エラーを治す
好きな相手に好かれたい、できれば嫌われたくないというのは、誰しもそうだと思います。
でも、実際は全ての人が自分に好意を持ってくれるわけではなく、人によっては嫌われてしまうなんてことはあるものです。
ああ、好かれていないのかな、これは嫌われているのかも、脈無しだなと感じても、だからと言って、自己卑下する必要はないのです。
たまたまその人とは相性が良くなかっただけです。
それを悲観し過ぎるとか、自分が傷ついてしまうと解釈しない方がいいです。
人に嫌われたぐらいで、自分の価値は下がりません。
受け止め方を間違えると逆効果ですよね。
自分の気分や価値が下がってしまうと恐れて、合わない人に、嫌われている人に無理して関わろうとするとか、しつこく食い下がると余計にいやがられて、完膚なきまでに嫌われてしまいます。
この人は合わないな、脈が無いと感じたらサッっと引く、引き下がる方がトラブルにもなりませんし、傷つくことを相手に言われなくて済みます。
それが大人になってもできない人は、問題ありの人ですよね。
でもだってと言い訳して無理にでも関わろうとするのは、社会性の無い人だと思います。
不本意な状態を受け入れないと、相手や周囲から「この人はおかしい」「この人は変だ」と、かえって不審に思われ距離を置かれてしまいます。
絶縁されるとか、出禁状態になるまでやってしまうと、異常者扱いにされてしまいます。
それが困るならば、好かれていないかもとか嫌われてるかもという相手には、もう近寄らないことです。
自分の精神的な保護をしたいならば、なおさら追いかけるようなことはしない方がいいのです。
そうすれば完膚なきまで嫌われることはない筈です。
完膚なきまで嫌われるのは、ごり押しするとか、しつこくして相手を振り向かせようとしたり、支配や操作しようとするからですよね。
それは、自分の気持ちばかりで、相手を何も尊重していませんから。
そんな人は、誰でも嫌ですよ。
人に嫌われたくないならば、自己中ではダメですよね。
まして、被害者意識で相手を攻撃したり、意のままにならないと報復しようとするなら、相手にとって鬼門になります。
破滅的に対人関係が上手くいかないならば、カウンセリングとかを受けた方が良いです。
子どもの頃からそうであるなら、なおさらです。
自分の問題への対応や修正は早い方がいいのです。
放置すると悪化して手がつけられなくなります。
傷つけられたとか拒絶されたということで自己肯定感が下がってしまうのは嫌だから、その相手からは離れようとしないなら、それは超絶自己中です。
だから嫌われてしまうのでは?
人の好みは様々なので、蓼食う虫もいますし、割れ鍋に綴じ蓋という言葉があるように、良くしたものでちゃんと合う人もいるものです。
でも、それは相手に強要するものではありません。
私はあなたがいいからとか、好きだからで強要しようとすると、相手は逃げますし、避けられてしまいますよ。
誰も強要などされたくないからです。
誰も誰かの奴隷ではないのですから。
嫌われていることを受け入れない、相手から好かれていないことを受け入れられない人は、相手の脅威になります。
話が通じないからです。
話が通じないと、共感や好意を向けられることはありません。
なぜ話が通じないのか?
それは相手や周囲を受け入れていないからです。
口では好きと言いつつ、相手を拒絶しているからです。
だから好かれもせず、相手にもされなくなってしまうのですよ。
好きとか愛していると言う割に、全くそうは思えない行動や態度ばかりしているからです。
それでは嫌がられるだけです。
そして、相手の冷たい態度やこんな酷い言葉を私に向けるのは、相手が自分のことをそれだけ愛していて、愛する人を傷つける性質の人だからこんなことをするのだという勝手な決めつけや妄想をする人は、
それはもう精神疾患です。
自分の失礼な態度や、あり得ない行動への厳しい反応が返ってきているだけなのに、それを相手の異常性と決めつけ自己正当化する、
自分の都合の良い曲解ばかりするなら、それは専門家の治療が必要なレベルです。
誰だって嫌われるよりは好かれる方が良いですけど
こんな面倒な人に好かれたら逆に迷惑、こんな人には好かれたくない、関わりたくない
そう思われてしまうのは、意志疎通ができない、超絶自己中な人だからです。
嫌われることは恥ではありません。
あなたが相手の好みではなかっただけです。
それを必要以上に気にやむことはありません。
自己肯定感を無駄に下げることもありません。
これ以上嫌われないように、離れる、去ることを自分がすればいいだけです。
それを意地になってしないから、だから完膚なきまで、人格否定されるぐらいに嫌われてしまうのですよ。
顔も見たくないほど嫌われる、二度と会いたくないとまで思われるほど嫌われるのは
あなたが執拗に食い下がるからからです。
それでは嫌われる一方です。
下手をしたら、異常者扱いされてしまいます。
そうならないためにも、脈無しな相手はもう追いかけない、無理に振り向かせようとしないことです。
あなたに好みがあるように、相手にも好みがあるのですから、それを受け入れて行くしかないのです。
それに、脈無しの相手ばかりを追いかけていると、あなたに合う人を取り逃がしてしまいます。
相手に強要しなくても、あなたを自然に受け入れてくれる相手、自分を好きになってくれる相手を探した方が有益です。
嫌われている人ばかりを追いかけ執着する人は、自分を幸せにできないし、他人も幸せにできない人です。
それで悲劇の主人公ヅラをするなんて、阿保過ぎです。
自分の受け止め方や自分のやり方さえ直せば済む話なのに、被害者ぶるから余計に嫌われるのです。
被害者ぶっていれば、責任を問われないとか、弱者のフリをすれば都合の良い展開になる筈だというやり方はもう通じなくなっていますよね。
大抵見透かされていますし、とっくにバレているので、そういうことばかりしていると周囲から軽蔑されてしまいますよ。
真偽を見抜く世間の目が鋭くなっているのを感じませんか?
他人はそれほど馬鹿ではありません。
昭和のまま時が止まったような、お涙頂戴劇、ヨヨヨ···みたいなやり方はもう通じなくなっているのです。
それ、あなたのせいなだけですよね?
と、もうみんな見抜いて、わかっているんですよ。
だから逆に叩かれてしまうという例が増えていますよね?
ネットなんてモロにそうですよね。
嘘つきとか、誇張し、被害者ぶると叩かれてしまうものです。
それは他人にとって不快だからです。
そこにも気がつけないと、対応を誤りますよね。
自分が困った時の処世術を間違えるとか、通用しないのにまだやり続けるなら、世間からは相手にされなくなります。
自分がこれは処世術だと信じてやってきたものは、実際は全然通用せずに逆効果だったということもあるのです。
他人を不快にする処世術、他人を犠牲にする処世術なんて機能していないのです。
上手くいかないならば、自分をアップデートすればいいだけです。
そこに自信喪失や自己卑下は必要ありません。
役に立たないやり方に固執しないで、別のやり方を試してみる方が上手くいくこともあります。
素直に試す、素直に変えてみる
どうやっても上手くいかないなら素直に引き下がる
その方が、断然自分が幸せになれます。
素直にならないと、せっかくの良いものが入って来ないですよね。
嫌われているのに、その相手に固執することほど、自分を不幸にし、その相手まで不幸にすることなのですから。
「嫌われる勇気」という書籍がありますが(未読です)、嫌われるのに勇気なんて、別に必要ありませんよ?!
ただ受け入れればいいだけです。
鼻息荒くしてやるようなことではないですし。
勇気を出すというよりも(否定はしていません)、素直になりなよ
でしかないのでは?
勇気じゃなくて、リラックスじゃないのかな?
勇気出すって、力むわけでしょ?
力むのではなくて、脱力した方がいいのでは?!(笑)
肩の力を抜いて、フラットに受け入れる
それでいいのでは?
嫌われる勇気とは、嫌われても平気になること、悲観的に捉えないでいられるようになることかなと。
自分を嫌っている人を追いかけてどうするの?
好かれている人と仲良くすれば良いだけですよね。
なぜそんなことをするのかな?
なぜ嫌われている人に固執するのですか?
そこを自分で深掘りしないと、治らないよね。
好かれている人ではなくて、嫌われている人を追いかける
それはエラーです。
自分のエラーを治さないと幸せにはなれないと思います。
いくら努力してもそれは報われることはありません。
そのエラーで、誰かの迷惑にもなるのですから。
自分のエラーに気がつくこと、エラーだということを受け入れることでしか、自分は成長も進歩もしないですよね。
嫌われているかもと感じたら、その相手からはサッと離れて
あなたを好きになってくれる相手のところへ素直に行けばいいだけです。
難しく捉えないで、もっと素直になればいいだけですよね。
自分のエラーを治すのも、ぐぬぬ···という力みではなくて、もっと軽やかに治してゆきませんか?
自力で治せないならば、プロの力を借りましょう。
(了)




