方向転換は気軽に
自分のその感覚に自信がなくても、直感的なものが、それは違うのではないか、なんかおかしい、そうじゃないのではという違和感や疑念を抱く時は、誰にでもあると思います。
家族や友人とは、違う見解、違う感覚になる時もありますよね。
自分の感覚の正しさを今は証明できなくても、多数派になびくことなく、同調圧力に負けてしまうのではなく、自分の感覚に正直になれるかどうかでも、その後の人生が違ってしまうこともあります。
生命の危機とかの重大なものではなくても、日々の些細なことひとつひとつの選択を、自分のその感覚に任せて生きることができているのかどうかが、大きな分岐点になってゆくこともあると思います。
他人と同じでないと不安でしかたないとか、自分ひとりだけ取り残されたようで落ち着かないという感覚に囚われてしまうと、自分にとって最適な選択ができなくなってしまいます。
それで後で困ることになったとか、後悔することになったことはありませんか?
あの時、あっちを選んでいればとか、もうひとつの方を選べば良かったとか、これはやらない方が良かったなとか悔やんだりしたことはありませんか?
もちろん、誰でも選択ミスや後悔してしまうことは大なり小なりあると思います。
でも、これまでの選択ミスなどの反省から、自分の感覚に従う重要さを実感していれば、次に生かすことができますよね。
不安になって、異様に他人を頼るようになってしまうのではなくて、自分の感覚、自分の直感の方が正しい選択をできるのだという、自分への信頼を強く持つことができた方が良いわけですよね。
ミスをする度、失敗から学ぶ度に、自信を失くすのではなくて、自分の選択方法を変えればいいだけです。
今度は自分の感覚に素直に従おう
同調圧力には負けない自分でいよう
もっと自分の感覚を自分で信じて見よう
という姿勢に自分がなればいいだけですよね。
その方が、失敗して後悔して、自分なんてとか、自分はなんてダメなのだろうと落ち込むよりも、全然ポジティブですよね。
失敗した私は悪くない!
私は間違っていない!
という現実逃避的なもので、無理矢理自分を鼓舞するとか擁護しようとするのではなくて
自分の選択の仕方を変えて見る方が、同じ轍を踏まずに済みます。
いくら、自分は間違っていないとかをごり押ししても、自分の選択方法を変えなければ、また同じことの繰り返しでしかないですよね。
ワンパターンとか、ループばかりという状況になるのは、そのせいですよね。
常にワンパターンとかになるのは、本当のポジティブな在り方をしていないからかもしれませんよね。
反省できない人の多くは、学べない人の多くは、自分の精神的な保護ばかりにフォーカスして、選択方法を変えずにいるからですよね。
自分が気分的に落ち込みたくない、自責は耐えられないという怖れやプライドなどから逃避してしまうと、それは自分の成長や進歩を遠ざけてしまいます。
自分の精神的な保護さえできればそれでいい
そこにばかり振り切ってしまうのは、ポジティブではなくなってしまうこともあります。
自分ではそれがポジティブなつもりなのかもしれませんが、ワンパターンに終始して、また同じ過ちや失敗してしまうなら、それでは何の意味も価値もなくなってしまいますよね。
次はちゃんと自分の感覚は信じよう
人の意見に惑わされないようになろう
という心持ちになれた方が自然でポジティブですよね。
私は間違っていないとか、これは失敗じゃないと自分に無理に言い聞かせるようなものは、それは自分の最適な選択を選ぶことをかえって拒絶、否定しているのと同じですよね。
それは一見ポジティブなようで、実はポジティブではないのでは?
何でもかんでも自己正当化でガチガチになるよりも、次はこうしようとか、今度はそうして見ようという方へ向かう方がポジティブですよね。
『次こそは、今度こそは絶対に、ぐぬぬ····』
みたいな、力が入り過ぎ、熱血なんだが空回りするのではなくて
もっと気軽に方向転換、軽やかなチェンジで良くないですか?
後悔などからドーン、ズゥーンと落ち込んで行くよりも、
もっと自分の感覚を信じよう
自分の感覚を信じて見よう
で、良くない?
反省するっていうのは、落ち込むことではないですよね。
(了)