさ」

 ニシは屋上の(ふち)から降りると、レイナの頭を乱雑に撫でた。普段からとっ散らかっている枝毛がさらに天を向いた。

「やられた。俺達の負けだ。次の策を練らないと」

 完璧な男の落胆した姿は、しかしどこか同じヒトなんだという実感ももたらしてくれた。

 そしてレイナはお返しにとニシのケツを叩いた。

物語tips:侵食弾頭

 非常に威力の高い戦略兵器

 もとを辿れば、旧人類のエネルギー機関をリバースエンジニアリングした兵器。「無から有を生み出す」と言われるように熱力学のエントロピーを無視し、大量のエネルギーを獲得できる。

 その実態は、宇宙の外側を満たす「マナ」と呼ばれる無尽蔵のエネルギーを抽出する装置。無限のエネルギーを熱エネルギーへ変換すれば兵器化が可能。

 450年前、国家(ネーション)の将軍フジ・カゼは、無尽蔵のエネルギーを元に、肉体を捨てより高次元の種族へ人類を進化させようと目論んだ。結果として、侵攻していた連邦軍をも巻き込んで盛大な自爆をしてしまい、結果 大陸全土に「虚無の災害」と呼ばれる、気候変動と腐獣(テウヘル)、そして黒い砂漠を生み出してしまう。

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