開運中毒
パワースポットとか神社巡り等、開運のために開運グッズを頼りまくる人はいますが、
なんと、お墓参りまで開運のためにするとか!?
それを聞いてびっくりしました。
そんな理由で墓参りって?!
なんという打算、ご利益中毒?
『これをすると、こんな好運が』というものに、あまりに頼り過ぎやしないのか?
今時のスピリチュアルって、他力本願過ぎじゃないんですかね?
これをしたら好運がやって来る
これを買えば、これを持っていれば開運できるというのは、
怪しい壺を買うみたいなのと同じ感覚ですよね?!
神社巡りや御朱印ブームも、神社側はウハウハかもしれないけど(笑)
また、自分の家や部屋をパワースポットにとか言う人もいますけど、
自分自身が、相手や周囲に迷惑かけまくる貧乏神、自分こそが疫病神、自分が一番負の存在みたいでは、何の意味もありませんよね?
どこかや誰かに何かをもらいに行くよりも、自身の浄化、自分の内面を磨くことの方が重要だと思います。
人は闇雲に開運するために生きているのではなくて、自分の人生を現実的にちゃんと生きることの方が大切なことですよね。
縁結びの神社に来て、「良い人にめぐり逢えますように」と願っているのに
現在進行形で不倫中とか、何股もしているというのはおかしなことです。
不倫はもうしません、彼氏とは別れましたから、どうか良い方にめぐり逢わせて下さいというならばまだしも、
自分は不貞の限りを尽くしていながら、都合のいいお願いしかしないなんて、神様とその相手に失礼ですよね。
神様にお願いしながら、良い人にめぐり逢うまで不倫をし続ける、何股とかをやめないのは本末転倒なのですけどね。
「そういうところだよ」
という、自分の問題点や欠点がわからない人は、自分を改めることができないんですよね。
「神社は自分のお願いをする所ではない」
神道系の方にそのように聞いたこともあります。
「神社は自分を見つめ改める場所」
自分の非を改め穢れを浄めるために詣るところであるわけですよね。
本人が物凄く穢れている私の元知人は、神社には近寄りませんし、自発的に行くことはまずありませんし、誘っても良い顔をしません。
開運グッズにもまったく関心もありません。
その人は、神社への賽銭も渋る人でした。
自分の金はびた一文払わずに開運したい人でした。
自分は何もしないで、受け身で楽して開運したい、好運に恵まれたいという感覚の強い人は、クレクレ精神が旺盛で、人から奪い吸い取る人になって行きます。
自分をまったく省みない他力本願の超がめつい人は、自分が穢れていてもパワスポ巡りや神社巡りにガツガツ行ってしまいますけどね(笑)
神社が穢れてしまうのは、詣る人の質が落ちて不浄のものがあり得ないぐらいに増えてしまって浄めが追いつかない状態なのかもしれません。
はんちくなスピリチュアルな人が自分の作った作品等を神社等に奉納してしまうと、それも神社の穢れを強め、結界を弱めることになってしまったりしてしまうのではないのかな?
それに、神は人間のためだけに存在しているわけではないですよね?
神を自分達の、人間の都合の良い存在に歪めてしまうと、それはもう神ではないのでは?
神を頼らずに開運できる、神を無闇に頼らずに幸福になれた方が、人間の進歩や成長のように思います。
(了)