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寡黙の外連に魅せられて  作者: 小娘
水面下の放擲
33/41

想定

 ノチロンペのマドレーヌという女はすぐに見つかった。というのも、彼女が変人だという話が町中に知れ渡っていたからである。変人の友人は変人なのだ。さて、ノチロンペは穏やかな活気ともいうべき雰囲気のある町だった。何にしても人が多いのだが、彼らは皆奇妙に落ち着いていて、さすが秩序を重んじるだけのことはある。


町の中心には有名な大きい噴水があって、その水ははるか地の底から湧き上がっているとか。一体どういう仕組みなのかは知らないが、とにかく、まるでそこだけ深海があるかのように見える、願掛けに人気の場所だった。実際、マギーはその傍を通りかかり、観光客かただの常連なのか、どちらにせよ何の気ない様子の若い男が、水の中に銀貨を投げ入れているのを見かけた。当然その効果は水底に沈んで見えなくなってしまうので、どこか縁起が悪いような気さえするのだが。


さらにそこから歩いていくと、水を通した細い堀に左右を挟まれた坂道が現れる。クララと同じ年恰好の少女がそこに花びらを散らして流していて、それが坂の下の行き止まりにぐちゃぐちゃに溜まっていたので、ハーレイは変な顔をした。


そしてノチロンペには至るところに蛇口があって、そこから自由に清らかな水を飲んで良いことになっているのだが、キャットなら間違いなく、この状況を胸やけがする、と形容したことだろう。実際に彼女がそう言わなかったのは、タスパの人々の水への信奉心が並外れていて、下手なことを言おうものなら、総叩きにも遭いかねないからだ。というのは誇張だが。


さて、そんな町の様子を横目に、マギーはマドレーヌなる人物が住んでいる屋敷に辿り着いた。それは大層豪奢な屋敷で、何となく見る者を気後れさせる態である。


「きっとすごくまともな人が住んでるわ」


キャットが真顔で言った。いかにも確信めいた言い方だったので、ハーレイが真に受けて彼女を見る。


「そうなの?」


「よく考えてるのよ。金を貯めるのなんて、腹に一物抱えてる人以外いないもの」


結局のところ、彼女は金持ちが例外なく嫌いなのだ。


「だけど、きっと気立ての悪いご婦人だよ」


フェリクスが言ったのを、今度はクララが真面目に見上げた。


「どうして?」


「マドレーヌって名前で、気立ての良い女の子だった試しがないからね」


「フェリクスが会ったことある人だったりして」


ハーレイが悪戯っぽく笑うと、フェリクスはもっともらしい顔つきで首を振った。


「それはない。僕、マドレーヌなんて名前の人には会った試しがないんだ」


「あんたたちって本当……まあ、良いや」


アストリッドは呆れたが、面倒なので何かしら言及するのを諦め、屋敷の大きすぎる扉に向き直った。ぶら下がっていたやけに大きな鐘を鳴らしてみる。人が出てくる気配はなかった。誰が中にいるにせよ、出てきてくれないと困る。しばらくひたすら一重奏を奏でているとようやく、気が進まないと言いたげに扉が開いた。そこに立っていたのは若いとも老いているとも言い難い女性だった。十六と言われても驚かないし、孫がいても不思議ではないような。アストリッドが挨拶しようと口を開きかけたとき、女はきっとして濁流のように言葉を吐き始めた。


「ま!またですの?良い加減になさってくださいまし。何度いらしても、私の答えは変わらなくてよ。それとも、またおかしな話でもお聞かせくださるの、少しも私の心に響かない訪問の理由を?」


「この世におかしな話なんてものはないし、よほど声がか細くなければ、響かないってこともないと思うんだ」


と、フェリクス。若き老マドレーヌ嬢は少しも驚いた様子を見せず、むしろ真面目腐って鼻を鳴らした。


「あら、そうですの。残念ですけれど、賛成いたしかねますわ。仕方ありませんわね、私とあなた方では見ている方向が違うようですから」


「ええ、向かい合ってるもの」


キャットは小首を傾げ、眉の間に皺を寄せながら言った。その背後からハーレイが顔を出す。


「ねえ、俺そんなことより中で休みたいんだけど。お姉さん、きっと人違いしてるし」


そう言われて初めて、マドレーヌは少々呆気に取られたように見えた。が、すぐに調子を取り戻す。


「それは悪うございました。ご用はお済になりまして?お生憎と、私も持て余す暇を作れるほど器用ではありませんの。失礼!」


などと早口に言いながら、さっさと扉を閉めようとする。アストリッドは急がずに口を挟んだ。


「でも、あんたがマドレーヌでしょ?」


「けれど、私はマドレーヌ。ええ、おっしゃる通りですわ。あなたは?親切なお方なの?それとも間抜け?」


「どっちでもあるけど、名前ならアストリッドだよ。で……まあ、以下略。私たち、アイニック・カッパーって人のことで来たんだ」


マドレーヌはほんの数瞬考え込んだ。


「存じ上げませんわね。それでは、失礼」


と、またも扉を閉めようとする。焦った様子のクララは扉の前に躍り出て、相手を見上げた。


「待って!研究者のおじさんなの。末裔のことを調べてる人。本当に知らないの?」


そう言われると、屋敷の主は数秒思考を巡らせた。


「……あの方、何て名前だったかしら?ま、構いませんことよ。心当たりがないわけでもございませんし、屋敷の前で騒がれても堪りませんもの。それであの子が目覚めるなら別ですけれど」


マドレーヌはついと振り返って中に戻っていった。マギーは慌てて屋敷に滑り込んだ。そこは外装と同じく華々しかったが、どうも人の暮らしている感じがしなかった。すぐにわかったことだが、この屋敷には使用人がただの一人もおらず、このマドレーヌがすべて一人を世話をしているらしかった。


「マドレーヌさん、カッパーさんのこと知ってるんだね」


ハーレイが言うと、マドレーヌは途轍もない早足を緩めることなく頷いた。


「ええ!おそらく、きっと、多分」


彼女がずかずかと進んでいく後をついていくと、やがてマギーは階段を登り、一つの部屋の前に立っていた。そこでようやく彼女は振り向いた。


「あら、ついていらっしゃったの?入るなら、静かにしていてくださいまし。騒いでも目覚めませんから」


何のことか尋ねる間もなく、マドレーヌは部屋に入っていった。マギーは困惑して目を合わせた。キャットは嫌そうな顔をして、ハーレイは大欠伸。フェリクスは通常通り何かを楽しんでいるようで、クララは言うまでもなく浮足立っていた。アストリッドは何となくマドレーヌを気に入ったので、主にキャットの意向を無視して、部屋の中へと進んだ。マドレーヌは大きな寝台の横に淑女らしく立っていて、そこに横たわる若い娘の顔を見下ろしていた。


「この子は?」


アストリッドが尋ねると、マドレーヌは振り返り、本当に入ってきたのかと言いたげに眉を持ち上げた。が、すぐに視線を少女に戻してため息をついた。


「……アンジェリア。いつからともなく眠り続けていますの。それ以外のことは存じ上げませんけれど。私も、彼女と会話したことはございませんから」


「なら、何で世話してるの?」


ハーレイが言った。マドレーヌはアンジェリアの髪を指先で摘まみ、正確な動きで元の場所に撫でつけた。何度となく直してきたのであろう。


「そういう巡り合わせですもの。少なくとも、得体の知れない輩にこの子の身体を預けるよりましでしょう?」


「さっきは僕たちをその輩だと思ったってわけだ」


寝台のほうには見向きもしないフェリクスが呟いた。マドレーヌは寝台から一歩離れた。


「ええ。他にここを訪ねてくる方もいらっしゃいませんわ。……それで、何でしたかしら?」


「カッパー博士よ。私たち、探してるの」


キャットが低い声で言うと、屋敷の主は愚鈍に振り返り、一行の顔を一つ一つ眺めた。まるで、そうすれば彼らの隣にアイニックの顔を思い出すとでも言うかのように。


「お生憎と、居場所は存じ上げませんわ。ただ、ここで妙なお話をなさったのがその方だとおっしゃるなら、そのお話をそのまま教えて差し上げることはできましてよ」


「それで良いよ」


ハーレイが眠たげに言ったのを、マドレーヌは皮肉っぽく一瞥した。


「ま、良うございますわ。下にいらしてくださる?食堂がございますから」


マドレーヌは手をひらひらと振り、マギーを部屋から追い出した。言いつけ通り、マギーは階下に下りてそれらしい扉から食堂に入った。それからてんでばらばらの位置に腰掛けた。少なくとも、まとまって座るようには言われなかった。アストリッドは扉をまっすぐに見据える位置に座った。


「手掛かりになるかな……」


落ち着かない様子で足を揺らしながら、クララが呟いた。わずかでも期待を抱いているらしい彼女の顔つきに、アストリッドは少々顔をしかめた。


「あの人の話からじゃ、アイニックの居場所はわからないってことだけは確かだね」


そう聞くと、座らずに食卓の周りをうろついていたフェリクスが、ぱっと顔を輝かせて振り返った。


「偉大な一歩じゃないか?何がわからないかはわかったほうが良いんだ。少なくとも一つは知恵があることになる」


「馬鹿な人間が得をするというわけね」


キャットが呟いたとき、屋敷の主の鋭い声が響いた。


「素敵な教えではありませんこと?何事も多数派に味方してこそですもの」


アストリッドは思わずぎょっとした。というのも、マドレーヌは彼女が眺めていた食堂の扉から姿を現したわけではなかったからだ。声のした方を見てみると、何もないように見える壁の前で、マドレーヌが盆を持って立っていた。


「どこから入ってきたの?」


「どこからでも構わないでしょう?ここは私の屋敷ですもの」


マドレーヌは手際良く紅茶を客の前に置いて回りながら言った。


「そうだよ、アスター。ちょっと不躾なんじゃないか」


と、フェリクスは近くの椅子の上で胡坐を掻いた。


「それで、マドレーヌさん。カッパーさんの話って?」


ハーレイに促されると、マドレーヌはアストリッドの二つ隣の椅子におもむろに腰掛け、じっくりと思案する様子を見せた。今からする話があまりに突飛なので、何か記憶違いをしているのではないかと己を疑っているようだった。


「……おかしな方でしたのよ。ずうっとうわ言のようにぶつぶつと。前置きは必要ございませんわね?簡単に言えば、あの男がしていたのは前世の話ですの。おっしゃることには、彼は前世から直接この世界に迷い込んできたとか……あら、そんな顔なさらないで。空想力が豊かなのは私でなくあの男ですもの」


そう言い切ると、マドレーヌは一番近くに座っていたアストリッドに皮肉っぽく微笑んだ。キャットが紅茶を飲み干してから言う。


「ラカオの前世信仰に触発されたのかしらね。だけど、博士はどうしてその話をあなたに?大した知り合いでもなかったのよね?」


「ええ、今もそうですわ。けれど、縁遠いほうが弾む話もありましてよ。ま、元々あの男はアンジェリアに会いに来たのですけれど。あの子が末裔だから、と」


「それ、ずっと眠ってることと関係あるの?」


アストリッドが尋ねたのに対して、マドレーヌは呆れたように顔をしかめた。


「私にわかるものですか。あの男も、それを調べにいらしたのですから。あのときの強引さといったら……ま、過ぎたことですわね」


「それで、前世っていうのは?」


いつの間にか背後まで歩いてきていたフェリクスが言った。マドレーヌは首を振る。


「それもまたはっきりとは存じ上げませんわね。けれど、アイニックとやらは、ここで……というのはこちらの世界で、という意味ですけれど、元いた世界の住人に会ったことがあるとか。名前や姿が変わっていても、確かにその方だとわかるのだそうで。そんなこと、本当にあるとはにわかには信じがたいですわね」


「へえ、面白そう!ラカオの信仰もあながち間違ってないのかも」


ハーレイが遠くの席で顔を輝かせた。すると、マドレーヌは機敏に振り返り、同じく目を閃かせて笑った。


「ええ、それですのよ。あの男が危惧していたのは」


「というと?」


「あら、おわかりになりません?つまり、ラカオの人間の誰かが、迷妄ではなく真実として、前世という概念を教え広めようとしている……そのようにも考えられる、ということですわ」


さも愉快な話をしているかのように、マドレーヌの顔つきは爛々としていた。よほど人生に退屈しているらしい。


「えー……仮にそうだったとして、何でその誰かはそんなことしたいわけ?」


釈然とせず、アストリッドは下唇を噛んでぼやいたときだった。やけに静かで大人びた声で、クララが口を開いたのは。


「……それは、万物を破壊するため。すべては流転をやめ、無が立ち返る。水は濁り、光は潰え、死は腐り、雷は鎮まり、風は微睡み、そして炎は消える。停滞の果て、世界は泥濘に沈む」


一同は唖然として少女を見つめた。その眼差しに光はなく、肌は石像のように濁った白に見えた。


「ま、妙な子どもですわね!」


マドレーヌがわざとらしく目を見開いて言った。アストリッドは立っていってクララの顔を覗き込んだ。


「どうしたの、クララ?」


「……え?なあに、おねえちゃん?」


普段通りの調子で言うクララは、きょとんとしてアストリッドを見上げた。キャットが眉根を寄せて立ち上がる。


「冗談はよしなさいよ。どこであんな気味悪いこと――」


そう言いかけたとき、轟音が屋敷を揺らした。がらがらと音を立てているのは、崩れた壁だろうか?マドレーヌはさっと腰を上げ、忌々しげに扉のほうを睨んだ。


「ま、挨拶もなしに!結構なことですわね」


そしてマギーのほうを振り返る。


「ついていらっしゃいな。逃がして差し上げますわ」


「唐突だな。あれって、君がさっき言ってた輩?」


フェリクスは好奇心に負けて扉を開けながら尋ねた。キャットが足で扉を閉じさせる。マドレーヌは気にも留めずに壁に向かっていった。


「そうなのではありません?どうでも良いですけれど。さ、こちらに」


そう言うと、屋敷の主は服の裾を持ち上げながら、荒々しく壁を蹴った。すると、何もないように思われたその壁がくるりと回転し、狭い通路が現れた。マドレーヌが迷いもせずに中に飛び込んで突き進むので、マギーは大人しく彼女についていった。壁が元通りに閉まると、通路は真っ暗になった。


頼りにできるのは前を歩く者の背中だけだった。方向感覚には自信があるアストリッドだったが、やがて自分たちがどのあたりを歩いているのか、いや、そもそもどれだけこうして暗闇の中にいるのかさえ、把握することができなくなった。だが、マドレーヌは正確に行き着く場所を知っているようだった。


そのうち、彼女はぴたりと足を止め、またも荒いやり方で壁を動かした。そこは屋敷の外にある路地裏に繋がっているらしかった。日は少しも沈んでおらず、ほんの数分しか経っていないらしいことに、アストリッドは安堵した。


「さ、ここからは逃げられますわね?私、アンジェリアを見にいかなくては」


「ああ、うん……ありがとう。けど、何でここまでしてくれるの?」


アストリッドが尋ねると、マドレーヌは不思議そうに首を傾げた。当然のことをしているつもりだったのだろう。


「あら、思い出しましたのよ。先ほどのお話、あれに気付かれては困る人間がいるのだと、あの男が繰り返していたのを。そも、ああも派手なことをする方々が、丁寧なもてなしなんてできるはずもございませんわ」


「あなたも戻らないほうが良いんじゃないかしら?鉢合わせるわよ」


キャットが言ったのを、マドレーヌは首を振ってあしらった。


「ま、ご親切に。けれど私、ああいった輩に追われるようなことをした覚えはございませんわ。強いて言うなら、アンジェリアを引き渡さなかったことですわね」


そう澄まして言うと、マドレーヌはさっさと引っ込んで壁を閉ざしてしまった。

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