魔性の人
それはやらない方がいいよ
こういうことをするのは良くない
ということを聞かされても、わざわざやってはいけないことばかりを嬉々と試したがる、悪いことばかりを真似をする
そして、良いことはしない、良いとされることを選ばない、悪いことばかりを好んで選んでやる
そのような人も実際にいます。
善悪の判断ができないとかではなくて、悪いことだと知っていても、とにかくやりたがる、歯止めが効かない
悪いこと、良くない方ばかりを衝動的にやる
そのような人がいるのです。
それは育った環境の影響とかよりも、元々の本人の嗜好、習性、性癖のようなもの、骨の髄からそうであると感じます。
それをやめよう、それはよそうという感覚がまるで無い、一切ないのです。
目の前の問題解決や、何らかの困ったことに対する対応が、全て犯罪、ことごとく違法、悪いやり方しか選ばない
まるで犯罪者脳のような人がいるのです。
トラブルメーカーなのはもちろんのこと、その人の被害者を作っていくことをやめられない、止まらないという人もいたりするのです。
関わると有害な人とは、そのような人です。
それが原因で他者から絶縁されてしまうことも、そのような人は多いと思います。
やることなすこと、悪い方を選ぶ
良くない方ばかりを好んでやりたがる
それがその人の『業』なのかはわかりませんが、とにかく悪い行いばかりを選んでやるのです。
良いことをするよりも、良くないことをする方が快楽を得られる、充足感や達成感を得られるという性癖がある人は、なかなか治らないと思います。
負のパワーをより好む、そんな感じです。
人によっては本当に犯罪者として捕まったり、訴訟とかに発展してしまう人もいると思います。
背徳感がたまらない、スリルが無いと退屈
それが病的になると、より悪や魔に染まって行きます。
そのような性根が魔性の人は実際にいます。
魔性の人とは、その本人自身が魔に魅了されている人のことだと思います。
その魔の魅了から抜け出せ無いと、いずれは人生が崩壊したり、自滅の道を辿りますが、魂がやられてしまっているので、それでも修正が効かないのではないかと思います。
魔性の人は、パワー自体が強いので、他者を巻き込む力、巻き添えにしてゆく被害も大きいので、破壊者、反社会的な立ち位置になりやすいと思います。
善と悪は反発し合うので、魔性ではない人とはその分軋轢も大きくなるでしょう。
魔は清い存在や清いものを瀆すことも大好物ですよね。
善を攻撃して弱らせ、善を騙し唆し、魔に引き入れては悦に入る、本当に悪魔のような存在になっていく人もいます。
悪魔的な人は、犠牲を欲するものです。
自分は犠牲になるのを嫌がる癖に、自分の犠牲者を作りたがる、犠牲者を作るのが好きですから、関わると犠牲になる人しか作らないのです。
これは無自覚でも、やっていることは悪魔教と同じなんですよね。
自分の欲求を満たすために、他人を犠牲にばかりしている
それは本人が魔の人だからだと思います。
『善も悪もない』
一部のスピリチュアルではそんな言説もありますけど、
この地球では善と悪は戦っています。
それに悪の側にいる人の方が「善も悪もない」を信奉したがるものです。
自己正当化してでも、なんとしてでも悪であろうとするのです。
馴れ合いばかりだと腐敗してゆきますし、魔的な人の方が馴れ合いを好むように思います。
許してもいいことと、許してはダメなことはれっきとした線引きがあります。
この世には許してはいけない悪もあるわけです。
悪貨が良貨を駆逐する
そうならないように気をつけないと、すぐに堕ちてしまいます。
人は簡単に悪に染まる
善と悪との戦いのドラマ
本当にキリが無くて飽き飽きなのですけどね。
そのドラマにもう加担するのをやめたらどうなんですかね。
善と悪が融和するのではなくて
悪であることを放棄すればいいだけなのでは?
悪は人を苦しめ傷つけ、疲弊させるのですから。
悪が在り続けると、結局は被害者や犠牲者がいなくならないから、被害者意識というものが根深く延々と蔓延ってゆくだけです。
それでいつまでも負の感情がなくならないのでは?
善と悪の人間ドラマに終止符を打つのはいつなのか?
そろそろ抜け出したくはないですか?
自分の犠牲になる人をこれ以上作らない
それが善と悪の戦いの終止符、魔性の人からの卒業になるのではないでしょうか。
(了)