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被害者ビジネス

不慮の事故や病気、自死、犯罪に巻き込まれての死亡、災害、戦死、暗殺、死刑など、人の死の形には様々なケースがあります。


どんな死であれ、大切な人を失くすことは辛いものです。


喪失感から何年何十年も立ち直れない、そんな場合もあるかもしれません。


それはその人のペースで癒してゆくしかないものです。


あまりのショックから、正気を失ってしまった人も中にはいることでしょう。



世の中にはそれを被害者ビジネスにしてしまう人もいるのです。


残念ですが、私のかつての知人にもそのような人がいました。


子どもが鬱から自死をしてしまったのですが、その方はカウンセラーとして活動していて、鬱の投薬治療について疑念や不信感を抱いていました。


投薬治療の問題点や、投薬治療ではない療法もあることを私が知っている限りの内容も教えたりしたことがありました。


不信感があるなら止めてみる、他の治療法を試す、セカンドオピニオンを持つとか、やり方は他にもありますからそれも勧めました。


今はネットがありますから自分で調べればいくらでも探すこともできる筈です。


その人は産業カウンセラーの資格を持っていたのですから、それぐらいは自分でもできることです。


カウンセラーじゃない一般人だってそうしますよね?



その人はスピリチュアルも頼っていましたが、とにかく受け身、先延ばし、思考停止しているのではないかと感じていましたが、上手くいかないことや都合の悪いものは、私は被害者という体を取る人でした。


スピリチュアルな人に「自分の子どもを守るのがテーマ」のようなことを言われていましたし、自分でも前世療法で子どもを失った過去世を見たと話していました。


だから、それなら今度はちゃんとやるだろう、気をつける筈、自称カウンセラーを名乗っている人なのだから自分で対処するだろうと私は思っていました。


それからしばらくして、その人のブログに子どもが亡くなったという記事がアップされたのですが、葬儀の夜にこんな不思議な写真が撮れましたとかを載せていたので驚きました。


この人、何か感覚がズレている······


いくらショックで正気を失っているとしても、さすがにこれはないのではという内容の記事に戦慄しました。



その後その人は亡くなったお子さんの死にまつわる本を絵本にして自費出版していました。


この人の被害者キャラに騙される人もいるんだなあと、呆れました。


悲劇のヒロイン、異様なお子さん上げ、死を美化するようなものでした。


このようなことをするのは、自己正当化、自分が責められないためのガード、自己保身ですよね。


子どもを持ち上げるのは、その子のためではなくて自分のためです。


カウンセラーなのに、自分の感情や心の分析や自分の行動について探ろうとしない人なのだなと引いてしまいました。



交流も無くなった後、たまたま読んだブログに、今度はあれだけ依存していたスピリチュアルに対して批判的なもの、スピリチュアルのせいにするようなことを書いていました。


いやいやいや、そうじゃなくてさ!


あなたが人のアドバイスも聞かず、リスクヘッジせずに放置しただけでしょ?


カウンセラーという看板掲げていたのに、現実的な対策を何もしなかっただけでしょという。


スピリチュアルなんてやってなくても、一般人だって自分の子のためならもっと本気で必死で動くと思います。


いくら心の中で思っていても行動しないと助けることができない、早期に動かないと手遅れになってしまうことはありますから。


自分の行動の責任は棚上げの、他責に終始していたのは本当に閉口しました。


辛くて苦しいなら、理由や言い訳があれば何をしてもいいということではありませんからね。


不運や不幸なら、被害者なら何をしても許されるということではないのですよね。


お子さんを失くしたことは気の毒ですが、お子さんの死を悼むよりも、子を思う可哀想な私、自分は健気に耐える母親というナルシスト、自分への支持や応援を引き出すための被害者ビジネスをしてしまう人にしか思えませんでした。


他者に寄り添うのがカウンセラーですが、この人は誰よりも他者に寄り添ってもらいたがりの、未成熟カウンセラーでしかないという自覚もないのかもしれません。


ナルシストは自己中なので、良い人キャラを必死で演じても、そこがバレバレなのです。


完全完璧な人はいないものですが、自分の失態や自分の至らなさに自分で向き合え無いと、おかしな方向に突き進んでしまいます。


被害者ビジネスまでしてしまうのは、自分に向き合わずに逃げているからなのでしょう。


それだと本当の癒しや解放は起きないような気がします。


そして、それではお子さんも癒されないだろうなと。


大切な人や家族を失った人を責めはしませんが、自分のその後の在り方を間違えると、故人をちゃんと弔うこともできないのでは?


私はそう思うので、それだけが心配になります。


故人の成仏には、遺族や残された人達が暴走しないこと、故人よりも自分の面子を守ることに必死になりすぎないことも必要なのかなと思います。



自分をネタに被害者ビジネスなんかされた日には、故人は浮かばれませんよね。


ちょっと、何してくれてるの!


やめてよ、そんなこと!


と、困惑したり悲しんでいるかもしれません。


故人は母親にもっと寄り添って欲しかっただけ、その当てつけで自死を選んだのに······。


自分の心の保護、保身ばかりにフォーカスする人は、他者に寄り添えないものです。


自分の感情や立場ばかりに溺れて、冷静さや客観性を持たないと、故人は何年何十年も成仏できないんじゃないのでしょうか。


死んでからも、自分を解ってくれない、寄り添ってもらえないのですから。



他者や外に対してこんなに自分は供養してます、こんなに悼んでいますアピールをするのではなくて、故人にこそ


ごめんね


許して


愛している


今度こそはちゃんと守ってあげるから



とかをもっと、ちゃんと語りかけてあげるのが本物の供養ではないのかな。


何で他者にばかりアピールするのか意味不明。


被害者根性で他者や外にアピールするのは、自省や故人への語りかけが足りていない証拠ではないでしょうか。



生前親子間でコミュニケーションが上手くできていなかったのに、死後もコミュニケーション不足のままなのはなんとも······。


死んでから、喪ってから気がつくよりは、生きている時に気がつく方が良いですよね。


親子間でも、怠らずにお互いにベストを尽くす方が悔いは残りませんよね。


それは夫婦や友人でも同じことですが。



お子様の成仏をお祈り致します。



(了)

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