逃走
マグノリオ団は居候の博士と迷子の少女をお待ちしております。
もちろん、そんな看板は立てなかったものの、団員たちの心境は大体そんなところであった。キテスから帰還し、二人の失踪を知ってから早数日、彼らの居所は杳として知れなかった。彼らがいなくなったとて、団が損失を被るわけではない。二人分の食費と膨大な研究費が浮くというものだ。しかし、何か良からぬことが起きたのだとすれば後味が悪い。そんな考えを胸に抱いていても、日常は続いた。
マンフレッドは早々に諦めようとしていたものの、団員たちは時間と気力をかき集めては二人の行方の手掛かりを探した。成果はただの一つも上がらなかった。そんなときだった、ある依頼が届いたのは。
≪親愛なるマギー
とある人物を探せ。その男はラカオ王国から逃亡した研究者、名をアイニック・カッパーという。先日、カッパーがレカンキチに入国していたということが判明した。庭を虱潰しに探すことだ。期日は次の水の曜、成功すれば二千万を約束しよう。
隣人 グウェンドリン≫
マンフレッドは最後の辺りはほとんど唸るようにして手紙を読み上げた。途中で十分な驚きを味わった一同は、送り主の名から受けるべき衝撃に反応する余裕がなかった。これを依然として尾け回されているのだと捉えるべきか、偶然の一致で友人が隣人に狙われているだけだと信じるべきか。
「こんなに匂う大金があるかしらね」
キャットがいらいらと爪を噛みながら呟いた。ハーレイは一瞬鼻孔を膨らませてやめた。代わりに愛猫のマヨに顔を近付けながら言う。
「どうしてグウェンドリンがカッパーさんなんか探してるんだろう?カッパーさんの研究って、あいつに関係あったのかな?」
「ありえなくはないけど。少なくとも、アイニックはそれを知らなかったはず。カラスのこともグウェンドリンのことも、聞いたことなかったみたいだし、嘘ついてたとも思えない」
アストリッドはアイニックとの会話のあれこれを思い出しながら言った。彼が何度も訴えていた追手の正体が、本当にカラスだったとしてもおかしくはない。
「カラスは影に潜んだ組織だからね。ラカオの人間でも存在を知っているのは一握り……多分、ミミズにでも改名したほうが良い」
と、フェリクス。三人の団員たちは、彼が余計なこと―つまり、グウェンドリンについて彼らに頼まれて調べたこと―を口走らないよう、一斉に彼に視線を投げた。そんなことをしなくても、フェリクスは案外よく考えて生きているらしいが。
「ふむ。カラス……カラスか。まったく、領域を侵害してくるから困ったものだ。大人しく自国に落ち着いていれば良いものを」
マンフレッドは手紙をぐしゃぐしゃに握りしめながら言った。噛んでしまった爪を後悔したように眺めながら、キャットがぼやく。
「人が手放したものを突かないと気が済まない性分だものね。なかなか立派なことだけど」
アストリッドはマンフレッドの手の中で皺だらけになった手紙を見つめた。彼に握られているのは奴からの手紙でも、マギーは確かにグウェンドリンの手の中にいた。
「破り捨てる、フレッド?」
「いや、そうとも限らん。奴の真意を確かめねばな」
団長は手の力を緩め、もう一度手紙に目を落とした。それから、丁寧にそれを折りたたんだ。マヨを撫でる手を止め、ハーレイが尋ねる。
「どうやって?」
「何、呼び出せば良い。これだけの大金を用意するつもりだというのなら、かなり力を入れてカッパーの奴を探しているのだろう。となれば、奴には我々の呼出しに応じない手などない。我々が助力しなければ、目的を果たせない可能性が上がるからな」
「それに、ハカセがここにいたことを知ってての依頼なのかってのも探ったほうが良いね。僕としては知らないとは思えないけど、どっちにしても動き方がずっと変わるだろうし」
フェリクスが上機嫌に微笑みながら言った。彼は実に素早くマギーに溶け込んだし、そのことにこの上ない満足感を覚えていた。居場所というものは、人が自覚している以上に大きな意味を持つものだ。それはきっと、アイニックやクララにとっても同じことだっただろうに。
「そうね。あいつが知らないで依頼してるんだと良いけど。博士も見つかってお金も手に入るでしょ」
キャットが少しも期待していないような面持ちで言った反面、ハーレイは単純にも顔を綻ばせた。
「おー、一石二鳥って奴だね」
暢気なものだが、アイニックが危険に晒されていると決まったわけではない以上、余計に心配するのも馬鹿馬鹿しいというものだ。少なくとも、それがマギーの信条だった。
「奇妙奇天烈ながらくた探し、手伝ってやるから出ておいで!」
道化師ベッファはそんな謳い文句を、壊れた玩具のように方々で繰り返して回った。町人たちは道化を見て、奇妙奇天烈ながらくたなら、探すまでもなくそこを歩いていると思ったことだろうが、伝わるべき人にはその真意は過不足なく伝わった。夜、鴉は濡れた翼を畳み、マグノリオ団の天幕に舞い降りた。
そのとき、団員たちは公演の後片づけを押しつけ合っていた。アストリッドが天幕の入り口の布が揺らいでいるのに気付き、グウェンドリンの存在を見止めた。
「こんばんは、マギー。お久しぶりね」
「どうも」
アストリッドは低く答えた。マギーが笑い方を忘れたかのような顔をしているのに対して、グウェンドリンは豊かな髪に囲まれた顔を線対称に歪めて笑った。
「思えば、あなたたちの顔をこんなに近くで見るのは初めてね。ここで見たあなたたちの演技、それはもう素晴らしかったのよ。心が震えたわ」
「随分器用じゃない、ないものを震わせるなんて」
キャットが毒づくのも、グウェンドリンは目を細めるだけでかわした。ハーレイは近くで寝ていたマヨの背を優しく叩いた。
「マヨ、団長を呼んできて」
虎はのそのそと起き上がると、グウェンドリンを一瞥し、鼻を鳴らした……ように聞こえた。一同は団長が現れるのを沈黙の中で待った。マンフレッドは満を持して登場した。その額には金を払ってつけてもらったかのような皺が刻まれていた。
「ふむ、君がグウェンドリンか」
「ええ、そうよ。マンフレッド団長?」
不敵に笑うグウェンドリンを、マンフレッドは石のような瞳で見据えた。握った杖を指先で小刻みに叩いている。
「我々は君の依頼を受けるにやぶさかではないが、その前にいくつか明らかにせねばならんことがある。第一に、普通ではありえないほど報酬が高いのは何故だ?第二に――」
「お待ちなさいな。質問を矢継ぎ早に投げつけられるのは嫌いなの。まず、報酬が高いのは、それだけ重要人物だということよ。他にないでしょ?はい、二つ目をどうぞ?」
一戦目の軍配はカラスの女に上がった。曲芸師は一度言葉を仕舞い込んで考え、再び開口した。
「……危険人物か?」
「マギーもそんなことを気にするのねえ!アイニック・カッパーは……そうね、場合によっては危険かしら?無人だったとはいえ、ラカオ随一の研究所を爆破した罪は重いわ」
「君らカラスはそのラカオの一団……いわゆるごろつきだと聞いたが。それが何故、指名手配犯を追っている?」
「頼まれたからよ。国の偉い人からね」
彼女が言うと、マンフレッドはすっと目を上げた。その瞳に光が踊った。
「ふむ、質問を変えよう。何故、国から依頼を受けるほどの力を持つごろつき一味が、ただの研究者風情を捕らえることができない?」
彼が強調したのは、もちろん「国から依頼を受けるほどの」という部分だった。グウェンドリンはゆっくりと首を傾げ、疎ましげに目を細めた。
「鼠だからといって、どの個体も一様に馬鹿だとは限らないでしょ?彼はとんでもない曲者なのよ。あの手この手で大勢の追跡をかわして、雲隠れは十八番も十八番。だけど、その彼がこのレカンキチに逃げ込んだとわかった。それなら、レカンキチのことに詳しいあなたたちに仕事を任せたほうが良いじゃない?」
「その男がまだここにいるという証拠は?」
「ないわ。ただ、この国にいたのが確かで、出た記録がないというだけ」
「確かに入国していたのだな?」
「ええ。親切にも教えてくれた人がいるのよ。政変でレカンキチを追い出され、最終的にラカオに流れ着いた……何て人だったかしらね?まあ、その人が言ったの。奇妙奇天烈ながらくたで、理不尽にも彼を捕らえた男がレカンキチにいるってね」
マンフレッドの眉がわずかに反応した。その親切な人間とは、アルヴァと結託して一騒ぎ起こした結果、新王に裏切られたポメルドット卿だろう。アイニックが裏で一枚噛んでいたことを、マンフレッドだけは知らないのだ。
「……そうか。できるだけのことはしよう。ただし、政変からはかなりの月日が経つ。見つからない可能性も十分にありえるが」
「努力してくれるというのなら、報酬の半分を前払いしても良いわ」
「ふむ。ならば、我々にももう言うことはない。さあ、帰るが良い」
マンフレッドは終わりの合図に杖を軽く鳴らした。その断固とした態度にわざわざ逆らう者もいない。グウェンドリンは口の両端をぐっと持ち上げると、何も言わずに踵を返した。そのとき、彼女はアストリッドに視線を絡め、からかうように口だけを動かした。ま、た、ね。アストリッドは親指で自身の首を横になぞった。くたばっちまえ。
グウェンドリンは微笑み、そのまま歩みを進めようとした。が、ふと思い出したかのように立ち止まり、マンフレッドのほうを顧みた。
「ところで、団長さん?あなた、私たちが……私とあなたが赤の他人じゃないって、よおくわかってるんでしょ?」
「いいや、赤の他人だとも。君は私の親族でも友人でもないし、私の部下の血を浴びている。今すぐに出ていかんのなら、その首を吹き飛ばすぞ」
マンフレッドは怒りの仮面を身につけ、杖を軽く持った。グウェンドリンは声を出さずに肩を揺らして笑った。
「あら、怖い。それじゃ、赤の他人だということにしておきましょう。さよなら、また近いうちにね」
彼女は来たときと同じように忍び足で出ていった。マギーはしばらく身じろぎもしないで黙っていた。やがて、宿敵の気配がなくなったと全員が確信した後、マンフレッドが口を開いた。
「任務だ、諸君」
「うーん……でも団長、あいつは何にも知らないんだと思う?」
ハーレイが尋ねると、マンフレッドは深々と息をついた。
「さあ、どうだろうな。確かなのは、依頼があろうとなかろうと、カッパーの奴を見つけ出すべきだということだ」
「そうかしら?博士が自分を煙だと思って消えちゃった以上、わざわざ訂正するのも野暮ってものよ」
「あんた、手掛かりがないからって面倒に思ってるだけでしょ」
キャットは目を逸らし、口をへの字に曲げた。その斜め下でハーレイが似たような表情をしてたのは、彼も同じことを考えていたからかもしれない。フェリクスが不思議そうに彼らの顔を見回して言う。
「ハカセが煙になったんだとしたら、どこかに火種が残ってるはずじゃないか」
「本当に煙になったわけじゃないよ」
ハーレイが困惑して大真面目に言うと、フェリクスは深刻に眉根を寄せた。
「何だ。それなら見つからなくても仕方ない」
マンフレッドが咳払いをしたので、彼らの無意識の茶番は中断させられた。
「ともあれ、もう一度周辺を探るに越したことはない。突然飛び込んできた不審者をこれまで匿ってきてやったのに、礼も言わずに出ていったということにでもなれば、奴を一発引っ叩かなければならなくなる」
マギーはひとまずアイニックが使っていた小屋に向かった。そこはもぬけの殻だった。元々発明品で埋め尽くされて立つ場所もなかった空間だとはとても思えない。壁や床をざっと検めたが、おかしなところは見当たらなかった。
「まさか、君たちから逃げたんじゃないか?」
「他人事みたいに言ってるけど、うちは連帯責任かつ年功序列だよ、フェリクス」
アストリッドは皮肉っぽく言い添えた。すると、フェリクスは合点がいったように両手を打った。
「つまり、一番責めを負うのはダンチョーなんだね」
「その分、団長はいつも懐に仕舞い込む金貨が多いのよ」
と、キャットが声を潜めて言う。もちろん、マンフレッドの耳にも届くように。ハーレイは目を丸くした。
「そうだったの、団長?俺もそっちのほうが良いな」
「少しは黙れんのか?」
小屋の中に立っていたマンフレッドは振り返り、勝手気ままなことを言っている団員たちに白い目線を送った。途端に彼らは黙り込んだが、数秒と経たないうちに、ハーレイが再び口を開いた。
「……少しってどれくらい?」
マンフレッドは剽軽な仕草で肩をすくめると、気を取り直して咳払いをした。
「良いか、諸君。少なくとも、匿ってやっていた我々からあれが逃げたということはないだろう。カラスの登場を考えれば、追手の気配を感じ取ったと考えるのが妥当だ。塵も残さなかったのはそのためだ。しかし、あの男のことだ。何かしらの手を使って我々に伝言を残している可能性は十分にある」
「まあね。けど、例えばどうやって?」
「ふむ、そうだな……例えば、先ほどからずっと我々の周りを飛んでいる蠅はどうだ?」
彼は目にも止まらぬ速さで杖を振り、その蠅を叩き潰した。
「……と、いうのは冗談だが――」
そうマンフレッドが言いかけたとき、不可思議なことが起こった。潰れて地面に落ちた蠅が、その空間に何か映写し始めたのだ。乱れていたその映像はやがて鮮明になり、そこに見慣れた顔が現れた。
「あら、博士じゃない」
キャットが怪訝そうに呟いたが、険しい表情をしたアイニックは何の反応も示さなかった。代わりに彼は切り出した。
「この映像が何らかの不幸で我が友人の手に渡らないことがあれば、我輩はあるいは助からないだろう。念のため名乗っておくが、我輩はアイニック・カッパー。かつてラカオでとある研究をしていた者だ」
「これって……?」
アストリッドは口を挟もうとしたが、マンフレッドの人差し指に遮られた。
「――そのラカオ王国の人間に、我輩は追われている。そちらで恐ろしい事態が起こっていた場合に備え、我輩は逃亡先を口にできない。その気があるのなら、どうか我輩を救ってくれはしないか?我輩を取り巻く危険は火よりも早く迫りつつある。水があればどれほど良かったか知れないが、もう時間がない。生きて再会できることを切に祈っている」
映写はぴたりと止まり、二度と再生されなかった。マギーは唖然として立ち尽くした。マンフレッドが深々とため息をついた。
「……あの男も、妙なことを考えたものだな」
「そこら辺の本くらい中身がなかったね」
フェリクスが蠅の残骸を足でいじりながら言った。キャットが欠伸を噛み殺しながら首を振る。
「ちょっとは考えなさいよ。頭を捻れば、何かあるに決まってるわ」
「本当?何かって何?」
と、ハーレイ。キャットは肩をすくめた。
「私が知るわけないじゃない。ちょっと考えてわかったら苦労しないわよ」
「まず、誰か頭の捻り方を僕に教えてくれないかな」
フェリクスは両手で自身の頭を挟んでいる。アストリッドは彼を無視した。
「意味がないわけないけど、何だろうね。ラカオの話くらいしかしてなかったし……あえてそっちに戻るつもりとか?」
「奴がその危険を冒すとは思えん。それに、それではわかりやすすぎるだろう」
マンフレッドの言う通りだった。アストリッドは肩をすくめるしかなかった。ハーレイが、何の意味があるのか、指を折って数えながら言う。
「あとは、火がどうのこうのって言ってたね」
「火、ねえ……」
マギーは各々口を閉ざして考えた。が、元々武闘派で頭脳派ではない彼らには、妙案は一つも舞い降りてこなかった。
「そういえば、博士ったら自分ばかりで、クララのことには触れなかったわね」
しばらくして、キャットがおもむろに言った。
「そっちはただの家出だったりしてね。気持ちはわかるんだ、僕も――」
「あ、違う!火だ!あれ、クララのことなんじゃない?」
アストリッドはフェリクスを遮って叫んだ。マンフレッドが胡散臭いものを見るような目を向けてくる。
「クララの何が火なのだ?」
「前話したでしょ、団長。クララって、何もないところから火を出せるんだよ」
ハーレイは自分の手柄のようにしたり顔で言った。マンフレッドはますます疑り深い顔をした。
「何、本気だったのか?」
彼は団員の言うことを話半分で聞く癖がついていた。彼らも彼らだから、仕方がないが。クララの異能のことについては同じく初耳だったフェリクスが、知ったような顔をしてしきりに頷く。
「じゃあ、あの子どもが何か手掛かりを握らされてるのかもしれないね」
「それなら、水が指すのは場所かしら?水と言えば――」
「タスパでしょ。水上帝国だもん、俺知ってるよ」
ハーレイに言葉を横取りされたキャットは、片手を投げ出して仕方なく同意を示した。
「つまり、タスパのどこかにいるクララだけが、カッパーの居場所を知っている……ということか。ありえない話でもないが」
マンフレッドは杖に体重をかけて立ち、視線を落として考え込んだ。こうなると長い。アストリッドは彼の視線の先で手をひらひら振り、注意を引き戻した。
「動くの、フレッド?どうする?」
「……まあ、構わんだろう。他に手掛かりもない。最悪、奴が見つからんでも、金は入るからな。では、行け。言うまでもないことであるが、諸君が現場にいた痕跡を残してはならない。万一仲間が命を落とした場合は、その遺体の回収に努めよ。そして何よりも、捕縛されることがあってはならない。任務遂行の手段は諸君に委ねる。健闘を祈る」




