律動
翌朝、団員たちは町に繰り出すと偽ってマンフレッドの目を逃れると、早速城に向かった。何故全員で行くのかアストリッドにはわからなかったが、どうやら仲間たちはこの問題の行く末に興味があるらしかった。フェリクスには紙袋を被せた。彼とティーナの因縁で話を拗らせる必要はない。
侵入してみると、王妃は一人、部屋で読み物をしていた。まだ動くと傷が痛むのだ。ぞろぞろと登場した一行には彼女も驚いたようだった。
「まあ、アストリッド!今日は随分と賑やかなのね。お仲間でしょう?来てくださって本当に嬉しいわ。―あなたはキャットよね?前に会ったものね。そちらのお二人は……?」
「あー……えっと、ハーレイと―」
アストリッドが言い淀むと、背後から紙袋のせいでくぐもった声が聞こえてきた。
「フェデリコ」
淡白な言い方だったのは、彼なりに気を遣った結果かもしれない。そう思うと笑えてきたが、アストリッドはそこをぐっと堪えた。
「ティーナ、私たち、例のことで来たんだ」
それを聞くと、ティーナは今にも小躍りしそうだった雰囲気から一転して、妙に威厳のある態度に変わった。
「何かわかったのね」
アストリッドの説明は端的を極めた。バルトロメオとヴィルヘルム、そしてその娘エリザベスの関係。そこから生じたと考えられる因縁。それらすべてを知っている可能性のある人物がマイルズだということ……ティーナは黙ってその話を聞き終えると、よく考えてから口を開いた。
「……ようやく謎が解けたわ」
「本当に?」
「ええ。エリザベス、いえ、リジーの正体はヴィルヘルム卿の息女だったのね。……忘れてしまったかしら、アストリッド?あの御方は、儀式を終えた朝、私を間違えてそう呼んだのよ」
ティーナは寂しげな表情で首を傾げて言うと、決然とした様子で椅子から立ち上がった。わずかに顔をしかめたのは、傷が痛んだからに違いなかった。
「ちょ……駄目だよ、ティーナ!何する気?」
「当然、あの御方に考え直していただくのよ。どうして国がこんなことになっているのか、やっとわかったんですもの」
「わかったって言っても、ほとんど推測なのに。ていうか、せめてあの人をこっちに―」
「いいえ、わかります。とにかく、私がお話に行くわ」
きっぱりと言い切ると、王妃はできうる限り足早に歩き始めた。マギーは困惑に顔を見合わせながらも、仕方なくその後を追った。玉座に座っていたバルトロメオは、やってきたティーナにぎょっとしたようであった。
「何をして……傷が開くだろう!」
「構いません。お話があって参りました」
ティーナは平静を保って答えた。アストリッドが見たところでは、彼女の衣服にはまだ血は滲んでいなかった。バルトロメオは目でそこにいた騎士を追い出した。
「火急の用なのか?」
「ええ。ヴィルヘルム卿のことですわ。かの御方の甥御の婚礼ですけれど、根回しなさいましたわね。いいえ―いいえ!誤魔化しは結構でございます。もう存じ上げておりますの。単刀直入にお尋ねいたしますけれど、バルトロメオ様、あなたはヴィルヘルム卿に何らかの怨恨を抱いておいででしょうか?例えば、エリザベス……または、リジーなる女性のことで」
ティーナは相手に口を挟む隙を与えることなく言い切ると、答えを聞くためかぴたりと黙り込んだ。まるで機械人形のようだ。バルトロメオはというと、木偶の坊のように立ち尽くすばかりだった。言葉を探す努力すらしていないかのように見えた。ティーナは待ちくたびれて小さくため息をついた。
「……やはり、そうなのですね。私怨のために、このキテスを破滅に導こうと、そうおっしゃるのですね」
「何を……勝手な解釈をされたものだ!」
弾かれたようにバルトロメオが反駁すると、ティーナはきっとして声を高くした。
「勝手であるものですか!そうおっしゃるのなら、証明してみせてくださいませ。いつまでもキテスの分裂を収束に向かわせようとしないでいらっしゃる理由が、個人的な感情によるものではないと」
彼女の言葉に、騎士王はこちらの胃をむかむかさせるような皮肉な笑みを浮かべた。
「証明も何もあるものか。傷が癒えぬうちから動こうとするから、うわ言ばかり口にしているのではないか?」
「熱ならございませんけれど、あなたの凍てついた手には熱く思われても仕方ないかしら。エリザベスなる方を大切に思っていながら、その命日に悪しき計画を実行しようとしておいでなのですから」
ティーナは半ば憐れむような調子で静かに言い放った。バルトロメオが動揺したのは離れて見ていてもわかった。彼が言葉を返すのには少し時間が必要だった。
「……何故、そんなことまで……」
「あなた自身がおっしゃいましたのよ。儀式を終えた朝、呆けた様子だったあなたは、私をリジーという名で呼ばれました。それを誤魔化そうとしてか、あなたは今日より二日後の日付を数え、それが彼女の命日だと、確かにおっしゃったのです。どうしてでしょう、私、そのことを忘れられなくて」
王妃はわからないほど控えめに微笑んだ。騎士王は翼をもがれたかのように、突然反抗するだけの力を失ってしまった。その顔つきは、蜃気楼のように現れた新妻を、かつての想い人の幻影と見紛うた日のことを反芻しているようであった。悔やむべき一瞬でありながら、希望に溢れた泡沫……
時は緩慢に過ぎ、沈黙は長く尾を引いた。やがてティーナは口を開く。
「……なおも、血の凍るような企てなどないとおっしゃるのなら、私もこれ以上は何も申し上げません。けれど、これだけは……どうか、悪鬼にならんとするのはおやめください」
囁くように言った彼女から、バルトロメオは陰鬱に目を逸らした。
「もう……もう、遅いのだ。私はあの男に然るべき罰を与えなくてはならん。ヴィルヘルムは彼女を殺したも同然だ……!」
「何をおっしゃいますか!罰とは自然に下るもの。下らぬというのならば、それもまた運命でございましょう」
「貴女に何がわかる!」
彼は反射的に怒鳴り、今にもティーナに掴みかかりそうに見えた。しかし、彼女は臆さずにじっと彼を見上げている。
「わかりません。ですから、お願いしているのです。どうか、心を殺してしまうようなことをなさらぬように、と。心を失えば、一体人に何が残りましょう?誰かを……大切な誰かを想う心を捨てようだなんて……わかっていないのはあなたのほうだわ……私はこんなにも、あなたが人の形を失うことを恐れているのに!」
声を震わせるティーナの胸の中にあったのは、間違いなく兄のかつての凶行だろう。彼はその身のみならず、愛する妹の身まで滅ぼしかけたのだ。復讐も野望も、すべからく想像を絶する代償を要求するということに、気付いてか気付かずか。
バルトロメオの身体は心臓を射抜かれたかのようにぐらりと揺れ、そのまま玉座にどさりと座り込んだ。
「……私は、あの男にその罪を知らしめることすらできないのか」
「いいえ、バルトロメオ……それもまた叶いましょう、血を血で洗うことなどできないと知る人間ならば。あなたは、涙が永遠に赤く染まることも厭わないような御方ではありません。私にはそれがわかります。大丈夫……まだ、間に合うわ」
ティーナは孤独なる王の手を優しく包んだ。バルトロメオはしばらく微動だにしなかった。本当に死んだのではないかとマギーが目配せを交わしていると、彼の深々としたため息が聞こえた。
「……夢枕に立つ彼女は、あの男への恨み言ばかり口にしていたが、それも私の妄執に過ぎなかったのだろうか……思えば、彼女は人を恨むような人柄ではなかった。私が彼女を歪めてしまっていたのだな」
彼は小さく何かを呟いたようだったが、それが何だったのかは聞こえなかった。彼は寂しく微笑み、ティーナの目を見上げた。
「わかった。愚行に走るのはやめにしよう……ああ、何故だろうな。必ずやり遂げるつもりでいたというのに、こうして肩の荷が下りる瞬間を、ずっと待ちわびていた気がするのだ。―マイルズ!マイルズはいないか?」
騎士王はよく響く声で文官を呼び寄せようとしたが、返事はなかった。彼は眉をひそめて周囲を見回した。
「おかしい、普段であれば……」
「誰か、あそこで立ち聞きしてた人が、さっきこそこそ逃げ出していったよ」
と、ハーレイが口を挟む。アストリッドは彼に目をやった。
「髪の長い男?」
「うん、小柄だった」
「それはマイルズだろう。しかし、何故姿を隠す必要がある?」
バルトロメオが眉間に皺を寄せたのを見て、キャットは聞こえないように鼻で笑った。
「剣の腕は確かなんでしょうけど。―心優しい陛下、そのマイルズとかいうのがとんでもない悪党だとは思わないのかしら?」
「いや……しかし、これはすべて私の復讐心が始めたことだろう」
彼の態度は煮え切らない。アストリッドは呆れながらも尋ねる。
「細かい計画を立てたのは誰なのさ?」
「マイルズだが、それも私の要望に従ってのことだ」
「その計画のこと、詳しく聞かされてるの、王サマ?」
と、フェリクス。するとようやく、バルトロメオははっとして唸った。
「……なるほどな。そうか……自分がここまで愚かだったとは」
「そう悲観することはございませんわ。まだ時間ならございますもの、式までに捕まえてしまえば良いのですわ」
ティーナは何とか彼を励まそうとして言った。彼は気力を取り戻したとは言わないまでも、重々しく頷くだけの威厳はあった。
「ああ……何としても、見つけ出してみせよう」
「彼らも手伝ってくれますわ。ね、構わないでしょう?」
と、ティーナは甘えるような眼差しをアストリッドたちに送った。断れないのを知っているに違いない。マギーは肩をすくめるしかなかった。
ここでマイルズを捕らえることができたら、どれほど良かっただろう?
バルトロメオは説得に応じた後、即座に御触れを出し、文官マイルズを捕らえた者に褒美を取らせるとした。マイルズの罪状は国庫からの窃盗ということになっていた。仕方のないこととはいえ、アストリッドは思わず失笑した。
「何を盗んだって言うんだか」
「王様の心じゃないの」
キャットは言い、大欠伸をしたものだった。騎士たちの必死の捜索―彼らは本当にあの文官が盗みを働いたと思っているのだ―には砂粒ほどの実りもなく、そしてそれはマギーにも同様のことであった。マイルズが一部からかなりの信頼を勝ち得ていて、誰かに匿われているのだとしか思えなかった。
日は躊躇なく落ち、張り切って昇った。問題の日の朝は、上品に霧で着飾りながらやってきた。マギーは成果がなかったことに若干の気まずさを覚えながら城へと舞い戻った。そこには誰がどう見ても困り果てている騎士王とその妃が待っていた。
「来たのね、アストリッド。あなたからも何とか言ってちょうだい、無理にでも婚礼式を中止させるように」
「それはできない。私が介入すれば、当てつけだと取られかねん。あの婚約がヴィルヘルムにとってどれだけ重大なものか……目の前で奪えば最後、それこそ内紛が始まるぞ」
バルトロメオはあくまで譲る気がないようであった。ティーナは少々向きになって答える。
「どうせ始まるのなら、同じことですわ。かの者の計画を挫くだけでも意味があるというものではありませんこと?」
「だけど、それじゃ最悪の場合は、こっちもヴィルヘルム側も壊滅してマイルズの一人勝ち、なんてことになりかねないよ」
アストリッドが口を挟むと、王妃は信じがたいと言いたげに眉をひそめた。
「まさか、マイルズがおぞましい計画を実行に移すのを黙って見ていろと言うの?」
「ねえ、でも、その人が見つからないのも、とっくに尻尾を撒いて逃げ出したからかもしれないよ」
と、ハーレイ。
「そう暢気なことを言っていられるものか」
バルトロメオは呆れて首を振った。アストリッドも気持ちは同じだった。すると、キャットが後ろのほうから言う。
「まあ、どうにかして計画を止めてあげないこともないわよ。国に混乱されても面白くはないもの」
「……できるのか?」
騎士王の目が期待に息を吹き返した。アストリッドは曖昧に首を傾げた。
「さあ。やってみないこともないかな」
それを聞き、ティーナはもどかしそうに友人に一歩詰め寄った。
「どっちなの?」
「できたら高くつくし、できなかったらなかったことにするってだけだよ」
と、例によって紙袋を被ったフェリクスが言う。まったくもってその通りだ。マンフレッドは彼にマギーの何たるかを叩きこむのを忘れなかったらしい。
「……ならば、頼めるか?私はこれ以上手を出せない。対価ならいくらでも払うと約束しよう」
バルトロメオは固い表情で言った。気乗りしない部分は少なからずあるらしいが、この二進も三進もいかない状況では、妃の素性のよくわからない友人たちを頼るのも無理はなかった。
そんなこんなで、今はもうまもなく式が始まる段まで来ていた。いつも霧と共に過ごしているせいなのか、あまり日の光が届かない中、この催しは屋外で行われるらしかった。これもマイルズの画策なのだろうか?
何も知らないヴィルヘルム派の騎士たちが集まり、にこやかに談笑していた。しかし、どこを見ても騎士とは名ばかりの体たらくばかりではないか!主役であるヴィルヘルムの甥でさえ、三歩進めば息を切らしそうな見た目をしているのだ。例の儀式を済ませてあるらしい彼は、包帯を巻いた手を新婦の手に重ね、幸福そうに彼女を見つめていた。これから何が起きうるかも知らずに。
そんなだらしない連中の輪の中に例外がいるとすれば、ヴィルヘルムその人だろう。引き締まった身体つきや無駄のない動きのおかげで、まったく老いを感じさせない貫禄がある。彼が騎士王となることを期待されたのもこれ以上ないほど当然だった。
団員たちは程度の差こそあれ皆神経質になっていたが、マンフレッドは気楽なものであった。彼は今回の仕事がキャットが余興に出るだけだと思っているのだ。団員たちが彼にマイルズのことを話さなかったのは、彼がまさにマイルズから直接依頼を受けたのではないかと疑っていたからである。もちろん、そうだと決まったわけではない。そもそも、彼とあの文官に繋がりがあるとも思えないのだ。もし、あるとすれば……
アストリッドが考えを巡らせているうちに、キャットの出番がやってきた。我らが踊り子は舞台に上がると、手慣れたやり方で一礼した。そうして踊り始めた彼女は、どこか超越的な美しさを秘めていた。緊張に張り詰め、嘲りの態が消え、ただ鋭い眼差しだけが生命の証となる彼女には雑味がなく、どこまでも澄んでいるように思われた。だから、まったくマグノリオ団のキャットらしくはないのだが。アストリッドは彼女の視線に注意を払った。何か見つければ、その瞳が閃くはずだ。
しかし、舞が終盤に差し掛かっても、事態が動き出す気配はなかった。踊り子に見惚れて誰かが上げた唸り声や、少し濃くなった霧くらいしか気になることはなかった。よもや、憶測を誤ったか?本当にキャットは華を添えるために呼ばれただけなのか?自分でも同じことを考えているようで、彼女は訝るように騎士たちを眺め下ろしながら、ゆっくりと演技を終えようとしていた。
そして、客席から目を上げた瞬間、彼女の瞳孔がはっと開いた。その表情に滲んだのは恐怖だった。マギーが振り返るまでもなく、空を切る矢が飛んでくるのが見えた。始まったのだ。
気付くのに数瞬遅れたせいで、避けるには身体が追いつかない。無意味と知りながらアストリッドが駆け出そうとしたとき、鋭い尾が走った。踊り子を襲う矢をすんでのところで弾き飛ばす。フェリクスは射手を見つけようと矢の飛んできた方角を見やったが、物陰に隠れているのか、その姿は確認できなかった。
祝いの席に相応しくない飛来物を目にしたことで、鈍い騎士たちも異変に気付かないわけにはいかなかった。祝い事の和やかな空気が突如として乱れ、当惑の囁き合いが混入した。アストリッドはマンフレッドの表情を覗き見た。平然としている……いや、微かな驚きが浮かんでいるようでもある。それとも、それは焦りなのか?これまではマンフレッドの考えを粗方理解できると自負していたアストリッドだったが、今はまるでわからなかった。もう二度と、わかると思える日は来ないのかもしれない。
と、そのとき、激しい爆発音が辺りに響いた。騎士たちが一斉に音のしたほうを振り返る中、マギーはその反対側に目をやった。いくつもの黒い影が迫り来ていた。




