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寡黙の外連に魅せられて  作者: 小娘
霧中の剣
28/41

狂奏

 祝いの席をめがけて駆けてくる黒い影を、闇夜よりも暗い影が迎え撃つ。マギーは滑るように敵の前に躍り出し、戦闘を開始した。刺客たちは予定外の迎撃に遭ってたじろいだが、計画を変えるつもりはないようだった。アストリッドの予想に反して、刺客たちは不意打ちにやられてしまうほど軟ではなかった。素早く剣を構え直し、反撃に出る。


疑う余地もない。彼らは元々城にいたあの強硬な騎士たち……つまり、バルトロメオに味方する者たちなのだ。マイルズはそこらのごろつきを雇うことはしなかった。それだけ本気で統一を、いや、粛清を叶えようとしているのであり、かつその同志も多いということか。つまり、とアストリッドは短剣を抜きながら考えた。殺し合うつもりでやらなければ押し負ける。


ハーレイが鉤縄で建物の上に登り、遠距離攻撃を仕掛けるのと同時に、フェリクスが鞭を躍らせて敵を攻め立てる。命を危険に晒されたキャットはすこぶる機嫌が悪く、早着替えを済ませるが早いか、アイニックお手製の格納器から棍棒を取り出して、右も左もなく暴れ回り始めた。


となれば、アストリッドの仕事はとどめを刺すこと……ではなく、動きを確実に封じ込めることか。両派を消耗させるべきではない。特に、和解を期待するならば。フェリクスが片端から剣を叩き落としてくれるのはありがたかった。刃には刃が必要だが、拳にはそうとは限らない。


アストリッドは短剣を仕舞い、格闘の姿勢に切り替えた。落とした武器を拾っている余裕などないと察した騎士も同様の態勢に入る。残念なことに、彼らが鍛えているのは剣の腕だけではないらしい。ただ、彼らにとって残念なのは、マギーが積んできた戦闘経験が並大抵ではないということだ。小手調べにアストリッドが繰り出した拳をかわした刺客は、隙ありと言わんばかりに素早い蹴りを放った。彼女はその脚を脇に挟み込むと、相手の軸足のほうを思い切り蹴飛ばしてやった。刺客はいとも容易く倒れた。甘い。


そこに、ハーレイが上から降りてくる。中の二本指を倒した片手を振ったのは、ここでは『俺も入れてよ』くらいの意味だろうか。大方、敵を殺さないように矢を扱うのが難しかったのだろう。


もう一人、アストリッドの隣に立った人物がいた。それはヴィルヘルムだった。彼はひどく平静で、かつ容赦がなかった。せっかくマギーが殺さずにおいた刺客たちに斬りかかり、深手を負わせていく。いや、違う、彼もまた、命を奪うことは避けようとしているらしい。マギーが行うのが十分な無力化であるのに対して、彼が行うのが完全な無力化だということだ。


さて、彼以外のヴィルヘルム派の連中はというと、もちろん乱闘騒ぎには気付いていたのだが、何とも間抜けた面をして立ち尽くすばかりだった。逃げ出すのは誇りが許さないが、腰に下げた剣は飾りなので抜けないときている。新郎は中でも傑作で、これが余興のうちだと半ば信じているかのような顔つきをしているのだ。


しかし、そんな彼も、棍棒を携えた黒い影が迫り来たときにはぎょっとした。もっとも、キャットは彼を狙う刺客に気付いて動いただけだったのだが。一撃で敵を打ち倒した彼女は、刺客がわらわらと姿を現すのを見つけた。マギーを避けようとして回り込んだのか。


キャットは指を使って短く口笛を鳴らした。それから、視界の端に映るマンフレッドに向かって四本指を立てる:『こっちへ来い』。彼は鈍い動きで応戦していたのだが、援護を求められては応じないわけにはいかない。同時に飛んできたハーレイと並び、マンフレッドは吹っ切れたように軽快な動きで杖を振るい始めた。


しかし、刺客は思いの外数が多かった。しかも、妨害に遭っても諦める気配がない。アストリッドはじりじりしながら辺りを見回した。首謀者、つまりマイルズが近くにいるはずだ。彼は間違いなくこの状況を歯噛みしながら見ている。千載一遇の好機を、突破口を探している。いや、あるいは、すでに用意していた突破口にかけてあった土と木の葉を払っているところかもしれない。


もし最終手段を用意しているとすれば、状況はもっと悪い。ヴィルヘルム派も、マギーも、そして刺客たちでさえ、まとめて葬られかねない。どこだ?アストリッドは攻撃を避けることに集中しながら、絶えず周囲に目を配った。どこだ?


霧がふと薄くなり、鈍い光が差した。それがまた少し暗くなる。霧か……否、そうではない!細長い影である。アストリッドははっとして顔を上げた。高い屋根の上にマイルズが立っている。片手に何かを握っているようだ。彼女に気付かれたことを悟ると、彼は冷ややかな顔つきで、迷うことなく手に握ったものを宙に放った。アイニックの手持ちにありそうな見た目……おそらく爆弾である。


アストリッドは焦りに身を乗っ取られ、考える前に短剣を飛ばしていた。それは爆弾の横を掠め、柄がかろうじて当たっただけだった。あれは地面に落ちる頃には爆発するだろう。規模はどれくらいだろうか?逃げて間に合うとは思えない。そんな考えが一瞬のうちにアストリッドの頭の中をどっと駆け巡った。彼女が死を本気で覚悟したのは初めてのことだった。


そして、彼女が人生の後悔をなぞる間もなく、轟音が耳を劈いた。目を閉じたが、衝撃はない。爆発が起きたのは騒乱のはるか上、それは霧に抱かれるようであった。火を吹くは、マンフレッドの杖の先。彼は粛々と杖を下ろし、それを優しく両手で握った。騒ぎが鎮まった。


マイルズは茫然自失として、計画が失敗に終わったことを認めたようであった。それは刺客たちも同様だった。いや、むしろ彼らは、裏切られて死んでいた可能性に気付いただけかもしれないが。ハーレイとキャットがさっさと上に登り、協力してマイルズを捕縛する間、アストリッドはマンフレッドから目を逸らすことができなかった。信じがたい反応速度で悲劇を回避した彼は、自身が持つ数ある仮面の中でも、石でできたそれを過たず顔に張り付けていた。



 マイルズはすぐに騎士王直々の審問にかけられた。審問としては異例なことに、どんな騎士も出席を許されず、その場にいることができたのは他にティーナとマギーだけだった。バルトロメオは何と切り出せば良いかわからぬ様子で、物憂げに罪人を見下ろしていた。やがて、厳かに口を開く。


「……何故だ、マイルズ」


文官は答えず、じっとかつての主君を見守っていた。もうその眼差しに揺らぐバルトロメオでもない。


「答えよ。何故このような真似をした?このような裏切りが、許されると思ったか?」


「何故と問いたいのは私のほうでございます、陛下」


それは場違いにも堂々とした物言いだった。騎士王は眉をひそめる。


「何?」


「すべては必要なことだったではありませんか!ヴィルヘルムに連なる輩というのは、その立場に甘んじ、我が国の力と秩序を揺るがすばかり……その上、騎士の中の王たるあなたを軽んじることに精を出す愚者揃いです」


あまりに毅然とした断定的な発言に、その場にいた者たちはふと、彼が罪人だということを忘れてしまうような錯覚に見舞われた。バルトロメオは考えをまとめ直すように時間を取り、再びしっかと相手を見つめた。


「私とお前は道を誤ったのだ。あらゆる段階を飛ばして理想を叶えようとし、おぞましい惨劇を繰り広げようとしていた。私が間違っていたのだ、マイルズ。これは必要なことなどではなかった」


「それがキテスのあるべき姿でしょう。力ある者が上に立ち、すべてを主導するのです。アルフォンスサマのなしたことを忘れてしまわれたのですか?それとも、覇道を敷くための手段に過ぎなかったそこの御方の慈愛に絆されたとでも?」


マイルズは嘲笑するような目線をティーナに送った。彼女は無反応を貫いた。バルトロメオも感情を表に出すことはしなかった。


「そう見做したいのならば、構わん」


その言葉は、マイルズを失望させるに十分だったと見える。彼は許可も得ずに立ち上がり、肩を揺らして笑った。


「……ああ、変わってしまわれましたね、陛下!この国を思っていらっしゃるのなら、そうおっしゃることもなかったでしょうに」


「マイルズ……お前は私を焚きつけるのが本当に上手かったな」


そう呟いたバルトロメオの顔つきは、どこまでも空虚であった。もう話術は通用しない。なおもマイルズは続けようとした。


「陛下とこの国を考えてこそ、私は―」


「ならば、私はお前に私の過ちを正してほしかった。とっくに気付いていたのだろう、マイルズ。私が転落しかけていたことに。何故、私の背中を押したのだ……何故……」


奔流のごとく押し寄せる苦い記憶に顔をしかめながら、騎士王は掠れた声で言った。


「申し上げましたでしょう、そのことならば」


マイルズは奇妙に勝ち誇ったような調子で言い放った。これ以上の対話は無意味だ。バルトロメオは控えさせていた騎士を呼び、臣下だった男を連行させた。



 暴動のことは国中の人々に知れ渡ったし、野暮な誰かが他所に触れ回っていたとしても何ら不思議ではなかった。騎士王派の代表であったマイルズが首謀者であったという事実は、ヴィルヘルム派の者たちをひどく怒らせた。もしあの一件にバルトロメオもかかずらっているとわかっていたら、今頃キテスは崩壊していたことだろう。とにかく、王は何食わぬ顔で―そう振舞うのは心苦しかったようだが―民の前に姿を現した。


「聞け!キテスの民と、誇り高き騎士たちよ!我が国は、長らく重大な問題に直面してきた。私がアルフォンスの剣を受け継いで以来、ヴィルヘルム卿こそがこの剣を振るうに相応しい人物であるとし、彼を王に担がんとする者たちが声を上げるようになった。その者たちに対する考えを、私自ら述べるつもりはないが、キテスの間に大きな溝ができていたのは事実だろう。


しかし、私は認めねばならん、こうした諍いを私が手をこまねいて眺めていたということを!私の態度が昨日の騒動を引き起こしたのだと糾弾されても、私には弁明の余地もない。私が剣を戴くことに疑念を抱く者もいるだろう。そして、私自身、最早己を信ずることなどできない。


よって、ここに私は宣言する!私は騎士王の座を下り、一騎士として国を守る使命を、生涯をかけて全うする所存だ!すべての責任を負い、潔く―」


バルトロメオはどよめきも気にせず声を張り上げ続けようとしたが、一つの声がそれを遮った。


「待たれよ!」


人々が声のしたほうを振り返る。そこに立っていたのは他でもないヴィルヘルムである。彼は重々しくバルトロメオの前に進み出た。


「なりませぬぞ、陛下。かような理由で、キテスの伝統を打ち破ろうとなさいますな。卿が私に対するある思いを抱えていることを、私は十分すぎるほど承知しておりました。そのことで、卿が私に接近するのを拒んでいることも。そしてその上で、私もまた、事態を看過していた者の一人でございます。したがって、卿が玉座を退く理由にするには不十分ですぞ」


バルトロメオは因縁の相手とその予想外の介入にたじろいだようだった。しばし間を空けてから尋ねる。


「……ならば、どうしろと?」


「そう難しく考えることはございますまい。私は卿に決闘を申し込む。勝者を王に据え、この諍いに終止符を打ちましょうぞ!それならば、皆も不満はないだろう」


すると、周囲の人々は彼ららしからぬ雄叫びを上げ、その提案を喜んで受け入れることを示した。バルトロメオはその様子をやや圧倒されたように眺め回した。それから、意を固めて頷いた。決闘を受けたのである。


マギーは人々の輪から少し離れたところで、特に言葉を交わすでもなく、ただ一連の流れを傍観していた。昨日から、暴動のことは一度も話題に上がっていない。何も語り合うことなどないはずだからだ。


彼らが見ていると、すぐにバルトロメオとヴィルヘルムを中心にした輪が出来上がった。二人を囲む騎士たちが剣を抜き、刃先を上にして胸の前で構える。二人は神妙に剣を構えた。すると、騎士たちが見事に音を揃えて足を踏み鳴らした。剣先に囲まれた完璧なまでの輪と、静まり返った場。ハーレイが空気を読まずに感嘆の声を漏らした。


二人の騎士はしばらく動き出さず、また互いから目も逸らさなかった。まるでその眼差しだけですべてを語り合おうと、いや、語り尽くしたとでも言うかのようである。バルトロメオの瞳に宿るのが憎悪であったかはわからない。が、動き出す間際、そこには確かに悲しみが瞬いて消えた。


そして、時の流れは正常に戻った。若く猛々しいバルトロメオと、熟れてしなやかなヴィルヘルム。前者には血を吐くような鍛錬の跡が、後者には圧倒的な場数の跡が残っていた。どちらが強いのだろうか?ただ剣を打ち合ってわかることなのだろうか?我ながら驚いたことに、アストリッドはその勝負に見入っていた。


ヴィルヘルムが刺突の構えを見せた。バルトロメオが距離を詰める。突―斬り上げ。身をかわして隙ができたヴィルヘルムに向かい、バルトロメオは両手で柄を握り直す。すると、老練なる騎士は踊るような足さばきで立ち位置を変え、目にも止まらぬ斬撃を繰り出す。その会心の一手は、見事に騎士王を捉えたようであった。


が、バルトロメオは尋常ではない反応速度で剣を胸の前に運び、その攻撃を力強く受け流した。と思えば、彼はどこまでも伸びるかのように脚を蹴り出し、相手を怯ませたところで、勢いのままヴィルヘルムの喉めがけて剣を振り落ろした。その剣先は血を見ることはなかったが、勝者がどちらかは疑う余地もない。輪を作っていた騎士たちが剣を納め、揃って敬礼をする。


「バルトロメオ王に敬礼!」


すると、その場にいた民衆までもが息を合わせて足を踏み鳴らし、絶対的王となった一人の騎士に敬意を表した。体勢を崩されていたヴィルヘルムが立ち上がり、改めて跪く。


「陛下……」


バルトロメオは悠然と頷き、深く息を吸った。


「皆、声を上げよ!今ここに、キテスは一つとなった!」


誰からともなく戦歌が口ずさまれ、それが風に吹かれたように辺りに広がった。単純だが、だからこそ澄んだ強さを持つ国だということだろう。アストリッドは自然と笑みが浮かぶのを感じた。この国の役に立てたことが、何となく誇らしい気がしたのだ。


そんな熱狂も、長くは続かなかった。不躾なほどの怒鳴り声がすべてを遮ってしまったのだ。


「敵襲!敵襲!」


その一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れ、去っていった。眠りかけていたハーレイが顔を上げて呟く。


「ぞっとしないねえ」


バルトロメオは人々を掻き分け、伝令に来た騎士の元に急いだ。


「どうした!どこの旗だ!」


「レカンキチです!アルヴァ王自らの挙兵で、かなりの規模……国境は突破寸前―いえ、あるいは、もう……」


アルヴァ!そう、変革をもたらす者ほど、遅れてやってくるものだ!笑うしかないとはまさにこういう状況のことで、アストリッドは片手で口元を覆った。


「やってくれるね、本当……」


「気が利く人って、私大好き」


少しもそう思っているようには見えない顔つきでキャットが言った。


「急ぎ迎撃準備にかかれ!……レカンキチ、許しはせん!」


バルトロメオが吠えるように言うと、騎士たちは慌てふためいて方々に散っていった。ふらふらと脚を揺らしながらフェリクスが尋ねる。


「僕たちはどうする?」


「アルヴァ陛下に仇なすわけにもいかんだろう。そもそも、国同士の戦はマギーの専門外だ」


マンフレッドは関心一つ示さない様子で言った。同様にまるで危機感のないハーレイが楽しげな声を上げる。


「どっちが勝つかな?俺、レカンキチだと思うな」


「そう?キテスじゃないかしらね」


と、キャットが欠伸しながら答える。アストリッドはそこでさっさと立ち上がった。


「じゃあ、私は引き分けで。ちょっとティーナを見てくるよ、心配だし」


そう言って立ち去ろうとする彼女の背中にフェリクスが声をかける。


「騎士の邪魔にならないようにね。踏みつぶされるよ」


「ご忠告どうも。じゃあ、後でね」

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