密会
翌朝、アストリッドはマンフレッドから、王宮に仕えるための手解きをみっちりと受け、昼をたっぷりと過ぎてから解放された。それらの規則はかつてマギーがレカンキチ王家の諜報部門以外の何ものでもなかった頃の名残に過ぎず、活動形態が傭兵に近くなった今となっては、ほとんど無用なものでさえある。
が、マンフレッドはそうした伝統を決して軽んじることなく、むしろ時間を経るごとに重みが増していくとでも言うかのように、口を酸っぱくして団員たちに厳守を命じるのだった。
すっかりくたびれたアストリッドは、いつも団員が寝起きしている、仮設の状態のまま放置された小屋に引っ込んだ。小屋の殺風景な見た目にはそぐわないような毛布―アストリッドがした最大の買い物である―に飛び込み、仮眠を取ろうと目を閉じる。すぐにでも眠れる気がしたが、間もなく建付けの悪い扉が開閉する音がした。
「あら、お寝坊さんね」
キャットは扉の横の壁にもたれて言った。アストリッドは顔を横に倒して彼女を見上げた。
「やっとフレッドに解放してもらったところなんだよ」
「私にしてみればどっちだって同じだわ。それより、グウェンドリンのこと、わかったわよ」
アストリッドは勢いをつけて飛び起きた。
「本当に?随分早いね」
「修道院って言ったら今は一つしかなかったわ。町の北のほうで、それはそれは立派な修道院が建てられてるみたいなのよ。ほとんど完成してて、修道士たちはもうそこで暮らしてるんですって。外観を見たけど、あの分じゃきっと埃まみれだと思うわ」
無駄な装飾に誇りが見え透いていると言いたいのだろう。キャットは両手を上げてゆっくりと伸びをした。アストリッドはそれにつられたかのように欠伸をした。
「グウェンドリンがそこの修道女なのは間違いない?」
アストリッドに尋ねられると、キャットは伸びをやめて再び壁にもたれかかった。
「ええ。遠路はるばる慈善旅行に来た団体がいるわけでもなかったし、ターバには元々修道院なんてなかったもの」
それもそのはずで、レカンキチでは国王がすべての創造主であるかのように崇められるため、どこぞの奇妙な信仰を訴える集団は、たとえ布教を目的としてやってきたわけではなくとも、何かと居心地の悪い思いをするのである。アストリッドの気にかかったのはむしろ、グウェンドリンが自身の居所をわざわざ明かすような真似をした、その真意であった。
「……向こうは私たちが来ることを見越してるだろうね」
「問題は殺るか殺らないか、それだけよ」
キャットは毅然として言うと、爪を噛もうとしてやめた。彼女はその癖を治そうとしているところである。アストリッドはしばし考え、それからつと立ち上がった。とにかく手っ取り早く終わらせてしまいたい気持ちが勝っていた。
「なら、今夜にしよう。明日からは忙しいし」
「良いわ。もう少し調べておくわね」
「ハーレイは?」
「さあね。本当に私に丸投げしていったんだもの。とんだ怠け者だわ」
キャットがそう言ったとき、大きな音を立てて勢い良く扉が開いた。噂をすれば何とやらだ。
「悪口言ってた?」
ハーレイは眠たげに二人を見て言った。小屋の外からでも、中の会話はほとんど筒抜けなのである。キャットは何てこともないと言いたげに肩をすくめた。
「聞かれてたならそういうことになるわね。どこ行ってたのよ?」
「葬儀屋。あの二人のが届いてたら良いなって」
もちろん、レオとアーウィンの遺体のことだ。ハーレイの不満げな顔つきで、アストリッドは彼の理想通りに事が運ばなかったことを察した。
「その様子じゃ、なかったんだね」
「うん。ベッファも首を傾げてたよ。誰が持ってったんだろうって」
「オオカミの仕業かしら?死体なんて使えるとは思えないけど」
キャットは深く息をついた。なかったもののことを考えても仕方がない。アストリッドは扉のほうへ歩いていくと、すれ違いざまにハーレイの肩に手を置いた。
「ハーレイ、今夜グウェンドリンのところに乗り込むからね」
「今夜?また随分急だね」
彼は気怠げに言った。アストリッドは戸口で振り返った。
「あの女が何企んでるのか暴いてやらないと。じゃあ、夜に」
彼女は小屋を出ると、まっすぐに天幕に向かった。古びて所々に傷のあるこの天幕は、それでもなお根を生やしたようにこの場所を動かず、どんな暴風にも負けないとでも言うかのような威厳を放っていた。
アストリッドは中に入り、外から見るよりもずっと広く見えるその空間を物静かに見上げた。彼女のためだけに設置された綱が目に入る。それもかつてはマンフレッドのためだけのものだったのだ。この天幕において変わったことといえば、たったそれだけかもしれない。
彼女は上に登り、綱に沿って歩き始めた。小さく軋む音、足に慣れた粗い感触……そういった細々としたことすべてが、彼女の心を落ち着かせた。目を閉じれば、顔を輝かせてこちらを見上げてくれている観客たちの姿が映る。そしてその中に、あの血染めの唇を見る。
ぞっとして、アストリッドは目を開けた。観客席には誰もいない。風が入り口の幕をはためかせているが、天幕それ自体は動かない。安全だ。彼女は少し弾みをつけながら綱の上に立っていたが、やがて自意識をすっかり沈めてしまうと、演技の練習に没頭し始めた。
修道院は夜に溶け込むようにして、重々しく町に鎮座していた。マギーは正装を纏い、暗がりからその建物を見上げた。
「いつでも良いわよ」
アストリッドがぼんやりとしているのを見かねたキャットが低く言った。アストリッドは鈍い返事をした。
「上から行く?」
ハーレイが鉤縄を取り出しながら言った。彼はマギーにおける自身の役割がその鉤縄にしかないと考えている節がある。キャットはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「そうしたいなら。目標がいるのは東棟……あっちの平べったい建物だけど」
「また変装して調べたの?」
ハーレイは縄を仕舞うと、おもむろに座り込みながら尋ねた。適切な服装を選び、適切な表情で、適切な動きを取ることのできるキャットは、普通であればありえない場所に潜入して情報を搔っ攫ってくることがあるのだ。呆れたように彼を見下ろして彼女は頷く。
「そうよ」
「ちっとも善行を積んでないのに」
「ええ、だから上手くいったわ」
キャットは気取って肩をすくめた。ハーレイはくすくすと笑うと、両手を後ろに突いて夜空を仰ぎ見た。そのままのけ反ってアストリッドの様子を窺う。
「……アスト、まだ?どうしたの?」
「いや、ちょっと考え事。グウェンドリンは私たちに何を教えようとしてるんだろうって」
実際のところ、自分が本当にそのことを心配しているのかどうか、アストリッドには判断がつかなかった。というのは、何か決して踏み込んではいけない場所に来てしまったかのような、いやむしろ、ずっと昔からそうしてしまっていたかのような、とにかく漠然とした不安に駆られていたからである。
「今から殺すのに、そんなこと考えてもしょうがないじゃないの」
口では冷ややかに言ったが、キャットは励ますようにアストリッドの腰に軽く触れた。
「まあね」
「早く片付けようよ。思い出すだけでむかつくもん。顔覚えてないけど」
と、ハーレイが立ち上がる。アストリッドは首の骨を鳴らした。
「わかった、行こう」
三人は降りしきる雨のようにそれとなく修道院に忍び込んだ。修道女たちの部屋が並ぶその棟は牢獄に似ていた。もっとも、アストリッドは牢獄をその目で見たことはない。マギーは堂々と廊下を歩いていった。静まり返り、誰も出てくる気配がない。人がいるとも信じられない。が、数多の状況で同じように歩みを進めてきた彼らには、人々の鼓動や呼吸が背に感じられるような、そんな感覚が確かにあるのだった。
キャットがある扉の前で足を止めた。つまりそこが、目標グウェンドリンのいる部屋だということだ。アストリッドは扉の正面に立った。その瞬間に走った戦慄!彼らは即座に悟った。扉の向こうで、グウェンドリンが同じように立ってこちらを睨みつけていることを。
張り詰めた空気に毒され、呼吸すら許されないかのような数秒間の後、音一つ立てずに扉が開いた。彼女は笑っていた。友人が訪ねてきたときのように、嬉々としてさえ見えた。
「ようこそ、マギー。どうぞ、入って」
そう言って一歩引いたグウェンドリンに、アストリッドは迷わず飛び掛かった。短剣を抜き、その白い首筋を狙う。激しく刃物が打ち合う音、そしてまったくの静寂。グウェンドリンは義手を床に落とし、刃となった前腕で攻撃を受け止めていた。アストリッドはしばらく短剣を握る手に力をこめ続けていたが、やがて諦めた。グウェンドリンが目を細めて首を傾げる。
「じゃあ、あなたがアストリッドね?」
アストリッドは黙りこくって仮面越しに敵を睨みつけた。グウェンドリンはゆっくりと一歩後退り、背後で自身の右の肘を掴んだ。
「黙っていても無駄よ。あなたの声はもう知っているわ、忘れた?」
彼女の言う通りで、初めて遭遇したとき、アストリッドはあれこれ問い詰めようとして、声を出すという愚行をしてしまったのだった。正体を明かしうるその行為は、マギーにおいて禁止とは言わないまでも、忌避される部類に含まれるものであった。彼女は嫌悪感を飲み下し、ふっと息をついた。
「……何が望み?」
「あなたっていつもそれねえ、アストリッド!だけど、そうねえ、教えてあげたって良いわよ」
グウェンドリンは微笑み、目で扉を閉じるようハーレイに促した。ハーレイは彼女から目を逸らさずに、後ろ手で扉を閉めた。
「ねーえ、私とあなたたちはそっくりだと思わない、マギー?」
「何を……」
「実際、そうなのよ。私たちは闇夜の隣人。見た目は違うように見えても、中身は一緒……同じものを持っているの」
アストリッドはそれが的を得たことだという可能性を検討したくなかった。彼女は返答を期待するグウェンドリンに冷ややかな視線を送り続け、一呼吸おいてから答える。
「だから?」
「私はマギーと一つになりたいのよ。そのために、あなたたちの協力が必要……そう言えばわかってくれるかしら?」
グウェンドリンとて、賛同など初めからないものと知っているのである。彼女はマギーの予想通りの反応―三体の銅像のように動かず、目深に被った頭巾と蝋燭の光を怪しく反射する仮面の裏から、ひたすら敵を捕らえて離さないでいる―を前に、一人話を続ける。
「すべての鍵を握っているのはマンフレッドよ。彼をよく調べてごらんなさい。そうねえ、次に会うときまでの課題にしましょうか?」
癇に障る笑み。アストリッドは脇に垂らした腕をそっと動かし、指先で服の腿の辺りに触れた。そこには毒針を一本仕込んであった。
「勝手ばっかり言わないでもらえない?私たちにはあんたと一つになる気なんか欠片もないよ。それがどういう意味かも知らないけど」
「そう?……攻撃を仕掛けるのはやめておきなさい。ここの修道士をみーんな捌ききれる自信があるわけじゃないでしょう?」
グウェンドリンは憐れむように眉を下げた。アストリッドは動きを止めて考えた。この修道院にいる人々すべてが敵であるという話は、おそらく嘘ではないだろう。異様な静寂と全方位から監視されているかのような感覚がそれを物語っていた。今じゃない。彼女は振り返って仲間たちを見た。二人が微かに首を振る。グウェンドリンが背後で笑った。
「良い子ね。さあ、もうお帰りなさい。……そうだわ、せっかく会いに来てくれたんだもの。最後に良いことを教えてあげる」
マギーは振り返らず、影のように部屋を滑り出た。彼らは胃がむかつくような感覚を共有し、早くグウェンドリンの呪縛から解き放たれようとしていた。それは危機感の産物であり、敗北感の前身であった。
「ご主人様が危ないわよ。まさか”ネコ”には負けないわよね、王家のワンちゃん?」
扉が閉まる前、グウェンドリンは逃げ帰る三人の背中に向かって言った。この日の軍配は彼女に上がった。
あえて断言しておくと、キャットとネコは関係ないです
紛らわしくてごめんま