発覚
「……そう。それなら、レオは戻ってこないのね」
森から天幕に戻った後で、アストリッドは死の淵で起きた出来事を仲間たちに話して聞かせた。ただし、彼女が見た真相のことは、ひとまず黙っておいた。最初のキャットの呟きには、アストリッドも暗く萎れた気分になる他なかった。彼は真実に向き合えなかった。だから、現世に戻ってはこれない。しかし、その真実とは何だったのか?
「そのレオっていうのは、双子なんだっけ?」
フェリクスが呟くように尋ねた。ハーレイが意外そうに目を上げる。
「何で知ってるの?」
「彼らも僕もタスパの出だからね。その二人はちょっと前までタスパでぶいぶい言わせてたんだよ。弟のほうはいなかったの?」
「そうなんだよね。レオも知らないって」
「無垢な人間は行けない場所だったのかしらね」
キャットは肩をすくめた。彼女が無垢という言葉を使うとき、大抵の意味合いは間抜けということである。
「そうだと良いんだけど」
アストリッドが呟いたとき、当たり前のように居間の扉が開いた。家には彼らの他に誰もいないはずだ。咄嗟に身構えながら顔を上げたマギーは、見事に肩透かしを食らった。それはマグノリオ団の愛すべき道化師ベッファだった!
「あんた、どこから入ってきたの?」
「王様が呼んでるんだァよ!」
彼はアストリッドの質問には答えず、高らかに言い放った。ハーレイがわかりやすく気怠そうな顔をする。
「今?」
「さっきだァよ」
「なら、急ごう。さっきから今までの間、待たせちゃったなんて」
フェリクスは妙に張り切った様子で言った。主君の命であろうが、今マギーはそれどころではないのである。そもそも、”何故かレカンキチ王に仕えている”マンフレッドは不在だ。
「団長ならいないって言ってきてちょうだい」
「自分で言えば良いんだァよ!」
ベッファは躊躇いなく扉を閉めて出ていってしまった。マギーは少しも出かけようという気がしなかった……フェリクスを除いては。何故心を躍らせているのか、他の三人にはまるきりわからなかった。しかし、この男を一人で遣わせるわけにもいかない。仕方ない、マギーは揃って、三つの重い腰を上げ、一つの軽い頭を揺らし、王城へと赴くことにした。
さて、レカンキチ城は、珍しくひりついた空気に包まれていた。それも、大した程度ではないのだが。ともあれ、マギーは影のように人々とすれ違い、玉座の間に忍び込んだ。国王アルヴァは何もせずにそこに座っていた。近づいていくと、彼は物憂げだった表情を輝かせた。
「来たね、ご一行。久しいじゃないか?マンフレッドはどうしたんだい?」
「旅立ったよ」
ハーレイに他意はない。アルヴァは眉を上げた。
「それは残念。――あれ、君は。俺の左腕を使い物にならないようにした」
と、フェリクスに目をやる。過ぎたことだが、レカンキチ王となったとき、事実アルヴァはフェリクスから、瀕死という甚大な被害を受けた。フェリクスは悪びれもしなかった。
「その左腕よりは戦果を上げる軍団をあげたじゃないか。半分くらいは許してほしいんだけど」
「まあ、それでも構わないけれどね」
「早く本題に入ってよ」
アストリッドは呆れながら口を挟んだ。仲間内で話したいことが山ほどあるので、国王の前で油を売っていたくはなかった。
「冷たいね。でも、聞きたいというのなら話そうか。一つ、密使の役を買ってほしい」
「どこへ?」
「キテスさ。それから、帰りにタスパにも寄ってくるだけで良い」
「そんな不良染みたことをやらせるなんて、どういうつもりかしら?」
キャットが見るからに不服そうに言った。アルヴァは獣でも宥めようかという姿勢で両手を上げる。実際、マギーは一カ所に固まって大人しく立っていたのであるが。
「まあ、聞いてくれ。今、ラカオが戦を始めようとしている、そうでしょう?俺としては、ああいう連中と戦いたくなくてね。興味がないのさ。けれど、ラカオの狙いが何であれ、タスパから攻め入られるのは必至だ。そうなったとき、タスパは間違いなく、近隣のキテスに使いを出すだろう。キテスが応じれば、俺も軍を出さないわけにはいかなくなる。愛する妹のいる国だからね」
「つまり?」
「つまり、俺はそれが嫌なのさ。騎士王殿には、戦への不干渉を約束してもらいたいんだ。タスパには、両国の意思をはっきりと伝えるつもりだ」
「親切だ」
フェリクスが頷いた。が、ハーレイは不満げに首を別の方向に振った。
「助けてあげれば良いのに」
「何の得もないのに、損害を被りに行く必要はないだろう、虎使いの君?」
「確かに」
虎使いは感心したように手を打った。
「でも、アルヴァ、タスパを叩いたラカオがこっちに攻め込んできたらどうするの?」
「そのときは戦うとも。まあ、そんなことは起こらないだろうけれど」
「賢い王様、どうしてなのか説明してくださる?」
と、キャット。アルヴァは嫌味を気にするほど小さな器は持っていない。
「ラカオの狙いは思想の強調さ。タスパはその厳格さ故、信仰の類を受け付けようとしていない。対して、レカンキチは明確に立場を表明していないし、それは生まれたてのキテスも同じだ。融和という形で十分通用するさ」
我らが王が本気でそう言っているのか、マギーには測りかねた。アストリッドは思わず意味深にゆっくりと頷いた。
「骨が折れそうなくらい簡単だね」
「レカンキチのためなら、骨くらい折ってほしいものだよ。何にせよ、君たちの任務はそれだ。この書簡を間違いなく届けてくれ。できるだけ早く」
アルヴァが側近を通して差し出した二つの書簡を、アストリッドは渋々受け取った。事態がそう単純ではないということを説明すべきだろうか?いや、無駄だろう。二言三言で言い尽くせることではない。
一行はせわしなく拠点に取って返した。早くやれと言われた以上は、出かけないわけにもいかないだろうか。そんな生真面目なアストリッドの考えとは正反対に、ハーレイは長椅子に身を投げ出した。
「まだ行かないよね」
「いや……行かなきゃ」
「やだ。ねえ、これふかふかで良いね」
と、柔らかな椅子をぽんぽん叩く。感傷はすっかり立ち消え、普段の気ままな出不精が後釜に座ったと見える。
「引きこもりに用事があるわけないじゃない」
「ほら、キャットもこう言ってる」
「違うわ。だから先に仕事を終わらせるんでしょうよ」
「君らしくもないね」
フェリクスのからかうような笑みを、キャットは自棄っぽく片手で振り払った。
「黙りなさい。この二人が帰ってきたおかげで家が狭くなったのよね。それに気付いて、今機嫌が悪いの」
「手紙を届けるだけなら、皆で行かなくても――」
「良くないからね。ねえ、アルヴァの頼みなんか二の次なんだよ」
「じゃあ、二は何?一が僕らの再会でしょ?」
「うん、まあ……だから、皆を探しに行こうって。フレッドもアイニックもクララも、どこにいるかわからないんだよ。放っておけないでしょ?」
「でもあなた、博士に殺されたんじゃなかった?」
「それはそうだけど。ほら、その理由も知りたいし。アイニックたちの足取りはタスパで調べるとして、問題はフレッドだよね。何か残してたりしないかな?手紙とか」
「ないわよ、そんなの。散々探したんだから。団長が置いていったのは、どこぞの女の肖像画だけ」
「女の?それ、まだある?」
「僕の部屋に。見張られてる感じが気に入ってるんだ」
意気揚々と居間を飛び出していったフェリクスに続き、マギーは地下室へと下りていった。勝手に住み着いているフェリクスは、その部屋の右の壁の前に立っていた。そこにその絵がかかっていた。それは広い地下室には少々小さかったが、異様な存在感を放っていた。アストリッドはしばらくその見知らぬ女を眺めた。凛々しい表情で、そこはかとない落ち着きを想起させる出で立ちである。絶対に会ったことはない……が、不思議な親しみがあるような。
「誰か、この女知ってる?」
その問いかけには誰も答えなかった。アストリッドはこの絵に何か意味があると決め込み――そうでなくては困るからだが――、至近距離で丹念に絵を調べた。隠された暗号などはなさそうだ。今度は絵を壁から外し、裏返してみる。木枠に何か挟まっていればと思ったのだが、それならキャットやフェリクスが先に気付いていないはずはなかった。諦めて絵を戻そうとしたとき、ハーレイがふとある一点を指さした。
「これ、木目じゃない」
それは一見すると何の変哲もない模様だった。が、ハーレイの言う通り、どこか不自然な形で線が伸びていた。アストリッドは板を上下にひっくり返し、改めて目を凝らした。読みづらいが、確かにそれは文字らしい。
「……マギー?」
「それがこの女の名前かしら?」
上下逆さまの肖像画を眺めながら、キャットが呟く。しかし、その名はもっと彼らにはなじみ深いものだ。
「だけど、マギーっていうのは僕らの裏の名前じゃないか」
「団長の恋人かもね」
ハーレイが無邪気に言ったとき、アストリッドの頭の中に、ある光景が浮かび上がった。燃え盛る孤児院、それを背に言葉を交わす二人。マンフレッドと、隣に立つ女。
「団長は殺しが恋人よ」
と、キャットは鼻を鳴らした。以前なら、アストリッドも同じことを言ったはずだった。
「だけど、この女は確かにフレッドと一緒だった」
「何でわかるのよ?ありえなくはないけど」
「見たの」
あの投影の中では、女の顔を見ることは叶わなかった。だが、アストリッドは確信していた。マンフレッドを従え、諭し、導いていたのはこの女……マギーに違いない、と。
「見たって、何を?」
そう尋ねられ、アストリッドはかつて起きたことを仲間に語って聞かせた。できれば、そのことは黙っておきたかった。すべて確かめるまで、マンフレッドへの信頼を握り潰すような真似をするつもりなどなかった。だが、こうなった以上は仕方ない。
「――何でそんなことをしたのかは、わかんないけどさ」
話し終えてから、彼女は苦し紛れに付け加えた。仲間たちの怪訝そうな、嫌悪さえ混じった顔つきは、その一言では変わらなかったが。
「団長は聖人ね」
「非道の一つや二つは付き物だからね」
「俺、悪いのはその女だと思うな。団長を唆したんだよ」
「団長が木偶の坊なら、それで許せるわね」
キャットが皮肉ったので、ハーレイはふてくされたように口を閉ざした。アストリッドは不愉快とは言わないまでも、何とも言い難い思いで二人に割って入った。
「二人は覚えてないの?どうやって拾われたか」
「俺は森にふらっと団長が来ただけだよ。知らない気配が一つだけ入ってきたときの感じ、覚えてる」
「じゃあ、マギーはいなかった、か。あんたは、キャット?」
「私はまったく記憶にないわね。だけど、貧民街にたむろする誰かを殺すとすれば、痴情の縺れくらいのものよ。そもそも、私が恩を感じる相手なんかいないし」
「踊りを習った相手は?」
「習ってないわ。私は生まれたときから踊り子よ」
つまり、どこぞの踊り子から、技を目で盗み取ったということだろう。彼女は団に入る前から自立して、金を稼ぐなり身を守るなりしてきたので、疑う余地も別になかった。
「フレッドは孤児院に私を拾いに来たみたいだった。二人もそうだったのかなって思ったんだけどな」
アストリッドは落胆を隠せなかった。キャットはむしろ、予想通りだと言いたげに肩をすくめた。
「どうかしらね。私は団に入っても遜色ないだけの演技はできてたもの。人数合わせでも驚かないわ」
「でも、ハルは森で誰にも知られずに暮らしてたんだよね?何もなしに偶然見つけるとは思えないけど」
「じゃあ、キャットだけ違うっていうのも変だよ。レオたちはどうだったんだろう?アスト、知らない?」
マギーの一員としての最古参はあの双子だが、曲芸団のほうではアストリッドのほうが先だった。彼女はおぼろげな記憶をかき集めた。
「どうかな……確か、二人が来たのは私が演技を習い始めた頃だったんだけど。……そうそう、”お騒がせの名悪党”どもを迎えに行くって言ってたっけな。だから、あの二人が腕利きってことは知ってたはずだよ」
「しかし、それでほいほい双子がついていったとはね」
と、フェリクス。ハーレイは思いきり欠伸をしながら、彼に目をやる。
「それが何なの?」
「だって、元々裏で稼いでたなら、そのままやってたほうが良いじゃないか。分け前も減るし、曲芸までやりましょう、なんて言われても、普通は靡かないよ。まったく、そのレオに会ったって言うなら、どうしてこのことを聞いてきてくれなかったの?」
「どうせ思いつくなら、もっと早くその質問を思いついたら良かったじゃないの」
「もう、考えてもしょうがないよ。俺、疲れたんだけど。団長に聞いたほうが早いって」
今にも座り込んで眠りに就きそうな顔をしたハーレイがぶつぶつと言った。アストリッドは呆れながら彼を見た。
「いればね」
「きっとラカオにいるよ。だって、グウェンドリンのことは昔から知ってたってことでしょ?どっちの味方かはさておき、あいつに会いに行ったんだよ」
随分な自信ではないか。キャットが苦笑しながら冗談めかして言う。
「それ、もしかして、キテスに行って、タスパに行って、その後ラカオにも行こうって言ってるんじゃないわよね?」
「どうせ出かけるならまとめてやろうよ」
他の面々は思わず顔を見合わせた。これがあの怠惰の権化!
「なんか……嬉しいよ。あんたがそんな活発になるとはね」
「面倒になる前に終わらせたいもん……でも、駄目かも。やっぱり、今のなしで」




