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寡黙の外連に魅せられて  作者: 小娘
葬儀屋
3/29

欠落

 作戦決行の夜、マギーは馬車に乗り込み、目標が入り浸っているという酒場に向かっていた。今夜オオカミがそこにいることの確認は済んでいた。つまり、頭とその大勢の子分たちがいるということが。


マギーは皆黒い外套を纏い、髪を隠すように頭巾を被っていた。揃ってつけている仮面の右目側にはマグノリアの花が描かれている。その仮面は金属製で、目元には特殊な硝子がはめ込まれていた。それはアイニックが施したものであり、それを通すことで、これまた博士が生み出した、一見ただの黒い塗料が蛍光して見えるのであった。


マギーはその塗料を爪に塗ることで、目立たない方法で互いに合図を出すことができるのである。こういうこともあって、彼らは偉大なる博士であり、指名手配犯であるアイニックを厄介払いすることができないのだ。


これらがマギーの正装であり、護衛任務のような特例を除いては、少しでも規律をはみ出すことは認められていなかった。御者役で任務に直接関わらないベッファでさえ、待機中は同様の出で立ちである必要があった。それを破った者―それすら守れない者、とマンフレッドなら言うだろう―は、容赦なく団から追放されるのである。追放された者がその後どうなるのか、アストリッドは尋ねなかった。


アーウィン愛用の一輪車が馬車の隅で大きな音を立てた。それは彼が曲芸のときに使うものよりも性能の良いもので、楽に速度を出し、壁や天井を縦横無尽に駆け巡ることを可能としていた。もちろん、アイニックお手製である。アーウィンはそれに跨って斧を振り回すのを好むのだ。


一方、レオは短剣投げの名手である。彼が用いるのは錐に近い形状のもので、視野内であれば、その鋭い刃先はほとんど確実に標的の額や首に突き刺さるのであった。持ち前の平衡感覚の良さも相まって、その殺しの腕前はマンフレッドの認めるところとなっており、高い隠密能力まで兼ね備えた彼は、任務に必須の人材となっていた。


キャットは棍棒を携えていた。それも、何の変哲もない代物である。それは彼女の雰囲気にはそぐわず、そもそもそれを扱うには彼女は非力すぎるように思える。しかし実際には、その棍棒は踊るような―というより常に踊っている―彼女の足さばきに振り回され、敵を一網打尽にするだけの威力を持っていた。


ハーレイはというと、危険な目に遭うのはごめんだということで、小ぶりの弩を好んで使っていた。彼は輪投げで会得した見事な力加減で鉤縄を繰り、高所を陣取って任務に臨むことがほとんどであった。マヨを連れていくかどうかは彼の気分に左右されるが、主人に似てか、マヨはあまり好戦的ではないため、人質や荷物を運ぶのが主な仕事であった。


そしてアストリッドの相棒は、比較的刀身の長い短剣であった。それはマンフレッドから直々に贈られたもので、明らかに使い込まれていたが、彼女はそれが誰のものであったのかは尋ねなかった。はぐらかされると知っていたからである。その短剣とは別に、彼女は毒針を数本常備していた。即効性の毒が仕込まれているものもあれば、単に眠らせるためだけに使われるものもあり、任務で使用しないことはまずなかった。


馬車が止まった。ベッファが荷物でも下ろそうとするかのような顔で車内を覗き込みながら周囲を窺い、最も人目につかない時機を見計らって、マギーを外に送り出した。それから、何事もなかったかのように馬車を走らせ、あらかじめ決めてある合流地点に向かった。


一同は素早く移動し、双子が裏口に控え、残りの三人は正面の出入り口に回った。キャットとハーレイが一度路地に身を隠すと、アストリッドは一人酒場に入っていった。中はオオカミ一味が独占しているようであった。好都合だ。彼女は部外者が入り込んだことに苛立つ下っ端らしい男が近づいてくる横を素通りし、見るからに焦っている店主の待つ横木を目指した。


「おい、お客さん……」


店主が言いかけたのを、アストリッドに無視されてさらに気分を害した下っ端が遮る。


「やい!てめえ、無視とは良いご身分じゃねえか!妙な仮面つけやがって、ここは舞踏会の会場じゃねえぞ?」


それはどうかな。そう言ってやりたいのを我慢し、アストリッドはさっと店内を見回して目標を探した。頭マドックは店の一番奥で暢気に葉巻をふかしており、こちらのちょっとした騒ぎにはまだ気が付いていないようだった。下っ端の男はついに痺れを切らし、近くにあった棍棒を取ってアストリッドに殴りかかってきた。彼女は飛び上がってその攻撃をかわし、振り切られたその棍棒の上に器用に乗ってみせた。男のぽかんとした顔と言ったら!


アストリッドはそのまま彼の顎に強烈な一撃をお見舞いしてやると、一味が立ち上がる前に、店主の手の甲に毒針を突き刺した。店主はたちまち床に倒れた。目を覚ます頃には、怪しい仮面をつけた人物がやってきたことなど忘れ、店の荒れように愕然とさせられることになるだろう。


一斉に立ち上がったオオカミのごろつきたちが、やかましく吠えたてながら襲撃者を返り討ちに合わせようと武器を取る。その声を合図にして、表からキャットたちが、裏から双子が飛び込んできた。そして彼らはそのまま乱闘に突入した。目標もさすがに騒ぎに気付き、侍らせていた娼婦を振り払いながら立ち上がった。


彼に向かい、一輪車に跨ったアーウィンが突進していく。それを阻もうと立ちはだかる手下たちを、キャットが横からひとまとめに殴りつけた。目標がお得意の火吹きでアーウィンに立ち向かおうとするが、彼は軽やかに壁を駆けてそれをかわした。右手で斧を振り回しているその隙に、身体の脇で左の二本指を立てる:「今のうちにやれ」。


それを目にしたレオが手下たちの間を縫うようにして影の如く移動を始めた。アストリッドが向かって来る敵を順に片付ける横を矢が駆け抜け、レオに飛び掛かろうとした敵の腕に食らいつく。ハーレイはアストリッドの視野に入っていることを承知で、中指と薬指を折り曲げた手をひらひらと振った。これは彼独自の合図で、意味は「めんどくせ」といったところだ。


レオが机に飛び乗り、そこからさらに飛び上がって短剣を構え、狂いのない手つきでそれを投げた。目標は何かが首に刺さったことを理解できずに狼狽し、親切にも動かずに、その額にとどめの一撃を喰らった。今日もレオの腕前は完璧だった。


目標の痙攣が止まり、彼が息絶えたことを知ると、双子はそれぞれ親指と二本指を立てた:「離脱する」。彼らは入ってきたときと同様、裏から逃げていった。数名の手下たちがそれを追っていったが、あの二人なら問題あるまい。


キャットとハーレイも離脱の合図を出した。アストリッドは彼らに頷き返し、彼らが出て行くのを待ってから煙玉を投げた。酒場に残っていたオオカミの手下たちは視界を奪われ、咳き込み、動きを止めることを余儀なくされた。アストリッドは正面の出入り口から逃げ、馬車の停めてある合流地点に向かった。今回の任務も上手くいった。


そう思ったのも束の間の出来事であった。合流地点で彼女を待っていたのは、ベッファとキャット、ハーレイの三人だけだった。


「あの二人は?」


アストリッドは一応馬車の中を覗き込みながら尋ねた。キャットが物憂げに答える。


「それが、まだ到着していないのよ」


「合図も見えないんだァよ」


暗闇に目を凝らしながらベッファが言った。追手は撒いてあるとはいえ、長時間同じ場所で待っているわけにはいかない。アストリッドは馬車を離れた。


「私が見てくる。皆は先に戻ってて」


「俺も一緒に行くよ。何かあったんだと思う」


「私も行くわ……」


不安に駆られたキャットがハーレイに続けて言った。アストリッドは困惑して二人を見た。


「けど、まとまって動かないほうが良いんじゃない?」


「こんなときにまともな振りはよして、アスト」


と、キャットが睨みつけてくる。アストリッドとて、滅多にない異変に心許なさを覚えていないわけではなかった。彼女は二人の申し出を受け、ベッファに少し先のほうまで移動するよう指示を出した。



 アストリッドは酒場の裏口から合流地点までの道程を思い出しながら暗闇の中を駆けていった。二人がついてきていることは、衣擦れの音で確かめた。その間、ひたすらに願っていたのは、向こう側からあの双子が走ってくる姿を目にすることであった。何事もなく、元気な姿で。しかし頭の中では、逃走の段階で彼らがこんなに手間取るはずはない、何か起きたに違いない、という自分の声がこだましていた。


剣を打ち合わせたような音が響き、アストリッドを思考の波から引っ張り出した。暗くてあまり見えないが、通りの先に離れて立つ二人分の人影があり、その片方の指先が蛍光しているのがわかった。背格好からして、片方はレオなのだろう。しかし、もう一方が何者で、アーウィンがどこにいるのかがわからない。


そう思ったとき、アストリッドはもっと先のところに誰かが倒れていることに気付いた。見慣れた蛍光色が小さな一つの点のように鈍く光っていた。まさか……!アストリッドは飛ぶように、戦う二人の影のほうへと走った。そのときだった。誰とも知らぬ人物のほうが素早くレオとの距離を詰めた。その人物は右腕の肘から下が刃になっていた。決して、外灯が作った影が間延びしているせいでそう見えるわけではない。


そしてその刃が、少しの躊躇いもなくレオの腹を貫くのを、アストリッドはその目で見た。彼女は絶句して足を止めた。後ろでキャットが悲鳴を押し殺してか細く息を吸った音がした。刺客が刃を抜き、レオは糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。


と、鋭い風がアストリッドの髪を掠めた。ハーレイが矢を放ったのである。刺客はその矢を易々と弾くと、勿体ぶった足取りで建物の影から月明かりの下に出てきた。


「こんばんは、マギー」


彼女は言った。血に染まった刃が月光に赤黒く照らされた。


「あんた、誰?」


アストリッドは尋ねたが、声が震えないようにするので精いっぱいで、その声はほとんど囁くようだった。


「私はグウェンドリン。きっと聞き覚えがあるでしょう?この子が嗅ぎ回っていたもの」


女は余裕のある笑みを浮かべ、背後に転がっているレオの身体を一瞥した。もちろん、アストリッドはその名を覚えていた。


「カラスの……」


「ええ、カラスの」


グウェンドリンは嫌味っぽく繰り返し、暫し黙り込んだ。それから、乾いた血のような色をした唇をはっきりと動かして言う。


「私、知ってるのよ。マギーの秘密をね。もっとも、若いあなたたちはまだ知らないことでしょうけれど」


「何が望み?」


食ってかかるように言ったアストリッドに向かい、グウェンドリンはゆっくりと首を傾けた。


「さーあ。何かしら?」


「馬鹿にして……」


ハーレイが低く呟き、弩を構える音がした。が、彼は撃たなかった。無駄だとわかっていたのだ。それすら、グウェンドリンを満足させた。彼女は笑った。


「何もかも、いずれわかるわ。それじゃ、遠くない未来に会いましょう」


刺客は優雅にその場を歩き去った。呆気に取られ、三人はその場に立ち尽くした。そして我に返り、倒れているレオに駆け寄る。キャットは一人アーウィンのほうを見に行った。レオはすでに息を引き取っていた。見開かれた目は虚ろで、どこか助けを懇願しているように見えた。


「彼、首を斬り落とされていたわ……」


キャットが傍に戻ってきて、ほとんど聞き取れない声で言った。


「……探さないと」


アストリッドが言ったとき、遠くから大勢の足音が聞こえてきて、それからすぐに男の声がした。


「いたぞ!」


「駄目だ、逃げよう」


ハーレイが言い、キャットと共にすぐに後退を始めた。が、アストリッドは動き出すことができなかった。マギーの一員として、捕まることは何としても避けなければならないのはよくわかっていたが、大切な仲間であるあの二人を置いていくのは、ひどく恐ろしいことのように思えた。ハーレイが戻ってきて強く腕を引いたので、アストリッドはようやく走り出した。背後からの怒号が静かな夜を無遠慮に踏み荒らし、悲しげな犬の遠吠えがそれに応えていた。



 双子の欠けた帰還にも、マンフレッドは動揺したようには見えなかった。彼は追手がいないことを確認し、遺体の回収が叶わなかったことに対して静かに頷いただけであった。無情であるようだが、誰かの死を悲しみ嘆く意味など、結局のところないのである。彼は三人に休むよう命じた。


疲れから、キャットとハーレイはすぐに寝入ってしまった。アストリッドも彼ら同様くたびれていたのだが、とても眠れそうになかった。思考の波が、瞼を下ろす許可をくれなかったのである。彼女はどうせまだ起きているであろうアイニックの元へ向かった。彼は自ら執念によって建てた掘っ立て小屋で、発明品の中に埋もれるように生活していた。


「ね、アイニック……」


アストリッドが声を掛けると、彼は振り返り、無表情に彼女を見た。


「カッパー博士と呼びなさい、アストリッド」


彼女は通常通りの小言を気にせず、そのまま床に座り込んだ。背中に何かの発明品の固い角が当たったが、身をよじったところでどこかにぶつかるのはわかっていたので、わざわざ移動しなかった。


「アイニックは身近な人が死ぬのを見たこと、ある?」


「ない。身近な人間が死んだことならあるが」


アイニックは手元に集中しながら言った。何か、わけのわからないぶよぶよとした物体をいじくっている。アストリッドは少々気を悪くした。


「どっちだって良いけど」


「ならば、答えがある、になるだけだ。続きを話したまえ」


「レオとアーウィンが死んじゃった」


その事実を口にすることさえ、彼女には勇気がいることだった。頭に来るくらい博士は平然としている。


「そのようだな」


「悲しくないの?」


アストリッドは怒りというよりも呆れを強く押し出して尋ねた。アイニックは謎の皮のような物体を膝に置き、自身の頬骨を検めている。


「何を悲しめば良いのかね?」


「もうあの二人と会って話せないんだよ」


「悲しんで彼らが戻ってくるのなら、悲しむこともまた有効であろう」


彼は至極当然のように言うと、物体を裏返してそこに何か鉛筆で書き込んだ。アストリッドは大きくため息をついた。ある種、気の抜ける会話で、どういうわけか心が軽くなるのを感じつつあった。が、そんなことはおくびにも出さない。


「アイニックのそういうところ、嫌い」


「構わん。君に嫌われたところで、研究ができなくなるわけではない」


アイニックはやはり手を止めずに答えた。沈黙が走り、彼は部屋に一人きりでいるかのように作業を続けている。アストリッドはまだ眠れそうになかったので、もう少しそこに居座ることにした。


「……身近な人って、誰だったの?」


「何故そのようなことを聞くのかね?」


「考え事したくないから」


彼女が答えると、アイニックは仰々しく驚き、身体を彼女のほうに向けて目を丸くした。


「何と勿体のないことを―」


「はいはい。まあ、話したくないなら、これ以上聞かないけど」


アストリッドは自身の足に肘を突くと、ぼんやりと博士を見上げた。アイニックは暫し考えた。深く息をつき、おもむろに口を開く。


「話したところで、我輩に害はない。……我輩にとって身近な人間とは、妻をおいて他にいなかった」


「奥さんいたの?アイニックに?」


若干失礼なアストリッドの反応をアイニックは咎めなかった。というより、記憶の花園に誘われ、それどころではなかったのである。


「いたとも。彼女は非常に興味深い女性であった。花を愛でるのに、一生涯を捧げようとしていたのだからな。しかしその生涯も、彼らに奪われてしまった……」


彼はふと陰鬱な顔つきになり、足元に落ちていた四角い物体を拾い上げて凝視した。


「彼らって?」


アストリッドは尋ねたが、とても答えを知ることができないであろうことはわかっていた。彼は手にしたものを背後に投げ捨てた。


「その問いには答えまい。君のためにならないからな」


「そっか」


アストリッドはしばし黙り込んだ。普段ならすぐに作業を再開するアイニックだったが、今はじっと動かずに物思いに耽っていた。そう、悲哀こそは何の意味も持たないということを、彼は確かめているに違いない。アストリッドは再び開口した。


「アイニック、研究の話をしてよ。私が眠れるように」


「我輩は君を寝かしつけるために研究をしているのではないが……聞きたいと言うのなら、語るにやぶさかではない」


「聞きたーい。あ、小さい声でお願いね」

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