承認はいらない
自分のやりたいことや、やってみたいことがあるのに、何でも他人に意見を求めて、相手からの賛同や後押しがないとやらない、できないなんて人は、口で言うほど、自分で思ってるよりも、それはそれほどやりたいことではないんじゃないですかね?
やりだすまでが本当に容易じゃなくて、誰かに何もかもお膳立てしてもらい、全部面倒見てもらわないと何も取りかかれもせず、自分の評価ばかり気をにしていつまでもやらないなんて
それって、本当にやりたいことなんですかね?
本当にやりたい人は、誰を頼ることなく、誰に意思表示やアピールとかをしなくても、さっさとちゃっちゃと、一人でもやるものです。
いちいち誰かの承認がなければやれない、できない、はじめられないなんていうのは、性格や性質に問題があると思うので、その性格の問題をカウンセリング等を受けるなどして改善する方が先決だと思います。
誰かに頼りきりでなければ、誰かの支持や反応や応援がないと何もできない、自分では自発的にはじめられない
それはナルシストタイプか、発達障害か人格障害的な人です。
そこをまず改善やクリアして、それからやりたいことをやる方がスムーズです。
本当にやりたいことは、誰かに認めてもらえなくても、褒められたり誰かにヨイショされなくてもやるものです。
誰かに認められて持ち上げられないとできない、そうしてもらえないとやらないなんて、スタート地点にすら立てませんよね。
自分のやりたいことをするのに、誰かなんて必要はないのです。
他人の承認なんて不要です。
そんなものはなくてもやるのが、自分が本当にやりたいことです。
やりたいことを自分がやること自体に価値や意味があるのに、なぜ誰かの評価や承認ばかりを求めるのですか?
やりたいことをできる、やってみたいことをすることよりも、自分が誰かに認められることを最優先にしているとブレますよね。
誰かに認められるとか以前に、自分が本当にそれをやりたいかどうかの方が重要なんですよ。
認めてもらえるならやってもいい、支持が得られるならばやってもいいかな
そんな人に本物はいません。
何でもいいから、ただ人に自分を認めてもらいたいだけ、承認欲求を満たしたいだけの承認欲求モンスターです。
それができなくても、他のことで認められたら、もうそれで満足しちゃうのでしょ?
やりたいこととは別のものが認められさえすれば、もうそれでいい
そんな人の本当にやりたいことって何なんですかね?
とにかく人に認められたいということが願望なだけで、やりたいことをできる自分になるということが、それでは願望になっていないわけですよ。
その部分を自分で誤魔化してしまうと、いつまでも迷走したり、単に承認欲求の奴隷に成り下がるだけです。
自分のやりたいことがわからない
それは承認欲求ばかりを追いかけているとそうなりますよね。
やりたいことをやる自分よりも、褒められる自分、認められる自分にすり替えてしまうからです。
仲間同士で馴れ合いばかりして、停滞して何も進歩がないのものそれと同じですよね。
本当にやりたいことをやる人、できる人は承認を求めずにやると思います。
人からの評価や称賛がなければやらない、できない
そんなものは、本当にやりたいことではないのです。
人からの評価など、後からついて来るもので、はじめから、やる前から保証され確定しているものではないのです。
人に評価してもらえるかどうかなんて、やってみないとわからないことです。
見る前に跳べ! ですよ。
評価が確約つきのものでしかできない、やらないなんて、なんて不自由で狭い世界なのでしょうか?
そんなもので本当に満足できるのですか?
そのような、人に認められることばかりを期待していると、ウマい話のカモに利用されてしまいます。
持ち上げられていい気分にしてもらえるものに依存するジャンキーみたいな人に最悪はなりますよね。
カルト宗教とか似非スピリチュアルに引っ掛けられるのも、大抵自尊心を持ち上げて満たしてくれる餌に依存するからですよね。
本当にやりたいことを自分自身が、誰の承認が無くてもやるのか、やらないのか
それが分かれ道だと思います。
やりたいことを本当にやる人は、承認があるなしなんて眼中になく、ただやるだけなのではないでしょうか。
(了)




