奏者
襲撃事件から三日後――
「妙な依頼が来た。四日後にある、さる人物の婚礼式の余興を頼みたいということだ」
団員を集めたマンフレッドは、はてと首を傾げながら言った。短剣を研いでいたアストリッドは少し考えてから顔を上げた。
「妙なの、それって?」
「依頼が匿名でな。報酬は前払い、つまり、やれ、ということだが」
確かに、何かと物騒になることが多い匿名の依頼は、華々しい婚礼式には相応しくないようでもある。マンフレッドは杖を神経質に鳴らした。フェリクスがいたずらっぽく彼の顔を覗き込む。
「さては、ダンチョー、ヴィルヘルムって奴の甥っ子とかいうのの式でしょ?」
「何故お前がそれを知っている?」
「酒場で聞いたんだよ。有名な家同士の婚約だって」
団長は白けた目をして新入りを眺めると、他の三人の顔をそれぞれ見た。
「誰だ、酒場にこの子どもを連れていったのは?」
「子どもじゃないんだけど」
「キャットだよ、団長」
ハーレイが悪気なく答えた。キャットはわざとらしく目を見開き、考えるように指で棚を叩いた。
「私ですって?初耳だわ。連れてくって、手を引いてやることでしょ?私は足を引っ張られただけよ。危うく追い出されるところだったんだから」
そう言いながら、どこかからくすねてきた林檎の最後の一口を齧る。マヨが彼女の戯言を鼻で笑った……ように聞こえた。彼女は残った芯をその猫にくれてやった。
「で、報酬はもう受け取ったってことだよね?皆でやるわけ?」
「ふむ、会場の広さと余興に割ける時間からして、全員で披露する必要もないだろう。どうだ、キャット?」
「そうね、団長。私もぜひ踊りたかったわ」
と、キャットはいかにも当然といったやり方で肩をすくめた。アストリッドが笑いを噛み殺しながら言う。
「私もとてもじゃないけどできないし。けど、おめでたい場で鞭を振り回すわけにも、ね?」
「マヨはお祝い向きじゃないよ。もし輪っかくぐりが上手くいかなかったら縁起が悪いもん」
その縁起云々の真偽のほどは定かではないが、少なくとも、やる気という言葉を知らないこの怠け者たちが、祝いの場に相応しくないのは間違いではなかった。キャットは上手く切り抜けられなかったことに唇を尖らせ、もう少し粘ろうかと考えを巡らせた。が、結局代替案を閃く面倒さに白旗を振った。
「踊れば良いんでしょ。死ぬまで踊ってないといけないんだから、踊り子ってのにも困ったものだわ」
こうして、キャットが先日の剣舞を使い回す……ではなく、披露することで話がまとまった。他の面々が式に参加しないつもりでいることは彼女の機嫌を損ねたが、報酬を独り占めして良いとなると、一転彼女のやる気は漲ったらしかった。
ティーナを訪ねていったとき、アストリッドはそんなようなことを話して聞かせた。というのは、王妃がマギーの仕事の話を喜んで聞く稀有な人物の一人だったからだ。しかし、今回は事情が違った。マギーの意味のない会話に普段ならころころと笑うティーナは、やけに深刻な面持ちで黙り込んでしまったのである。
「悪いものでも食べたの?」
「ええ……え?いえ、違うわ。少し、気になることがあって」
いつものことである。が、こういうときに茶化すと睨まれるので、アストリッドは黙って続きを促した。
「あなたに話そうか迷っていたのよ。けれど、確信がなかったの。……その、ヴィルヘルム卿の甥御の婚約なんだけれどね。何か、あの御方が根回しなさったみたいで」
「あの御方って、バルトロメオのことだよね?何であの人が?ヴィルヘルムって人とは関係が良くないって聞いてるけど」
アストリッドはマンフレッドから聞いた話を思い出しながら言った。ほとんど王位を横取りした形のバルトロメオ……
「その通りよ。だからおかしいの。わざわざヴィルヘルム卿に有利な婚約を仕立てる理由なんてないはずでしょう?恩を売るつもりならまだしも、御自身の関与をすっかり隠していらっしゃるみたいだし」
「あんたの勘違いとかじゃない?」
「いいえ、すっかり聞いてしまったもの。昨晩のことよ。私、すっかり退屈してしまって、一人で部屋を抜け出したの。……仕方ないじゃない。誰も滅多に様子を見にくることがないし、そこにある本だってすべて読み終えてしまったんだから。それで、玉座の間に下りていこうとしたのだけれど、あの御方の声が聞こえて。気付かれていないか、ってね。そうすると、マイルズが否定して、問題なくヴィルヘルムの信奉者が集まるはずだって、そんなことを答えたのよ。そのときは、とても抜け出せないことにがっかりしただけだったのだけれど、後から考えれば考えるほど、二人が話していたことが例の婚約式のことだとしか思えなくて」
なるほど、なかなか不穏である。アストリッドにはマイルズの言う声が聞こえた。負の感情こそ、人を動かす大きな原動力となるのです……少なくともあの文官が善人ではないことだけはわかるというものだ。
「……まあ、筋は通るね」
「そうでしょう?何かいけないことを企んでいらっしゃる気がしない?」
「例えば……まとめて虐殺、とか?」
アストリッドが思いつくまま口にしたことに、ティーナは衝撃を受けたようであった。何だ、そういうことを考えていたわけではないのか?
「冗談でしょう、アストリッド?そんなこと……」
「いや、割とありえない話じゃないと思うよ。もちろん、最悪の場合って括弧書きはつくけど」
アストリッドは真剣に言った。ティーナは唇を噛みしめて俯いた。友人の考えの整合性を確かめているらしい。彼女が何より不信を抱いているのは、あの騎士王の側近であった。常に人を物であるかのように眺めるあの男だ。結局、遠い世界の話をしているわけではないという見解は、二人の間で一致した。
「……もし、そんなことが起きるのだとしたら、是が非でも止めなくてはならないわ。とても容認できないもの」
「けど、どうやって?説得でもする?」
その問いかけに、ティーナは小さく息をついた。悩ましげに手を顎に添える。
「それで考え直していただけるなら、頭だって下げるのだけれど。ただ、証拠もなく追及してもはぐらかされるだけだわ、きっと」
そう言って、彼女は意味ありげに目を上げてアストリッドを見た。アストリッドは歯の隙間から息を吸い込んでじっと相手を見つめ返したが、どうやら王妃の気が変わる様子はないらしい。
「……まさか、私に証拠を探してほしいって言ってる?」
「私は構わないのよ。傷が開くとわかっていながら、あちらこちらを駆けずり回ったって」
「わかった、わかったよ。ちょっと探っとく。どうせ暇だし」
アストリッドは両手を上げて降参を示した。嫌々という調子で答えたものの、彼女としてもキテスのいざこざが気にならないわけではなかった。キャットやハーレイもなんだかんだで乗ってくるのはわかっている。フェリクスもおそらくついてくるだろう。あくまで興味があるだけで、これは決して正義を果たすためではない。それは闇夜の隣人たるマギーの使命ではないのだ。
天幕に戻ってみると、キャットの稽古をハーレイとフェリクスが眺めている場面に遭遇した。普段の振舞からは少々意外なことに、踊りのこととなると、キャットは手を抜けない性質なのだ。とはいえ、気怠さはその眼差しに残るのだが。ハーレイは人の練習するところを眺め、それで自分が準備を整えた気になるのが趣味だった。まあ、彼の腕前は天性のものなので、稽古などほとんど無縁なのである。
さて、そんなことはさておき、アストリッドが戻ってきたことに気付くと、彼らは何か良い土産話を期待して振り返った。彼らを満足させてやることができることを、今日ばかりは素直に喜べなかった。アストリッドはティーナの懸念を簡単に仲間に話した。
「花火でもやるつもりなんじゃない?」
というのが、話を聞き終えたハーレイの第一声であった。本気ではあるまい。ただ、調査やら何やらが面倒で、適当に誤魔化そうとしているだけなのだ。まさか、ここまで暢気ではないだろう。いくらハーレイといえども。
「そうだね、どかん!……ってするつもりだよ、きっと」
フェリクスが不真面目な真剣さで合いの手を入れた。キャットが小さく舌を鳴らす。
「嫌な感じね。華は一つの場面に一つで十分だって知らないのかしら?そりゃ、私が踊ってるのを見ずにいられる人なんていないでしょうけど」
「あんたの踊りを皆で見てる隙を狙うつもりかもね。何にせよ、確信がなきゃティーナも動けないから、何とかしろって御命令を受けたってわけ」
アストリッドが言うと、ハーレイは穏やかに微笑んだ。
「お兄さんとは別の意味でめちゃくちゃだねえ」
「やれって言うからにはやるしかないんでしょうね。で、どこから始めましょうか?」
キャットはもちろん当てがあるのだろうと言いたげな目をアストリッドに向けた。言われるままに引き受けてきただけなのだから、作戦など考えているはずもない。アストリッドは肩をすくめた。
「さあ……ヴィルヘルム周辺を探るとか?」
「後は、ダンチョーが受け取ったっていう依頼文もね」
フェリクスが目配せしながら言った。何となく腹が立ったが、アストリッドは顔には出さなかった。
「そうだ、何か手掛かりがあるかも。……そういえば、フレッドは?」
彼女が尋ねると、他の三人は目を見合わせて首を傾げるなり肩をすくめるなりした。キャットが悪意を隠そうともせずに答える。
「どこかってお店に出かけてったわ。人に言えないようなところなのよ、知らないけど」
本人が聞けば烈火のごとく怒り出すだろう。アストリッドは浮かんでくる笑みをそのままにした。
「違いないね。動き回る前に一報入れたほうが良いかと思ったんだけど」
「良いわよ、いちいち報告しなくても。それに、見せてって言っても依頼文なんか見せてくれないんだから」
それもその通りである。結局、依頼文の捜索はアストリッドが引き受けることになり、残りの面々は早速ヴィルヘルム陣営の様子を探りに出かけていった。騎士王を直接調査するのはやめておくのが賢明だ、というのは団員たちで一致した見解だった。彼は並々ならぬ観察眼を持っているようだし、その側近は怪しい動きがないか目を光らせていることだろうから。
さて、アストリッドはマンフレッドが一人で取っている部屋に忍び込んだ。彼の大きな旅行鞄が隅に置かれている。彼女はそれに近づき、数字錠を開けた。団員がその番号を知っているとは、マンフレッドも夢にも思うまい。
中には衣類やあれこれの小道具が整然と詰められていた。アストリッドはそれらの配置を覚え、それからすべてを鞄から出した。が、手紙は見つからない。隠せそうな場所にもない。衣類に紛れてもいない。彼女は鞄を片付けてから、部屋中を探し回った。物の探し方を熟知している彼女にも見つけられないなどということがあろうか?所詮はマンフレッドに教わったに過ぎないのだから、彼が隠したものを見つけられないだけなのか?
いや、違う。そこまで丹念に依頼文を隠す必要はない。それに、彼の決まりとして、受け取った依頼の手紙は、任務を完了するか諸事情で諦めるまで、何が起ころうと破棄しない、というものがある。もっと言えば、彼は任務以外のときにマギーに繋がるものを持ち歩かない。それがたとえたかが手紙であったとしてもだ。
つまり、この部屋にないということは、こう考えるのが妥当なのだ。手紙など、マンフレッドは最初から受け取っていなかった、と。そして、例の依頼は直接受けているはずだ……匿名ではありえない誰かから。
ヴィルヘルム側はてんてこ舞いだ、というのが仲間たちの報告の大筋だった。要するに、婚約それ自体には問題がないと誰もが思っているということである。アストリッドはマンフレッドに対する疑念を彼らに話した。
「全部誤解だって気もしないでもないんだけど。団長にも、例外くらいあるんじゃないかしらね。法律より厳しい人間ってなかなかいないのよ」
キャットはぐっと背中を伸ばしながら言った。一同は同意も否定もしかねて唸るしかなかった。ハーレイが口を開くまでは。
「団長のことはわかんないけど、でも、騎士王様ってヴィルヘルムさんの息子さんみたいだよ」
彼は一体何を言っているのか?アストリッドはぽかんとして彼を見たが、すぐに他の二人も初耳らしいことに気付いた。フェリクスが注意深く尋ねる。
「……何て言った、ハル?」
「だから、バルトロメオさんが、ヴィルヘルムさんの、息子さんなの」
ハーレイは言葉を切ってゆっくりと繰り返した。聞き間違いではないことだけはわかった。が、それは彼が勘違いしていない証拠にはならない。
「え……何かの間違いじゃないの?」
「そうなのかなあ。俺ね、ヴィルヘルムさんのお屋敷に忍び込んだんだよね。それで、暇だったからそこにあった本をめくってたの。そしたら、あ、待ってね」
彼は腰に挟んでいたらしい一冊の本を取り出すと、ぱらぱらと頁をめくって目的の箇所を探し出そうとした。その間にキャットが力なく天井を仰いだ。
「呆れた!盗んできたの?」
「ううん、借りただけ。……あ、ほら、あった。ここにバルトロメオって書いてあるでしょ。それで、うんたらかんたら~って……えっと……いたいた。ね、ここにエリザベス。このエリザベスさんっていうのが、ヴィルヘルムさんの死んじゃった娘さんなんだって。ほら、見てよ。二人は仲良しだったみたい」
ハーレイは紙の上を指で辿りながら言った。確かに、幼少期の記録が拙い文字で綴られていた。その中の一文に目が留まる:『今日は記念日!バルトロメオが騎士王になるって約束してくれた日だから』。
「でも、僕が聞いた話じゃ、ヴィルヘルムに息子はいないらしいけど。だから甥にあれこれ世話を焼いてるんだって」
フェリクスは合点がいかない様子で言った。キャットが続ける。
「ええ、一人娘のエリザベスを産んですぐ、奥さんが亡くなったのよ。それからずっと独り身なんですって」
「でも、ここには二人の名前が書いてあるもん」
ハーレイは気を悪くしたように言い、ぱたりと本を閉じてしまった。アストリッドはじっと考えた。本の余白を埋め尽くしていたのは、とても偽物だとは思えない落書きだった。小さな子どもたちの宝、思い出の結晶。兄妹ではない子どもたちが親密になるとすれば?
「……使用人だった、とか?拾われるなり何なりして、小さいうちから屋敷に住んでたんだとしたら、そのエリザベスと仲良くなってもおかしくないよね」
アストリッドの考えに、キャットは深く息をついた。
「まあ、それなら理解できなくもないわね。だけど、仮に二人に昔からの接点があったとしたら、バルトロメオが派閥間の争いを終わらせないのは、個人的な因縁のためかもしれないってことじゃないかしら?」
「かもね。エリザベスの死因は何?」
「訓練中の事故。ヴィルヘルムさんみたいな騎士になろうとしてたみたいだよ。でも、お母さん譲りで身体は強くなかったんだって」
ハーレイは物悲しげに盗んで……おっと、借りてきた本を眺めた。アストリッドは頬を掻いた。バルトロメオがヴィルヘルム邸の使用人か何かだったとした場合、考えられることは一つだった。
「こりゃ、バルトロメオの逆恨みかな」
「私もそう思うわ。本当、悪くない根性ね」
キャットがため息交じりに同意した。
「前世はもっと良かったかもね」
と、フェリクスが真顔で呟いた。その横で、ハーレイが楽観的に言う。
「でも、二人の関係が原因なら、反対に結構簡単に解決できるんじゃないかな?だって、仲直りさせれば良いんでしょ?」
「それができるなら、誰かがとっくにやってるだろうけど。あの文官とかなら、そういう事情も知ってそう……だし……」
そう言いながら、アストリッドの頭の中には、できれば思いつきたくなかった考えが浮かんできた。
「何よ、アスト?」
「マイルズ……!そうだ、あいつが上手くバルトロメオを操ってるとしたら……?」
彼女の脳内では、マイルズの微笑みは悪意に満ちて醜く変形していた。彼の言う負の感情とは、まさしく騎士王の中で育っていた、一人の少女に対する悔恨だったに違いない。こういうときの勘はよく当たるのだ。フェリクスが頷く。
「わざとヴィルヘルムを憎むように仕向けてる……十分ありえる話だ。まさか右腕が意思を持って動くとは、意外と皆考えないものだよね」
「どうしよう?マイルズさんが尻尾を出すのを待つの?」
ハーレイが下から尋ねた。いつから座り込んでいたのやら。アストリッドは曖昧に首を傾げる。
「どうかな。ああいう奴は、尻尾なんか出さないと思うけど」
「良いんじゃない、一回王妃様に報告しちゃえば。だって、あの人が良い材料だと思ってさえくれたら、私たちの仕事も終わりでしょ?」
と、キャットはティーナが説得に乗り出せると確信する手伝いをしているということを一同に思い出させた。遊び呆ける趣味のためとはいえ、目的を見失わない彼女には感心する他ない。
「確かに。それで良いや。じゃあ、明日ティーナに話すってことで」
アストリッドはさっさと気を抜いてしまった。緊張を操るのも任務を捌く要なのだ。後はティーナが何とかしてくれることだろうと思えた。すっかり暗くなった窓の外で、霧に阻まれた月光が苦しげにこちらに手を伸ばしていた。




